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八ッ場ダム予定地「見捨てたのか」怒り 各党の政策注視(朝日新聞群馬版 2012年11月29日)

2012年11月29日
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「見捨てたのか」怒り 各党の政策注視(朝日新聞群馬版 2012年11月29日)
http://www.asahi.com/area/gunma/articles/MTW20121129100580001.html

(写真)不動尊の移転を終え、厳粛な面持ちで落慶式に臨む冨沢吉太郎さん(左)=長野原町川原湯
八ツ場ダム(長野原町)問題は、民主党への政権交代の象徴だった。その民主党が昨年末、建設中止から再開へと覆し、マニフェスト破りの象徴に。地元住民は、国への不信を募らせる一方で、衆院選での各党の訴えを厳しく見つめている。
「60年にわたるダム問題が地域を衰退させた」
八ツ場ダムができれば水没する長野原町川原湯の上湯原地区。川原湯区長の冨沢吉太郎さん(72)がつぶやいた。最盛期は約40軒あった上湯原に、今は冨沢さん一家を含め2軒。28日に移転が完了した不動堂は、川原湯全体で世話するようになっていた。
新不動が完成したのは「湖面2号橋」のたもと。民主党が政権を得た2009年の前回総選挙で、工事中の十字架形がメディアに何度も登場した橋だ。不動大橋と名付けられ、11年4月開通。工事関係の車が頻繁に行き交う。
「八ツ場ダムは中止」とマニフェストで掲げて与党になった民主党。地元に事前説明はなく、そもそも、長野原町を含む群馬5区には候補者を立てなかった。
1952年の計画浮上から賛否両派の対立を経て、町はダム湖による生活再建を選んだ。突然の中止に水没地区の住民は大半が反発。民主党政権は結局、昨年末に建設再開を決めた。
だが、今もダム本体は着工されていない。移転代替地や道路などの関連工事だけが進む、自民党政権時代と同じ状況が続いている。
冨沢さんは「国土交通相の視察への同行を除いて、この3年余り、国会議員は誰も来なかった」と振り返る。町議を8期、議長も務めた地元の有力者だ。
県関係の国会議員では、民主の6人のうち3人が党を去った。有権者の少なさゆえか、野党の議員も水没予定地を訪れた様子はない。「国は地元を見捨てたのか」。冨沢さんには議員らの姿勢がそう映る。賛否では立場が異なる住民たちが、共通して抱える思いだ。
12月16日の衆院選で、群馬5区は、5選を目指す自民前職に共産と社民の新顔が挑む構図だ。民主は社民への選挙協力を決め、今回も「不戦敗」を選んだ。
自民は今月21日に発表した公約案で「八ツ場ダムを完成させ、洪水被害を防ぐとともに、1都5県の水需要に対応する」とした。前職も18日、中之条町での国政報告会で「不要な人件費がかかった3年間を取り戻すことはできない」と民主を批判した。
共産と社民の新顔は、ダム反対だ。社民は22日に出した公約案で八ツ場ダムを挙げ、「ダム中心の治水対策から脱却し、河川の流域管理や改修、森林保全の治水対策への支援策を強化する」とした。
解散前、民主は前回マニフェストの総括で、方針転換について「政権交代に伴う政策変更の際の意思決定方法の未確立や、関係省庁、地元関係者との調整が十分できなかった」と記述。
27日に党が公表したマニフェストでは一言も触れられず、県内で立候補予定の前職らも、争点として強く打ち出すことはない。
「第三極」も、下流の東京都知事として建設推進の旗振り役だった石原慎太郎氏が日本維新の会代表に。県内には反対を訴えてきた公認候補もいて、賛否両派を抱えた状態だ。
かつて反対派の闘士だった冨沢さんは、ダム受け入れに転じたが、今も水没地区に住み続ける。民主党政権による再検証で、移転を検討した場所に地滑りの危険があると指摘され、不安を感じているからだ。
各党が八ツ場について何を語るのか。ダムによる生活再建をめざす推進派も、安全性などの観点から見直しを求める反対派も、その「言葉」に耳を澄ませている。(小林誠一)

長野原町川原湯の上湯原地区で28日、新しい不動堂が完成した。八ツ場ダム建設に伴う高台への移転。地元住民らが落慶式を開き、生活再建を願った。
町教委によると、不動堂ができた時期は不明だが、移転に際し、石灯籠(どう・ろう)に「享保六年」(1721年)の銘を確認。遅くとも江戸時代から深く信仰されてきた。
地元住民によると、かつての不動尊は銅製で、第2次世界大戦時の金属供出で失われた。そこで戦後、木製の立像を作ったが盗難被害に。「腰を据えて住民を見守って」と願いを込め、現在の木製座像になった。
建物正面に掲げられた「不動尊」の文字は、川原湯温泉で土産物店「お福」を営む樋田淳一郎さん(85)が書いた。息子で建設委員長を務めた耕弥さん(56)は「新しい不動さんは西の玄関口で川原湯を向いている。末永く、地域を見守ってほしい」と話した。

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