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長良川河口堰、開門調査いつ実現 周辺自治体と連携なし〔朝日新聞 2015年1月11日)

2015年1月11日
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「長良川河口堰が開門調査いつ実現するか」について朝日新聞が報じています。
長良川河口堰、開門調査いつ実現 周辺自治体と連携なし
編集委員・伊藤智章
〔朝日新聞 2015年1月11日)http://www.asahi.com/articles/ASH194HWPH19OIPE00N.html?iref=comtop_6_04
写真・図版
完成から20年を経ても、環境への影響が問われ続ける長良川河口堰(かこうぜき)。
15日告示の愛知県知事選で再選をめざす現職の大村秀章氏(54)は、開門調査を前回に続き公約した。だが、問題なしとする国などとの調整はほとんど進んでいない。どう実現するのか、期待した県民は言動を注視する。
6日発表された大村氏の300の公約集には1行、「長良川河口堰の開門調査等」とある。先月の出馬表明会見では自身から言及せず、質問に「調査をという投げかけはしていくべきでは」と語るにとどめた。
■前回の愛知県知事選は公約の柱
前回は違った。国連生物多様性会議が名古屋市で開かれた直後で、市長選とのダブル選を控えた2010年末に河村たかし市長と河口堰を視察。「まず開門調査をすべきだ。公約の柱にします」と表明した。
国を巻き込もうと、地元との協議会設置を当時与党の民主党幹部に打診、前向きな反応を得た。だが、河口堰建設を進めた自民党政権が12年末に復活。国土交通省中部地方整備局は「問題を感じない」と協議会にすぐ応じる構えはない。
長良川が境の隣県とも開門調査へ調整が進まない。海水がさかのぼり塩害が起きる可能性がネックで、三重県の鈴木英敬知事は取水に影響するとして「困る」。アユなどの生態系回復が望めるはずの岐阜県も、自民が最大会派の県議会が事実上反対の「適正運用」を決議。知事同士で国に脱ダムを迫った大阪、京都、滋賀のような連携はない。
愛知県では大村氏当選後の11年に専門家チームが発足。河口堰完成後の環境への悪影響や「水余り」があるとし、5年以上の開門調査を提言した。その後もある委員が河床を独自に調べ、国交省が言う塩害が起きない可能性を指摘した。
だが13年度末、県は開門期間として春と秋の各40日程度を一案とする報告を出した。専門家チームから求められての報告だが、「5年以上」との差は大きい。検討したのは、河口堰の目的でもある水資源開発に携わってきた職員らだった。
■「難しいことはわかっている」
大村氏の発言は弱含む。昨年10月には県主催の講演会で「いったんできた河口堰を開放し、調査することは外国でもなかなか例がない」と説明。「難しいことはわかっているが、引き続き提案したい」と述べた。
ネット上では大村氏に開門調査の公約実現を求める署名運動もある。大村氏の講演会に来ていた元小中学校長、伊奈紘さん(69)も署名した。自民党政権が愛知県設楽町で進める設楽ダム建設にも反対で、前回知事選の際、大村氏は会って意見を聞いてくれた。
態度を保留した大村氏だが、県議会最大会派の自民や地元首長らが建設を求める中、専門家の意見も聞き13年末に容認。今回は自民県連の推薦も受ける。開門調査はどうなるのか――。伊奈さんは大村氏に環境政策への意欲を認めつつ、「政治家なら成果を出してくれなきゃ」と話す。
知事選には県社会保障推進協議会の事務局長、小松民子氏(64)も共産党推薦で立候補する。7日に発表した公約では長良川河口堰に触れず、質問に「建設に反対したし、開門(調査)は進めたい」と答えた。(編集委員・伊藤智章)
〈長良川河口堰〉 三重県桑名市にあり、旧水資源開発公団が利水と治水を目的に95年、事業費1500億円で完成。建設の閣議決定は高度経済成長期の68年だが岐阜県の漁民らの反対で着工が遅れ、本流にダムのない長良川に人工構造物を造ることへの反対が88年の着工前後に全国に広がった。水利用は増えず、開発した毎秒22・5トンのうち愛知、三重両県で約3・6トンにとどまる。
(写真)長良川河口堰=2014年11月、三重県桑名市、細川卓撮影
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子供の声消えた 産業衰退過疎止まらず(中止になった細川内ダムの計画地)

2015年1月4日
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2000年に中止が決まった徳島県の直轄ダム「細川内ダム」の計画地「旧木頭村」について読売の記事の続きです。

多くの山村は過疎化の問題に直面していますが、もし細川内ダムができていたら、旧木頭村は過疎化が一層進んでいたのではないでしょうか。
元村長の藤田恵さん(水源連顧問)のお話しも紹介されています。
子供の声消えた
(読売新聞 2015年01月04日)http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/CO012651/20150104-OYTAT50005.html
 
産業衰退過疎止まらず
「メーン」「ドォー」
元日の朝、徳島県旧木頭村(きとうそん)(現那賀(なか)町)の体育館。小学生たちの剣道場「木頭錬心館」の初げいこは、帰省したOBらも加わり、約40人でにぎわった。
広場が少ない山あいでもできる剣道は、戦前から盛んだった。村民らが平家の落人の血を引いているからだとの伝承まであり、「村技」と言われてきた。
特産のユズを加工販売する会社「黄金の村」を作った藤田恭嗣(やすし)(41)も小4の頃から通った。当時は約30人が練習に励み、県大会の団体戦で優勝を重ねた。
だが、今では6人に減り、チームを組むことさえ難しい。「村で子供の声をほとんど聞かなくなった。寂しいもんです」と、約40年間ボランティアで指導してきた岡田豊(60)は嘆く。
深刻な過疎は、若年層がやせ細った、極めていびつな人口構成に表れている。
村の面積の98%は山林。人口が現在の3倍の4115人とピークだった1965年当時、基幹産業の林業は、国の「拡大造林」政策で活況に沸いた。補助金を受け、建材やパルプ用の木材を大量に切り出し、スギやヒノキの苗を植える。それでも木材は不足し、どんどん値上がりした。
林業に従事した元村議の田村好(よしみ)(84)は、当時の様子を鮮明に覚えている。
どの山も人手が足りず、他県から出稼ぎが押し寄せた。宿舎となる旅館は10軒ほどあり、映画館もあった。父が営む商店では酒やたばこが飛ぶように売れ、「今年の売り上げは400万円」と聞かされた。サラリーマンの平均年収が40万円余りだった頃の話だ。
田村は振り返る。「徳島市に出て『木頭から来た』と言えば、なんぼでもお金を貸してくれた。木頭は、金持ちの代名詞やった」
伐採された木を引き取る業者には当時、木材引取税が課せられた。村が得た税収は63年度、1018万円で、歳入全体の1割を占めた。村の財政は潤った。
64年の木材輸入の全面自由化で、安価な「外材」が流通し始め、時代の時計はカチリと音を立てた。
76年秋、台風の豪雨で6人が死亡する大規模な山崩れが起き、復旧工事が急ピッチで始まった。4年後、林業からの転職が進んだ建設業の就業人口は林業を追い越した。その結果、国が村内で計画する「細川内(ほそごうち)ダム」への期待も高まったのだ。
だが、建設業は今、公共事業の削減で苦境と向き合う。木頭にある5業者の受注額は、98年度の17億円から、2012年度には7億円に激減。県建設業協会那賀支部参事の川原武志(69)は「明るい話題は何ひとつない」とこぼす。
「平成の大合併」も、大きな変化をもたらした。
村は05年、那賀川下流の4町村と合併した。役場の本庁がある最下流の旧鷲敷(わじき)町まで、車で1時間。「木頭支所」は地域振興室だけになり、かつて60人以上いた職員は10人に減った。
副支所長の北岡仁志(56)は「決定権もマンパワーもなくなり、地域のことを地域で決められなくなった」と複雑な心境を明かす。
木頭にある2小学校と1中学校の児童・生徒数は現在、57人。唯一の高校分校は05年春に廃校となり、今年、中学を卒業する6人全員が木頭を出ていく。
産業が廃れ、人材も減る現状に、かつて「ダムに頼らない村づくり」を進めた元村長の藤田恵(75)は「たった一人でいい。『村を活気づけたい』とがむしゃらになれる人間がいれば、流れは変わるはず」と話した。そして、こう続けた。
「過疎化は何十年も前から続いてきた、この国の構造的な問題。私らがじたばたしても、変わらんかった。止めるんは、ダムよりずっと難しかった」(敬称略)
少子化により、日本の人口は2008年の1億2808万人をピークに減少に転じた。地方では、大都市圏への転出が人口減に拍車をかけている。
民間の研究機関「日本創成会議」は昨年5月、2010~40年の30年間に、全国の半数の市区町村で、出産の中心世代となる20、30歳代の女性が半分以下に減るとの推計を発表。これらの自治体を「消滅可能性都市」と呼んだ。人口流出の要因として、働く場が少ないことを挙げた。
那賀町の若年女性数は、522人(10年)から85人に減ると推計され、減少率は83.7%。四国で最も高く、全国でも13位だった。全国ワースト1は、群馬県南牧(なんもく)村の89.9%だった。
(写真)木頭錬心館の初げいこで黙想する子供ら。普段は6人の道場も、大勢が帰省してにぎわった(1日)

(写真) 山あいを流れる那賀川に沿って点在する旧木頭村の集落(昨年12月、本社ヘリから) 記事へ(写真)山あいを流れる那賀川に沿って点在する旧木頭村の集落(昨年12月、本社ヘリから)

計画浮上47年「もう限界」 住民生活設計できず 城原川ダム(佐賀)

2015年1月4日
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佐賀県の直轄ダム「城原川ダム(じょうばるがわダム)」は計画浮上から47年、半世紀が迫ろうとしており、必要性があるとは思われません。中止を決定して地元の生活再建策を進めるべきです。
=国策と地方=(4) 城原川ダム
(佐賀新聞2015年01月04日 ) http://www.saga-s.co.jp/news/saga/10101/141802
■計画浮上47年「もう限界」 住民生活設計できず
「治水は喫緊の課題」-。昨年10月、佐賀市で城原川ダム(神埼市)の会議が開かれた。九州地方整備局幹部は冒頭と最後のあいさつで、「差し迫って重要」を意味する「喫緊」を繰り返した。だが、その言葉と事業のスピード感は一致しない。この日の流域自治体と協議する「検討の場」の準備会の再開でさえ、3年10カ月を要した。
計画浮上から47年、半世紀が迫ろうとしている城原川ダム。住民はダム建設をめぐり賛否を争ってきた。当初、城原川の洪水対策と都市用水確保などを目的にしていたが、当時の井本勇知事が2001年に利水を断念し、焦点は治水の必要性に移った。
03年、知事に就いた古川康氏は、流域委員会や首長会議の場を設けた。05年には「環境と治水が両立する未来型」として、洪水時にだけ水をためる治水専用の「流水型ダム」建設を国に申し入れた。この時点で30年以上の月日が流れ、住民は建設推進派、反対派ともに「やっと決着した」。安堵(あんど)感をにじませていた。
ところが国交省が提案の結論を出す前に、「コンクリートから人へ」を掲げた民主党が09年に政権を獲る。城原川ダムは再検証の対象となり、再び建設計画が止まった。その後、具体的な検証は進まず、計画は宙に浮く。12年末に自民党政権に戻っても進展なく、再開した準備会も代替案の検証結果は示されなかった。
「もう、限界」。準備会を傍聴したダム水没予定地の地区住民らでつくる「城原川ダム対策委員会」の眞島修会長(77)は、言葉を絞り出す。地区は高齢者ばかり、家屋もぼろぼろ。将来の生活設計さえ、できないままだ。「すぐにダム問題に取り組んでくれる人を選びたい。でも、誰もダムに触れない」
候補者の訴えで聞こえてくるのは子育てや教育、産業振興…。治水対策としてダムの必要性を問う佐賀新聞社の調査に、4候補の答えは分かれる。
飯盛良隆候補は「今後の自然災害を計算上の理論で防ぐことはできない」と必要性を否定。樋渡啓祐候補は近年の集中豪雨に触れ「治水対策には万全を期す必要があり、ダムは有効な手段」と指摘する。山口祥義候補と島谷幸宏候補は賛否を明確にせず、山口候補は「早急にダム事業の検証を進めてもらいたい」、島谷候補は「環境、文化財、治水効果などを総合的に検討しないと分からない」。
池田直氏、香月熊雄氏、井本氏、古川氏-。知事が4人交代してもなお、結論が出ない城原川ダム問題。「古川さんも、国の方針が出たら…と受け身で、大きなウエートがなかった感じを受けた。次の知事にはもっと国へ積極的な提案をしてくれることを期待したい」と、ダムによらない治水対策を訴える「城原川を考える会」の佐藤悦子代表(61)。
賛成、反対によらず、一致するのは「この問題、そして住民を置き去りにしないで。早く結論を」との思い。住民は悲痛な思いを抱きながら、知事選を見つめている。
「ダム早期建設着手」を訴える看板横に貼られた知事選ポスター。車で少し走ると「反対」の看板も立つ=神埼市脊振町岩政倉今
(写真)「ダム早期建設着手」を訴える看板横に貼られた知事選ポスター。車で少し走ると「反対」の看板も立つ=神埼市脊振町岩政倉今

「ダムネーション」の上映、1月11日に各地で

2015年1月4日
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アメリカのダム撤去の映画「ダムネーション」の市民上映会が1月11日に各地で開かれます。

群馬、山形、浜松、鎌倉での上映会についての記事を掲載します。

 

米国・ダム撤去の実態は? ドキュメンタリー映画「ダムネーション」
(東京新聞群馬版 2015年1月7日) http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20150107/CK2015010702000172.html

米国で進むダム撤去の動きを追ったドキュメンタリー映画「ダムネーション」の上映会が十一日、前橋、高崎両市で開かれる。本体工事が始まろうとしている八ッ場(やんば)ダム(長野原町)を、いま一度考えるきっかけにしてもらおうと、二つの市民団体が主催する。
ダムネーションは、米国のアウトドア用品メーカー「パタゴニア」の提供で二〇一四年に発表された。八十七分。
製作陣によると、米国では二十年前から、老朽化するダムをめぐり、維持や改修で得られる利益より、ダムで生じる経済や環境、安全面のコストが上回るとして、撤去する動きが広がりつつあるという。
映画は、ダムが爆破される場面を含め、いくつかのダム撤去の動きを追う。ダムでせき止められていた水が流れるようになり、サケやニジマスがダム跡地の上流で再び見られるようになった様子も描いている。
前橋市南町の市民文化会館では午後一時半から。参加費五百円。八ッ場あしたの会などが主催。高崎市高松町の高崎シティギャラリーでは午後二時半から。入場料は当日千二百円。高校生以下無料。主催はSTOP八ッ場ダム・市民ネット。
(伊藤弘喜)

記録映画:「ダム撤去」あす上映 映画で八ッ場ダムの必要性考える 前橋と高崎で /群馬
(毎日新聞群馬版 2015年01月10日)http://mainichi.jp/area/gunma/news/20150110ddlk10040045000c.html

1月11日は「川の日」。米国で不要ダムの撤去に取り組む人々の姿を描いた記録映画「ダムネーション」が、前橋市と高崎市で上映される。長野原町で今月、本体工事が始まる八ッ場ダムの必要性を考えてもらう狙いがあるという。
映画はアウトドア衣料メーカー「パタゴニア」が提供。米国全土に7万5000基あるダムの多くが川を変貌させ、魚を絶滅させているとして、本当に必要なのかを検証する。
ダム維持に高いコストがかかる割に、かんがいや発電の「利水」でも、洪水防止の「治水」でも価値が低かったダムが次々に撤去される。ダムが爆破される瞬間も映し出す。米国ではこれまでに約1000基が撤去され、よみがえった川にサケが遡上(そじょう)する姿をカメラが捉えている。
上野村在住の哲学者、内山節さん(64)は「自然な川とともに生きようとする活動のなかに、人間たちが手放してはいけない大事なものの回復があることを教えてくれる」とメッセージを寄せる。
11日の上映会は、午後1時半から前橋市民文化会館の第5会議室。主催は「八ッ場あしたの会」と「八ッ場ダムをストップさせる市民連絡会」。参加費500円。
午後2時半からは高崎市高松町の高崎シティギャラリーコアホールで。主催は「STOP八ッ場ダム・市民ネット」。入場料1000円(高校生以下無料)。【奥村隆】

山形)米国のダム撤去追う作品上映 11日、新庄・鶴岡
〔朝日新聞山形版 2015年1月9日)http://www.asahi.com/articles/ASH155FSKH15UZHB006.html

市民グループ「最上小国川の清流を守る会」主催の映画上映会が11日、新庄市と鶴岡市で開かれる。ダムの撤去を題材にした米国のドキュメンタリー映画「ダムネーション」を上映する。
守る会は、県が進める最上小国川ダム計画について考える機会になれば、と参加を呼びかけている。
映画は、ダムを撤去し、川の自由を取り戻そうとした米国の人たちの活動を追ったもの。ダムは生態系に影響を与える一方、発電、灌漑(かんがい)、洪水防止についていずれも期待されたほどの効果がなかったと主張する。
アウトドアメーカー「パタゴニア」の創設者が製作に関わっている。
11日の全国上映会に呼応し、新庄市は、新庄駅ゆめりあ2階、ホール・アベージュで午後2時から。鶴岡市は、鶴岡まちなかキネマで午後7時15分から。上映時間は87分。
上映協力費として千円が必要。問い合わせは、最上小国川の清流を守る会事務局長、沓沢さん(0233・23・0139)。

静岡)映画「ダムネーション」、11日に 浜松市民団体
〔朝日新聞静岡版 2015年1月9日)http://digital.asahi.com/articles/ASH18552FH18UTPB009.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASH18552FH18UTPB009
(写真)映画「ダムネーション」を宣伝するトランジションタウン浜松のメンバー=浜松市役所
浜松市の住民グループ「トランジションタウン浜松」が、ダムを撤去する挑戦を追った米国の記録映画「ダムネーション」を11日午後1時45分から、同市中区田町の映画館「シネマイーラ」で上映する。上映後には天竜川の佐久間ダムのあり方などについて意見交換するイベントも催す。
映画は、人々の生活向上のために必要だとされたダムの価値を疑い、ダムを取り壊して川を元の姿に戻そうとする人たちの取り組みを記録した。
トランジションタウンは英国で始まった草の根運動のひとつで、自然に寄り添った地域づくりに取り組んでいる。1956年に発電目的で同市と愛知県境に完成した佐久間ダムやその他の天竜川水系のダムについて、「私たちは発電だけでなく治水、利水の面で恩恵を受けている。
しかしいつかはダムを『卒業』したい」(トランジションタウン浜松映画部の金沢真生子さん)という思いで映画上映を企画した。
トークイベントは午後3時半~6時、映画館近くの肴町公会堂で、天竜川漁協、電源開発、大学の研究者ら5人がアユの減少やダムにたまった土砂の問題などを語り合う。入場者とも意見交換したいという。
映画は全国約10カ所で同時上映される。前売り1300円、当日1500円。高校生以下は当日のみで1千円。トークイベントは500円。詳しくはウェブサイト(http://tthamamatsu.hamazo.tv/)で。問い合わせは金沢さん(090・3951・6753)へ。

ダム撤去に挑む人々描く 文化 きらら鎌倉で上映会
(タウンニュース2015年1月9日号)http://www.townnews.co.jp/0602/2015/01/09/267045.html
ドキュメンタリー映画「ダムネーション」の上映会が1月11日(日)、鎌倉生涯学習センター(きらら鎌倉)で開催される。午後7時から8時45分まで(6時30分開場)。
 同作は「川の自由」実現のため、ダムの撤去を求めて行動する人々を描いたもの。全土に7万5千基のダムが建設されたアメリカでは、生態系を一変させる一方で期待された効果を上げていないダムの撤去が検討され始めているという。
 今回の上映会は、制作を支援したパタゴニア日本支社などが、1月11日を「自由な川の日」として全国各地で開催するものの一つ。
 参加は無料だが予約が必要。参加希望者は【メール】customerservice@patagonia.co.jp、【フリーコール】0800・888・7447、【電話】0467・23・8972(携帯電話専用)へ申し込みを。

 

ユズで築く「黄金の村」「細川内ダム」の計画地(中止)

2015年1月3日
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2000年に中止が決まった徳島県の直轄ダム「細川内ダム」の計画地「旧木頭村」についての記事を掲載します。

ユズで築く「黄金の村」

(読売新聞 2015年01月03日)http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/CO012651/20150103-OYTAT50000.html
(写真)東京でIT企業を経営する藤田さん。ふるさとを思わない日はない(東京・新宿と、ダム予定地だった旧木頭村の河原で)

再生の夢東京で描く

人口減と東京一極集中が進む。地方がかつてない苦境にあっても、明日への希望を胸に歩き続ける人がいる。ふるさとの衰退と向き合う四国を舞台に、再生へのヒントを探りたい 東京でIT企業を経営する藤田さん。
東京・新宿でIT企業「メディアドゥ」を経営する藤田恭嗣(やすし)(41)は、年の瀬を迎えても1日に10件以上の打ち合わせをこなし、100件を超えるメールに目を通す日々が続いた。
小説や漫画などをデータ化する電子書籍の流通大手として、東証マザーズ市場に名を連ねる。100人を超える社員を率い、今期は80億円の売上高を見込む。
そんな藤田が、故郷の徳島県旧木頭村(きとうそん)(現那賀(なか)町)で、特産の「木頭ゆず」をぽん酢やジャムなどに加工して販売する会社を作ったのは2年前のことだ。
藤田は毎年、新年を木頭の実家で迎える。元日の朝、いつものように東の空に向かって手を合わせた。「今年は若い社員を増やし、木頭を元気にする」と、志半ばで命を絶った父、堅太郎(けんたろう)に語りかけながら。
四国山地に抱かれた木頭村は、村を流れる那賀川の巨大ダム計画を巡り、約30年にわたり揺れた。国が治水と利水、発電を目的に進めた、総貯水量6000万トンの「細川内(ほそごうち)ダム」だ。
計画が表面化したのは、「列島改造」で日本中が沸き立った1970年代初頭。村の基幹産業が林業から建設業へと移行する中、恩恵に期待する声も上がったが、「水没で村が消えてしまう」などと反発は強かった。93年に新村長が当選すると、公約通りダム反対は村の基本方針になった。
しかし、国や県は推進の姿勢を変えなかった。村の国道には車がすれ違えないほど狭い区間があった。拡幅を求めても「どうせダムで水没する」と予算はつかなかった。
カネは国から県へ、県から村へと流れる。予算を差配する側の論理に簡単には逆らえない悲哀を、小さな村は背負わされた。
村職員でまじめな性格だった堅太郎は、「堅ちゃんがいれば話がまとまる」と言われるほど人望が厚かった。若手の頃から住民たちに熱く説いてきたのが、古くから自生するユズを生かした村の振興だった。
木頭の大きな寒暖差で育ったユズは驚くほど香り高く、全国の料理人らをうならせていた。集会を開いては「村中に実らせ、黄金色に輝く村にしたいんじゃ」と語り、栽培を勧めた。
だが、村はダム反対派と賛成派に割れた。「ダムに頼らない村づくり」を掲げる新村長のもと、助役になった堅太郎は、攻撃の矢面に立たされた。昼夜を問わず自宅に嫌がらせ電話が入った。心労を重ね、みそ汁しか喉を通らなくなった。それでも、村の将来をいつも案じ、妻の示子(ときこ)(76)にはことあるごとに「木頭をなんとかせな」と話した。
ダムを巡る村議会の攻防が熾烈(しれつ)を極めた96年。堅太郎は8月末、帰省した藤田を珍しく川釣りに誘い、その11日後、自ら命を絶った。61歳だった。走り書きされた遺書は「迷惑をかける」とわび、最後をこう結んでいた。
「恭嗣、がんばれ」
藤田は当時、名城大を卒業し、地元の名古屋で携帯電話の販売会社を作ったばかり。遺書の言葉、釣りの意味を考え続けた。
いつも通り口数少なく、苦しみを何も語らなかった父。あの絶景の清流が、ダム水没予定地だったと後に知った。「ふるさとの姿をしっかり見ておけ」。そんな遺言だったと思う。
木頭に帰ろうかと悩みもしたが、示子は「帰ってきても何もできないでしょ」と突き放した。息子を混乱の中に巻き込みたくなかったからだ。藤田は、「まず力をつけなさい」という教えだと受け止めた。
「木頭のために貢献したい」と、大都会を必死に歩いた。「故郷を捨てることは絶対にできない」との思いを、胸に抱き続けた。
国は2000年、細川内ダムの中止を決め、木頭は「巨大ダムを止めた村」として注目を集めたが、過疎の流れは止められなかった。1960年代に4000人を超えた人口は、今、1300人ほどに減った。
政府は「地方創生」策を矢継ぎ早に打ち出す。だが、藤田には信念がある。「ふるさとの再生は、国や県が主役なのではない。危機感とスピード感を持って自分たちで考え、自分たちで納得できる戦略を作っていくことが重要なのだ。時間はあまり残されていない」

将来、木頭で100人を雇用し、人口を500人増やす――その目標を絵空事だとは思っていない。ビジネスの最前線で戦ってきた経験と自信がある。会社の名前は「黄金の村」。父の夢とともに、藤田は歩き始 記事へめた。(敬称略)
 

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