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一転ダム建設へ 熊本県 翻弄されてきた住民は…(人吉の水害被害者、川辺川の川漁師、水没予定地で働く人)

2020年11月27日
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NHKの番組「News Up 一転ダム建設へ 熊本県 翻弄されてきた住民は…」の報道を転載します。

人吉の水害被害者、川辺川の川漁師、水没予定地に建設された鹿肉の加工場で働く人、3人の思いを伝えています。

川漁師の方は、「ダムの議論以前に、今回の水害で大量の土砂が川底にたまっていて、まずはその除去を早急に行ってほしい。貯留型や流水型を問わずダムを造れば川は死に、アユやヤマメの質の低下は避けられません。全国有数の清流を人の手によって壊してほしくない」と語っています。

鹿肉の加工場で働く方は、「振り回されている感じがする。加工場がなくなれば、生活できなくなる。水没予定地で仕事をしている人はどうしたらいいのか…」と語っています。

 

News Up 一転ダム建設へ 熊本県 翻弄されてきた住民は

(NHK 2020年11月26日 20時58分)https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201126/k10012730751000.html

熊本県の蒲島知事が、12年前に白紙撤回したダム建設の“スイッチ”を自らの手で押しました。
「もう2度と、同じ水害は経験したくない」「清流を子どもたちに引き継ぎたい」「ダムによる対立を、再び地域に持ち込まないでほしい」
現地から聞こえてきたのは、長年にわたってダムに翻弄され続けてきた住民たちの声です。(熊本放送局取材班 馬場健夫 木村隆太 太田直希)

長年続くダム論争

ことし7月の記録的な豪雨で、球磨川やその支流が氾濫した熊本県。広い範囲が浸水するなどして65人が亡くなり、いまも2人が行方不明のままです。
清流として知られる球磨川は過去、何度も氾濫を起こした“暴れ川”としても知られ治水対策をめぐって議論が繰り広げられてきました。
きっかけは、昭和40年までさかのぼります。
球磨川の氾濫を受けて、翌年、国はこの時を上回る洪水に対応するため、支流の川辺川にダムを建設する計画を打ち出しました。しかし、水没する地域の住民や漁業関係者などから反対の声があがり、計画は進みませんでした。
平成20年に就任した蒲島知事は、当選後、有識者会議を設置して治水対策について再検討を行い、計画から40年余りたった川辺川ダム建設の白紙撤回を表明しました。
その後、10年余りにわたってダムに頼らない治水対策が検討されてきましたが、結果として抜本的な対策が講じられないまま、ことし7月に球磨川は再び氾濫しました。

蒲島知事(11月19日熊本県議会)

この豪雨災害を受け、蒲島知事は、11月19日にダムの建設を表明しました。

イスの上で8時間

「ダムがあれば、犠牲者は減っていたのではないか」

渕上憲男さん

私たちにそう話してくれたのは、今回の水害で命の危険を感じたという、渕上憲男さん(80)です。
中心市街地が水没した人吉市を訪れると、今も多くの家が壊れたままの姿で残されています。渕上さんの自宅も全壊し、あるのは壁と骨組みだけです。

実は、渕上さんが水害に遭うのは3回目です。
昭和40年の水害のあと、土地をかさ上げし家を建て替えました。しかし、今回の豪雨は、これまでの経験を超えていたといいます。

浸水から逃げた当時を再現する渕上さん

あの日、自宅に押し寄せてきた水は、あっという間に2階の床上まで達しました。濁流が押し寄せる中、渕上さんは2階のベランダに逃れました。高さ50センチほどのイスをベランダに持ち出し、その上に立って8時間余りにわたって救助を待ち続け、一命を取りとめたといいます。
私たちが訪れた時も、2階の窓には、水の跡がくっきりと残されていて、豪雨の激しさを物語っていました。

「壊れた家を見ると涙が出る。今のままでは安心して暮らせない」

ダムがあればいい

過去の水害を示す電信柱

今は妻と2人で、市内のアパートに仮住まいしている渕上さん。自宅の再建は、費用がかさむため、難しいといいます。
かわりに比較的、被害の少なかった裏の実家をリフォームして住むつもりですが、平屋のため、また洪水となったら被害は免れないと感じています。

渕上さん
「ダムがあれば、犠牲者は減っていたのではないか。清流、球磨川を守ろうということは当然理解しているが、それ以上に大切なのは生命財産だ」

ダムができれば川は死ぬ

治水対策としてダムの建設を望む人がいる一方で一度は白紙撤回となったダムの建設には、反対する人も少なくありません。

「ダムができれば、川は死ぬ。川が死ぬときは、川漁師が死ぬときだ」

田副雄一さん

球磨川最大の支流・川辺川を見つめながら、強い口調でこう話すのは、相良村に住む川漁師、田副雄一さん(50)です。
団体職員だった田副さんは26歳のときに人吉・球磨地方に転勤し、川辺川と出会いました。

川辺川は、国土交通省から去年まで、14年連続で日本で最も水質のよい川の1つに選ばれている国内有数の清流です。大きくて良質なアユが釣れることで全国に知られています。
田副さんは地元の漁師からアユ釣りを学ぶ中で、この川と共に生きていきたいと考えるようになったといいます。

清流を守りたい

転機は12年前、38歳のときに訪れました。蒲島知事がダム計画を白紙撤回したのです。
田副さんは、ダムが造られなければ、いつまでも清流が続くと考えました。脱サラして川漁師になり、以来、アユやヤマメをとって生活してきたといいます。
しかし、今年7月の豪雨で川の環境は一変しました。土砂が流れ込むなどしたため、これまで多いときで1日100匹以上釣れていたアユは、いまでは1匹も釣れない日があるといいます。
そこに、ダムの建設です。蒲島知事が「新たな流水型のダム」の建設を国に求めたことで、環境の悪化を懸念しています。

田副さん
「ダムの議論以前に、今回の水害で大量の土砂が川底にたまっていて、まずはその除去を早急に行ってほしい。貯留型や流水型を問わずダムを造れば川は死に、アユやヤマメの質の低下は避けられません。全国有数の清流を人の手によって壊してほしくない」

 ダムに翻弄される村

流域の人たちだけでなくダムの水没予定地の周辺住民は、今回の判断をどんな思いで、受け止めたのでしょうか。
川辺川ダムがかつての計画どおり建設された場合、村の中心部が水没する予定だったのが五木村です。

村を訪れると、真新しい宿泊施設が目に飛び込んできました。
ロッジ風のおしゃれな宿泊施設は、村が補助金も活用し6億円を費やして、去年、完成させました。コロナ禍でも休日の予約がすぐに埋まるほど人気を集めているといいます。近くでは橋を利用したバンジージャンプなどが楽しめるようになっています。
五木村はかつての建設計画では、当初、ダムに反対していましたが、国や県に強く迫られ平成8年に建設に同意しました。水没する場所で暮らしていた住民は、新たに造成された村内の高台に移転しましたが、6割余りが村外に出ました。

五木村の水没予定だった場所と高台に移転した住宅

しかし、12年前に、蒲島知事がダム計画を白紙撤回したため、村は振興策として住民が去った“沈まなくなった”「水没予定地」に観光施設を整備してきたのです。
月の豪雨を受け再びダム計画が持ち上がったのは、宿泊施設の運営が軌道に乗り始めたさなかの出来事だったといいます。
これらの施設は、新たなダム計画で水没する可能性があります。
白紙撤回から一転、再び建設へ動き出したダム。村は2度にわたり、はしごを外される形となりました。

水没予定地で働く人は

 上原宇一郎さん

こうした動きについて、五木村の上原宇一郎さん(68)は、声を絞りだすように私たちに話してくれました。

「偉い人は簡単に言うが、住んでいる人はやおいかん」

「やおいかん」とは熊本の方言で、この場合は「簡単にはいかない」という意味です。
上原さんは水没予定地に建設された鹿肉の加工場で週に5日働いています。加工場は、ダム計画の白紙撤回後、地域振興の1つとして7年前、村が建設しました。

商品を手に

野生動物の肉を使ったジビエ料理のブームを追い風に、上原さんの鹿肉は地元の物産館の人気商品になり、仕事は順調に進んでいました。
今回の蒲島知事の方針の転換に、上原さんは率直な思いを語ってくれました。

上原さん
「振り回されている感じがする。加工場がなくなれば、生活できなくなる。水没予定地で仕事をしている人はどうしたらいいのか…」

分かれる意見

熊本県の蒲島知事は、この1か月、被災地に足を運び、住民や団体から直接、話を聞きました。その数は30回、のべ人数はおよそ500人に上ります。結果として、ダム建設について「賛成」「反対」「どちらとも言えない」いずれも、ほぼ同数だったということです。

私たちも、流域を歩きながら賛成、反対、その間で揺れ動くさまざまな声を聞きました。そのどれもが説得力があり、伝えるべきことだと感じました。
ダムの建設は、調査も含め少なくとも10年はかかると見られています。埋もれている声がないか、今後も現地で取材を続けていきます。

【混迷の石木ダム】長崎県知事、佐世保市長、 川棚町長のインタビュー記事

2020年11月24日
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長崎新聞が【混迷の石木ダム】というタイトルで、5人のインタビュー記事を連載しました。

2人は石木ダム絶対反対同盟の岩下和雄さんと石木川まもり隊の松本美智恵さんで、そのインタビュー記事は別稿をお読みください。。

残りの3人は行政側で、中村法道・長崎県知事、朝長則男・佐世保市長、山口文夫・川棚町長です。この3人のインタビュー記事を掲載します。

この記事を読んで最も腹立たしく思うのは、朝長佐世保市長の次の答えです。

-なぜ石木ダムが必要なのか。

朝長市長:1994年に大渇水が起きた。給水制限が264日間に及び、48時間のうち5時間しか水が出ない過酷な状況もあった。当時を知る市民は減ったが、あの苦しみは二度と経験させたくない。

-人口減少社会の中で、佐世保市の水需要予測は「過大」との指摘もある。

朝長市長:私たちは国の指針に基づいて予測し、国から事業の補助金をもらっている。国に認められた予測であり、市が独断で決めていない。

朝長市長は26年前に起きた大渇水を持ち出していますが、その後、佐世保市の水需要はどんどん減って、一日最大給水量は当時の73%にまで落ち込んでおり、仮に同程度の大渇水が来ても、問題になりません。

また、佐世保市がいまだに続けている水需要の架空予測について「国に認められているのだから」問題がないと、朝長市長は強弁していますが、ダム計画がなければ、実績乖離の予測をするはずがありません。

一方で、この架空予測を容認する国(厚生労働省)に対して強い憤りを覚えます。

 

【混迷の石木ダム】インタビュー・中村法道知事 代替案なく不退転の決意

(長崎新聞2020/11/19 11:53) https://this.kiji.is/701995600895968353

 長崎県と佐世保市が東彼川棚町に計画する石木ダム建設事業。事業採択から45年の歳月が流れ、県は家屋などを強制撤去できる行政代執行の一歩手前まで手続きを進めてきた。だが今も水没予定地に暮らす13世帯は反対の姿勢を崩さず、事態は混迷を深めている。互いが納得する形で解決する余地はないのか。中村法道知事に聞いた。
球磨川水害に関する意見書 水源連 1117
 -事業が進まない要因と県の責任をどう考えているのか。

 川棚川の治水の安全性確保と佐世保市の慢性的な水不足解消のため「ダム建設に依(よ)らざるを得ない」と、地元住民の理解が得られるよう歴代知事や職員が何度も戸別訪問するなど努力を重ねてきた。この間、1982年に強制測量を実施し、行政に対する不信感が相当大きくなったのは事実。この点について当時の高田勇知事はのちに「ご心労、ご迷惑をお掛けした」旨の発言をされており、私たちも同じ思いを申し上げてきた。ただそうした経過の中でも8割の地権者の方々から土地を提供していただいた。住民の安全安心の確保が強く求められる中、ダムがいまだに完成していないことに強く責任を感じている。

 -ダムの治水、利水効果について県・佐世保市と反対住民の主張は溝が深いが、埋められると思うか。

 これまでに河川の氾濫が起きた降水量には現在進めている河川改修で対応できるが、それ以上の100年に1度かつ最も危険な雨の降り方でも、住民の生命・財産を守るという水準で事業を進めている。利水では人口は減少しているのに水の需要予測が過大と指摘されているが、一定の余裕量は必要。全国のダムも同様に推計されている。時間をかけて説明すれば理解していただけると思う。だが事業を白紙に戻さなければ話し合いに応じないといった主張が繰り返され、耳を傾けてもらえない状況が続いており非常に残念だ。

 -県幹部は昨年9月以来の知事との面談を働き掛けているが、住民は先に工事の中断を求めている。

 大規模災害が頻発するような状況では一刻も早い環境整備は行政の責務。話し合いが進まなければ工事再開もあり得る、との前提で話し合うことはあるかもしれない。実現すれば、まずはダムの必要性を理解してもらうことが最も重要になる。幾通りもの選択肢の中から今の案を選んできた経過があり、さまざまな疑問に答えられる。

 -知事は行政代執行について「(2022年3月までの)任期中に方向性を出したい」と述べている。

 住民の理解を得て事業を完成させるのがベスト。行政代執行は最後の最後の手段。状況の推移を見極めながら総合的かつ慎重に判断したい。

 -行政代執行に踏み切れば、県も世間から批判されダメージは大きい。現実的な選択肢になり得るのか。

 新たに50戸以上の移転を伴う河川拡幅や、海水淡水化装置の導入など、相当コスト高になってもダム以外の手法を選択するという県民・市民の意見が多く出てくれば話は別だが、現実的に考えると代替案はない。不退転の決意で事業に臨まなければならないと考えている。行政代執行がやむを得ない局面となれば、批判やお叱りを甘んじて受ける覚悟で進めなければならない。

 -それは政治生命を懸けるという意味か。

 行政代執行をするのであれば、まさに政治生命を懸けた決断が必要になる。

 

【混迷の石木ダム】インタビュー 朝長則男 佐世保市長 渇水の苦しみ 二度と

(長崎新聞2020/11/21 14:00T) https://this.kiji.is/702714763617387617

(写真)朝長則男 佐世保市長

 -なぜ石木ダムが必要なのか。

 戦前から佐世保は、旧日本海軍が造ったダムに頼りながら発展した。戦後は米軍や自衛隊の基地ができ、造船で工業化も進んだ。急激に人口が増える中、十分な水を確保できない状態が続いていた。そうした中、1994年に大渇水が起きた。給水制限が264日間(8月1日~95年4月26日)に及び、48時間のうち5時間しか水が出ない過酷な状況もあった。当時を知る市民は減ったが、あの苦しみは二度と経験させたくない。備えとして、石木ダムで必要最小限の水を確保したい。

 -反対する住民らと真剣に向き合ってきたか。

 市長就任直後の2007年5月から毎月現地へ出向き、(反対する)13世帯を戸別訪問するなどしてお願いを続けた。当初は耳を傾けてくれる住民もいたが、09年に事業認定を申請してから態度が厳しくなった。何度も怒鳴られたりして、警察を含め周囲から「危ない」と注意を促された。以来、訪問を控えているが、(住民を説得したい)気持ちは変わらない。

 -知事は昨年9月に反対住民と面談した。市長はしばらく対面していない。

 県に対応を任せており、知事から同席を求められればいつでも出向く。ただ、(反対派との)行政訴訟も続いており、今は議論をするタイミングではないとも感じている。

 -事業への理解が深まらない要因は。

 反対する住民には理解してもらえないが、佐世保市民と川棚町民の大半は事業の必要性を理解している。(反対する)市民団体は、住民への同情や、ダム自体を認めたくないという考えもあるのかもしれない。(理解の程度を)ひとくくりには言えない。

 -人口減少社会の中で、佐世保市の水需要予測は「過大」との指摘もある。

 私たちは国の指針に基づいて予測し、国から事業の補助金をもらっている。国に認められた予測であり、市が独断で決めていない。

 -代替策はないのか。

 コストを無視し、いくらでも公金を使えるのであればあるのかもしれない。ただ、海水淡水化装置にしても漁業者との調整など多くの課題が出てくる。さまざまな可能性を調査した上で石木ダムが最適という結果が出た。漏水対策や再生水の活用などの取り組みも続けているが、まとまった水量を確保できるダムの代替策としては「現実論」にならない。私から建設の中止を言い出すことはない。

 -県は、家屋などを強制的に撤去する行政代執行も選択肢の一つとする。行政代執行を認めるか。

 総合的な要素の中で知事が最終的に判断すること。現段階で私が言及することはないが、これまでの知事の発言は支持する。

 -市は行政代執行を知事に請求できる。任期中に請求する考えはあるか。

 市民や議会から「知事に言うべき」と求められれば、知事に相談するかもしれない。ただ、今はそこまでの状況とは考えていない。


【混迷の石木ダム】インタビュー<完> 【混迷の石木ダム】インタビュー<完> 山口文夫 川棚町長 状況打開 難しい

(長崎新聞2020/11/23 13:54) https://this.kiji.is/703472377812485217?c=39546741839462401

(写真)山口文夫 川棚町長

 -用地の取得が完了した現在も、13世帯約50人の町民が住み続けている。地元町長として現在の状況をどう見ているのか。

 町では11人の死者を出した1948年をはじめ、複数回の水害を経験した。現在も川棚川下流域に住んでいる町民は多く、治水は重要な課題だ。石木ダムへの協力を長らくお願いしてきたが、13世帯の皆さんに理解してもらえず残念に思う。先祖代々受け継いだ土地を離れたくないという強い思いがあるのだろう。だが、すでに移転した8割の住民にも同じく古里への強い思いがあり、苦渋の選択をした。移転者からは「先祖が眠る墓を掘り起こす時が一番苦しかった」「私たちの決断は何だったのか。やりきれない気持ち」「提供した土地が無駄にならないようにダムの早期完成を望んでいる」という声を聞いた。どちらに対しても行政の責任がある。

 -就任当初からダム推進を訴えてきた。ダム問題についてどう取り組んできたのか。

 就任した2010年は事業認定申請後で、表立っての行動はできなかった。民主党政権下で全国のダム事業の再検証があり、さまざまな方法を議論した結果、やはり石木ダムが最も現実的だと思った。この時期に地元住民と知事の公開討論会を設けることができ、議論は6時間に及んだ。私自身さまざまなルートを使って反対住民との接触を試みたが「町は関係ない」と言われたりして糸口をつかめなかった。反対住民の弁護団が結成され、法廷闘争に移って以降、町として動くのがさらに難しくなった。

 -地元町長として状況打開に動く考えはないのか。

 非常に難しい。残念ながら説得する機会すら持てない状況だ。数年前、水没予定地の川原地区の自治会長から「町長として県に反対を訴えてほしい」と要望を受けた。今までになかった動きだったので、町政懇談会で話し合おうと打診したが断られた。現在、川原地区の住民は土地の権利を失っているが、住んでいる以上は町民であり、町として自治会活動を支援する責務がある。こうしたつながりを通して、何とか話し合う機会を捉えたいが。

 -昨年の町議選では川原地区の反対住民が最多得票で当選した。ダムを巡る町民世論をどう見ている。

 これまでもダム反対を訴える議員はいたが、町議会では過去3回ダム推進が決議された。地権者の8割が移転し、歴代町長も推進の立場だ。こうした状況を総合的に判断して、ダムの必要性を理解している町民が多数とみている。

 -県は家屋などを強制撤去する行政代執行も選択肢から除外しない構えだ。万が一、代執行となった場合に町としての対応は。

 現段階で知事は「早期に話し合いに応じてもらえるように粘り強く呼び掛ける」と述べている。その姿勢を評価しているし、私自身代執行は望まない。話し合いで何とか解決できないかと思っている。代執行は知事の判断であり、今の段階で私がコメントすべきではない。町としては町政懇談会に応じてもらい、協力してもらうようにお願いするしかない。

 

石木ダム建設絶対反対同盟の岩下和雄さんと、石木川まもり隊の松本美智恵さんのインタビュー記事

2020年11月24日
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有害無益な石木ダムを中止させるために活動を続けている石木ダム建設絶対反対同盟の岩下和雄さんと、石木川まもり隊の松本美智恵さんのインタビュー記事を掲載します。

 【混迷の石木ダム】インタビュー 絶対反対同盟 岩下和雄さん 「話し合い」今が機会

(長崎新聞2020/11/20 12:15) https://this.kiji.is/702358070994617441?c=174761113988793844

(写真)岩下和雄さん

-石木ダム建設事業に反対する理由をあらためて。

ひと言で言うと、私たちの生活を犠牲にするだけの効果も利益もないから。川棚川の治水は堤防補強と河底のしゅんせつで十分対応でき、その方が安くて早い。県は当初「河川改修に30~40年かかるが、ダムはもっと早い」と説明した。初めから河川改修すれば、今ごろ完了していたはずだ。

-佐世保市の利水については。

計画当初、同市は将来的に日量17万トンの水が必要だから石木ダムの6万トン(現在は4万トン)で補うと言っていたが、今年の給水実績は多くて日量7万トン弱。もう必要なくなったということ。どうしても足りないというなら、地下ダムなどの方法もある。市の水需要予測は必要以上に多く、実際の保有水源も過小評価だ。

-県は「話さえ聞いてくれれば、理解してもらえる」と主張している。

だったら強引な方法をやめて、私たちの同意を得るべきだ。1972年の予備調査前には「地元の同意を得てから建設する」と約束した覚書も交わしたのに破られた。私たちは「必要性の話し合いならいつでも応じる」と言ってきた。応じなかったのはむしろ県側。移転を前提にした補償交渉しかしようとしなかった。

-今後、県側と「話し合い」のテーブルに着くための条件はあるのか。

現時点の工事の中断。県は「白紙撤回」が条件ととらえているようだが、そんなことは言っていない。話し合いの結果として白紙に戻ることを望んでいる。県もダム建設を望むなら、両者で対等に意見を交わし、私たちの同意を得てから工事を再開すればいい。「工事は続ける。話し合いに応じろ」は対等と言えない。

-ダム用地の地権者の8割は同意した。

最初から移転を望んでいた人もいる。絶対反対同盟から移転した人は22世帯のうち9世帯で半分に満たない。彼らも個別の事情で移転したのであり、ダムに賛成したかのように言いはやすのはおかしい。

-県は行政代執行も選択肢から除外しない構えだ

ありえない。全国的に見て、これだけの人が実際に生活を営む土地での代執行は、ダムに限らず例がない。強行すれば、これまでダムに関心がなかった人にも支援の輪が広がるだろう。だから県は工事をストップしてでも、私たちと話し合う必要がある。今が一番いいタイミングではないか。本当は強制収用前に話し合ってほしかったが。

-13世帯の結束に変わりはないのか。

何ら変わらない。むしろこれまでの強硬策で、県への不信感は大きくなった。私たちは移転しても、今のように地域に溶け込んだ生活はできない。それぞれに老後の計画や夢もあったのに、10年前に付け替え道路工事が始まってからは現場で抗議する毎日。みんなで広場に集まり、グラウンドゴルフを楽しむこともできなくなった。老後の生活がダムで犠牲になったことは悲しい。一日も早くこの問題が解決することが、一番の願いだ。

 

【混迷の石木ダム】インタビュー 石木川まもり隊・松本美智恵さん 市民生活困っていない

(長崎新聞2020/11/22 09:57) https://this.kiji.is/703048208706372705

(写真)石木川まもり隊 松本美智恵代表

-活動を始めた経緯は。

2008年に埼玉県から佐世保市へ移り住んだ。当時から、「石木ダムは市民の願い」とアピールする市の姿勢に疑問を感じていた。市民とは一体誰なのかと。ダムの勉強会に参加し、建設予定地の住民が「なぜ佐世保の犠牲にならなければならないのか」と訴える姿にショックを受けた。水事情を調べるうちに、新しいダムが必要なほど市民は生活に困っていないと分かった。多くの人と情報を共有するため、09年にホームページを立ち上げ、市民団体の代表として活動を始めた。

-佐世保市は水不足に備えるために石木ダムが必要だと主張している。

人口減少に伴い、全国各地で水の需要は減る。これは国が認める厳然たる事実。佐世保市の昨年度の一日最大給水量は約7万4千トンで、20年前と比べて3割近く減っている。市民が飲み水にも困るような状況であればともかく、私たちは普段通りの生活ができている。市は事故や災害などの備えとしてダムが必要と言っているが、「もしも」のために、現地で暮らしたい人々の居住権や生活権を奪っていいはずがない。

-石木ダムは市民生活の安心につながるのではないか。

ダム本体の事業費は285億円だが、佐世保市は関連施設の更新を含めて(概算値で)総額445億5千万円を負担する。これには、国の補助金も含まれるが、巨額の事業であることに代わりはない。水道料金は施設整備や維持管理などの費用を基に決まるので、将来的な値上げは目に見えている。ダムに多くのお金を使うことで、老朽化した水道施設の更新などに手が回らなくなる心配もある。こうしたマイナスの側面は市民に知らされていない。

-佐世保市は18年度決算時点で約127億円の事業費を使った。建設を中止すれば無駄にならないか。

過去に投じた事業費は戻らない。それでも、これから確保しなければならない莫大(ばくだい)な予算を削減できる。本来はダムの予算を別の水源対策に当てるべきで、佐世保市は雨水や再生水の活用が、(先進的な)他都市と比べて遅れている。ダム以外の方法で水を確保しようとする姿勢が見えない。

-知事や佐世保市長に何を求めるか。

まずは工事を中断し、反対する住民が求める「ゼロベース」の話し合いに応じるべきだ。どうしてもダムが必要というならば、逃げずに対話をしてほしい。

-行政代執行に対する懸念は。

行政代執行は住民の生活を破壊する行為。絶対にやるべきではないが、民主国家の日本で決断できるはずがない。むしろ恐ろしいのは、県がこのままお金と時間を浪費し続けること。反対する住民が高齢化し、力尽きるのを待ち続けるかもしれない。住民に苦しみを与え続けてダムを造り、佐世保市民には重い財政負担を強いる。それが最悪のシナリオではないか。

復活・川辺川ダム 流水型、なお残る懸念 豪雨被害で建設、島根の先例 「下流域 たまる土砂」

2020年11月23日
カテゴリー:

既存の流水型ダムで最も大きい「益田川ダム」の問題を取り上げた記事を掲載します。

益田川ダムの総貯水容量は675万㎥です。

川辺川ダムの元の計画は総貯水容量13300万㎥、洪水調節容量8400万㎥、堆砂容量2700万㎥でしたから、治水目的だけでつくるとすれば、8400万㎥+2700万㎥=11100万㎥の容量になります。けた違いに大きい流水型ダムとなりますので、どのようなことになるのか、予想が付きません。

復活・川辺川ダム/下 流水型、なお残る懸念 豪雨被害で建設、島根の先例 「下流域 たまる土砂」

(毎日新聞2020年11月23日 西部朝刊)https://mainichi.jp/articles/20201123/ddp/041/040/003000c

11月初旬、島根県益田市にある益田川支流の河畔は、グラウンドゴルフを楽しむ人たちでにぎわっていた。この場所は、約1キロ下流の益田川本流にダム本体がある「益田川ダム」の貯水池(ダム湖)の底に当たる。木々で色づく山へと続く対岸の斜面や、川に架かる橋の橋脚に「満水位」と書かれた青色の印が見えた。ただし、流水型で建設された同ダムが満水になったのは2005年の試験時だけ。翌年のダム完成後、グラウンドゴルフ場が水につかったことは一度もない。

普段はダム本体底部の水路を通って川の水がそのまま流れ、大雨時だけ水路からあふれた水が自然にたまる治水専用の流水型ダムは、常時水をためる貯水型ダムに比べ環境への影響が小さいとされる。川辺川でのダム建設を容認した熊本県の蒲島郁夫知事が国に要請したのも流水型だ。反対運動の末に、豪雨被害を受けて流水型ダムで決着した経緯も益田川ダムと重なる。

県営の益田川ダムは1972年7月に発生した豪雨をきっかけに計画された。地元の美都町(みとちょう)(現益田市)で激しい反対運動が起きたが、83年に益田川の氾濫などで県内の死者・行方不明者が107人に上る甚大な豪雨被害に再び見舞われたことで風向きが変わった。自宅が被災しながら消防団員として救助活動に携わり、後に美都町長を務めた寺戸和憲さん(72)は「畳に挟まれた遺体も見つけた。反対ばかり言うわけにはいかんと思うようになった」と振り返る。

住民らは89年にダム建設の補償交渉で合意した。20戸以上が移転を強いられたが、河畔にはグラウンドゴルフ場のほか、サッカー場や屋根付きスポーツ施設も整備された。一帯に植えられた桜並木には毎年大勢の花見客が訪れ、近年は市街地からの移住者もいる。寺戸さんは「流水型だからこそ、安全と地域のにぎわいにつながった。結果的には良かった」と考えている。

農林水産省によると、流水型ダムは50年代ごろに農地防災ダムとして各地で造られたが、あくまでも農地を守るためのごく小規模なもので、下流域の被害軽減を目的とした国土交通省所管の流水型ダムは益田川ダムが最初のケースだ。その後、最上小国川ダム(山形県最上町)▽浅川ダム(長野市)▽辰巳ダム(金沢市)▽西之谷ダム(鹿児島市)――の4ダムが完成し、現在も熊本県南阿蘇村の立野ダムなど複数が建設中だ。

これら先行する流水型ダムは川辺川に建設されるダムのモデルケースになるのか。益田川ダムを視察したことのある球磨川流域のある首長は「規模が違いすぎて参考にならなかった」と語る。完成済みの5ダムのうち、最大の益田川ダムでも本体の高さ48メートル、総貯水量675万トン。一方、貯水型の現行の川辺川ダム計画は本体の高さが107・5メートル、利水分を除いた洪水調節用の貯水量は8400万トン。発電や農業用水などに使われる利水用の水をためる必要がない流水型になれば、本体の高さをもう少し低く抑えられる可能性があるとはいえ、けた違いだ。

環境への影響の懸念も払拭(ふっしょく)されていない。流水型は魚類の移動を妨げないとされる。ただ、島根県が06年度、益田川ダムの上下流でアユが川の藻類を食べた跡の数を調べたところ、下流側より上流側が少なかった。県は「(ダムの)水路部が(遡上(そじょう)の)阻害要因の一つと考えられる」としている。また、ダムの下流域では、毎日新聞の取材に「ダムができてから下流に一定以上の水が流れなくなり、川に土砂がたまりやすくなった」と証言する住民もいた。

蒲島知事が08年に川辺川ダム計画を「白紙撤回」する直前、国交省は流水型での建設を提案していたが、知事は「環境への影響や技術的な課題について詳細な説明がない」と受け入れなかった。その状況がこの12年で大きく変わったわけではない。水没予定地の五木村の前村長で川辺川ダム問題に長年関わってきた和田拓也さん(73)は「あまりにも不確定要素が多すぎる」と懸念する。(この連載は平川昌範、城島勇人、吉川雄策が担当しました)

 

相良村の現村長と前村長のインタビュー記事

2020年11月16日
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相良村の現村長と前村長のインタビュー記事を掲載します。傾聴すべき意見であると思います。

現村長

「机上の話で終わってしまいました。何も実行されていないのに、(ダムによらない治水の)効果がないというのはおかしい。村は10年間何も変わっていません。まずはできることをしてほしいのです」

前村長

「川辺川ダムだけで命を守れるとは思わない。今回の豪雨では、川辺川以外の支流域でも相当な雨が降った。ダムで洪水を食い止めるというのだったら、川辺川以外の支流にもダムを造らないといけない」

 

ダム計画の前にできることを 吉松啓一・相良村長 熊本

(朝日新聞2020年11月17日 9時30分)

 

分断の歴史繰り返すな ダム建設に反対した前相良村長 徳田正臣氏

(西日本新聞2020/11/17 11:20)https://www.47news.jp/localnews/5503594.html

2008年8月、熊本県の蒲島郁夫知事に先立って川辺川ダム建設への反対を表明した前相良村長の徳田正臣氏(61)が西日本新聞のインタビューに応じ、ダムの治水効果を認めた上で「賛成、反対で地域が分断されるマイナス面のほうが大きい」と指摘。河床掘削や堤防かさ上げなどダム以外の対策を進めるよう訴えた。

-08年3月の初当選時は「ダムへの賛否は中立」との立場だった

「計画当初の多目的ダムから発電や利水が外れ、もともと費用対効果には疑問を持っていた。だが村長として、いったんゼロから再考して結論を出そうと考えた。過去の災害や気候変動の状況などを踏まえて、100年後の人吉球磨地域にとってダムは無いほうが良いという結論になった」

-豪雨後に国土交通省が出した「川辺川ダムがあれば人吉市の浸水域を6割減らせた」との検証をどうみるか

「ダムを造る当事者である国交省の検証では、客観性があるとはいえない。地域を納得させる立証責任が国にはあるのに、これでは不十分だ」

「ダムに一定の治水効果があることは認めるが、川辺川ダムだけで命を守れるとは思わない。今回の豪雨では、川辺川以外の支流域でも相当な雨が降った。ダムで洪水を食い止めるというのだったら、川辺川以外の支流にもダムを造らないといけない」

-ダム計画中止後、国や県、流域首長でダムによらない治水対策を協議してきたが、対策は進まなかった

「国が出してきた非ダム治水案は工期が50年前後かかり、事業費が1兆円を超えるようなものもあった。『国は無理な案を出して、ダム建設に誘導したいのかな』と当初から疑念を持っていた」

「国や県には12年間、川辺川の堤防かさ上げや河床掘削を再三要請してきた。掘削はある程度進んだが、堤防は手つかずだった」

-ダム以外に、できる治水対策とは

「住民の防災意識を高めるようなソフト対策を進めてほしい。自治体の避難勧告、避難指示のタイミングも検証すべきだ。今回も前日から大雨が予想されており、もっと早く避難勧告や指示を出せたはずだ」

「山地の多い人吉球磨地域では、治山も重要。林地に残された材木が豪雨で流れて橋に引っかかり、越水して水に漬かった集落もある。木造住宅の推進など国産材を活用する施策を進めてほしい」

-川辺川ダム計画ができてから、建設予定地の相良村でも約60世帯が村内外に移転するなど翻弄(ほんろう)されてきた

「流域はダム賛成、反対で分断されてきた。再びダム建設に振り子が振れれば、また分断の歴史が繰り返されると懸念している」

(聞き手=中村太郎)

 

 

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