水源連:Japan River Keeper Alliance

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霞ケ浦導水の差止め判決を求める署名

アユ、シジミ、サケなど、豊かな水産資源を育む那珂川などに大きなダメージを与える霞ヶ浦導水事業が強行されようとしています。
那珂川の漁業を守らなければならないと、那珂川水系の8漁協が導水事業差止めの裁判を起こし、2014年12月19日に結審になりました。

判決は2015年7月17日(金)午後1時15分 水戸地方裁判所 301号法廷 です。
水戸地裁がまっとうな判決を行うように、漁協が導水工事の差止め判決を求める署名活動を進めています。
皆様も是非、この署名活動にご協力くださるよう、お願いします。

署名用紙と霞ケ浦導水事業の問題点は下記のとおりです。

霞ケ浦導水の差止め判決を求める署名

霞ケ浦導水事業の問題点

送付先  那珂川漁業協同組合 〒311-4303 茨城県東茨城郡城里町石塚1684-1  丁EL  029-288-3034

署名の第一次集約は当面は2014年末を予定しています。

 

八ッ場ダム本体工事の起工式と抗議行動(2月7日)

2015年2月8日
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2月7日、八ッ場ダム本体工事の起工式がありました。それに対して八ッ場ダムをストップさせる市民連絡会等のメンバーが抗議行動を行いました。

国交大臣や6都県知事に提出した抗議文は八ッ場あしたの会のHP http://urx2.nu/h6DU をご覧ください。

また、同会のHPに抗議行動の様子も紹介されていますので、http://urx2.nu/h6E2  もご覧ください。

八ッ場ダム「先人の決断忘れぬ」…起工式

 一日も早い完成と地域の発展を――。7日に長野原町総合運動場「若人の館」で行われた八ッ場ダムの本体工事起工式には、地元関係者のほか、埼玉県など下流都県の代表者も参加。計画から63年でこぎ着けた式典に感慨深げだった。

大沢知事は起工式で「県としても、上信自動車道の整備などを進めてこの地域が一層発展できるよう、町や国と連携して生活再建に取り組んでいく」とあいさつ。上田清司・埼玉県知事は、「下流都県は、上流の地権者の方々の犠牲の上に生活の安全が築かれている。その苦労をしっかりと支えていかなければならない」と話した。

萩原睦男町長は、「先人たちがダム建設について苦渋の決断をして今日に至ったことは決して忘れてはならない」と述べ、地域振興について「国、県、町が一致団結して明るく将来が見通せるまちづくりを進めていきたい」と力を込めた。

出席者らはその後、工事の安全を祈願して鍬(くわ)入れ式を行い、くす玉を割って本体の起工を祝った。会場の外では、ダム建設に反対の声を上げる市民団体の姿もあった。

本体工事は先月21日に開始し、同22日には岩盤を掘り進める発破作業が始まった。同省によると、試験湛水(たんすい)などを経て、2019年度中の完成を目指す。

(写真)八ッ場ダム本体工事の起工式に出席する大沢知事(手前右)ら(7日、長野原町で)

 

八ツ場ダム本体着工で式典 300人参加、住民抗議も

(産経デジタル2015.2.7 13:10)http://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/150207/lif15020713100009-n1.html

国土交通省は7日、群馬県長野原町で、八ツ場ダム本体工事の着手を記念する式典を開いた。
群馬県の大沢正明知事ら約300人が参加。大沢知事は「八ツ場ダムは下流都県の治水や利水になくてはならない施設。国には工事を着実に進め、ダムを完成させるようお願いする。県も、周辺地域の生活再建に取り組んでいく」と祝辞を述べた。その後、知事らがくわ入れし、くす玉を割って工事着手を祝った。
一方、会場前で建設に反対する市民団体のメンバーら十数人が横断幕を掲げ、「工事をやめろ」などとシュプレヒコールを上げた。
八ツ場ダムは利根川支流の吾妻川に建設する多目的ダム。民主党政権下で一時凍結されるなど曲折を経たが、先月から事実上、本体工事に着手し基礎掘削が始まった。総事業費は約4600億円で、平成28年6月からはコンクリートで本体の形を造る工事が始まり、31年度に完成する予定だ。

球磨川:17の治水策も洪水リスク 川辺川 ダムなし協議、幕を閉じる 新協議会で追加策を検討へ /熊本

2015年2月5日
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川辺川ダム計画中止に伴い、国と県、流域市町村が協議してきた「ダムによらない治水を検討する場」は3日、最終会合を開いて幕を閉じました。今後は新たに設置する実務者レベルの「球磨川治水対策協議会」で検討を続けることになっています。
その記事を掲載します。
しかし、国交省が示す代替案では球磨村や人吉市の一部は毎年5分の1という非常に高い確率で洪水被害が発生するリスクが残されることになっています。
国交省は、自民党の政権復帰を受けて「やっぱり川辺川ダムが必要」という一言を誰かが言うのを待っているようです。
https://suigenren.jp/news/2015/01/30/6925/に書きましたように、実際には河床を掘削して河道対応流量を増やす有効な代替案があるのですが、河川整備基本方針で計画高水流量(河道対応流量)が4000㎥/秒に据え置かれているため、その代替案が選択できないようになっています。
河川整備基本方針の見直しを求めないと、川辺川ダムが復活することになってしまいます。

球磨川:17の治水策も洪水リスク ダムなし協議、幕を閉じる 新協議会で追加策を検討へ /熊本
(毎日新聞熊本版 2015年02月04日)http://mainichi.jp/area/kumamoto/news/20150204ddlk43010459000c.html

国営川辺川ダム計画中止に伴い、国と県、流域市町村が協議してきた「ダムによらない治水を検討する場」は3日、熊本市内で最終会合を開いて幕を閉じた。
初会合から約6年かけてまとめた17項目の治水策を実施しても上流域に洪水リスクが残るとの結果に、流域市町村から追加対策を求める声が相次いだ。今後は新たに設置する実務者レベルの「球磨川治水対策協議会」で検討を続けるが、検討期間などは不透明だ。
「球磨村は治水安全度が非常に低いので、抜本的な対策を求めてきた。新たな協議の場で引き続き検討されることはありがたい」。球磨村の柳詰正治村長は、新たな協議会での議論に期待を寄せた。
全国の国直轄河川の河川整備計画は洪水被害が起きる確率を毎年70分の1〜20分の1にすることを目標としているが、球磨村や人吉市の一部は毎年5分の1という非常に高い確率で洪水被害が発生するリスクが残される。
一方、錦町の森本完一町長は「ここまでの協議でも6年かかった。また新たな協議会をつくって検討するとなると何年かかるのか」と疑問を呈し、国側に検討期間の目安を設けるよう求めた。国土交通省九州地方整備局の古賀俊行河川部長は「期間を明確にすることは難しいが、だらだらやらずスピード感を持って進める」と応じた。
「検討する場」は2008年9月にダム計画反対を表明した蒲島郁夫知事の肝煎りで、09年1月に始まった。会合後、蒲島知事は報道陣に「これまでの対策では他の国直轄河川より治水安全度が低いという結果になったが、新たな協議会ではまったく予断なく対策を検討していく」と話した。【取違剛】
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■解説
◇成果乏しい6年間
国と県、球磨川流域市町村が川辺川ダムに代わる治水策を議論してきた「検討する場」は、6年間の協議を経ても抜本策を見いだせなかった。3日の最終会合でまとめた17項目にわたる治水策の多くは国が「検討する場がなくても実施していた」というもので、目に見える成果は乏しい。
国は2009年7月の第4回会合まで「ダム治水が最適」と主張してきた。同年9月に「脱ダム」を掲げる民主党政権が誕生したのを機に方針を転換したが、流域首長の一部には「国の本音はダム」との見方が残る。

記者ノート:封印された「極限」 /熊本
(毎日新聞熊本版 2015年02月04日)http://mainichi.jp/area/kumamoto/news/20150204ddlk43070470000c.html
川辺川ダム計画中止後のダムによらない治水策について「極限まで追究する」と掲げた検討の場が閉幕した。約6年をかけた最後に「極限」は封印され、治水策を「最大限」積み上げることで終わったのはなぜか。
国土交通省は、自分たちが打ち出す対策以外、一部首長や市民団体などが提案する破堤しにくい構造の堤防や大型の遊水地などについて「それは難しい」の一言で検討の俎上(そじょう)に載せなかった。
自民党の政権復帰を受けて「やっぱり川辺川ダムが必要」という一言を誰かが言うのを待っているかのようだった。
新しい協議会でも、国交省がこの殻から脱するとは到底考えられないのだが。【笠井光俊】

球磨川の治水対策など知事に要望 流域12市町村 (川辺川ダムは法的に中止させるためには)

球磨川流域12市町村が川辺川ダムに代わる球磨川の安全対策の強化を熊本県知事に要望しました。朝日、毎日、熊日の記事を掲載します。

川辺川ダムは八ッ場ダムと異なり、2009年9月の国交大臣の中止言明で中止が決定しましたが、法的にはまだ中止になっていません。
川辺川ダムなしの球磨川水系河川整備計画が策定されないと、特定多目的ダム法による川辺ダム計画を廃止できない仕組みになっているからです。
国、県、流域市町村による「ダムによらない治水を検討する場」が今まで11回開かれましたが、既往洪水の再来に対応できる、川辺川ダムなしの治水計画をつくることができない状況に陥っています。
実際には河道を掘削して河道対応流量を増やす計画をつくれば、川辺川ダムなしで既往洪水の再来に対応できるのですが、
河川整備計画の上位計画である球磨川水系河川整備基本方針を2007年に策定するときに、川辺川ダム計画の代替案が浮上しないように、人吉地点の計画高水流量(河道対応流量)が4000㎥/秒に据え置かれました(基本高水流量は7000㎥/秒)。
河道対応流量が4000㎥/秒のままであると、既往洪水の最大は5千数百㎥/秒ですから、既設の市房ダムの効果を差し引いても、1000㎥/秒程度の洪水をカットする方策がなければなりません。遊水池を多く設置する代替案が検討されていますが、その効果は限られています。
河道対応流量を4000㎥/秒に据え置いた表向きの理由は河道を掘削すると、軟岩が露出して堤防の維持に支障が出るというものでした。
しかし、それは河道をやや深めに掘って砂礫で覆えば、解決できることですし、むしろ、川辺川ダムがもしつくられれば、砂礫の流下を妨げれ、川辺川ダムの方が軟岩の露出を引き起こします。
河川整備基本方針を審議した国交省の委員会に、私たちはそのような意見書を提出したのですが、当時は川辺川ダム計画の推進が至上命題であったので、受け入れられませんでした。
球磨川に関しては河川整備基本方針そのものを真っ当な内容に改定しないと、川辺川ダムなしの河川整備計画がいつまでも策定されず、川辺川ダムは法的に生き続けることになります。

(毎日新聞熊本版 2015年01月29日)http://mainichi.jp/area/kumamoto/news/20150129ddlk43010508000c.html
川辺川ダム計画中止後の球磨川水系の治水策を巡り、流域の12市町村を代表して松本照彦・多良木町長ら3人が28日、県庁で治水の安全度向上や地域振興を求める要望書を蒲島郁夫知事に提出した。
昨年12月に国と県、流域市町村が治水策を協議する「ダムによらない治水を検討する場」の首長級会議が開かれた際、蒲島知事は「検討する場」の終了を提案。次回にも終了し、今後は新たな枠組みで安全度向上について検討することになる。
今回の要望は、協議が次の段階に入る前に地元の意向を再確認するのが目的。要望書では、治水の安全度が低い区間で早急に最大の対策を講じることと、ダム建設事業を受け入れた五木村や相良村四浦地区の再建に最善の措置を講じることの2点を求めている。
蒲島知事は「ハード、ソフト両面から総合的な治水対策を進め、地域振興にもしっかりと取り組む」と話した。【松田栄二郎】

球磨川の安全対策の強化継続を 市町村が要望
(熊本日日新聞2015年01月28日)http://kumanichi.com/news/local/main/20150128007.xhtml
球磨川の治水対策などについて蒲島郁夫知事(左)に要望書を手渡す松本照彦・多良木町長=28日、県庁
人吉球磨地域など球磨川流域の12市町村長は28日、蒲島郁夫知事が川辺川ダム以外の治水対策を探る「ダムによらない治水を検討する場」での協議終了を提案したことを受け、引き続き安全対策の強化と五木村などの振興に配慮するよう県に要望した。
国、県、市町村の「検討する場」をめぐっては、蒲島知事が昨年12月の会合で「積み上げた対策案の実施で治水安全度は現状より向上する」として終了を提案。ただ、安全度が全国の国管理河川の目標より低い水準にとどまるため、「新たな形での検討」を続ける考えも示した。
要望で流域市町村は、これまでの議論について「抜本的な治水対策を共有できるまでには至っていない」と指摘。安全度が低い地区の解消と、ダム計画で疲弊した五木、相良両村の再建に最善の措置を講じるよう求めた。
球磨郡町村会長の松本照彦・多良木町長、和田拓也・五木村長、柳詰正治・球磨村長が県庁を訪ね、蒲島知事に要望書を手渡した。
県は、「検討する場」の次回会合で約6年に及ぶ治水代替案の協議を総括し、今後の方針について具体的に示す考え。(蔵原博康)

荒瀬ダムの撤去は蒲島熊本県知事ではなく潮谷義子前知事のおかげ

2015年1月29日
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蒲島郁夫(熊本県知事)のインタビュー記事を参考までにお伝えします。ダム関係の発言を下記に掲載します。

蒲島氏は川辺川ダムの白紙撤回を求めた知事として評価されていますが、蒲島氏は決して脱ダム派の知事ではありません。
全く不要な県営の路木ダムを強引に建設し(一審の住民訴訟では住民側が勝訴)、阿蘇の自然を壊す直轄・立野ダムの検証で事業推進の意見を出し、また、荒瀬ダムに続いての撤去が熱望されていた瀬戸石ダム(電源開発)の水利権更新も認めました。
荒瀬ダムについても潮谷義子前知事が決めた撤去方針を変えようとしましたが、その方針を変えるためには球磨川漁協の同意が必要となっていたことから、やむなく撤去することにしたようです。
川辺川ダムについては蒲島氏は就任早々に「川辺川ダム事業に関する有識者会議」を設置しました。有識者会議の答申は、委員8人の意見が5対3で分かれ、推進の方向が強い内容になりました。
私たちの想像ではこの答申を受けて、蒲島氏は推進の方向に舵を切ろうと考えていたと思いますが、知事の見解を発表する前に、ダムサイト予定地の相良村長と、ダムの最大の受益地とされていた人吉市長が川辺川ダムの白紙撤回を表明したことにより、
により、蒲島氏は考えを変え、「球磨川は県民の宝であるから、川辺川ダムの白紙撤回を求める」との見解を発表したと思われます。
蒲島氏は信念の人ではなく、所詮はオポチュニストでした。
川辺川ダムに対して懐疑的な姿勢をとり続け、荒瀬ダム撤去の路線を敷いた潮谷義子前知事が信念の人であると思います。

なぜ「くまモン」は熊本県で生まれたのか?―蒲島郁夫(熊本県知事)
塩田潮の「キーマンに聞く」【9】(PRESIDENT Online TOP 2015年1月26日)http://president.jp/articles/-/14421?page=2
(ダム関係の発言)
【塩田】注目を集めていた川辺川ダムや水俣病の問題でも新たな挑戦に踏み出しました。

【蒲島】川辺川ダム建設計画については、ご承知のとおり就任5ヵ月後に白紙撤回しました。今、ダムによらない治水を目指す方向に進んでいます。水俣病問題では、特措法の成立過程でロビー活動を行いました。特措法は、水俣病問題の解決の中で一定の成果が得られたのかなと思います。水俣病は長期にわたる問題ですから、私の任期中にすべてに対応できるとは思いませんが、いい方向に向かうようにと思っています。
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【塩田】知事選出馬以後、ここまでの約7年間で一番辛かったことは何ですか。

【蒲島】1回目の選挙のとき、県民のために頑張ろうと思って選挙戦を戦っていて、唾を吐きかけられたことがありました。一生で初めてです。自分は一所懸命やっていても、必ずしもすべてが歓迎されるものではない。そのとき初めて政治の厳しさがわかりました。
知事就任後では、川辺川ダムのほかに、もう一つ、荒瀬ダムという大きなダムの撤去のときが辛かったです。前知事のときに撤去が決まっていたのですが、撤去に90億円くらいかかるというのです。財政再建に取り組んでいるとき、すぐ撤去すれば電力会社からおカネが入ってこなくなるし、今は電力も必要とされているので、もう少し財政的に余裕ができたときに撤去すればいいのではないかと思い、就任後2~3カ月のとき、方向転換しました。
その頃までは、理論的に正しければやれると思っていました。ところが、政治はそうではありません。撤去してほしい、昔の川を取り戻したいというものすごく深い思いがあるわけです。その深い気持ちに気づかず、それに応えることができませんでした。それが辛かった。実際は民主党政権下で、国土交通省と環境省が一定の補助をしてくれることになりました。そのような支援を活用しながら、現在、ダム撤去工事を進めています 。

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