計画浮上47年「もう限界」 住民生活設計できず 城原川ダム(佐賀)
佐賀県の直轄ダム「城原川ダム(じょうばるがわダム)」は計画浮上から47年、半世紀が迫ろうとしており、必要性があるとは思われません。中止を決定して地元の生活再建策を進めるべきです。
=国策と地方=(4) 城原川ダム
(佐賀新聞2015年01月04日 ) http://www.saga-s.co.jp/news/saga/10101/141802
■計画浮上47年「もう限界」 住民生活設計できず
「治水は喫緊の課題」-。昨年10月、佐賀市で城原川ダム(神埼市)の会議が開かれた。九州地方整備局幹部は冒頭と最後のあいさつで、「差し迫って重要」を意味する「喫緊」を繰り返した。だが、その言葉と事業のスピード感は一致しない。この日の流域自治体と協議する「検討の場」の準備会の再開でさえ、3年10カ月を要した。
計画浮上から47年、半世紀が迫ろうとしている城原川ダム。住民はダム建設をめぐり賛否を争ってきた。当初、城原川の洪水対策と都市用水確保などを目的にしていたが、当時の井本勇知事が2001年に利水を断念し、焦点は治水の必要性に移った。
03年、知事に就いた古川康氏は、流域委員会や首長会議の場を設けた。05年には「環境と治水が両立する未来型」として、洪水時にだけ水をためる治水専用の「流水型ダム」建設を国に申し入れた。この時点で30年以上の月日が流れ、住民は建設推進派、反対派ともに「やっと決着した」。安堵(あんど)感をにじませていた。
ところが国交省が提案の結論を出す前に、「コンクリートから人へ」を掲げた民主党が09年に政権を獲る。城原川ダムは再検証の対象となり、再び建設計画が止まった。その後、具体的な検証は進まず、計画は宙に浮く。12年末に自民党政権に戻っても進展なく、再開した準備会も代替案の検証結果は示されなかった。
「もう、限界」。準備会を傍聴したダム水没予定地の地区住民らでつくる「城原川ダム対策委員会」の眞島修会長(77)は、言葉を絞り出す。地区は高齢者ばかり、家屋もぼろぼろ。将来の生活設計さえ、できないままだ。「すぐにダム問題に取り組んでくれる人を選びたい。でも、誰もダムに触れない」
候補者の訴えで聞こえてくるのは子育てや教育、産業振興…。治水対策としてダムの必要性を問う佐賀新聞社の調査に、4候補の答えは分かれる。
飯盛良隆候補は「今後の自然災害を計算上の理論で防ぐことはできない」と必要性を否定。樋渡啓祐候補は近年の集中豪雨に触れ「治水対策には万全を期す必要があり、ダムは有効な手段」と指摘する。山口祥義候補と島谷幸宏候補は賛否を明確にせず、山口候補は「早急にダム事業の検証を進めてもらいたい」、島谷候補は「環境、文化財、治水効果などを総合的に検討しないと分からない」。
池田直氏、香月熊雄氏、井本氏、古川氏-。知事が4人交代してもなお、結論が出ない城原川ダム問題。「古川さんも、国の方針が出たら…と受け身で、大きなウエートがなかった感じを受けた。次の知事にはもっと国へ積極的な提案をしてくれることを期待したい」と、ダムによらない治水対策を訴える「城原川を考える会」の佐藤悦子代表(61)。
賛成、反対によらず、一致するのは「この問題、そして住民を置き去りにしないで。早く結論を」との思い。住民は悲痛な思いを抱きながら、知事選を見つめている。
(写真)「ダム早期建設着手」を訴える看板横に貼られた知事選ポスター。車で少し走ると「反対」の看板も立つ=神埼市脊振町岩政倉今
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