国の堤防整備は「不合理な計画」 茨城・常総水害訴訟で住民側 常総水害を語り継ぐ 住民が記録誌
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2015年9月の関東・東北豪雨で鬼怒川の大氾濫が起きてから、6年過ぎました。
国の管理に不備があったためとして、茨城県常総市の被災住民らが国に損害賠償を求めた訴訟の第7回口頭弁論が9月27日に水戸地裁でありました。
続いて、10月8日に損害賠償を求めた訴訟の本人尋問がありました。長時間の本人尋問でした。午前と午後、原告の方それぞれが被害の実態、心情をきちんと伝えていたと思いました。
本人尋問は10月29日と11月12日にも行われる予定です。そして、来年2月25日に結審になります。
9月27日と10月8日の裁判の記事を掲載します。
また、「常総市水害・被害者の会」のメンバーらが市民の体験をまとめた記録誌を発刊しました。
少し前の記事になりますが、その発刊の記事、原告団代表の声を伝える記事も掲載します。
国の堤防整備は「不合理な計画」 茨城・常総水害訴訟で住民側
(茨城新聞2021年9月28日(火) )https://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=16327519990522
2015年9月の関東・東北豪雨で鬼怒川の水害に遭ったのは国の河川管理に不備があったためとして、茨城県常総市の被災住民らが国に損害賠償を求めた訴訟の第7回口頭弁論が27日、水戸地裁(阿部雅彦裁判長)で開かれた。住民側は、国が実施した堤防整備は危険性の高い場所を後回しにした「不合理な計画だった」と主張した。
国土交通省の資料などによると、常総水害では常総市三坂町の鬼怒川左岸21キロ地点で堤防が決壊した。口頭弁論で住民側は、鬼怒川の堤防改修計画は、この21キロ地点以外の場所を先に整備していたと指摘。越水まで余裕があった地点を改修していたとして「危険な所を危険なまま後回しにしていた」と主張した。
住民側は、国が整備の順序を決める際に利用した評価方法は、安全度の評価には役に立たないとして、「国の評価は安全度(の検討)が過小」と述べた。
次回口頭弁論は10月8日の予定。
常総水害6年
粘り強く、声上げて 被災者の体験、苦難を記録誌に 支援制度改善の取り組みも /茨城
(毎日新聞茨城版 2021/9/20)https://mainichi.jp/articles/20210920/ddl/k08/040/101000c
関東・東北豪雨での鬼怒川の氾濫から今月で6年を迎えたのを機に、「常総市水害・被害者の会」のメンバーらが市民の体験をまとめた記録誌を発刊した。被災の状況や市民による生活再建の取り組みが記されている。同会の共同代表世話人の染谷修司さん(77)は「記憶は薄れるもので記録する必要がある。常総の経験を今後の災害で生かしてもらえれば」と話している。【宮田哲】
記録誌は「常総市大水害の体験を語り継ぐ 被害者主人公の活動―6年の軌跡」。同会のメンバーらが編集委員となり、被災者から聞き取った文章や関係者の寄稿をまとめた。
収められた市民の体験は生々しい。家が水没する中で「自衛隊のボートで救出された」などの氾濫時の様子。「清酒1万5000本が泥水の被害を受けた」(酒蔵)「収穫した米3000袋が水につかった」(農家)など、被災後に直面した苦難もつづられている。
国の河川管理の不備を問う訴訟の原告となっている赤羽武義さん(81)の裁判での意見陳述書も収録した。水害5カ月後に亡くなった妻芳子さん(当時75歳)は、生活環境の激変などによる「災害関連死」と認定されており、大きな喪失感の中、心の中で妻と会話しながら暮らす日々が記されている。
常総水害6年 鬼怒川氾濫は「人災」 河川管理、国の非問う 帰郷、原告団共同代表に /茨城
(毎日新聞茨城版 2021/9/19)https://mainichi.jp/articles/20210919/ddl/k08/040/064000c
大規模越水が起きた若宮戸地区で、砂丘林が掘削された現場に立つ片倉一美さん。かつては中央奥の砂丘林が片倉さんの立っている場所にまで続いていた=茨城県常総市で
2015年9月の関東・東北豪雨での鬼怒川の氾濫から、今月で6年を迎えた。常総市の片倉一美さん(68)は、この間に会社員人生を終え、氾濫は国の河川管理に不備があったためとする訴訟の原告団共同代表となった。あらゆることを取り仕切る多忙な日々を送りながらも、「国の非を明らかにし、住民のための河川行政に変えたい」と奔走を続けている。【宮田哲】
8月下旬、同市若宮戸地区。片倉さんは、当時の越水現場に報道関係者らを案内した。川沿いに続く砂丘林は、その周辺だけ200メートルにわたり途切れ、ソーラーパネルの列が続いていた。
川から地区を守ってきた砂丘林が掘削されたのは14年。国は一帯を河川区域に指定していなかったため業者は許可を得ないまま掘削した。翌年の豪雨で掘削部分から濁流が押し寄せた。片倉さんは現場で「これで『国は責任がない』なんて言えるんでしょうか」と訴えた。
生まれも育ちも常総市だが、機械メーカーの社員時代は家族を地元に残し、単身赴任生活が続いた。豪雨当時も、定年後の再雇用で東京の本社勤務。常総市に戻ると、長男家族が住んでいた家は床上180センチまで浸水する大規模半壊、妻と両親が住む家も半壊の惨状だった。ぼうぜんとしながらも、「天災だから」というあきらめの気持ちも抱いていた。
その後次第に水害の原因に関心が生まれ、16年1月にあった被災者と各省庁との交渉に参加した。若宮戸がなぜ危険なまま放置されたのかを国土交通省に聞きたかったが、国交省側は法令に準じた河川管理だったという説明に終始。住民の財産や生命を守るという国の務めがないがしろにされているように思えた。「こんな姿勢で河川を管理されれば、またどこかで災害が起きる」
再雇用期間を終えて常総に戻ったのは18年春。当時進んでいた原告団結成の呼びかけに応じ、共同代表に就任した。弁護団との会議に加え、約30人の原告団メンバーらへの連絡、報道関係者への対応など多くの事務を引き受ける。専門用語の応酬になりがちな裁判内容を原告らに理解してもらうことにも心を砕く。
訴訟の次回期日は27日。国は改修計画について「河川管理の一般水準や社会通念に照らし、不合理な点はなかった」と主張する。ここ1年ほど新型コロナウイルスの影響で口頭弁論が開けずにいた。今後原告への本人尋問が行われ、来年2月に結審を迎える予定だ。
今、「より多くの皆さんに関心を持ってほしい。皆さんの意見が束になれば、大きな力になる」との願いを抱く。「この水害は人災。国はきちんと謝った上、河川管理への考え方を改めてほしい」
常総水害を語り継ぐ 被害から6年、住民が記録誌 教訓を共有したい
(朝日新聞2021年9月11日 10時30分)
防災意識の向上に注力する決意を語った常総水害、語り継ぐ 発生6年 市民が記録誌
(東京新聞2021年9月11日 07時37分)https://www.tokyo-np.co.jp/article/130254?rct=ibaraki
二〇一五年の関東・東北豪雨で鬼怒川の堤防が決壊し、流域の常総市に大きな被害をもたらした「常総水害」の発生から十日で六年。記憶の風化が懸念される中、常総水害・被害者の会のメンバーらが、記録誌「常総市大水害の体験を語り継ぐ 被害者主人公の活動〜6年の軌跡〜」を発行した。被害者の会共同代表世話人の染谷修司さん(77)は「記憶は薄れる。だから記録する必要がある」と力を込める。(林容史)
記録誌はA4判八十六ページ。市民から聞き取りした被害の実態や生活再建への取り組み、市民らが国に損害賠償を求めている常総水害訴訟の経緯などがつづられている。染谷さんら市民有志十二人がまとめた。発生から五年をめどに発行する予定だったが、作業の遅れで一年ずれ込んだ。
被災者の証言は生々しい。
花き生産販売の高橋敏明さん(67)は、ポトスなど観葉植物十万鉢や農機具などを失ったが、ボランティアの支援と家族の頑張りで再建に踏み出した。常総水害訴訟の原告団にも名を連ねる高橋さんは「被害額は五千万円を超え、再び営業を始めるために多額の借金をしなければならなかった。しかし、いまだ会社は赤字経営が続いている」と窮状を訴える。
赤羽武義さん(81)はヘリで救助された後、妻と避難所暮らしを強いられた。五カ月後、妻は亡くなった。市は赤羽さんの妻を災害関連死と認定したものの、赤羽さんは「持病はあったが、妻は水害の前まで元気だった。なぜ死んだのか、それだけを国に問いたい」と強調する。
記録誌に寄稿したNPO法人「茨城NPOセンター・コモンズ」の横田能洋代表理事(54)は「被災した人は一人だけで選択を迫られ、どうしたらいいかのか分からない。(記録誌には)そうした被災者の背中を押す体験が詰まっている」と評価する。
染谷さんは「二〇一九年の台風19号による那珂川、久慈川の氾濫など、県内では大きな被害が続いている。常総市民が体験したことを被災者の支援に生かしてほしい」と呼び掛ける。
記録誌は千部製作。希望者には一冊五百円で販売する。問い合わせは染谷さん=電090(8497)7029=へ。
<関東・東北水害> 2015年9月9日に上陸した台風18号や前線の影響で、関東・東北地方を中心に被害が出た豪雨災害。宮城、茨城、栃木3県で計8人が死亡し、常総市では13人が災害関連死と認定された。9月10日には鬼怒川の堤防が決壊し、常総市では約3分の1に当たる約40平方キロが浸水。住宅5163棟が全半壊した。逃げ遅れて屋根などから救助された住民は約1300人に及び、市内39カ所に最大6200人以上が避難した。
茨城・常総水害6年 被災の記憶、次代に 市民有志、冊子に生の声
(茨城新聞2021年9月10日(金) )https://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=16311843067258
常総水害の被災者の声をまとめた冊子「被害者主人公の活動〜6年の軌跡〜」について説明する染谷修司さん(左)=常総市水海道橋本町
2015年9月の関東・東北豪雨で鬼怒川が氾濫した常総水害から10日で6年を迎えた。災害の教訓をいかに次世代へと継承するかが課題となる中、茨城県常総市民の有志が、被災者の声などをまとめた冊子「被害者主人公の活動〜6年の軌跡〜」を発行した。メンバーの染谷修司さん(77)は「常総市の体験を伝えることが今後の防災につながれば」と願う。
「妻が亡くなってからの毎日は、苦悩の連続だった」「ローンを組んで新築した家だったのに」-。冊子は、被災者から聞き取った当時の状況や、生活再建に向けた行政への要望などを、市民有志12人がまとめた。水害発生の原因分析も盛り込まれている。被災の記憶を語り継ぐとともに、過去の災害を知ることで広く防災意識の向上を図ってもらうのが狙いだ。
同市で花卉(かき)生産販売「フラワーセンター紫峰園」を経営する高橋敏明さん(67)は、鬼怒川から1キロほどにある16棟のビニールハウスが浸水した。被害額は5千万円を超え、「営業再開には多額の借金をしなければならなかった」と窮状を訴えた。染谷さんは「6年がたっても水害被害は終わっていない。市民だけでなく行政に携わる人にも読んでほしい」と呼び掛ける。
常総水害は同市上三坂地区の鬼怒川堤防が決壊、同市若宮戸地区では越水し、市域の約3分の1に当たる約40平方キロが浸水、5千棟以上が全半壊した。多くの市民が逃げ遅れ、災害関連死を含め15人が亡くなった。災害対策本部だった市役所も浸水して孤立した。
冊子に寄稿したNPO法人「茨城NPOセンター・コモンズ」の横田能洋代表理事(54)は、市内の外国人支援などに取り組む実績を踏まえ、「住宅再建などの被災者支援が足りなかったことが(市内の)人口流出につながった」と指摘する。現在は外国人が新たに移り住むなどして人口は戻りつつあるが、「外国人の地域交流という新たな課題も生まれている」と分析する。
冊子はA4判90ページ。常総水害の義援金の一部を活用し制作した。1冊500円。問い合わせは染谷さんまで。メールkinusoshu@outlook.jp
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