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新潟・福島豪雨 只見川ダム損害賠償訴訟 控訴棄却 「電力側、河川管理義務なし」 仙台高裁判決 /福島
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2011年7月の新潟・福島豪雨で只見川が氾濫した水害は、発電用ダムにたまった土砂の除去を怠ったことが原因であるとして、金山町の住民らが東北電力とJパワー(電源開発)に損害賠償を求めた控訴審の判決言い渡しが昨日(3月15日)に仙台高等裁判所でありました。
昨年12月20日の控訴審第1回口頭弁論が即日結審になりましたので、判決には何も期待できませんでしたが、予想どおり、原告の訴えを棄却しました。
その記事とニュースを掲載します。
只見川では1969年にほぼ同規模の洪水があって、その時は氾濫がなかったのですから、2011年の氾濫の原因は土砂堆積による河床上昇にあることは明らかなのですが、判決は堆砂除去の責任を認めませんでした。
しかも、判決文は「ダム設置者である東北電力の管理権限はダムにとどまり、河川の従前の機能を維持する義務はない」というもので、耳を疑う最悪の判決文でした。
こんな裁判長(小川浩裁判長)もいると思うと、司法への期待が絶望的になります。
新潟・福島豪雨
只見川ダム損害賠償訴訟 控訴棄却 「電力側、河川管理義務なし」 仙台高裁判決 /福島
(毎日新聞福島版2019年3月16日)https://mainichi.jp/articles/20190316/ddl/k07/040/175000c
2011年7月の新潟・福島豪雨で只見川が氾濫した水害を巡り、被災した金山町の住民らが、発電用ダムを管理する東北電力とJパワー(電源開発)に約2億円の損害賠償を求めた控訴審で、仙台高裁(小川浩裁判長)は15日、1審の福島地裁会津若松支部の判決を支持し、原告側の控訴を棄却した。
原告側は水害の原因として「ダム上流部の河川にたまった土砂が河床を上昇させた」と主張。電力会社側は「河川管理者の国から指示はなく、土砂の浚渫(しゅんせつ)はしている」と反論。電力会社にダム設置時の河床高まで土砂を浚渫する義務があったかなどが争点だった。
小川裁判長は「ダム設置者である東北電力の管理権限はダムにとどまり、河川の従前の機能を維持する義務はない」と指摘。「水害は未曽有の豪雨が原因で、ダム設置時の河床高まで浚渫していたとしても、被害を免れなかったと推認できる」と判断した。
また、被害を拡大させたのはJパワーの浚渫船が流出して本名ダムの放流ゲートを塞ぎ、上流の川の水位が上がったためで、陸揚げや厳重な係留を怠ったとした主張についても「水害が発生するほどの降水量は予測できず、浚渫船の固定に落ち度があったとまでは認められない」とした。
原告団の黒川広志事務局長(77)は「納得できない。ダム設置時の河床高まで浚渫しないと安心できない」と悔しがった。弁護士らと相談し上告するかを決めるという。
東北電力とJパワーは「弊社の主張が認められた。これからも安全第一に発電所の運営に努める」と話した。【湯浅聖一】
<只見川ダム訴訟>住民側の控訴棄却 仙台高裁
(河北新報2019年03月16日土曜日)https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201903/20190316_63024.html
2011年7月末の新潟・福島豪雨の只見川氾濫に伴う浸水被害を巡り、福島県金山町の住民ら20人が流域の発電用ダムを管理する東北電力と電源開発(Jパワー)に約2億円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、仙台高裁は15日、請求を棄却した福島地裁会津若松支部判決を支持、住民側の控訴を棄却した。
小川浩裁判長は、ダム設置者が負う河川機能の維持義務は河川管理者の指示に基づくものに限られるとした上で「東北電は只見川の利用者であって管理者ではない」と指摘。支部判決が認めた東北電の注意義務違反について、只見川管理者の国土交通省から河床維持に関する指示はなく「東北電の義務違反は認められない」と結論付けた。
住民側は11年7月29、30両日の豪雨による河川流量は想定内で、堆積土砂(堆砂)を除去してダム設置当時の河床高に戻しておく義務を怠ったと主張したが「豪雨の流量を具体的に予見できたとは言えず、河川整備計画は一定の自然堆積を前提に策定されている」と退けた。
昨年3月の支部判決は、堆砂に伴う河床上昇による被害発生の恐れを認識できたとして、堆砂を除去しなかった東北電の注意義務違反を認めたが、浸水被害との因果関係は否定した。
只見川豪雨裁判控訴審 原告の訴えを棄却(福島県)
(日テレNEWS24 2019/3/15(金) 19:43配信) http://www.news24.jp/nnn/news16272154.html
豪雨災害で被害を受けた住民がダムを管理する電力会社を訴えた民事裁判の控訴審で、仙台高等裁判所は、原告らの訴えを棄却する判決を言い渡した。
この裁判は、2011年の「新潟・福島豪雨」で洪水の被害を受けた金山町などの住民らが、東北電力と電源開発を訴えていたもの。
原告側は「電力会社がダムの土砂を取り除くことを怠ったため被害が拡大した」と、2億円あまりの賠償を求めていた。
きょうの控訴審で、仙台高等裁判所は「電力会社は、国の指示でダムの機能を保つ立場にあり、注意義務違反があったとは認められない」などとして、訴えを棄却した。
原告側は、上告するかを含め、今後、検討するとしている。
平成史 平成の大渇水 平成6年 再来しても水需要の減少で断水にはならない
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1994年(平成6年)の大渇水を取り上げた記事を掲載します。
1994年渇水は西日本では近年で最大の渇水でした。一部の都市では長時間の断水が行われました。
しかし、その後、水道の水需要がかなり減ってきていますので、そのような大渇水が再来しても、当時のような厳しい状況にはなりません。
参考までに、全国の水道の水需要の変化を下図に示します。全国の水道の一日最大給水量は現在は当時よりも20%も小さくなっています。
ほとんどは一人当たり一日最大給水量の減少によるもので、下図のとおり、一人当たり給水量は23%も小さくなりました。
今後は給水人口も確実に減っていきますので、水需要の規模はますます小さくなっていきます。
1994年の渇水は西日本では確かに大渇水でしたが、今後、そのような大渇水が到来しても、水需要の規模が小さくなっているので、断水になることはなく、給水制限不要かまたは減圧給水で対応できるレベルであると考えられます。
新たなダムを考える必要はまったくありません。
平成史 生活② 平成の大渇水 平成6年
(ウェザーニュース2019年3月14日 11時25分) http://news.livedoor.com/article/detail/16157930/
局地的な渇水はときおりありますが、平成6年(1994年)から翌年にかけて西日本で起きた渇水は、その規模も期間もきわめて異例なもので、平成の大渇水と呼べるものでした。
カラ梅雨と夏の高温で始まった渇水
平成6(1994)年の夏は異常に早い梅雨明けから始まりました。連日、勢力の強い太平洋高気圧に覆われ、東京や大阪など広範囲でそれまでの最高気温記録を上回るなど、前年の冷夏・多雨から一転、晴れて猛烈な暑さが続きました。この年は、暖冬で雪が少なく、春から梅雨期にかけても少雨だったことが、夏の水不足に拍車をかけたといえます。
福岡市の断水期間は295日
福岡県内のダム貯水率は4月段階ではほぼ100%でしたが、梅雨時期の降水量が平年の約半分にとどまり、7月1日の梅雨明け後は連日猛暑が続きました。ダム貯水率は急激に減少し、7月20日には50%を割り込み、福岡市では8月4日に夜間断水が始まりました。9月に入って雨が降るようになりましたが貯水率は上がらず断水は長期化。翌年3月3日には貯水率が15%と最低値となりましたが、4月以降ようやくまとまった雨が降り、福岡市では6月1日、295日ぶりに断水が解除されました。
工場では海上輸送で水を確保
四国では最大の水がめである早明浦(さめうら)ダムの貯水量が梅雨明け以前から下がり始め、同ダムに依存していた高松市は7月11日から夜間断水、7月15日以降は16時から21時までの5時間給水になりました。その早明浦ダムは8月19日に貯水率は0%と完全に干上がってしまいました。中国地方も各地で給水制限や夜間断水が行われ、岡山県の水島地区にある製鉄所や化学工場では減産を余儀なくされました。旭化成水島工場では宮崎県や山口県などから海上輸送によって水を確保しました。
(写真)琵琶湖の水位が観測史上最低の123cm
兵庫県の揖保川(いぼがわ)上流にある引原ダムの貯水量は7月19日に52%ありましたが、8月14日には8%まで落ち込み、ダムを水源とする姫路市は8月22日から夜間断水を実施。9月10日には引原ダムが干上がり、デッドウォーター(取水口より下の水)の利用が始められました。琵琶湖の水位は6月頃から急激に低下し、9月15日には観測史上最低の-123㎝を記録。このため琵琶湖を水源とする京都市や大阪市では減圧による給水が実施されました。
関東地方は断水を免れた
愛知県内でも13市町村で夜間断水が実施され、水を大量に使用する工場では減産せざるを得ませんでした。関東地方でも水不足が心配され、利根川水系の取水制限が行われましたが、一部の地域を除いて断水となることはありませんでした。平成6年の渇水は今世紀最大の渇水とされています。近年、多雨の年と少雨の年の差が大きくなっていて、特に1960年代半ばからその傾向が顕著になっています。降雨の二極化に伴い、短時間に大雨をもたらす洪水対策とともに、異常渇水時に安定給水を確保することが今後の大きな課題になりそうです。
2019年4月30日で「平成」が終わります。ウェザーニュースでは、平成30年間に起こった気象や災害などを、過去の資料などをもとに連日振り返っていきます。
愛媛・鹿野川ダムで新放流設備が完成 西日本豪雨で氾濫の肱川上流 しかし、緊急放流は避けられなかった
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昨年7月の西日本豪雨で野村ダムとともに、ダムからの緊急放流により、肱川の大氾濫を引き起こした鹿野川ダムの新放流設備がほぼ完成し、昨日、試験放流が行われました。その記事とニュースを掲載します。
新放流設備のトンネル洪水吐は、現在の放流ゲートより23メートル低い位置に設置され、毎秒600トンの放流能力があり、洪水調節容量はこれまでの1650万トンから2390万トンに増加します。
しかし、昨年の西日本豪雨の前にこの改造が終わっていれば、緊急放流を避けることができたかというと、決してそうではありません。
昨年7月の鹿野川ダムの貯水量の変化をみると、下図のとおり、鹿野川ダムは事前放流を行って(発電用の放流管(最大毎秒28トン)を使用)、貯水量を豪雨直前は749.8万トンに落としていました。有効貯水容量が2980万トンですから、差し引き2230万トンの空き容量が確保されていました。改造後の2390万トンと大差がありません。したがって、改造後であっても、昨年の緊急放流は避けられませんでした。
さらに問題とすべきことは肱川ではこの鹿野川ダム改造に487億円の公費が投じられ、また、山鳥坂ダムの建設が優先され、その結果、肱川の無堤防地区の河川改修がなおざりにされてきたことです。
肱川ではダム優先の治水行政が昨年7月の大氾濫を引き起こしたのです。
愛媛・鹿野川ダムで新放流設備が完成 西日本豪雨で氾濫の肱川上流
(毎日新聞2019年3月12日 19時50分) https://mainichi.jp/articles/20190312/k00/00m/040/218000c
(写真)大量の水を二筋で放流するトンネル洪水吐(手前)。奥はダム堰堤(えんてい)上部から放水するクレストゲート=愛媛県大洲市肱川町山鳥坂の鹿野川ダムで2019年3月12日午前11時23分、中川祐一撮影
昨年7月の西日本豪雨で氾濫した肱川(ひじかわ)上流にある鹿野川ダム(愛媛県大洲市肱川町山鳥坂)で、新しい放流設備「トンネル洪水吐(ばき)」がほぼ完成し、12日に試験放流があった。豪雨では大規模放流後に氾濫が起きたが、従来より低い貯水位から放流することで約1.4倍の洪水調節容量を確保でき、治水能力向上が期待される。
トンネル洪水吐は、ダムの貯水池と下流の河川をトンネルでつないだ放流設備。ダム上部のゲートの23メートル下にトンネルを設けることで、従来よりも約5メートル低い貯水位から洪水調節が可能になる。洪水調節容量はこれまでの1650万トンから2390万トンと約1.4倍に増えるという。6月中旬の出水期までに操作規則を改定した上で運用を開始する予定で、国管理ダムでの運用は全国初になるという。
ダムを管理する国土交通省四国地方整備局山鳥坂ダム工事事務所の小長井彰祐所長は「洪水が来る前に(より多くの)放流が可能になり、ダムにためられる容量が増える。洪水被害が起こらないようにしたい」と話した。【中川祐一】
愛媛)洪水調節容量1.4倍 鹿野川ダム洪水吐試験放流
(朝日新聞愛媛版2019年3月13日鹿野川ダム トンネル洪水吐試験放流(愛媛県)
(南海放送2019/3/12(火) 17:47配信) https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190312-00000140-rnb-l38
(写真)鹿野川ダム トンネル洪水吐試験放流
豪雨などの際の洪水調節機能を高めるために大洲市の鹿野川ダムで、建設が進められている「トンネル洪水吐」の試験放流が行われました。
12日午前11時から行われた試験放流では、完成を控えたトンネル洪水吐から最大で毎秒38トンの放流が行われ、設備の動作確認や下流の水質確認などが行われました。
鹿野川ダムの洪水吐は、ダム湖と下流側を繋ぐ全長458メートル直径11.5メートルのトンネルで、現在の放流ゲートより23メートル低い位置に設置されています。
これによりこれまでより早い段階での洪水調節が可能になり、調節できる容量も現在の1650万トンから2390万トンに増加します。
山鳥坂ダム工事事務所の小長井彰祐所長は「洪水吐の運用で下流、そして上流の野村も含めて洪水被害ができるだけ、起こらないように、また軽減されるようにと切に願っている」と話しています。
洪水吐の設置に伴い鹿野川ダムは操作規則の変更を協議していて、6月中旬の運用開始を目指すということです。
鹿野川ダム試験放流、被害軽減めざす
(iza 2019.3.14 09:05 )http://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/190314/lif19031409050013-n1.html
鹿野川ダム(愛媛県大洲市肱川町)の洪水調節容量を増やすための放流設備「トンネル洪水吐(ばき)」工事完成を前に12日、ゲートの動作確認を行う試験放流が地元住民らに公開された。同ダムは昨年7月の西日本豪雨時、緊急放流で基準放流量の6倍の放流を行い、下流域で大きな浸水被害が出た。
鹿野川ダムは治水・発電を目的に昭和34年に完成した。有効貯水量2980万トンのうち、洪水調節に割り当てられる容量は1650万トン。ダム本体の高い位置に放流ゲートが設置されているため、これまでは事前に貯水位を下げておくことができなかった。
洪水吐はゲートから23メートル下に設置。ダム上流の呑口で取水し、肱川右岸に掘られた475メートルのトンネルを抜けてダム下流の吐口から最大毎秒600トンを放流する。洪水が起きそうなときは事前放流を行う。完成後の洪水調節容量は従来の1・4倍にあたる2390万トンとなる。
この日は、試験として吐口から毎秒38トンの水が放流され、住民ら約300人が見学した。ダムを管理する国土交通省山鳥坂工事事務所の小長井彰祐所長は「洪水吐の運用で洪水被害が軽減されることを願う」と説明。放流による流水の濁りや水温など水質調査も行った。洪水吐の運用は6月中旬の予定で、これに伴うダム操作規則については「出水期までに改定したい」としている。
ダム下流域に住む大洲市徳森の片岡潤子さん(69)は西日本豪雨で床上2メートルの浸水被害を受けた。「あの時ほどの出水に(ダムが)耐えられるか、まだ半分は不安だが、期待したい」と話した。
相模川に本州南限のサクラマス自然遡上を復活させることができるか
神奈川県の相模川で本州南限のサクラマスの自然遡上を復活させる取り組みを取り上げた記事を掲載します。
相模川は河口から5kmのところに寒川取水堰、12kmのところに相模大堰、さらにその上に磯部頭首工があります。いずれも魚道が付いていますが、サクラマスの遡上に有効かどうかはわかりません。
また、本川の更なる上流には城山ダム、相模ダム、支川の中津川には宮ケ瀬ダムがそびえています。
サクラマスの自然遡上を復活させる運動によって、川の堰やダムの問題が浮き彫りになっていくと予想されるので、重要な取り組みであると思います。
相模川に本州南限のサクラマス自然遡上を復活させることができるか
(ルアマガ 2019/3/4(月) 17:00配信) https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190304-00010000-tsuriplus-life&p=1
(写真)サクラマスが自然遡上できる環境を整えるには、多くの課題がある
サクラマスの太平洋側南限と言われる神奈川県・相模川。かつてこの川には、数多くのサクラマス(ヤマメの降海型)が遡上する姿が見られたというが、降海型の魚が生存するのに適さない河川環境であることなど様々な要因が重なり、今は見る影もない。
そんな相模川に、サクラマスを復活させようというプロジェクトが動き出している。相模川・中津川・小鮎川の三川合流地点にて行われたイベントの模様を、トラウトアングラーの木下進二朗さんにレポートしてもらった。
(写真)木下進二朗さん
■トラウトアングラー
木下進二朗(きのした・しんじろう)
静岡県中部や伊豆地方の川をホームとするトラウトアングラー。
ジャクソンのフィールドテスターを務める。
(写真)サクラマス。最大で70cmほどにも成長する。冷水域を好み、川で孵化して海で育ち、再び産まれた川に戻ってくる降海型の魚。ヤマメは河川に残留するサクラマスの陸封型
かつて多くサクラマスが遡上していた相模川
ここ数年「catch&clean」というフィールド清掃活動に参加させていただいているのだが、昨年神奈川県・中津川で行われたこの活動の中で耳寄りな情報をキャッチした。同県相模川水系に“サクラマスを復活させよう”というプロジェクトが進行中とのことである。ここで気になるのは“復活”という言葉だ。
聞くところによると、かつて相模川には多くのサクラマスが遡上していたそうだ。遡上河川としては本州の南限と言われており、相模川に遡るマスはそういった意味でも非常に貴重な存在であることがすぐに理解できた。
今ではダムや取水堰堤が数多く建設され、その数は激減。釣りの対象にするのは難しくなってしまったそうだ。彼らのように、川と海を行き来する魚類の存在は河川環境を映し出すと云われるため、日常的に水道水や電気を使う僕達にとっては耳の痛いところでもある。
(写真)プロジェクトの発起人となったザンマイオリジナルハンドメイドルアーズの小平豊さん。「catch&clean」の活動に深く携わる人物
ゆかりある地で育ったヤマメを放流したい
さて、件のプロジェクトの発起人となったのは「ZANMAI ORIGINAL HAND MAID LURES」の小平豊さん。イベント開催までの道のりは険しかったと語ってくれた。
まず、皆さんご存知かもしれないが個人が勝手に川に魚を放流する事は、ゲリラ放流になってしまう。そのため、水系を管理している“漁協の承認”が必要になってくる。
さらに、放流をするからにはそのための魚。つまりサクラマスになるヤマメを調達しなければならない。それに伴い資金も必要なのは言うまでもない。
小平さん曰く、漁協へは何度も足を運び、理解を求めるために説明と協議を繰り返したそうだ。そして資金調達については、このプロジェクトに共感した「catch&clean」参加者や、地元ロコアングラーである木岡氏を始めとした有志が「丹沢の釣り人大反省会」と称したチャリティイベントを開催。
神奈川県大和市にお店を構える「くらげ亭」さんに協力してもらい、イベント当日の飲食代を寄付していただくという、この上ないご厚意を承ったのだそうだ。
残念ながら僕は参加することが出来なかったのだが、SNSには未来の相模川を映すかのような明るく楽しそうな写真が数多く掲げられていた。
(写真)放流したのは相模川水系のヤマメ
できるだけ、元の環境に近いものを
放流会を開催するに際し、放流する魚にもこだわった。山梨県水産試験場より発眼卵を購入し、同県忍野村の宮下養魚場に飼育を依頼。
忍野は相模川水源のひとつでもあり、少しでもゆかりのある地で育ったヤマメであることが重要だった。卵から孵ったヤマメは降海型となるように育てられたそうだ。
ご存知のようにサクラマスになる個体は、自然界で発育が遅れ一度ライバル争いに敗れたものが海へと下る。あえて飼育中のエサの量を抑え発育を遅らせることで、本能的に海に下ろうとするのだそうだ。その目安は8月の時点で、10cm未満の個体だという。
他にも大小様々な課題があったようなのだが、裏側のお話はこのぐらいにしておこう。
(写真)この取り組みに関心のある84名もの人が集まった
釣り人が成果を公表し本州南限のブランドリバーへ
去る2018年11月25日(日)。84名もの参加者たちが、相模川・中津川・小鮎川の3つの川が合流する前の広場に集結した。
この場所が選ばれたのには理由があり、釣り人だけでなく多くの人が利用する広場であれば、カワウが近づき難いという狙いもあるそうだ。それに、河口から15~16km地点にあるこの場所は野生を取り戻した個体が半日程で汽水域にたどり着けるため、ヤマメたちにとっても好都合のようだ。
(写真)放流されたヤマメは次々と泳ぎだしていった
放流ヤマメを区別する
開始してから間もなく、バケツに移されたサクラマス候補生が参加者に配られた。用意されたのはおよそ3500尾のヤマメ。その内の100尾から油鰭をカットし、区別化を図った。さらにカットした鰭もDNA解析用サンプルとして保管。
昔から「可愛い子には旅をさせよ」というけれど、たった今バケツに受けたヤマメでさえも愛おしく思える。
近くで小平さんの声がしたので、この活動の発起人でもある氏に、唐突に今の心境を聞いてみた。
小平「あとは皆さんが成果(釣果)を見せてください。最終的に目指すのは“放流に頼らない自然回帰のサイクルを取り戻すこと”。それにはまだまだ課題は山積みで、釣り人・漁協・行政が連携することが必要なんです」
課題はあるかもしれないが、これだけたくさんの参加者が集まっているのだから、皆で真剣に取り組むことで、大きな一歩に繋がるはずだ。
(写真)神奈川県水産試験場専門研究員の勝呂尚之さん。当日は“ 野外講座 ”と題し「 丹沢のこと・相模川のこと 」について、講習会を開いていただいた
いま必要なのは、サクラマスの活動に関するデータを集めること
その後行われた、神奈川県水産試験場の勝呂尚之さんのお話しの中でも具体的に挙げられたのは、サクラマスが戻って来た際の産卵場所の調査と整備は大きな課題とあった。
対策のひとつとして、大規模堰堤やダムのように魚道を設けることが困難な場合において、迂回するための水路の設置がビジョンにあるようだ。
そのためには、小平さんの言う通り僕たち釣り人がまずは成果を公表し、サクラマスの希少性と注目度の高さ、それにおける経済効果をアピールしたいところである。
(写真)イベント終了後には豚汁が振る舞われた。できるだけゴミを出さないよう、参加者たちは自前の箸と器を持参。「catc&clean」らしい試みである
いつか本州南限の天然サクラマスが遡上する日が来ることも夢ではない
最後に、相模川のサクラマスを釣り上げることが出来た際は次のことを思い出して欲しい。放流当時は体長15cm(40g)程度だったこと。過去の調査から、東は房総半島沖・三浦半島沖。西は紀伊半島沖までを旅して来た可能性があること。
釣り人はついついサイズに目がいってしまいがちだけど、彼等が乗り越えた苦難を想像しリスペクトしてあげて欲しい。
そして、釣果があれば、関係機関(相模川漁連・catch&clean公式ブログ・ザンマイHP)に連絡をいただけると研究材料になるそうなので、ぜひともご協力願いたい。
ルアマガ+編集部
西日本豪雨災害受け、避難行動など提言 土木学会四国地区調査団
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西日本豪雨サ災害に関する土木学会の四国地区調査団の報告会が3月2日に開かれました。その記事を掲載します。
愛媛大学が野村ダム下流の避難シミュレーションを行った結果によれば、保育所の園児が避難場所に徒歩で向かったとすれば15分かかる一方、実際は氾濫から10~20分で2メートル程度浸水しており、氾濫してから避難しても遅い状況でした。
ダムは満水になって洪水調節機能を失うと、急激に放流量を増やします。昨夏7月の野村ダムは300㎥/秒をいきなり1800㎥/秒まで増やしました。これでは避難することは困難です。
昨年11月に発表された「野村ダム・鹿野川ダムの操作に関わる情報提供等に関する検証等の場」のとりまとめhttp://www.skr.mlit.go.jp/kasen/kensyounoba/04setumei0402.pdf
を読んでも、洪水調節ダムが持つこの基本的な問題については改善策が書かれていません。
西日本豪雨災害受け、避難行動など提言 土木学会四国地区調査団
(愛媛新聞2019/3/3(日) 8:00) https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190303-03000801-ehime-l38
西日本豪雨水害に関する土木学会の四国地区調査団の報告会が2日、松山市文京町の愛媛大であり、
県内関連では西予市野村地域の浸水被害を踏まえた避難行動への提言のほか、社会福祉施設や医療機関の災害対策の課題などを説明した。
野村地域の浸水状況を調べた愛媛大の森脇亮教授は、保育所を例に避難シミュレーションした結果、
園児が避難場所に徒歩で向かったとすれば15分かかる一方、
実際は氾濫から10~20分で2メートル程度浸水しており、氾濫してから避難しても遅い状況だったと分析。
「ダム直下では放流量の情報を避難の判断基準とするタイムライン作成が必要だ」と提言した。
肱川周辺の高齢者施設の対応について、徳島大の金井純子助教は、防災情報を入手しても、入所者を他施設へ移送するタイミングが遅れ、切迫した状況で2階へ避難した例もあったと指摘。
「避難行動を始める目安がないと判断が遅れる可能性がある」と述べ、施設独自での目安づくりは難しいとし、行政や社会福祉協議会、専門家なども連携して作成する徳島県内の事例を紹介した。
徳島大の湯浅恭史助教は愛媛県内44医療機関で浸水被害があったと説明。
被災経験がある大洲市の病院では診療機能を2階以上に置くなど対策を講じており、浸水後3日という早期の外来診療再開につながったと評価した。