川辺川ダムの情報
一転ダム建設へ 熊本県 翻弄されてきた住民は…(人吉の水害被害者、川辺川の川漁師、水没予定地で働く人)
NHKの番組「News Up 一転ダム建設へ 熊本県 翻弄されてきた住民は…」の報道を転載します。
人吉の水害被害者、川辺川の川漁師、水没予定地に建設された鹿肉の加工場で働く人、3人の思いを伝えています。
川漁師の方は、「ダムの議論以前に、今回の水害で大量の土砂が川底にたまっていて、まずはその除去を早急に行ってほしい。貯留型や流水型を問わずダムを造れば川は死に、アユやヤマメの質の低下は避けられません。全国有数の清流を人の手によって壊してほしくない」と語っています。
鹿肉の加工場で働く方は、「振り回されている感じがする。加工場がなくなれば、生活できなくなる。水没予定地で仕事をしている人はどうしたらいいのか…」と語っています。
News Up 一転ダム建設へ 熊本県 翻弄されてきた住民は…
(NHK 2020年11月26日 20時58分)https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201126/k10012730751000.html
熊本県の蒲島知事が、12年前に白紙撤回したダム建設の“スイッチ”を自らの手で押しました。
「もう2度と、同じ水害は経験したくない」「清流を子どもたちに引き継ぎたい」「ダムによる対立を、再び地域に持ち込まないでほしい」
現地から聞こえてきたのは、長年にわたってダムに翻弄され続けてきた住民たちの声です。(熊本放送局取材班 馬場健夫 木村隆太 太田直希)
長年続くダム論争
ことし7月の記録的な豪雨で、球磨川やその支流が氾濫した熊本県。広い範囲が浸水するなどして65人が亡くなり、いまも2人が行方不明のままです。
清流として知られる球磨川は過去、何度も氾濫を起こした“暴れ川”としても知られ治水対策をめぐって議論が繰り広げられてきました。
きっかけは、昭和40年までさかのぼります。
球磨川の氾濫を受けて、翌年、国はこの時を上回る洪水に対応するため、支流の川辺川にダムを建設する計画を打ち出しました。しかし、水没する地域の住民や漁業関係者などから反対の声があがり、計画は進みませんでした。
平成20年に就任した蒲島知事は、当選後、有識者会議を設置して治水対策について再検討を行い、計画から40年余りたった川辺川ダム建設の白紙撤回を表明しました。
その後、10年余りにわたってダムに頼らない治水対策が検討されてきましたが、結果として抜本的な対策が講じられないまま、ことし7月に球磨川は再び氾濫しました。
この豪雨災害を受け、蒲島知事は、11月19日にダムの建設を表明しました。
イスの上で8時間…
渕上憲男さん
私たちにそう話してくれたのは、今回の水害で命の危険を感じたという、渕上憲男さん(80)です。
中心市街地が水没した人吉市を訪れると、今も多くの家が壊れたままの姿で残されています。渕上さんの自宅も全壊し、あるのは壁と骨組みだけです。
実は、渕上さんが水害に遭うのは3回目です。
昭和40年の水害のあと、土地をかさ上げし家を建て替えました。しかし、今回の豪雨は、これまでの経験を超えていたといいます。
浸水から逃げた当時を再現する渕上さん
あの日、自宅に押し寄せてきた水は、あっという間に2階の床上まで達しました。濁流が押し寄せる中、渕上さんは2階のベランダに逃れました。高さ50センチほどのイスをベランダに持ち出し、その上に立って8時間余りにわたって救助を待ち続け、一命を取りとめたといいます。
私たちが訪れた時も、2階の窓には、水の跡がくっきりと残されていて、豪雨の激しさを物語っていました。
「壊れた家を見ると涙が出る。今のままでは安心して暮らせない」
ダムがあればいい…
今は妻と2人で、市内のアパートに仮住まいしている渕上さん。自宅の再建は、費用がかさむため、難しいといいます。
かわりに比較的、被害の少なかった裏の実家をリフォームして住むつもりですが、平屋のため、また洪水となったら被害は免れないと感じています。
渕上さん
「ダムがあれば、犠牲者は減っていたのではないか。清流、球磨川を守ろうということは当然理解しているが、それ以上に大切なのは生命財産だ」
ダムができれば川は死ぬ
治水対策としてダムの建設を望む人がいる一方で一度は白紙撤回となったダムの建設には、反対する人も少なくありません。
「ダムができれば、川は死ぬ。川が死ぬときは、川漁師が死ぬときだ」
田副雄一さん
球磨川最大の支流・川辺川を見つめながら、強い口調でこう話すのは、相良村に住む川漁師、田副雄一さん(50)です。
団体職員だった田副さんは26歳のときに人吉・球磨地方に転勤し、川辺川と出会いました。
川辺川は、国土交通省から去年まで、14年連続で日本で最も水質のよい川の1つに選ばれている国内有数の清流です。大きくて良質なアユが釣れることで全国に知られています。
田副さんは地元の漁師からアユ釣りを学ぶ中で、この川と共に生きていきたいと考えるようになったといいます。
清流を守りたい…
転機は12年前、38歳のときに訪れました。蒲島知事がダム計画を白紙撤回したのです。
田副さんは、ダムが造られなければ、いつまでも清流が続くと考えました。脱サラして川漁師になり、以来、アユやヤマメをとって生活してきたといいます。
しかし、今年7月の豪雨で川の環境は一変しました。土砂が流れ込むなどしたため、これまで多いときで1日100匹以上釣れていたアユは、いまでは1匹も釣れない日があるといいます。
そこに、ダムの建設です。蒲島知事が「新たな流水型のダム」の建設を国に求めたことで、環境の悪化を懸念しています。
田副さん
「ダムの議論以前に、今回の水害で大量の土砂が川底にたまっていて、まずはその除去を早急に行ってほしい。貯留型や流水型を問わずダムを造れば川は死に、アユやヤマメの質の低下は避けられません。全国有数の清流を人の手によって壊してほしくない」
ダムに翻弄される村
流域の人たちだけでなくダムの水没予定地の周辺住民は、今回の判断をどんな思いで、受け止めたのでしょうか。
川辺川ダムがかつての計画どおり建設された場合、村の中心部が水没する予定だったのが五木村です。
村を訪れると、真新しい宿泊施設が目に飛び込んできました。
ロッジ風のおしゃれな宿泊施設は、村が補助金も活用し6億円を費やして、去年、完成させました。コロナ禍でも休日の予約がすぐに埋まるほど人気を集めているといいます。近くでは橋を利用したバンジージャンプなどが楽しめるようになっています。
五木村はかつての建設計画では、当初、ダムに反対していましたが、国や県に強く迫られ平成8年に建設に同意しました。水没する場所で暮らしていた住民は、新たに造成された村内の高台に移転しましたが、6割余りが村外に出ました。
しかし、12年前に、蒲島知事がダム計画を白紙撤回したため、村は振興策として住民が去った“沈まなくなった”「水没予定地」に観光施設を整備してきたのです。
月の豪雨を受け再びダム計画が持ち上がったのは、宿泊施設の運営が軌道に乗り始めたさなかの出来事だったといいます。
これらの施設は、新たなダム計画で水没する可能性があります。
白紙撤回から一転、再び建設へ動き出したダム。村は2度にわたり、はしごを外される形となりました。
水没予定地で働く人は…
こうした動きについて、五木村の上原宇一郎さん(68)は、声を絞りだすように私たちに話してくれました。
「偉い人は簡単に言うが、住んでいる人はやおいかん」
「やおいかん」とは熊本の方言で、この場合は「簡単にはいかない」という意味です。
上原さんは水没予定地に建設された鹿肉の加工場で週に5日働いています。加工場は、ダム計画の白紙撤回後、地域振興の1つとして7年前、村が建設しました。
野生動物の肉を使ったジビエ料理のブームを追い風に、上原さんの鹿肉は地元の物産館の人気商品になり、仕事は順調に進んでいました。
今回の蒲島知事の方針の転換に、上原さんは率直な思いを語ってくれました。
上原さん
「振り回されている感じがする。加工場がなくなれば、生活できなくなる。水没予定地で仕事をしている人はどうしたらいいのか…」
分かれる意見
熊本県の蒲島知事は、この1か月、被災地に足を運び、住民や団体から直接、話を聞きました。その数は30回、のべ人数はおよそ500人に上ります。結果として、ダム建設について「賛成」「反対」「どちらとも言えない」いずれも、ほぼ同数だったということです。
私たちも、流域を歩きながら賛成、反対、その間で揺れ動くさまざまな声を聞きました。そのどれもが説得力があり、伝えるべきことだと感じました。
ダムの建設は、調査も含め少なくとも10年はかかると見られています。埋もれている声がないか、今後も現地で取材を続けていきます。
復活・川辺川ダム 流水型、なお残る懸念 豪雨被害で建設、島根の先例 「下流域 たまる土砂」
既存の流水型ダムで最も大きい「益田川ダム」の問題を取り上げた記事を掲載します。
益田川ダムの総貯水容量は675万㎥です。
川辺川ダムの元の計画は総貯水容量13300万㎥、洪水調節容量8400万㎥、堆砂容量2700万㎥でしたから、治水目的だけでつくるとすれば、8400万㎥+2700万㎥=11100万㎥の容量になります。けた違いに大きい流水型ダムとなりますので、どのようなことになるのか、予想が付きません。
復活・川辺川ダム/下 流水型、なお残る懸念 豪雨被害で建設、島根の先例 「下流域 たまる土砂」
(毎日新聞2020年11月23日 西部朝刊)https://mainichi.jp/articles/20201123/ddp/041/040/003000c
11月初旬、島根県益田市にある益田川支流の河畔は、グラウンドゴルフを楽しむ人たちでにぎわっていた。この場所は、約1キロ下流の益田川本流にダム本体がある「益田川ダム」の貯水池(ダム湖)の底に当たる。木々で色づく山へと続く対岸の斜面や、川に架かる橋の橋脚に「満水位」と書かれた青色の印が見えた。ただし、流水型で建設された同ダムが満水になったのは2005年の試験時だけ。翌年のダム完成後、グラウンドゴルフ場が水につかったことは一度もない。
普段はダム本体底部の水路を通って川の水がそのまま流れ、大雨時だけ水路からあふれた水が自然にたまる治水専用の流水型ダムは、常時水をためる貯水型ダムに比べ環境への影響が小さいとされる。川辺川でのダム建設を容認した熊本県の蒲島郁夫知事が国に要請したのも流水型だ。反対運動の末に、豪雨被害を受けて流水型ダムで決着した経緯も益田川ダムと重なる。
県営の益田川ダムは1972年7月に発生した豪雨をきっかけに計画された。地元の美都町(みとちょう)(現益田市)で激しい反対運動が起きたが、83年に益田川の氾濫などで県内の死者・行方不明者が107人に上る甚大な豪雨被害に再び見舞われたことで風向きが変わった。自宅が被災しながら消防団員として救助活動に携わり、後に美都町長を務めた寺戸和憲さん(72)は「畳に挟まれた遺体も見つけた。反対ばかり言うわけにはいかんと思うようになった」と振り返る。
住民らは89年にダム建設の補償交渉で合意した。20戸以上が移転を強いられたが、河畔にはグラウンドゴルフ場のほか、サッカー場や屋根付きスポーツ施設も整備された。一帯に植えられた桜並木には毎年大勢の花見客が訪れ、近年は市街地からの移住者もいる。寺戸さんは「流水型だからこそ、安全と地域のにぎわいにつながった。結果的には良かった」と考えている。
農林水産省によると、流水型ダムは50年代ごろに農地防災ダムとして各地で造られたが、あくまでも農地を守るためのごく小規模なもので、下流域の被害軽減を目的とした国土交通省所管の流水型ダムは益田川ダムが最初のケースだ。その後、最上小国川ダム(山形県最上町)▽浅川ダム(長野市)▽辰巳ダム(金沢市)▽西之谷ダム(鹿児島市)――の4ダムが完成し、現在も熊本県南阿蘇村の立野ダムなど複数が建設中だ。
これら先行する流水型ダムは川辺川に建設されるダムのモデルケースになるのか。益田川ダムを視察したことのある球磨川流域のある首長は「規模が違いすぎて参考にならなかった」と語る。完成済みの5ダムのうち、最大の益田川ダムでも本体の高さ48メートル、総貯水量675万トン。一方、貯水型の現行の川辺川ダム計画は本体の高さが107・5メートル、利水分を除いた洪水調節用の貯水量は8400万トン。発電や農業用水などに使われる利水用の水をためる必要がない流水型になれば、本体の高さをもう少し低く抑えられる可能性があるとはいえ、けた違いだ。
環境への影響の懸念も払拭(ふっしょく)されていない。流水型は魚類の移動を妨げないとされる。ただ、島根県が06年度、益田川ダムの上下流でアユが川の藻類を食べた跡の数を調べたところ、下流側より上流側が少なかった。県は「(ダムの)水路部が(遡上(そじょう)の)阻害要因の一つと考えられる」としている。また、ダムの下流域では、毎日新聞の取材に「ダムができてから下流に一定以上の水が流れなくなり、川に土砂がたまりやすくなった」と証言する住民もいた。
蒲島知事が08年に川辺川ダム計画を「白紙撤回」する直前、国交省は流水型での建設を提案していたが、知事は「環境への影響や技術的な課題について詳細な説明がない」と受け入れなかった。その状況がこの12年で大きく変わったわけではない。水没予定地の五木村の前村長で川辺川ダム問題に長年関わってきた和田拓也さん(73)は「あまりにも不確定要素が多すぎる」と懸念する。(この連載は平川昌範、城島勇人、吉川雄策が担当しました)
相良村の現村長と前村長のインタビュー記事
相良村の現村長と前村長のインタビュー記事を掲載します。傾聴すべき意見であると思います。
現村長
「机上の話で終わってしまいました。何も実行されていないのに、(ダムによらない治水の)効果がないというのはおかしい。村は10年間何も変わっていません。まずはできることをしてほしいのです」
前村長
「川辺川ダムだけで命を守れるとは思わない。今回の豪雨では、川辺川以外の支流域でも相当な雨が降った。ダムで洪水を食い止めるというのだったら、川辺川以外の支流にもダムを造らないといけない」
ダム計画の前にできることを 吉松啓一・相良村長 熊本
(朝日新聞2020年11月17日 9時30分)
分断の歴史繰り返すな ダム建設に反対した前相良村長 徳田正臣氏
(西日本新聞2020/11/17 11:20)https://www.47news.jp/localnews/5503594.html
2008年8月、熊本県の蒲島郁夫知事に先立って川辺川ダム建設への反対を表明した前相良村長の徳田正臣氏(61)が西日本新聞のインタビューに応じ、ダムの治水効果を認めた上で「賛成、反対で地域が分断されるマイナス面のほうが大きい」と指摘。河床掘削や堤防かさ上げなどダム以外の対策を進めるよう訴えた。
-08年3月の初当選時は「ダムへの賛否は中立」との立場だった
「計画当初の多目的ダムから発電や利水が外れ、もともと費用対効果には疑問を持っていた。だが村長として、いったんゼロから再考して結論を出そうと考えた。過去の災害や気候変動の状況などを踏まえて、100年後の人吉球磨地域にとってダムは無いほうが良いという結論になった」
-豪雨後に国土交通省が出した「川辺川ダムがあれば人吉市の浸水域を6割減らせた」との検証をどうみるか
「ダムを造る当事者である国交省の検証では、客観性があるとはいえない。地域を納得させる立証責任が国にはあるのに、これでは不十分だ」
「ダムに一定の治水効果があることは認めるが、川辺川ダムだけで命を守れるとは思わない。今回の豪雨では、川辺川以外の支流域でも相当な雨が降った。ダムで洪水を食い止めるというのだったら、川辺川以外の支流にもダムを造らないといけない」
-ダム計画中止後、国や県、流域首長でダムによらない治水対策を協議してきたが、対策は進まなかった
「国が出してきた非ダム治水案は工期が50年前後かかり、事業費が1兆円を超えるようなものもあった。『国は無理な案を出して、ダム建設に誘導したいのかな』と当初から疑念を持っていた」
「国や県には12年間、川辺川の堤防かさ上げや河床掘削を再三要請してきた。掘削はある程度進んだが、堤防は手つかずだった」
-ダム以外に、できる治水対策とは
「住民の防災意識を高めるようなソフト対策を進めてほしい。自治体の避難勧告、避難指示のタイミングも検証すべきだ。今回も前日から大雨が予想されており、もっと早く避難勧告や指示を出せたはずだ」
「山地の多い人吉球磨地域では、治山も重要。林地に残された材木が豪雨で流れて橋に引っかかり、越水して水に漬かった集落もある。木造住宅の推進など国産材を活用する施策を進めてほしい」
-川辺川ダム計画ができてから、建設予定地の相良村でも約60世帯が村内外に移転するなど翻弄(ほんろう)されてきた
「流域はダム賛成、反対で分断されてきた。再びダム建設に振り子が振れれば、また分断の歴史が繰り返されると懸念している」
(聞き手=中村太郎)
球磨川流域の治水策「もっと多くの住民の声聞いて」潮谷義子氏(前・熊本県知事)
球磨川流域の治水策について潮谷義子・前熊本県知事のインタビュー記事を掲載します。
潮谷さんが言われることはもっともだと思います。
球磨川流域の治水策「もっと多くの住民の声聞いて」潮谷義子氏
(西日本新聞2020/11/15 11:00) https://www.nishinippon.co.jp/item/n/664321/
7月豪雨で氾濫した球磨川流域の治水策を巡る議論について、潮谷義子前知事(81)は西日本新聞のインタビューに応じ、川辺川へのダム建設の是非だけが注目される現状に「違和感がある」と述べ、「もっと多くの住民から意見を聞くべきだ」と強調した。 (聞き手=綾部庸介)
-豪雨後の治水論議をどう見ているか
「(国や県、流域自治体による)検証委員会はたった2回。国が数字を報告する形で進められ、『結論ありきでは』と思うことがある。検証結果をダム建設の根拠にするのであれば、少なくとも識者の評価とさほど差異が生じないようにしておくべきだ」
-ダムの是非がクローズアップされている
「そこに違和感がある。住民のつながり、住宅、福祉など被災者が今直面している課題を行政が一緒に解決する姿勢を見せながら、並行して議論していかないと、住民は安心できない」
「一方で、ダムにかかる費用の問題が出ていない。ランニングコストも含めて県民への説明責任を果たすべきだ。費用対効果も考える必要がある」
-潮谷知事時代も費用の議論はあまりなかった
「大きな反省点だ。基本高水流量など専門的な議論に深入りしすぎたことも含め、ダムができたら本当に洪水を防げるのか、住民が肌感覚で理解できるようにできなかった」
-今の蒲島郁夫知事は住民や団体への意見聴取会を重ねた
「意見聴取会(の出席者)は、代表者というニュアンスが強いように感じる。私が開いた住民討論集会は、反対、中立、賛成の人が発言したいと思えば誰でもできるように、フェアにやるように心がけていた」
-蒲島氏の意見聴取会は結論を出すためで、住民討論集会とは違うと
「そう。私は討論会で得たことを基に決断したかったわけではない。多くの人に『川辺川ダム問題とはなんぞや』ということを問いたかった。7時間に及んだこともあるが、多くの意見を聞くことが大事だと考えた。(蒲島氏は)ダムに限らず、もっと多くの声を聞くべきだ」
-「民意」がキーワードになっている。潮谷氏が考える民意とは
「当事者のニーズに応えることが大事だ。しかしその条件として、費用対効果と、当事者以外への説明の妥当性が問われる」
-蒲島氏がダム白紙撤回を表明したことへの評価は
「決断するのはいいが、表明するのが早かった。(水没予定地がある五木村の)地域振興の道筋が見えてからでも良かったのでは、という気持ちはあった」
「ただ次のステップで事業を終結させなければいけなかったが、蒲島氏は最後の詰めをしていない。私からすれば川辺川ダム問題は眠っていたにすぎない」
にじむ古里愛…熊本・川辺川ダム、賛否で割り切れぬ流域の民意
蒲島郁夫・熊本県知事による球磨川治水策等についての意見聴取会が10月15日~11月3日に行われ、87団体・企業の代表98人と流域など13市町村の住民324人が参加してきました。
この意見聴取会を振り返った西日本新聞の記事を掲載します。
この記事の最後に書かれている次の文章が重要だと思います。
「ただ、さまざまな意見を踏まえて蒲島氏がダム建設の方向性を示したとしても、建設には河川法上の漁業権の補償が必要。過去には国が球磨川漁協に提示した補償案が否決されており、ハードルは高いとみる関係者もいる。」
にじむ古里愛…熊本・川辺川ダム、賛否で割り切れぬ流域の民意
(西日本新聞2020/11/6(金) 11:30配信) https://news.yahoo.co.jp/articles/f4d09e858dfcbab2a0c7afe7f9e751b97423a9cf?page=1
(写真)住民の意見を聞く蒲島郁夫知事(手前)=10月24日、熊本県人吉市
7月の記録的豪雨からの復旧、復興と球磨川流域の治水策に民意を反映しようと、熊本県の蒲島郁夫知事が10月15日に始めた意見聴取会には、今月3日までに87団体・企業の代表98人と流域など13市町村の住民324人が参加した。焦点は最大の支流・川辺川へのダム建設の是非。「清流を守って」「安全な古里に」-。そんな言葉だけには集約できないさまざまな思いが聞かれた。地域や立場によって異なり、濃淡もある。
10月24日午後、人吉市の会場。隣に座る知人から背中をポンポンとたたかれ、女性(34)は意を決したように蒲島氏を見据え、口を開いた。「知事さん、ダムを造らないで。ダムを造ったら川は死にます」
女性が願うのは、幼い頃から親しみ、今はわが子の遊び場となった川辺川の環境の保全。同じように川への愛着を訴え、ダムに拒否反応を示す住民は少なくない。2008年、蒲島氏のダム建設「白紙撤回」を後押ししたのは、こうした住民の思いだった。
だが、12年前とは状況が違う。気候変動で豪雨は頻繁に発生する。熊本豪雨による球磨川の氾濫では50人が犠牲になり、人吉市での浸水は518ヘクタールに及んだ。同じ日、別の会場では被災者の男性が「人吉は『遊水地』になった。ダムしかない」と訴えた。
ただ、流域の民意は「推進」「拒否」という言葉だけでは割り切れない。ダムには反対でも「(通常は貯水せず、環境への負荷が少ないとされる)穴あき型ダムならば」と容認する意見もある一方、ダムからの緊急放流による水位の急上昇を恐れる人もいた。 関係団体の考え方もそれぞれ異なる。農業団体はダムを求めるが、ダムの補完策として浮上する遊水地には否定的だ。人吉球磨地域土地改良区連絡協議会は農地が遊水地の犠牲になることを警戒し、「田んぼは農家の財産。農家の同意は得られない」とくぎを刺す。
一方、球磨川や川辺川は、アユ釣りや川下りで全国からファンを集める「観光の核」でもある。相良村の漁業者は「川漁師の生計が成り立たなくなる」。八代市坂本町のラフティング業者は「良い川には人が集まり、にぎわいが生まれる。川が死んでは、その可能性はなくなる」と不安がる。
ダムの是非を巡って地域が二分された歴史も影を落とす。「(建設促進を決議した)市町村長さんが結論を出している」(10月24日、人吉市)、「治水に効果があるものは全て実施を」(今月2日、五木村)-。意見表明であえて「ダム」を避ける人も少なくない。 蒲島氏は年内の早い段階に「治水の方向性」を示す方針。治水策が定まれば、道路や河川、鉄道の復旧、宅地や市街地の再生といった復興への具体的な道筋を描けるようになる。
ただ、さまざまな意見を踏まえて蒲島氏がダム建設の方向性を示したとしても、建設には河川法上の漁業権の補償が必要。過去には国が球磨川漁協に提示した補償案が否決されており、ハードルは高いとみる関係者もいる。同漁協の堀川泰注(やすつぐ)組合長は「(当事者として)発言を慎重にしないといけない立場」と断った上で、「治水対策にどうのこうのとは触れない。組合員と協議して一番良い選択をしていきたい」と述べるにとどめた。 (古川努、中村太郎、村田直隆)