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各地ダムの情報

球磨川の氾濫で特別養護老人ホーム「千寿園」の浸水が早かった原因は

7月4日の熊本県・球磨川の氾濫で特別養護老人ホーム「千寿園」で14人の方がお亡くなりになりました。

なぜ、このように悲惨なことになったのでしょうか。

今までの新聞記事に、考えられる要因がいくつか書かれています。

➀ 特別養護老人ホームの立地場所が悪かった?

もっと安全なところになぜ立地しなかったのかという話もあるかもしれませんが、老人ホームは下記の地図の青枠のところです。渡小学校の隣で、JR線の渡駅に近く、人家が少なからずあるところですから、立地場所が特によくなかったとは思われません。

この大字渡乙では老人ホーム以外の民家でも2人が亡くなっており、老人ホームの立地場所が特によくなかったとは言えないと思います。

熊本県【7月31日】令和2年7月豪雨に係る災害対策本部会議資料(第23回)  https://www.pref.kumamoto.jp/common/UploadFileOutput.ashx?c_id=3&id=35109&sub_id=1&flid=245251

② 2015年に設置された排水機場が停止した

2015年に設置された排水ポンプ3カ所が次の記事で、全て破損したと書かれています。この排水ポンプ(下記の地図の黄色枠のところ)は、建設が中止された川辺川ダムに代わる治水対策の一環として、国交省が2015年に11億円をかけて整備したものですが、肝心な時に役立たちませんでした。排水ポンプ施設の浸水対策が講じられていなかったようで、お粗末な話だと思います。

西日本新聞2020/7/18 6:00 「排水ポンプ3カ所が全て破損 熊本・球磨村の渡地区、浸水で能力喪失」 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/627281/

しかし、この排水ポンプの完成式の資料を読むと、排水ポンプの能力は0.5㎥/秒、1.0㎥/秒、2.5㎥/秒ですから、これらが稼働していても、状況がどれほど好転していたかはわかりません。

球磨村渡地区浸水軽減対策関連事業 完成式 http://www.qsr.mlit.go.jp/yatusiro/site_files/file/news/h26/h270203kisha.pdf

➂ JR鉄橋との交差部分だけ低く越水

次の記事に「支流の小川を横切るJR肥薩線の鉄橋と交差する部分だけ、小川の堤防が周囲より約2メートル低くなっている」と書かれています。上の地図の赤枠の部分です。

「『ここまでとは』想定外の雨量、河川改修でも浸水 行動計画も効果不明 熊本豪雨」

(毎日新聞2020年7月5日 20時59分)  https://mainichi.jp/articles/20200705/k00/00m/040/168000c

「氾濫をもたらしたのは地形や大量の雨だけが理由ではない。支流の堤防は球磨川沿いに走るJR肥薩線の鉄橋と交差する部分だけ周囲の堤防より約2メートル低くなっており、そこから越水した。地域の防災対策では堤防をかさ上げする予定になっていたが、そのためにはJRの鉄橋を高くする必要があり、JR九州側との調整が進んでいなかった。」

 

私は➂が老人ホームの浸水を早めた最大の要因ではないかと思います。

球磨川の渡観測所水位変化を下のグラフに示します(観測所の位置は上の地図で黄色枠のところ)。老人ホームのすぐ近くにある渡観測所の水位が堤防を越えたのは7月4日7時半頃(その後は観測停止)ですが、

「千寿園の教訓を備えに 入所者14人犠牲、避難情報共有が鍵」(西日本新聞2020/8/5 ) https://www.nishinippon.co.jp/item/n/632650/

によれば、「午前4時50分、(園周辺の)道路が冠水してたどり着けない」状態であったのですから、球磨川からの越水が始まるかなり前に浸水が進行していました。

鉄道や道路の橋があるところは堤防が一段と低くなっている例は少なからずありますが、ここでもこのことが千寿園の浸水を早めた最大の要因であったと思います。

老人ホームの浸水が始まったのは

球磨川ではきめの細かい治水対策が実施されてこなかったことが最大の問題ではないでしょうか。

そして、川辺川ダムが仮につくられても、JR肥薩線の鉄橋と交差する小川の堤防が周囲より約2メートルも低くなっている現在の状態が改善されない限り、やや大きい洪水時は氾濫が避けられないと思います。

 

検証・九州豪雨 14人犠牲、熊本・球磨の特養 避難計画、機能せず 想定外の浸水被害

2020年8月3日
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7月4日の熊本県・球磨川の氾濫で特別養護老人ホーム「千寿園」で14人の方がお亡くなりになりました。

この問題を取り上げた毎日新聞の連載記事(その1)と(その2)を掲載します。

 

検証・九州豪雨/上(その1) 14人犠牲、熊本・球磨の特養 避難計画、機能せず 想定外の浸水被害

(毎日新聞2020年8月1日 西部朝刊)https://mainichi.jp/articles/20200801/ddp/001/040/004000c

 

(写真)球磨川支流の氾濫による浸水で入所者14人が犠牲となった特別養護老人ホーム「千寿園」=熊本県球磨村で2020年7月4日午前11時44分、本社ヘリから田鍋公也撮影

7月3日から降り続く雨は日付をまたいで勢いを増し、熊本県球磨(くま)村渡(わたり)地区の特別養護老人ホーム「千寿園」の屋根や地面を激しく打ちつけていた。

「川の近くにいる人はすぐに避難してください」。園の約300メートル南には1級河川の球磨川が、すぐわきには球磨川の支流「小川」が流れている。闇夜を突いて繰り返し避難を呼びかける消防無線の声は施設内にも聞こえていた。約60人の入所者に対し、当直職員は5人。入所者には認知症の人や要介護度の重い人も多い。園の様子が心配になって近隣住人が一人また一人と駆けつけてきた。

4日午前4時50分、気象庁が大雨特別警報を発令。山側からの土石流を警戒した職員らは、南側の建物に入所者を集めたが、その間に球磨川の水位は急速に上昇した。危険を感じた職員と近隣住人の計十数人が午前6時前後から手分けして入所者を2階に誘導。施設にエレベーターはなく、体の不自由な人は数人がかりで抱え上げた。

支流がある東側のガラス窓を突き破って濁流が流れ込んできた時にはまだ20人ほどの入所者が1階に残っていた。職員や住民は水につかりながら少しでも多くの人を助けようとしたが、濁流はみるみる建物1階をのみ込み、14人の入所者の命を奪った。「もう少し時間があれば……」。当直職員の一人が唇をかむ。

毎日新聞が入手した園の避難計画によると、園では大雨警報が発令されると「警戒体制」に入り、気象情報の収集などを始めることになっている。さらに「避難準備・高齢者等避難開始」が発令されれば要配慮者を避難させ、大雨特別警報発令で「非常体制」に移行し全員避難。避難先として近くの渡小学校や約1キロ離れた高台の村総合運動公園などを指定し、土砂災害や激しい降雨などで「屋外へ出ることが危険な場合」は建物2階に避難することになっていた。

だが当日、2階への避難が始まったのは、村が全域に避難準備・高齢者等避難開始を出した3日午後5時から半日たった後で、大雨特別警報発令後1時間ほど過ぎていた。既に園の近くまで水が迫っており、2階以外の選択肢はなかったが、避難計画に基づき、緊急時に参集することになっていた12人の職員のうち園にたどり着いたのは1人だけ。近隣住民の協力を得ても約60人を短時間で2階に避難させるにはマンパワーが不足していた。

結果的にもっと早く2階への避難を始めていれば被害を最小限に抑えられた可能性はある。ただ、2階には家族宿泊室など2部屋(計約98平方メートル)あるが、合わせても1階の居室2部屋分ほどしかなく、60人が長時間過ごすには十分ではない。そもそも過去に園の周辺まで浸水したことはなく、関係者の多くは直前まで園が水につかるとは思ってもいなかった。当直職員は「こうした方が良かったとか今は考えられない」と言葉少なに語った。

 

検証・九州豪雨/上(その2止) 合流地点、なぜ立地 高齢化率3割超、村悲願の千寿園 9割が山林「他になかった」

(毎日新聞2020年8月1日 西部朝刊)https://mainichi.jp/articles/20200801/ddp/041/040/012000c

 

(写真)入所者14人が亡くなった特別養護老人ホーム「千寿園」=熊本県球磨村で2020年7月12日午後0時8分、宮間俊樹撮影

「高齢化は世界に例を見ないスピードで進展し、介護を要する老人等を収容する施設整備が追いつけない現状であります」

九州豪雨で14人が犠牲となった熊本県球磨(くま)村の特別養護老人ホーム「千寿園」は2000年6月に開設された。当時の村長が設置認可権者の熊本県に提出した意見書には、村の切実な思いが書かれている。村の高齢化率は当時既に30%超(現在は45・1%)。過疎化と高齢化が進む一方で高齢者施設がなく、村民は隣の人吉市の施設を利用するなど不自由を強いられていた。

複数の関連文書や証言によると千寿園は元々田畑だった土地を村が数千万円で買い上げて整地し、園の運営法人に無償貸与、建設費の一部も支援するなど村を挙げて整備した。40人の入所定員はすぐに埋まった。

今回の豪雨では球磨川の水が支流の「小川」に逆流する「背水(バックウオーター)」が発生し、国土地理院によると千寿園がある渡(わたり)地区の浸水は最大9メートル、園周辺も2~3メートルに達した。被災後、球磨川と支流の合流地点に立地する園について、専門家からは「なぜこんな危険な場所に造ったのか」と疑問の声が上がったが、建設当時、水害の可能性を考慮した形跡はない。

 

当時を知る元村幹部は「園の北側は土砂災害の危険があったが、周辺で水害の経験はなく県幹部も来て『ここならいいだろう』と決まった」と振り返る。運営法人の理事の一人も「土石流の心配はしたが浸水は考えてもみなかった」と明かす。入所定員を60人に増やす際の補助金申請のため、運営法人が09年、県に提出した村の確認文書でも「予定地が災害危険地区か否か」について「非該当」としている。そもそも、村域の約9割を山林が占める村で平地は球磨川沿いのわずかな土地に限られ、理事は「他に場所もなかった」と語る。

その後、温暖化などで「50年に1度」「100年に1度」の記録的な豪雨が珍しくなくなっても関係者の認識は同じままだった。

17年3月、国土交通省九州地方整備局は千寿園周辺で最大10~20メートル未満浸水する可能性があるとの想定区域図を公表。国は同年6月、高齢者施設や病院などの「要配慮者利用施設」のうち、水害や土砂災害の恐れがある場所の施設に対し、「避難確保計画」の作成や避難訓練の実施を義務付けた(対象は20年1月現在約7万8000施設)。千寿園も計画を作り、地域住民と共に年2回の訓練を実施していたが、関係者は「火災の比重が大きく、水害の訓練は2年に1回程度だった」と証言する。

地域防災に詳しい矢守克也・京都大防災研究所教授(防災心理学)は「高齢者施設などは水害や津波、土砂災害などのリスクのない場所に建てるのが望ましいが、現実問題として日本社会で絶対安全な場所を確保するのは難しい」と指摘。その上で、立地面の課題を補う対策として「早期避難が一番確実だが、移動が難しい人だけを前もって移動させておくという選択肢もある。また、避難訓練も、職員が助けに来られなくなった、施設から移動できなくなったなど、実際の被災状況を想定して実施することが重要だ」と語った。

園の運営法人は被災後、事業継続を断念する考えを示している。園側は毎日新聞の取材に「今回と同様の水害が発生する可能性がある以上、同じ場所で再開はできないと考えている。移転に関しても全くの白紙状態」と回答した。=つづく

九州豪雨は発生から間もなく1カ月になる。14人が亡くなった千寿園をはじめ、逃げ遅れた住民が各地で犠牲になった。避難のあり方に問題はなかったのか。関係者の証言などを基に検証し、次の災害に備えたい。

◆千寿園や国の水防対策を巡る経過

2000年6月 千寿園が開園

11年4月 千寿園増設。定員が40人から60人に

15年5月 国が水防法を改正し想定しうる最大規模の洪水・内水・高潮(1000年に1度)を基に対策にあたる方針を示す

17年3月 九州地方整備局が改正水防法に基づき球磨川水系の想定しうる最大規模の浸水区域を公表。千寿園周辺は10~20メートル未満浸水すると想定

6月 国が水防法を改正し浸水が想定される地域の要配慮者利用施設に避難確保計画の作成や避難訓練の実施を義務付ける

18年4月 千寿園が避難確保計画を作成

20年7月 九州豪雨で千寿園の入所者14人が死亡

 

熊本水害「ダム建設中止の旧民主党政権のせい」論は本当か?

2020年7月20日
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熊本県の球磨川水害について毎日新聞の記事をお送りします。

嶋津へのインタビュー記事が中心ですが。お読みいただければと思います。

 

熊本水害「ダム建設中止の旧民主党政権のせい」論は本当か?

(毎日新聞2020年7月16日 15時54分) https://mainichi.jp/articles/20200716/k00/00m/040/134000c

 

(写真)国交省の依頼を受け、氾濫・決壊した球磨川の護岸を調べる技術者(左奥)ら=熊本県人吉市で2020年7月6日午後4時12分、幾島健太郎撮影

そんな単純な話なのか? 多数の犠牲者が出た熊本・球磨川の水害で、ネット上などでは「旧民主党政権が球磨川に合流する川辺川のダム建設を中止したから洪水になった」などの声が広がった。災害が旧民主党たたきの材料になったわけだが、「民主党のせいだ」論は本当だろうか?【吉井理記/統合デジタル取材センター】

災害のたびに登場する政権たたき

お断りしておく。記者は、旧民主党政権の肩を持つ気は別にない。個人的には、あの3・11後に「原発ゼロ」を掲げながら、再稼働にかじを切ったことに強く失望した記憶がある。

それでも、だ。熊本の洪水災害について、ツイッターなどでこんな言葉が飛び交っていることには首をひねる。

「悪夢の民主党政権が川辺川ダム(球磨川上流)の建設を中止したからこんなことになった」「民主党政権が川辺川ダムを中止にしなければ、被害は防げていた」

災害時には、そんな言説が現れることが多い。

東日本大震災での東京電力福島第1原発事故が起きた5年前の2006年12月、共産党の吉井英勝衆院議員(当時)が地震・津波による原発の全電源喪失の可能性について問うた質問主意書に対し、当時の第1次安倍晋三政権は「ご指摘のような事態が生じないように安全の確保に万全を期している」との答弁書を出した。新たな安全対策を講じる必要性には一切言及しなかった。震災後、「安倍政権のせいで福島原発事故が起きた」という論もあったが、これも単純に過ぎるだろう。

では今回の豪雨被害はどうか。「当たり前ですが、ダムがあれば、洪水や川の氾濫が必ず防げる、というわけではありません」と切り出すのは、水問題に詳しい元東京都環境科学研究所研究員の嶋津暉之さん。治水問題に取り組む「水源開発問題全国連絡会」の共同代表を務める。

「今回、球磨川が氾濫したのは、球磨川とその支流の川辺川との合流地点にあたる人吉市やその下流の球磨村などです。球磨川に流れ込む川辺川上流にダムがあれば、洪水が防げたかといえば、単純にそうとも言えません」

川の氾濫で、人吉市などの水位や流量の観測データが十分に得られず、「きちんとした計算が現段階ではできませんが……」と前置きして、嶋津さんが続ける。

「川辺川ダムの予定地のすぐ下に川辺川の水位の観測拠点があります。水位から川の流量を導き出す関係式があるのですが、これら当時の流量を推定すると、川辺川ダムが建設され、稼働していたとしても、満水になっていたと思われます」

ダムは万能ではない。満水になればダムから水があふれるため、ダムに流れ込むのと同じ量の水を放流しなければならない。この時点で、ダムの目的でもある下流の流量を減らして洪水を防ぐ、という役割は果たせなくなる。

今回の球磨川の氾濫は4日朝に始まったが、ダムがあれば氾濫の時間を遅らせることはできたかもしれないが、防げたかどうかは分からない。

「データがそろっていませんから、確かなことは言えませんが、一般的にダムで下流に流れる水の量を減らして洪水を防ぐ効果は、川の流下能力(川がどれだけの水を流せるか)を増やすための河床掘削や堤防整備などの効果に比べれば小さいんです」

嶋津さんはそう指摘したうえで「そもそもですね……」とさらに語る。

旧民主党政権が09年に川辺川ダム建設工事中止を表明したが、政府・国土交通省は建設計画そのものは廃止していない。

「そのため、政府は現在も川辺川ダムが建設され、稼働していることを前提とした『河川整備基本方針』を維持しているんです。基本方針に沿って、具体的に川をどう整備し、治水や利水を図っていくかについて『河川整備計画』で示すわけですが、基本方針が改められていないがために、いまだに川辺川ダムを外した河川整備計画が作られていないんです」

この方針は「80年に1度」の大雨を想定し、その時の人吉市での球磨川の水の流量を「1秒あたり7000トン」と推計した。このうち、川辺川ダムなどで3000トンの水を減らせると見込んで、人吉市での流量を4000トンと計算し、河道(川の水を安全に流すことができる部分)についても4000トン以内の流下能力とするように求めている。

(写真)球磨川の氾濫で一部が損壊し渡れなくなった天狗橋=熊本県人吉市で2020年7月12日午前9時27分、宮間俊樹撮影

「7月4日に球磨川が氾濫した時、川の流量は4000トンを大きく上回っていたはずです。建設が中止された以上、川辺川ダムを前提としない新たな河川整備基本方針と河川整備計画を作り、ダムがなくても川があふれないよう、川を掘削するなどして流下能力を高めていれば、洪水にならなかったと考えています」

八ッ場ダムが救った?

そういえば、旧民主党政権が建設を一時凍結した利根川水系の八ッ場(やんば)ダム(群馬県長野原町、今年3月から本格運用)についても、昨年秋の台風19号の大雨の時、試験運用中で、ほぼ空っぽだったダムが一晩で満水近くに達した。このため、「民主党政権が潰そうとしたダムが水をせきとめたからこそ、利根川の堤防決壊を防ぎ、北関東が救われた」「ダムに反対した民主党政権は最悪」などといった声がツイッターで散見された。

「ダムが川の流量を減らす効果は、下流に行けば行くほど減衰されます。国交省の計算では、八ッ場ダムの最大流量削減率は利根川中流で3%、下流で1%にしかなりません。『八ッ場ダムが北関東を救った』というのは私は事実と異なると考えています」

付け加えれば、もし民主党政権が建設を凍結せず、台風の襲来前にダムが本格運用され、水が一定たまっている状態で大雨に見舞われていたら、これまたどうなったかは分からない。

皮肉にも「民主党政権が一時凍結したからこそ、(試験運用中で)ダムに貯水できた」という言い方もあり得る。ことほどさように「○○政権が……」という論法は、意味をなさないのだ。

「ことは人命にかかわる問題です。特定の政党や政権をおとしめるためではなく、政治を離れ、災害をどう減らすか、議論してほしいと思います」(嶋津さん)

同感である。

工事差止訴訟控訴審 第1回口頭弁論日時決定 10月8日14時半  (石木ダム)

2020年7月14日
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工事差止訴訟控訴審 が始まります。

石木ダム建設工事継続差止め訴訟第1審は2020年3月24日の長崎地方裁判所佐世保支部の不当判決で原告敗訴とされました。

その判決理由は、石木ダムの必要性については一言も触れずに「石木ダム建設工事を差止めなければならない権利侵害はない」というものでした。私達の言葉に直すと、「13世帯の皆さんが石木ダムによって生活の場を奪い取られることは、石木ダムの必要性を審理するまでもなく、権利侵害に当たらない」ということで、到底許せることではありません。水源連HPの2020年3月27日掲載記事「石木ダム訴訟判決はみな、何故こんな論調なのか?」を参照ください。

この不当判決に抗して、2020年4月4日に404名を控訴として、控訴状を提出しました。→控訴状

第1回口頭弁論は

  • 2020年10月8日(木)14時半
  • 福岡高等裁判所1F 101号法廷

にて開廷です。

コロナ禍の中なので、傍聴人数が削減されるとは思われますが、あのデタラメな佐世保支部判決の撤回を勝ち取るべく、大勢で駆けつけようではありませんか。
当日の口頭弁論の内容については、弁護団が鋭意準備を進めています。
口頭弁論の内容、門前集会、報告集会など、具体的な進行などは、追ってお知らせいたします。

 

 

球磨川水系河川整備基本方針の策定において川辺川ダム阻止のために市民側が提出した11通の意見書

2020年7月11日
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今回の球磨川の氾濫で、川辺川ダム計画を復活せよという声が出ています。

これから国土交通省が川辺川ダム計画の復活に向けて水面下で動いていくことが予想されます。

悪夢がよみがえっていく思いですが、私たちは川辺川ダム阻止のためにたたかってきた過去の経過を振り返って頑張らなければなりません。

川辺川ダム事業は政府の方針として2009年に中止の判断がされました。それは川辺川ダム反対の声が熊本県内外で大きく広がってきたからです。

しかし、川辺川ダムは毎年度予算がついており、ダム事業としては生き残っています。川辺川ダムなしの球磨川水系河川整備計画は、ダムの代替案がないということで、いまだに策定されていません。

2007年に策定された球磨川水系河川整備基本方針は、基本高水流量(1/80の想定洪水流量)を人吉地点で7000㎥/秒とし、そのうち、川辺川ダムと既設の市房ダムで3000㎥/秒を調節し(そのうち、約2600㎥/秒は川辺川ダム)、残りの4000㎥/秒を河道で対応するとして、人吉地点の計画高水流量(河道の流下能力の設定値)を4000㎥/秒としました。球磨川の重要な治水対策は河道の流下能力を大幅に増やすことなのですが、川辺川ダム建設のベースをつくるため、科学的な根拠なしに人吉地点の河道の流下能力を4000㎥/秒に据え置きました。

河川整備計画は河川整備基本方針の範囲でつくられますので、河川整備計画では河道目標流量を4000㎥/秒以上にすることができません。

河道目標流量を4000㎥/秒に据え置くと、まともな河川整備計画をつくることができず、川辺川ダムなしの球磨川水系河川整備計画が策定されないまま、十数年経過してきました。

川辺川ダム無しの河川整備計画をつくるためには、この球磨川水系河川整備基本方針を見直して、計画高水流量4000㎥/秒を大幅に引き上げる必要があります。

この球磨川水系河川整備基本方針の策定において私たちは川辺川ダムを必要としないものにするべく、懸命の取り組みをしましたので、その経過を述べておきます。

球磨川水系河川整備基本方針の策定に関して国土交通省で2006年4月から2007年3月まで延べ11回の河川整備基本方針小委員会が開かれました。https://www.mlit.go.jp/river/basic_info/jigyo_keikaku/gaiyou/seibi/kuma_index.html

一つの水系で11回も委員会が開かれたのは異例なことです。通常は1~2回です。

それは当時の熊本県知事、潮谷義子知事が川辺川ダムが河川整備基本方針で位置づけられないように頑張られたからです。

潮谷知事は2006年の途中で事故で骨折されましたが、車いすで毎回委員会にかけつけました。

委員会の数十名いる委員の中でダム懐疑派は潮谷知事だけで、委員会の中でたった一人の闘いでした。

私たち市民側は潮谷知事を支援すべく、委員会に毎回、意見書を提出し、傍聴席で審議を見守りました。

審議終了後に委員会の会議室がある階のエレベーターホールで市民側は潮谷知事を迎え、労をねぎらいました。知事からも傍聴と意見書へのお礼の言葉がありました。

 

市民側が提出した意見書は次の通りです。それぞれ長文ですが、興味がある方はお読みいただければと思います。

最も重要な争点は基本高水流量7000㎥/秒(人吉地点)が過大ではないか、計画高水流量4000㎥/秒(人吉地点)が過小ではないかということでした。

2006年4月13日球磨川委員会への意見書(その1)(基本的なことについて)

2006年5月10日球磨川委員会への意見書(その2)(基本高水流量問題)

2006年6月6日球磨川委員会への意見書(その3)(基本高水流量問題)

2006年7月19日球磨川委員会への意見書(その4)(基本高水流量問題)

2006年8月10日球磨川委員会への意見書(その5)(基本高水流量問題)

2006年9月6日球磨川委員会への意見書(その6)(基本高水流量問題)

2006年10月19日球磨川委員会への意見書(その7)(計画高水流量問題)

2006年11月15日球磨川委員会への意見書(その8)(計画高水流量問題)

2006年12月25日球磨川委員会への意見書(その9)(計画高水流量問題と、ダムの弊害)

2007年2月14日球磨川委員会への意見書(その10)(穴あきダム問題)

2007年3月23日球磨川委員会への意見書(その11)(穴あきダム問題と、ダムの弊害)

 

球磨川水系河川整備基本方針は、潮谷知事の懸命の取り組み、そして、私たちの精一杯の活動があったものの、私たちが望むものにはなりませんでしたが、

川辺川ダム阻止のためにたたかってきたこの過去の経過を振り返って私たちはこれから頑張らなければなりません。

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