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半世紀がかり、大滝ダム完成 建設に揺れた奈良・川上村 (2013年3月23日)

2013年3月24日
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深刻な地すべりを起こした国交省・大滝ダムの竣工式が3月23日に行われました。
紀ノ川ダム管理事務所のHP http://www.kkr.mlit.go.jp/kinokawa/news/pdf/13020101.pdf をご覧ください。
2002年8月にダム本体ができましたが、その後、地すべり対策に追われて完成が9~10年も延びました。 試験湛水開始ともに、白屋地区で深刻な地すべりが起きて、白屋地区37世帯が移転を余儀なくされ、その後、裁判で国は責任を問われて損害賠償金の支払いを命じられました。
 もともと地すべりの危険性が高いと指摘されていたところにダムを建設したことによるものです。 これからは大丈夫なのでしょうか。大滝ダムの周辺で地すべりが再発する危険性はないのでしょうか。
 この大滝ダムとダブるのがダム予定地の地質が脆弱な八ッ場ダムです。八ッ場ダムは、来年度に本体関連工事に着手したとしても、完成は2020年度以降のことですが、ダム本体ができても、試験湛水を開始すれば、大滝ダムのように深刻な地すべりが起きて、完成がさらに延びる可能性が十分にあります。ダム完成が2020年代後半以降ということにもなりかねません。
 八ッ場ダムの本体工事を本当に進めてよいのか、あらためてまともな検証が行われることを願ってやみません

半世紀がかり、大滝ダム完成 建設に揺れた奈良・川上村(朝日新聞2013年3月23日)http://digital.asahi.com/articles/OSK201303230068.html?ref=comkiji_txt_end_kjid_OSK2013032300680

 【西山良太、菱山出】奈良県川上村の「大滝ダム」が計画から半世紀を経て完成し、23日、現地で記念式典があった。村を挙げた強い反対が起き、建設後の試験貯水で地滑りのため住民は移転も強いられた。ダム完成を見つめる住民や元住民らの思いは複雑だ。
 建設のきっかけは、奈良から和歌山に流れる紀の川(奈良県側では吉野川)流域で130人の死者が出た1959年9月の伊勢湾台風だ。
 62年4月、当時の建設省がダム建設計画を公表すると、水没する13集落475世帯が移転を強いられるため、地元住民らは強く反発。村議会は同年7月、ダム建設反対を決議。63年2月には地元住民らが反対期成同盟を結成した。
 村もダム対策委員会などを設けて反対姿勢を示した。
 村議を経て、80年から8期32年間村長を務めた大谷一二(いちじ)さん(88)は「役場に説明に来た県の副知事を通さないよう入り口に座り込んだり、ボーリング調査を邪魔しようと道路を塞いだりした」と振り返る。
 だが、水没世帯への補償交渉などを経て、村は81年、建設に同意する覚書を建設省や県と締結。移転した475世帯のうち、約400世帯が村を出た。
 2011年9月、紀伊半島に甚大な被害をもたらした台風12号は伊勢湾台風の雨量を上回ったが、下流で流された家屋はなかった。昨年7月に引退した大谷さんは「自分が生きている間に完成しないだろうと思っていた。下流の人命を救う使命を果たせ、誠に喜ばしい」と語る。
 同村から北西に約20キロ離れた橿原市石川町。ダム東側の白屋(しらや)地区出身の12世帯27人が暮らす。試験貯水が始まって間もない03年4月、地層に水が入り込んだ影響で家屋や道路に亀裂が発生。全37世帯77人が移転を余儀なくされた。
 区長の井阪勘四郎さん(84)のもとに2月、村役場から式典の招待状が届いた。怒りと悔しさがこみ上げ、涙が出た。「古里を奪われたのに、一緒に喜べというのか。これ以上我々の無念を踏みにじるな」
 国は住民の家屋や土地を買い取ったが、移住の費用には足りなかった。井阪さんら元住民30人は07年、国に慰謝料など約2億1600万円の損害賠償を求めて奈良地裁に提訴。敗訴したが、11年の大阪高裁判決は1人当たり100万円の賠償を命じた。
確定したが、「国から謝罪は一度もない」。
 今も住民らは毎月、地区に残る墓地に通う。井上兼治(かねはる)さん(69)は「先祖らの墓が100以上あり、一緒に移動させたかった。国に何度も掛け合ったが、補償してくれない」と唇をかむ。招待状は「欠席」と書いて送り返した。
 移住から約10年。高齢化が進み、移住後に4人が亡くなった。井阪さんらは昨年末、「大滝ダム建造で消えた集落・白屋地区」と題した100ページを超す区史を作った。
 「先人から800年続いた故郷を守り通せず、子や孫に申し訳ない。故郷が消えることになった経緯を記し、後世に伝えたい
 ◇
 〈大滝ダム〉 1959年9月の伊勢湾台風水害を機に、紀の川の治水と奈良県内や和歌山市などへの利水、水力発電を目的とした特定多目的ダム。
 総事業費3640億円。堤高100メートル、堤頂長315メートル。総貯水量8400万立方メートルは阪神甲子園球場約140杯分。群馬県の八ツ場(やんば)ダム(建設中)の63年間に次ぐ長期事業で、反対運動の激しさは「東の八ツ場、西の大滝」と称された。
完成した大滝ダム=21日午後、奈良県川上村、朝日新聞社ヘリから、筋野健太撮影
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完成した大滝ダムと白屋地区の集落跡(下の斜面)=21日午後、奈良県川上村、朝日新聞社ヘリから、筋野健太撮影
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大滝ダムと白屋地区
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大滝ダム建設をめぐる主な出来事
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計画から半世紀 大滝ダムが完成…奈良の吉野川

(読売新聞大阪版 2013年3月23日 )http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20130323-OYO1T00638.htm?from=top

1959年の伊勢湾台風による水害を教訓に、国が奈良県川上村の吉野川(紀の川)で建設していた多目的ダム「大滝ダム」(総貯水量8400万トン)が、計画から半世紀を経て完成、
 同村で23日、完工式があった。国土交通省によると、完成に要した期間は国のダムで最長クラス。総事業費は、立ち退き地域の拡大などで当初の230億円から約3400億円増え、3640億円に上った。
 ダムは奈良、和歌山両県の計12市町村の治水、利水のため、60年に予備調査を開始。65年に着工し、493世帯が立ち退いた。
 しかし、2003年の試験貯水で周辺に地滑りが起き、さらに37世帯が移転。対策で完成は10年遅れた。過疎化も進み、川上村の人口は1960年の約7600人から約1700人に減った。
 村立川上小学校であった式には約600人が出席。国交省の足立敏之・水管理・国土保全局長は「長い時間を要したことをおわびしたい。今後は地域の活性化に寄与したい」と述べた。
(写真)計画から半世紀を経て完成した大滝ダム(奈良県川上村で、本社ヘリから)=河村道浩撮影

計画から半世紀 大滝ダム完成 あす式典 奈良

(産経新聞奈良版 2013.3.22 )  http://sankei.jp.msn.com/region/news/130322/nar13032202160002-n1.htm国土交通省近畿地方整備局が川上村で建設を進めてきた大滝ダムの完成式典が23日、現地などで開かれる。
洪水を防ぐダム建設をめぐっては、平成15年の試験貯水の影響で付近の地区に亀裂が発生し、住民が移転を強いられた経緯もある。約半世紀にわたるダム計画は曲折を経て、ようやく4月に本格稼働する。

紀伊半島南部の紀ノ川流域は、台風などで過去に何度も洪水被害に見舞われていた。
奈良、和歌山両県で昭和34年、130人が死亡、住宅9千棟以上が床上浸水するなど被害をもたらした伊勢湾台風を機に37年、大滝ダムが計画され、40年に着工された。
反対運動なども受けたが、ダム本体は平成14年に完成した。翌年、安全性を検証する試験貯水が行われた際、ダム上流の川上村白屋地区の家屋や壁、地面などで亀裂が発生。地区の37世帯が移転を余儀なくされ、試験貯水は中断された。
元住民らは19年、国に慰謝料を求めて提訴。23年7月、国に1200万円の賠償を命じた大阪高裁判決が確定した。
一方、整備局は周辺の地滑り対策工事を実施し、23年11月に完了。試験貯水を再開し、昨年6月に終了した。総貯水容量は8400万立方メートル。総事業費は当初の230億円から、15倍となる約3640億円に膨らんだ。
紀ノ川下流の和歌山県岩出市では、「150年に1度」の大雨に見舞われた場合、毎秒1万6千立方メートルの水が流れると想定している。
上流の複数のダムで毎秒4千立方メートルを洪水調節し、このうち大滝ダムは毎秒2700立方メートルを一時的に貯めることができる。大滝ダムは、こうした洪水防御のほか、水道用水や工業用水の提供、水力発電なども目的としている。
23日は、事前に募集していたダム湖の名前を刻んだ記念碑の除幕式などを予定している。

<大滝ダム>半世紀かけ完成…事業費、計画の16倍 奈良 (毎日新聞 2013年3月23日)  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130323-00000063-mai-soci(写真) 完成した大滝ダム=奈良県川上村で2013年3月23日、本社ヘリから後藤由耶撮影
奈良県川上村の吉野川(紀の川)に国が建設していた大滝ダムが、計画からほぼ半世紀ぶりに完成し23日、記念式があった。
03年に試験貯水を始めたが、地滑りが発生し、その対策などで完成が大きく遅れた。当初の計画では、事業費は230億円だったが、工事費や用地補償費の拡大などで、最終的には約16倍の3640億円に膨らんだ。
大滝ダムは洪水調整、利水、発電のための多目的ダム。奈良、和歌山に水道水を供給する。堤は高さ100メートル、長さ315メートル。貯水量は8400万立方メートル。
ダムは1962年、国が計画を発表。59年の伊勢湾台風で奈良、和歌山両県内の同川流域で死者、行方不明者130人の被害が出たことがきっかけだった。
住民は土地を奪われ将来の生活に不安を感じるとして、激しく反対運動を展開したが、65年に着工し、493世帯が離村した。現在の村人口は60年の5分の1ほどの約1700人に減った。
また、03年の試験貯水では、同村白屋地区で地滑りが発生し、住民37世帯、77人が村内外に移転して、対策工事を繰り返した。11年には大阪高裁で、ダム建設を巡って国に賠償を命じる判決も出された。
この日、ダム湖を「おおたき龍神湖」と名付けて自然石に刻んだ碑の除幕式がダム湖近くであった。式には約400人が出席し、栗山忠昭村長(62)が「今日から日本一きれいな水源地の村に挑戦する」とあいさつした。【栗栖健、岡奈津希】
「ダムと共生」村民感慨 大滝ダム完工式
(読売新聞奈良版 2013年3月24日 )http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nara/news/20130323-OYT8T01012.htm◆「おおたき龍神湖」碑除幕
川上村の村立川上小などで23日行われた完工式では、国土交通省近畿地方整備局、県、村のトップが、ダム建設に協力した地元への感謝の言葉を口にした。約600人の出席者は巨大なダムのこれからに思いをはせた。
同整備局の谷本光司局長は「ダムの完成は、先祖代々の土地を提供してくれた方々のおかげです」とあいさつ。荒井知事や和歌山県の仁坂吉伸知事は様々な曲折があった事業を振り返り、「皆様の苦労がようやく実りました」と述べた。
栗山忠昭村長は「建設への理解をいただいた地元に心から感謝し、ダムとの共生を図ります」と述べた。
公募したダム湖の名前は、205点の中から同村職員吉田志帆さん(35)の「おおたき龍神湖」と決まり、ダム右岸で、同小児童らも参加した記念碑の除幕式があった。
前村長で8期32年、ダム建設に取り組んだ大谷一二(いちじ)さん(88)は、「ダムはこれから、多くの人命を災害から救うでしょう」と期待した。


ダム完成、地権者思いはせる 奈良・川上で記念式典
(朝日新聞奈良版 2013年3月24日) http://digital.asahi.com/area/nara/articles/OSK201303230194.html?ref=comkiji_txt_end_s_kjid_OSK201303230194

(写真)ダム湖の名称「おおたき龍神湖」の湖名碑を除幕する地元の小中学生たち=川上村大滝
 (写真)感謝状を受ける大谷一二前村長=川上村西河
 【菱山出】1959年の伊勢湾台風をきっかけに建設された川上村の大滝ダムが完成した。23日に現地であった記念式典には荒井正吾知事や和歌山県の仁坂吉伸知事、自宅が水没した地権者ら約600人が出席。
 「東の八ツ場(やんば)、西の大滝」と言われる激しい反対運動を経て、完成までに半世紀もかかった巨大構造物の経緯に思いをはせた。
 ダムのほとりでは、ダム湖の名称披露と湖名碑の除幕式があった。148人、205点の応募があり、村職員吉田志帆さん(35)=大淀町=の「おおたき龍神湖」に決まった。
 川上小学校体育館であった式典では、主催者を代表して国土交通省近畿地方整備局の谷本光司局長が「先祖伝来の土地を苦渋の決断で提供していただいた地権者に深く感謝します」、
 地元を代表して栗山忠昭村長が「水没者、用地協力者、村民に心から感謝します。ダムと共生し森を守り、美しい水を流したい」とあいさつした。
 80年から8期32年間村長を務め、81年にダム本体工事着工に同意した大谷一二(いちじ)・前村長に国土交通相の感謝状が贈られた。大谷氏は「感無量です。32年間務めて一番良き日を迎えた」と語った。
 昨年12月の衆院選に奈良4区から立候補し落選した民主党前衆院議員の大西孝典氏(56)も出席。実家がダム湖に沈み、政治家を目指す原点になった。「ダムの恩恵を受ける人に喜んでもらい、多くの家が沈みがいのあったよう、運用して欲しい」と話した。

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