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常総はいま 鬼怒川決壊1年(連載記事) (東京新聞茨城版 2016年9月13~15日)

2016年9月19日
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昨年9月の台風18号では鬼怒川下流部で堤防が決壊し、常総市を中心に凄まじい被害を受けました。鬼怒川水害は深い傷跡を残しています。被災地の現状をとらえた東京新聞茨城版の連載記事(上)(中)(下)を紹介します。

総はいま 鬼怒川決壊1年(上) 「みなし仮設」適用残り1年

(東京新聞茨城版 2016年9月13日)

(写真)水海道地区の幹線道路沿いに広がる、レストランや住宅が解体されたままの空き地=常総市で

「みんな戻ってきてほしいからね。空き地のままでは寂しい」。鬼怒川の決壊現場で十世帯の住宅が流されたり傾いたりして、広い更地になったままの常総市三坂町の上三坂地区。八月下旬の夕方、雑草が生い茂らないよう、区長の秋森二郎さん(69)が一人で除草剤をまいていた。

 自宅を失い、市内のみなし仮設住宅で暮らす前区長の渡辺操さん(71)が、車で立ち寄った。ねぎらうように秋森さんに缶コーヒーを差し出した後、嘆いた。「とにかく二年じゃあ、どうにもならないよな」

 全壊の十世帯は、いずれも市内や近隣市内で、公営住宅や民間住宅を借り上げた「みなし仮設」で生活する。制度上、適用期間は原則二年で来年秋までだ。

 「先祖代々ここに住み、墓もある。みんな、やっぱり戻りたい。期限までに自宅を完成させるなら、来年五月ごろに着工したいが、みんな、それまでに着工できるかどうか。六十歳を過ぎたらローンも組めない」と渡辺さんは心配する。

 市によると、避難生活を続ける市民は九月八日現在、七十八世帯の百九十六人。市幹部も「一年後も住宅のめどが立たない人は多いだろう。数世帯なら市営住宅でいいが、何十世帯も、どこに入居してもらえばいいのか」と懸念する。

 渡辺さんは、みなし仮設の期間延長を行政に求めようと考えている。

     ◇

 市によると、人口は八月末現在、一年前より八百三十四人減った。うち日本人は千六十八人減少した。

 外国人は、逆に二百三十四人増えた。支援団体によると、自宅アパートの浸水で市外へ転出した人も多いが、人材派遣会社から次々と別の外国人が派遣されてくるという。

 浸水被害が大きかった地区には今も、建物を解体したままの更地が点在する。アパートの多い地区は、人口減少が目立つ。

 常総市森下町の自治会加入者は、五百一世帯から三十世帯減った。区長の男性は「加入していないアパート住まいの世帯も多い。市の広報紙を配ると、大量に余る。減ったのは百世帯ぐらいだろう」。

 被災者を支援するNPO法人「コモンズ」の横田能洋(よしひろ)代表(49)は、市外の親族の家に移ったお年寄りの女性をよく覚えている。

 女性はコモンズの活動拠点の近くで一人暮らしをしていて、自宅が床上浸水した。大勢のボランティアが片付けてくれた。しかし、敷地が借地だったこともあり、自宅の修理をあきらめ、住み慣れた土地を去ったという。

 コモンズは現在、空き家を生かし、高齢者ら向けの「見守り付き共同住宅」を計画中。横田さんは「つくば市のアパートに入れたからいいとは思わない。自宅は無理でも、せめて近くに安心して住める環境をつくりたい」と考えている。

 昨年九月の常総水害から一年がたった。被災地の今を探った。 (宮本隆康)

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常総水害 昨年9月の関東・東北水害で、常総市内で鬼怒川の堤防が決壊したり、水が堤防を越えたりしたため、市域の約3分の1に当たる約40平方キロメートルが浸水。約10日間にわたり広範囲で水に漬かったままになった。4000人以上が救助され、市内で2人が死亡、44人が負傷。住宅5023棟が全半壊した。


常総はいま 鬼怒川決壊1年(中) 人口減や買い控え続く 

(東京新聞茨城版 2016年9月14日)

 写真)シャッターを閉めた店舗が目立つ中、「がんばろう常総」ののぼりが掲げられた商店街=常総市で

「当面の間、夜の営業は金、土、日曜のみにします」。常総市森下町のそば店の入り口に、張り紙がある。「店を開けても、平日の夜は全然お客さんが来ないから」と、店主の名取勝洋さん(63)が語る。

 店は一年前、胸の高さまで浸水した。名取さんは「一カ月で営業再開」を目標にした。床や壁などを交換し、知人に片付けを手伝ってもらい、自分で壁の塗装もした。目標通り、十月十日に再開できた。

 「十一月に一週間、試しに夜、営業したが、全然駄目だった」と振り返る。町内はアパートが多く、水害で百世帯が引っ越したとも言われる。日中は県外からも客が来てにぎわうが、地元住民が主になる夜は、以前の客足は戻っていない。

 商工業を担当する市職員は「多くの市民が何百万円もかけ、自宅を直したり車を買い替えたりした。買い控えが広がり、小売店や飲食店は売り上げが落ちている。人口が流出した地区は特に厳しい」と指摘する。「私だって車二台が水没した。妻に『飲みに行っている場合ですか』と言われれば、返す言葉がない」

     ◇

  市商工会によると、二〇一五年度に退会した会員企業は八十七社。このうち約四十社は、水害が原因の廃業とみられる。

 経営指導員は「経営者が高齢で後継者がいなければ、水没した機械などを買い替えても、費用を回収できない。大多数は、家族経営の小規模な零細企業。水害で廃業が十~十五年ほど早まった」と説明する。

 水害から一年たったが、今になって「やっぱり廃業する」と断念する企業もあるという。再開した企業も、市内の得意先も苦しかったりして、売り上げが戻らない場合が多い。

 「一時期よりは落ち着いたが、まだまだ企業は苦しんでいる」という。

     ◇

  常総市本石下にある老舗酒造会社「野村醸造」の酒蔵の居住部分は、今も床を外したままだ。直せないのではなく、古民家レストランとして改修を計画中。「創造的復興を目指している」と野村一夫社長(62)は話す。

  酒蔵は水害で浸水し、酒造りに欠かせない「こうじ室(むろ)」にも水が入った。県内の酒造会社の従業員やボランティアら延べ約五百人が、泥かきをして片付けを手伝った。昨年十一月に新酒を仕込み、年末の出荷にこぎ着けた。

 「三十年以上、この仕事を続けているが、去年、しぼりたての新酒ができた瞬間は格別だった」

  築九十三年の酒蔵を壊すことも考えたが、居住部分を飲食スペースに変えることを思い立った。地場産の野菜や肉を使った料理を出す店として、来年春の開店を目指す。

 「ライバルだったはずの蔵元や、大勢のボランティアに助けてもらった。取引先のスーパーも出荷再開を待ってくれた。恩返しと感謝の気持ちを込めて、復興する」。野村さんはこう言い切った。
(宮本隆康)

常総はいま 鬼怒川決壊1年(下) 離農相次ぎ、進む農地集約

(東京新聞茨城版 2016年9月15日)

 (写真)水害から1年後も変わらず稲刈りをする農家=常総市で

 黄金色に染まった水田地帯で、稲穂が揺れ、コンバインが進む。一年前、がれきや土砂が流れ込んだ常総市の水田に、例年と変わらぬ光景が戻ってきた。常総市川崎町の農業生産法人「ひかりファーム常総」の事務所は、今まで以上に忙しい稲刈りシーズンを迎えている。

  ひかりファームは、JA常総ひかりの子会社。高齢化した農家などから耕作を請け負っていて、水害以降は依頼が急増した。

  「水没した農業機械を買い替えられず、高齢化で後継者もいない農家が目立つ」と担当者。十五戸から計十三ヘクタールの依頼があり、耕作面積は約四十五ヘクタールから一気に約六十ヘクタールに増えた。

 市によると、「農地中間管理機構(農地バンク)」を通じて耕作を依頼した農家は今年二月以降、二十五戸。前年の十一戸から倍以上増えた。面積も前年の計十二ヘクタールから、計二十五ヘクタールと二倍になった。

 農家が離農する場合、農地バンクやJAよりも、知人の農家に直接、耕作を頼むケースが多いという。水害で離農した農家は、もっと多いとみられている。

     ◇

 県のまとめや市の推計では、鬼怒川東側で約千五百ヘクタールの農地が水害で浸水した。農機具の被害額は、四百六戸で計約二十八億円に上った。

 当初から小規模な兼業農家の離農は予想された。さらに大規模な専業農家も被害が大きければ、離農者の農地の受け入れ先がなくなる。耕作放棄地の大量発生が懸念されていた。

 農地百十二ヘクタールで復旧工事が実施され、田植えシーズンに何とか整備が間に合った。農業機械の買い替えや修理にかかった費用の六割は補助された。本年度の鬼怒川東側の米の作付面積は、千七百三十ヘクタールになり、例年並みを維持できた。

 市の担当者は「農地の耕作依頼が進んだし、離農も予想より出なかった。赤字だけど農業機械を買い替えた、という年金暮らしの兼業農家さえいた」と胸をなで下ろした。

     ◇

 「『もうダメかな』と最初は思った」。常総市三坂新田町の専業農家、瀧本進さん(70)は水害直後を振り返る。

 瀧本さんによると、水没して使えなくなったコンバインだけで、被害額は約千六百万円。さらにトラクター二台、田植え機、もみすり機、乾燥機三台、トラックも水没。被害総額は五千万円以上だった。

 公的補助のほか、保険金も受け取れると分かり、農業を続けることを決めた。「かなり借金もしたが、ある程度、返せる見通しが立った」という。

 所有する農地のほか、周囲の農家からも耕作を依頼され、約三十ヘクタールを耕作している。「請け負った以上、やらなきゃいけないし、自分がやめれば相手も困る。まだやめられない。自分の農地は守る」と笑った。 (宮本隆康)

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