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【川辺川ダム計画の今 中止表明から10年】インタビュー記事(1)~(6)

2019年9月23日
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民主党政権が球磨川流域の川辺川ダム計画の中止を表明して丸10年になります。熊本日日新聞の連載のインタビュー記事(1)~(6)を掲載します。

(1)中止を表明した当時の前原誠司国土交通大臣

(2)和田拓也・五木村長

(3)流域郡市民の会・木本雅己・事務局長

(4)九州地方整備局 浦山洋一・河川調査官

(5)松岡隼人・人吉市長

(6)蒲島郁夫・熊本県知事

2009年9月当時、前原国交大臣は八ッ場ダムの中止と全国の143ダムの見直しも明言しましたが、その見直しを河川官僚に丸投げしたため、八ッ場ダムをはじめ、問題ダム事業がダム検証の結果、推進となりました。
また、記事の中で、「「ダム事業の廃止等に伴う特定地域の振興に関する特別措置法案」(ダム中止法案)を打ち出した」とありますが、この法案は前原氏が主導したものではありません。
民主党の「八ッ場ダム等の地元住民の生活再建を考える議員連盟」(会長:川内博史衆議院議員)が2011年9月に「ダム事業の廃止等に伴う特定地域の振興に関する特別措置法案」(仮称)を発表し、その後、この法案をベースにしてつくられた「ダム事業の廃止等に伴う特定地域の振興に関する特別措置法案」が2012年3月に閣議決定され、国会に上程されました。しかし、審議されないまま廃案になりました。

蒲島氏は来年春の熊本県知事選で4選の出馬をすることになっています。
蒲島氏は2008年9月に川辺川ダムの白紙撤回を表明しましたが、彼自身は脱ダム派でもなく、ダム懐疑派でもありません。
必要性がない県営・路木ダム(天草市)の建設を強引に進め、県営の荒瀬ダムについても潮谷義子・前知事が決めた撤去方針を一度は撤回しようとしました。
また、電源開発の瀬戸石ダムも荒瀬ダムと同様に流域住民が撤去を熱望しているにもかかわらず、その水利権の更新に何の条件も付けずに同意しました。
さらに、問題ダム事業である国交省・立野ダム事業(阿蘇村)を推進する側に立ちました。
川辺川ダムについても蒲島氏のシナリオは東京で開いた有識者会議の結果(8人の委員のうち、5人がダム推進)に沿って、「苦渋の選択でダム推進」というものであったと思いますが、
知事が見解を述べる前に、人吉市長と相良村長が白紙撤回を表明したことにより、蒲島氏も白紙撤回を表明せざるを得なくなったと想像されます。

 

【川辺川ダム計画の今 中止表明から10年】(6)蒲島郁夫知事 結論急がず、対立の歴史解消
(熊本日日新聞2019年9月23日 10:09) https://kumanichi.com/feature/kawabegawa/1197594/

(写真)かばしま・いくお 鹿本高卒、ハーバード大大学院修了(政治経済学博士)。東京大大学院教授を経て、2008年の県知事選で初当選し3期目。72歳。

蒲島郁夫知事は初当選から半年後の2008年9月、県議会で「現行計画を白紙撤回し、ダムによらない治水対策を追求するべきだ」と、国営川辺川ダムの建設反対を表明した。

「治水安全度を上げるにはダムしかないというのは河川工学的には正しいだろう。だが『球磨川そのものが宝』と考える流域住民の誇りを大事にした。川辺川ダムは対立と苦難の歴史。全員の理解を得るのは難しかったが、ダムによらない治水を極限まで追求するという結論は、今もまったくぶれていない」

建設反対表明からほぼ1年後、自民党から旧民主党に政権交代。民主党は09年9月、マニフェストに掲げた川辺川ダムの建設中止を明言した。

「結論は自民党政権でもひっくり返すことはできなかったのではないか。最大の気掛かりは五木村の振興だった。ダム関連事業の五木村振興の予算がなくなると困ると、ひそかに当時の福田康夫首相と3回面会した。その結果、ダム建設事業からダム調整事業に名称が変わり、予算が付いた。だから川辺川ダムの名称は予算を残すためにも重要だ」

建設反対表明直後から「ダムによらない治水」の協議を国や球磨川流域12市町村とスタート。6月には堤防かさ上げや遊水地設置などを組み合わせた10案を示したが、10年以上たった今も結論は見えていない。

「極限まで追求するのは時間がかかると当初から思っていた。国は今もダムが一番の治水対策だと信じているはずだ。ハード面もソフト面も治水安全度は徐々に上がっている。かつてはダム以外の選択肢がなく、他の方法は検討できなかった。治水安全度が上がらないじゃないかと結論を急げば、ダム復活論が必ず出てくる。時間はかかっても、対立の歴史を解消することが大事だ」

川辺川ダムの建設反対の一方、潮谷義子前知事時代に撤去が決まった県営荒瀬ダム(八代市)の存続方針を一時打ち出したが、翻意して撤去。国の立野ダム(南阿蘇村、大津町)は建設を推進し、22年度中の完成を目指す。

「ダムはそれぞれ違う。荒瀬ダムは当初、撤去費が調達できなかったため、財政状況が回復するまで待った方が良いと考えた。その後、水利権更新が困難になり、環境省や国交省から支援を受けて撤去した。住民に喜んでもらえたと思う。立野ダムは流域市町村が建設を望んでいた。地域の幸福量の最大化を基準に、多様な状況に合わせて判断してきた結果だ。政治は正しいことは一つだけでない」

旧民主党政権が川辺川ダムと同時に建設中止を表明した八ツ場ダム(群馬県)は、地元知事の反発を受け民主党政権が撤回し、20年3月の完成が間近だ。滋賀など4府県知事が中止を求め国が一時凍結した大戸川ダム(大津市)は、滋賀県の三日月大造知事が方針転換し、再開に向けて動き始めた。

「八ツ場ダム建設中止の撤回は、民主党が政権交代への期待感と自分たちの力量のギャップを見誤った結果だろう。政権交代したからすぐ中止するというのは拙速で、もう少し住民の思いを理解すべきだった。大戸川ダムは、それぞれの知事が悩みながら決断したと思う」

「川辺川ダムも知事の決断によって復活するという可能性が残っているのは確か。だが少なくとも私が知事である限り、それは絶対しない。繰り返すが対立の歴史に逆戻りさせてはいけない。以前は国とも対立していた。そのままなら震災対応もできなかっただろう」(聞き手・高宗亮輔)=終わり


【川辺川ダム計画の今 中止表明から10年】(5)代替治水案 丁寧に議論 松岡隼人・人吉市長

(熊本日日新聞2019年9月22日 06:16)https://kumanichi.com/feature/kawabegawa/1195485/
(写真)まつおか・はやと 熊本大卒。人吉市議だった2015年、人吉市長選に立候補し、現職田中信孝氏らを破って初当選した。2期目。42歳。

球磨川では、1963年から65年にかけて3年連続で大水害が発生し、旧建設省が川辺川ダム計画を発表するきっかけとなった。ダムの最大受益地とされる人吉市をはじめ流域市町村は、ダム建設促進協議会をつくり、建設を後押ししてきた歴史がある。
「流域では『是が非でもダムを』という声も強かったが、今はダムによる治水を強く訴える声は影を潜めたように見える。河床掘削や築堤などが進み、近年は越水がなかったことも一因ではないか。しかし、治水対策は今でも喫緊の課題。流域に線状降水帯が掛かれば球磨川は厳しい。実際に氾濫危険水位に達したこともある。促進協は現在、五木村の道路整備や振興をはじめとするダム関連予算、流域全体の治水対策の早期実現などの要望を続けている」
2008年9月、当時の田中信孝・人吉市長が定例市議会で「川辺川ダム計画そのものを白紙撤回すべきだ」と表明した。人吉市長として初めてダム建設を求めない姿勢を示したことが、蒲島郁夫知事のダム反対表明、前原誠司国交相の計画中止表明につながった。
「田中前市長も知事も、住民の声やいろいろな情報を踏まえて判断したのだと思う。自分はその後を引き継いだが、代替治水案について国や県、流域市町村でしっかり議論していくつもりだ。その過程で流域市町村の合意や、住民の民意を得ていくことが当然必要だと考えている」
今年6月、国と県がダムの代替策として、流域市町村に10案を投げ掛けた。10案が想定する洪水の規模は、川辺川ダムが掲げた80年に1度の規模ではなく、人吉地点で20~30年に1度の水害。これは65年7月の水害と同規模で、当時は人吉市や八代市などで1281戸が損壊・流失、2751戸が床上浸水した。流域では戦後最大の被害とされる。
「市民の命と財産を守るためには、安全度は高ければ高い方がいい。安全度を高める施策を国や県に働き掛けていく」
「ダムは治水安全度を高めるための手段の一つだが、川辺川ダム建設が必要だと言いたいわけではない。まずは10案の説明を聞き、一つ一つを精査していく。各案に長所と短所があり、市町村ごとに事情も異なるだけに丁寧な議論を重ねる必要があると考える」
頻発する豪雨を受けてソフト面の対策にも変化が起きている。気象庁は5月、避難の必要度を分かりやすく伝える5段階の警戒レベル表示を始めた。人吉市は18年11月、球磨川の氾濫時間を想定して関係機関の業務を整理した事前防災行動計画(タイムライン、TL)の運用を始めた。現在は支流氾濫や土砂災害を含む「複合災害」を想定したTL策定に着手している。
「災害対策に完璧はない。ダム計画が止まっているからTLを策定したわけではなく、ハード、ソフトの組み合わせで命と財産を守るためだ。球磨村や八代市でも本流のTLはあるが、支流を含めた検討は国内初。支流は傾斜が急で川幅も狭く、短時間で水位が上昇する。被害が出るなら、こちらが先だと判断した。福岡県朝倉市などを襲った豪雨災害(17年)も、急傾斜地の中小河川から被害が広がった」
「全国の被災地で『まさかこんなことになるとは』との被災者の声を聞くが、球磨川流域も水害を経験した住民は減りつつある。危機意識を持ってもらい、早い段階で逃げることが大事だ。そのための啓発活動に全力で取り組む」(聞き手・益田大也)


川辺川ダム計画の今 中止表明から10年】(4)全ての治水策、検討段階 国土交通省九州地方整備局 浦山洋一・河川調査官

(熊本日日新聞2019年9月21日 09:3)7 https://kumanichi.com/feature/kawabegawa/1194951/

(写真)うらやま・よういち 1983年、旧建設省に入省。熊本河川国道事務所白川出張所など、主に九州の河川事務所に勤務し、2018年4月から現職。熊本市出身。54歳。

蒲島郁夫知事の川辺川ダム計画への反対表明を受け、2009年に球磨川流域の「ダムによらない治水を検討する場」の協議が始まった。本会議12回を経て、15年3月からは「球磨川治水対策協議会」に形を変え、国と県、流域12市町村による議論が進む。
「『ダムによらない-』では現実的な治水案を議論してきたが、全ての案を実施しても他の国管理河川より治水安全度が低いことが分かった。そこで改めて1965年7月の洪水を基に、人吉地点で『20~30年に1度』の規模に対応できることを中期目標として今の協議会が始まった」

2009年9月、当時の前原誠司国土交通相が川辺川ダム中止を表明した。しかし、国交省が、その前の07年に策定した球磨川水系の「河川整備基本方針」はいまだに変更していない。1976年3月に策定した特定多目的ダム法に基づく「基本計画」の廃止手続きも取っていない。地元では「ダム復活」を警戒する声もある。
「中止はあくまでダム本体工事。基本計画は残っており、水没予定地の維持管理はダム関連事業として継続している。河川整備基本方針は横に置き、あらゆる治水対策を検討しようというのが今。その議論が終わっておらず、法的手続きを進める段階ではない」
旧民主党政権は2012年3月、五木村をモデルにダム中止に伴う地域住民の生活再建を支援する特別措置法案を閣議決定。川辺川ダムの中止が法的にも保障されるはずだったが、廃案になった。村はダム計画に伴い人口減と過疎化が著しい。
「五木村については11年6月、国、県、村の3者で生活再建を進めることで合意した。頭地大橋の建設など、継続していたダム関連4事業は全て終え、水没予定地の占用も村に認めている」

今年6月の第9回球磨川治水対策協議会で、国交省は「引堤」や「河道掘削」、「遊水地」の設置など、複数の対策を組み合わせた計10案を提示した。事業費は2800億円~1兆2000億円と幅がある。案によっては家屋移転を伴う自治体もあり、議論の行方は見通せない。
「難しい工事もあるが、検討を尽くした全ての対策をテーブルに載せた。いずれの案も中期目標は達成できる。市町村からは『遊水地をつくると優良農地が失われる』といったさまざまな意見をいただいている。議論を重ねて合意を得たい」
国は、「ダムによらない-」で出た意見を踏まえ、年間15億~20億円程度を投じて宅地かさ上げや、堤防補強などを進めている。ただ、近年は、西日本を中心に記録的豪雨が頻発。協議会が目標とする「20~30年に1度」の治水安全度で対応できるのか疑問も残る。

「できる対策は進めており、安全度は着実に上がっている。球磨川に限らず、どの川でも目標を超える洪水を想定しなければならない。ハード対策で全てを守れるわけではないが、確実に被害を減らすことはできる。まず中期目標を達成し、ソフト対策と併せて段階的に治水効果を上げることが重要だ」
2008年8月、ダムの是非の決断を控えた蒲島知事に、当時の九州地方整備局長は「ダムを建設しないなら、流域住民に水害を受忍していただかざるを得ない」と迫った。 「当時はそのようなスタンスだったのだろうが、ダムを除外して検討を進めるというのが今の状況だ。ダム以外の議論を深め、協議会で合意を得ることがわれわれの一番のミッションと考えている」(聞き手・臼杵大介)


【川辺川ダム計画の今 中止表明から10年】(3)清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会 木本雅己・事務局長 住民の声聞く努力を

(熊本日日新聞2019年9月19日 09:13) https://kumanichi.com/feature/kawabegawa/1192252/

(写真)きもと・まさし 30年以上にわたって、川辺川ダム建設中止を訴え続けている。「清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会」結成メンバーで、2009年から事務局長。人吉市在住。会社役員。68歳。

人吉市は治水目的の川辺川ダムで最大の受益地とされるが、4月の市長選でダム問題は争点にならなかった。立候補した元職の田中信孝氏は市長だった2008年、「市民の多くがダムに否定的」と発言。相良村の徳田正臣村長の反対表明とともに、「流域の総意に基づく」とされたダム建設の意義を揺さぶった。こうした流れがその後、蒲島郁夫知事の反対表明、国の建設中止表明へと続いた。
「ダム計画は休止した状態だが、蒲島知事の反対表明で、市民に『川辺川ダムはもうできない』という意識が広がった。今回、市長選の争点にならなかったのも、市民が、もうダムを政治的な問題としてとらえていないことの表れだろう。ただ、ダム反対の気持ちが市民から消えたわけではない」
川辺川・球磨川流域では、建設省(当時)のダム計画発表以来、市民らによる建設反対運動が続いた歴史がある。1993年8月に発足した「清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会」(略称・手渡す会)も反対を訴えた住民団体の一つだ。2001~03年まで計9回開かれた住民討論集会では、住民側の取りまとめ役も務めた。
「当時の会員は、きれいだった球磨川や川辺川のことを知っている人たちが中心だったが、この10年で次々に亡くなった。会員に限らず、『絶対に川を守らないかん』と危機意識を持つ人が少なくなってきている。高齢化はどうしようもない」

08年の蒲島知事のダム計画反対表明後、国と県、流域12市町村長らによる「ダムによらない治水を検討する場」、続く「球磨川治水対策協議会」が、ダムに代わる治水策を検討してきた。今年6月、国と県は複数の治水対策を組み合わせた10案を提示したが、一昨年の意見公募で提案された、コンクリートと鋼矢板による堤防かさ上げと地下遊水地の設置案は組み込まれなかった。
「堤防や地下遊水地については別の見解もあるが、住民の声が届かなくなっているのは事実。大事なのは洪水のメカニズムなど、もっと川のことを知ることだ。私たちは『森のことを考えて、川をちゃんと見て』と言い続けている。協議会に欠けている部分だ。今の協議の在り方だと、行き着く先は結局ダムになるだろう」
この10年。県内では荒瀬ダムが撤去され、白川では治水専用の立野ダムの建設が進む。滋賀県では4月、09年に計画が凍結された大戸川[だいどがわ]ダム(大津市)について、知事が建設容認の姿勢に転じた。

「政治は怖い。住民の意見を集約するのは難しいとは思うが、国はもっと聞く努力をするべきだ。特に、川の近くで暮らす人の声に耳を傾けないといけない。今は雨の降り方も予測がつかなくなっている。確率論から始まった治水論をいくら積み上げてみても、住民の意識とかけ離ていくばかりだ」
この10年の間に、約1800人いた「手渡す会」の会員は3分の1ほどに減少した。それでも、毎月第2月曜に人吉市の事務所「くま川ハウス」で勉強会を開き、球磨川や川辺川でのフィールドワークも続けている。
「今度、国がダムを持ち出すときは“穴あきダム”だろう。蒲島知事はダム反対表明に際し、球磨川を『守るべき宝』と言った。自然豊かで、古くからの文化を大切にする地域として人吉球磨が認知されるために、これからも熊本の知事には、川辺川にダムを造らせないよう、国に働き掛け続けてほしい」(聞き手・吉田紳一)

 

【川辺川ダム計画の今 中止表明から10年】(2)和田拓也・五木村長 村再建へ厳しさ続く
(熊本日日新聞2019年9月18日 09:38) https://kumanichi.com/feature/kawabegawa/1190903/

(写真)わだ・たくや 村建設課長、企画振興課長、助役を歴任。07年の村長選で初当選し、現在3期目。10月6日投開票の村長選には、不出馬を表明している。72歳。

1966年、建設省(現・国土交通省)が発表した川辺川ダム建設計画は、五木村の中心部を水没させる構想だった。以降、村では水没予定地を中心に離村者が急増。過疎化が村全域で進行した。

「五木村は発電ダム建設を反対運動で撤回させた経験があり、村民には、川辺川ダムも阻止できるだろうという思いがあった。だが、治水中心のダムに県や流域市町村からも必要との声が上がり、最終的にダム計画を受け入れた。県や国によるダム計画の凍結は、『ダムありき』で地域振興を進めていた村にとって、はしごを外された形。時の政治に翻弄[ほんろう]されたと思っている」

2009年の民主党政権による計画中止表明後も、村の人口減少は続く。60年代に6千人超だった人口は、今年8月末時点で県内最少の1075人にまで減った。65歳以上の割合を示す高齢化率も、17年10月時点で県内で最も高い49%。商店も衰退し、村民の多くは現在、人吉市まで買い物に出掛けているという。

「村として一番困ったのは、国の目的は治水のためのダム建設であり、村の振興ではなかったことだ。ダム建設と引き換えに国が補償するはずだった事業は止まった。ダム計画を止めた当時の前原誠司国土交通相が言及した補償法案も、結局策定されていない。現状を考えるとダム計画が最初からなかったらよかったのに、と思う。急激な人口減少で財政は硬直化した。水没予定地にあった昔の風景が残っていれば観光にも活用できたはずだ」

村と県は09年、18年度を期限とした地域振興計画「ふるさと五木村づくり計画」を策定し、観光に力を入れた。国が買収した水没予定地を村が賃借し、村営公園「五木源パーク」と宿泊施設「森と渓流ITSUKI STAY」を整備。頭地代替地には村歴史文化交流館「ヒストリアテラス五木谷」を造った。振興計画策定前の08年に12万6951人だった観光客数は、17年には約37%増の17万4271人になるなど実を結んでいる。

「林業従事者を増やすのは難しいし、企業誘致ができるような地域でもない。村の活性化には山村の風景や子守唄を生かした観光業を発展させ、交流人口の増加を村全体の所得向上につなげる必要があった。一定の効果は出ているが、観光客1人当たりの消費額が少ないという課題が残っている。水没予定地の未整備エリアをできるだけ早く完成させ、農産物の販売や観光客の宿泊が増加すれば、村の発展につながるはずだ」

振興計画に基づき、移住促進策にも取り組んでいるが、人口減少に歯止めをかけるには程遠い。住民の活力維持のため、村のさらなる振興は喫緊の課題となっている。

蒲島郁夫知事が今年3月、振興計画の5年間延長と、総額3億円の財政支援を表明。村と県は6月、観光や林業の活性化、定住促進に事業を重点化する新たな実施計画の住民説明会を開いた。

「村の再建は厳しい状態が続いている。今後も観光業や林業、シイタケなど特産物生産を中心に村民の雇用を図り、人口減少に歯止めをかけないといけない。大切なのは人口構成。15歳以上65歳未満の生産年齢人口が少なくとも500人残り、高齢化率が40%以下で推移するなら村を維持することができる。そこへ向かうための基礎、土台はこの10年でできたと思う。計画に基づく3億円の補助事業も活用していくことになるだろう」(聞き手・小山智史)

 

【川辺川ダム計画の今 中止表明から10年】(1)前原誠司元国交相 再度建設方針、あり得る
(熊本日日新聞2019年9月17日 09:44) https://kumanichi.com/feature/kawabegawa/1189804/

(写真)まえはら・せいじ 京都大卒。京都府議を経て、1993年、衆院初当選。民主党政権で国交相、外相、国家戦略担当相などを務めた。京都2区。当選9回。国民民主党。57歳。

球磨川流域の川辺川ダム計画は、民主党政権が中止を表明して、17日で丸10年を迎えた。計画発表から半世紀近い時を経た中止表明は、大型公共事業の在り方に一石を投じたが、ダムに代わる治水対策や水没予定地だった五木村の振興など多くの課題を残す。連載「川辺川ダム計画の今」は関係者へのインタビューで現状に迫る。初回は中止表明した当時の国土交通相・前原誠司衆院議員に聞いた。

蒲島郁夫知事が川辺川ダムの建設反対を表明した1年後。2009年に発足した民主党政権で初代となる国交相となり、9月17日の就任会見で同計画の中止を表明した。

「ダム計画は一度決まったら止まらない公共事業の象徴だった。計画決定から40~50年たっても本体工事に至らず、周辺環境が大きく変わったダム事業は見直しが当然と考えた。川辺川ダムは、潮谷義子元知事が慎重姿勢を貫き、蒲島知事は明確に反対を示した。地元と同じ方向で進むことができた」

中止表明の10日後、水没予定地を抱える五木村を視察。「再びダムに戻ることはない」と明言し、村の生活再建事業を完遂するための「ダム事業の廃止等に伴う特定地域の振興に関する特別措置法案」(ダム中止法案)を打ち出した。だが、閣議決定までは至ったものの、成立することはなかった。

「生まれ育った地域が水没する計画に賛成する人はいない。苦渋の決断でダム建設を受け入れた歴史がある。政治によって翻弄[ほんろう]し、申し訳ない思いでいっぱいだった。法案は中止後の生活を補償する仕組みで、川辺川を全国のモデルにする考えだった。成立できなかったのは、10年の参院選で大敗し、衆院とのねじれが生じて推進力が失われたのが原因だった」

川辺川ダムと同時に中止を表明した八ツ場ダム(群馬県)はその後、同じ民主党の野田佳彦内閣で建設再開に転換。自民・公明の連立政権に戻った15年に本体着工に着手し、20年3月に完成予定だ。

「それも国会のねじれの影響だ。国交省でダムの有効性を信じる勢力が勢いを取り戻し、私の後任の国交相が押された。マニフェストに掲げた公約を覆すのだから、私とすればはしごを外された形。民主党に対する『公約違反』の批判も高まり、じくじたる思いだった。だが本体未着工のダムを再検証し、実際に中止になった事業もある。止まらない公共事業に立ち止まる機会をもたらした点で意義があった」

川辺川ダムの中止表明から10年。国、県、流域市町村による「ダムによらない治水」の検討が続けられているが、結論には程遠い状況だ。

「地元で議論を重ね、結論を導いてもらうしかない。昨年7月の西日本豪雨では、愛媛県・肱川[ひじかわ]がダムの緊急放流であふれ、犠牲者が出た。人吉市を訪ねた際、住民から『市房ダムが完成して水位が急に上がるようになった』と聞いた。ダムが有効な雨の降り方があれば、そうでないケースもある。ダムの危険性を踏まえた科学的検討を求めたい」

川辺川ダム計画は治水代替策の議論が継続中として、特定多目的ダム法に基づく事業廃止の手続きはとられていない。

「川辺川の場合、事業費を負担する立場の県知事をはじめ、ダムなしの姿勢を貫く地元首長の存在が大きい。仮にダムを容認する首長が誕生すれば、再度、建設に方針が戻ることもあり得る。代替案が決まらないのは、国がダムでやりたいと思っているからではないのか」(聞き手・並松昭光)

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