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報道

“悪夢”が繰り返される可能性は? 1994年 「佐世保大渇水」 答はゼロ 

2020年12月11日
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1994年の「佐世保大渇水」の悪夢が繰り返される可能性?という記事をお送りしますが、この記事は問題の問いかけだけで、答が書いてありません。

その答は「繰り返される可能性はゼロ」です。

それは下図のとおり、佐世保市水道の給水量が1994年当時と比べて、大幅に小さくなっていて、同程度の渇水では給水制限をほとんど行わなくてもよいレベルになっているからです。


悪夢が繰り返される可能性は? 1994年 「佐世保大渇水」 石木ダム建設事業と水不足

(長崎新聞2020/12/6 11:00) https://this.kiji.is/708120468955774976?c=174761113988793844

 

(写真)少雨が続いた佐世保市では1994年8月1日に南部地区から給水制限が始まった。住民はバケツに水をため、節水を強いられた=同市大塔町

長崎県と佐世保市が東彼川棚町に計画する石木ダム建設事業。市は慢性的な水不足を理由にダムの必要性を訴える。引き合いに出されるのが1994年の「佐世保大渇水」。給水制限が264日間に及び、「佐世保砂漠」と呼ばれる事態に陥った。当時を振り返り、“悪夢”が繰り返される可能性はあるのか探った。

1994年8月1日。佐世保市には、目に見えない南北の“境界線”が引かれた。
空梅雨の影響で、水源に乏しい南部地区では貯水量が見る見る減った。市は水の供給を一定時間に制限する対策を決行。市職員ら約160人が、約8万1100人が暮らす南部地区へ向かい、各家庭や商店の止水栓を閉めて回った。
給水時間は1日10時間に設定。8月7日以降は5~6時間に短縮した。住民はこぞってポリタンクを購入。水が出る時間帯には職場を離れ、自宅の浴槽やバケツなどに水をためる姿もあった。シャワーや洗濯の残り水はトイレにも使い回し、節水を強いられた。
飲食店やホテルは大型タンクを設置するなどして営業を継続。学校や福祉施設、観光地…。あらゆる場所に影響は広がった。
住民の苦労や不安をよそに、太陽は容赦なく照り続けた。南部地区唯一の水がめ、下の原ダムの貯水率は20%を割り、さらに危険な水域へと入っていった。

■給水 1日わずか3時間 直近26年間は制限なし

佐世保の水不足は、急激に深刻さの度合いを増していった。
1994年8月24、25両日の計48時間、佐世保市は給水をわずか5時間に絞る措置を断行。さらに、26日以降は1日3~4時間に減らした。各地で渇水が問題化していたが、市の対策は「全国一厳しい」と言われた。水が出る時間帯は猫の目のように変わり、住民は困惑した。

(写真)給水時間に合わせた止水栓開閉作業の様子=1994年10月、佐世保市京坪町

市内の水道網は南部と北部で別々に敷設され、双方で融通ができなかった。
その境界にある稲荷町の理髪店は、わずか数百メートルの距離で南部に区分けされた。店長の瀬脇勝一さん(87)は「バケツのお湯を電動ポンプでくみ上げて洗髪していた。同じ市民なのに南北で生活環境がまるで違った」。店先から見える北部の町並みをうらやみながら眺めていた。
9月6日。給水制限はいよいよ15万1300人が住む北部地区に広がり、市内全域が対象に。市職員だけでは止水栓の開閉作業が間に合わず、10月25日からは各町内会に作業を委託した。祇園町一組の町内会長だった林俊孝さん(75)は「開栓が遅れると地域住民の関係が悪化しかねない。いやな仕事だった」。苦々しい表情を浮かべた。
水不足は消防活動にも影を落とした。各地の貯水池が干上がる可能性があり、消防隊員は担当区域を回り、消火に使えそうな水源を各自のノートにまとめ、警戒感を強めた。
給水制限下で惨事は起きた。12月4日早朝、市中心部の住宅地で火災が発生。いち早く駆け付けた60代男性は、ためていた水を掛けたが、「どうにもならなかった」。消防隊によって鎮火されたが、計4棟が全焼し、焼け跡から家族4人の遺体が見つかった。
当時消火栓は使用できる状態だったため、市消防局は「給水制限の影響はない」との認識を示した。ただ火災記録には初期消火は「なし」と記載された。現場にいた職員は言う。「放水は初期消火の基本。水道が使えない状況はリスクになる」
給水制限は翌年4月26日に解除され、市民はようやく渇水の長いトンネルを抜けた。市が投じた緊急対策費は約50億円に上った。その後も水不足の恐れは度々あったが、この26年間で、止水栓を閉める事態には至っていない。大渇水を教訓に南部と北部の水道管は一部連結され、一定量の融通が可能になった。
それでも、石木ダムの建設を推進する市民団体の寺山燎二会長(82)は「水源が乏しいことに変わりはない。ダムは暮らしの安心感になる」と訴える。
美容室を営み、当時、子育て中だった50代女性は「水がないと衛生環境を守れない。もし今渇水が起きたら、新型コロナウイルス対策との二重苦になる」と心配する。
石木ダムの建設で問題は解決するのか-。そう問い掛けると、女性は首をかしげて言った。
「それは分からない」

 

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