「皆さんと同じような普通の暮らしをしたい」石木ダム強制測量から40年【長崎・川棚】
石木ダム問題の40年間を振り返った長崎放送のニュース記事を掲載します。
なかなかの力作で、素晴らしい記事だと思います。31枚の写真で経過も知ることができます。
この記事を読んで、事業者に対して心底からの怒りが込み上げてきます。
40年間という本当に長い間、地元の人たちは、必要性が乏しい石木ダム事業によって苦しめられ続けてきました。
無意味な石木ダムは、何としても事業を中止させなければなりません。
「皆さんと同じような普通の暮らしをしたい」石木ダム強制測量から40年【長崎・川棚】
(長崎放送2022/5/24(火) 12:41) https://news.yahoo.co.jp/articles/0b9f624e3e295c40d3414b2c2cdd653342f7a681
長崎県川棚町に計画されている石木ダム事業で、40年前に県が行った機動隊を伴う現地測量は反対住民と行政との間に大きな溝を作る結果となりました。
今も続く反対運動の起点ともなった強制測量について振り返ります。
【写真を見る】「皆さんと同じような普通の暮らしをしたい」石木ダム強制測量から40年【長崎・川棚】
(31枚の写真を見ることができます。https://newsdig.tbs.co.jp/articles/gallery/52729?station=nbc )
今年3月、石木ダム建設予定地を訪問した大石 賢吾 知事。 ダム反対派の住民に就任の挨拶するためでした。
大石 知事「ダム建設では皆様に本当に大変な思いをさせてしまっていることに、私も知事として心苦しく思っております」
「話し合いをせずに強制執行した」刻まれた県に対する”不信感”
なぜ知事が心苦しく思うのか。
それは住民によるダム反対運動を激化させた要因が県の側にもあるからです。
「強制測量、阻止~」 強制測量が始まったのは1982年5月21日。 その1週間前に知事と話し合いをしたばかりでした。
「帰れ、帰れ」 県はおよそ150人の機動隊員を動員。ダムの測量を目指す県職員はバスの中にいました。
機動隊員「どきなさい、諸君の行為は違法行為だ」 道路に座り込み、行く手を阻む住民。 激しいもみ合いが続きながらも、県の測量班がじわじわとダム予定地に近づきます。 県職員「押していけ、押していけ」 反対住民との話し合いが進まず、業を煮やした県側の強硬策でした。
測量用の杭を打ち込む音「カンカンカンカン」 岩下 和雄さん(当時35)「県の方が自分たちから話し合いを言い出しておいて、話し合いをせずに強制執行してきたわけだから、県の方が話し合いを断ってしまったわけです。私達じゃなくて」 抗議活動に参加した岩下すみ子さんは、当時33歳。佐世保から嫁いで10年目でした。
今も反対派の櫓が残るこの道を歩いて現場に向かいました。
岩下 すみ子 さん「(当時の)写真を見てわかるごと、悲壮感溢れてますよね。何しろ初めてのことでしょ」 機動隊と向き合うのはこの日が初めてでしたが、強気の姿勢は崩しませんでした。 (当時の音声)「私たちを妨害しないでください」
岩下 すみ子 さん「怖かったですよ、みんな。どういうことが起きるんだろうかっていうような恐ろしさがありましたね」
自分たちの住む土地に県職員を入れないためのギリギリの抵抗が ”道路での座り込み” でした。
岩下 すみ子さん「人が途絶えないようにずっと並んでいましたね。排除されても排除されても、またやってくるっていう感じですね。私たちがね」 のべ7日間続いた強制測量。 抜き打ちだったうえ、年寄り・子どもにも容赦のない対応。 行政への不信感は一気に高まり、負の歴史として住民の心に深く刻みこまれました。
岩下 すみ子さん「かわいそうやったですね。子供たちにも小さい時から大変な思いをさせたねと思いますね。今思えばね」
ダム反対を訴える住民の中で最高齢の松本マツさん95歳です。
反対運動の拠点の1つ『団結小屋』に今も通い、ダム反対の意思を示しています。
松本マツさん「みんなは山でも頑張りよらすけん、(私も)頑張らんばねと思って、来れる間ですね。気持ちだけでもしっかりしていかんばねと思って」
40年前の強制測量の際には体を張って闘った松本さん。その時の痛みは今も忘れていません。
松本さん「機動隊って荒かもんね、いっぱい(人が)並んどるとに、踏みつけたごとして通って行きよったですもんね」
団結小屋の窓からは、県が去年からはじめた本体関連工事の現場が見えます。
徐々に削られていく山の姿を見て、怒りがこみ上げてくるといいます。
松本さん「コンクリート塀(堰堤)ばはめるとかねと思って、でもどこさん出ていくですね」
「普通の暮らしがしたい」反対活動を続けて40年
岩下さんも毎日、石木ダム関連の工事現場で座り込みを続けています。強制測量から40年、住民らはずっと反対運動を続けているのです。
岩下すみ子さん「私たちも普通の暮らしができてないですもんね、皆さんと同じような普通の暮らしをしたいと思いますね」
ダム予定地内にある住民らの土地・建物は、3年前、県に強制収用されました。
しかし住民らは補償金の受け取りを拒否。立ち退くことなく、そのまま住み続けています。
岩下すみ子「もう強制、強制で権力をかざしたような、こういう事業のあり方っていうのはね、考え直して欲しいですね。考え直す時期が来てると思います」
こうした中、今年、12年ぶりに新しい知事が誕生しました。
就任後、すでに2回、現地を訪れています。
住民「ここからずっとですよ、ホタルだらけ。ホタル川なんです」
大石知事「子供たちにもホタルが思い出ですね」
選挙の際は、石木ダム推進の立場を明らかにしていた大石知事ですが、先月は反対住民とともに水没予定地域を視察しました。
これまでの知事には見られなかった行動だけに、周囲には “戸惑い” とともに “期待感” も広がっています。
大石知事「まずはしっかりと、この地域で川原の皆様方が守られていらっしゃるもの…それをまずしっかりと見て感じてですね。そこを拝見したうえでしっかりとお話し合いをさせていただきたいと思ってますので」
岩下すみ子さん「ここをそんなにまでして強制的に奪ってまでもダムが必要かっていうことですよね。何回も話し合いを続けるとおっしゃったから、それに期待したいと思います」
住民と行政との亀裂を生んだ強制測量から40年を迎えた今年、住民が望む「ダムの必要性」に立ち返っての話し合いが実現するのか。
今後の動向が注目されます。
※今回の記事のため、大石 長崎県知事へ取材を申し込みましたが「今は住民との関係を構築している途中の大事な時期なので、今回の取材は遠慮させてほしい」として、考えを個別に聞くことはできませんでした。
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