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【川辺川ダム計画の今 中止表明から10年】インタビュー記事(1)~(6)
民主党政権が球磨川流域の川辺川ダム計画の中止を表明して丸10年になります。熊本日日新聞の連載のインタビュー記事(1)~(6)を掲載します。
(1)中止を表明した当時の前原誠司国土交通大臣
(2)和田拓也・五木村長
(3)流域郡市民の会・木本雅己・事務局長
(4)九州地方整備局 浦山洋一・河川調査官
(5)松岡隼人・人吉市長
(6)蒲島郁夫・熊本県知事
2009年9月当時、前原国交大臣は八ッ場ダムの中止と全国の143ダムの見直しも明言しましたが、その見直しを河川官僚に丸投げしたため、八ッ場ダムをはじめ、問題ダム事業がダム検証の結果、推進となりました。
また、記事の中で、「「ダム事業の廃止等に伴う特定地域の振興に関する特別措置法案」(ダム中止法案)を打ち出した」とありますが、この法案は前原氏が主導したものではありません。
民主党の「八ッ場ダム等の地元住民の生活再建を考える議員連盟」(会長:川内博史衆議院議員)が2011年9月に「ダム事業の廃止等に伴う特定地域の振興に関する特別措置法案」(仮称)を発表し、その後、この法案をベースにしてつくられた「ダム事業の廃止等に伴う特定地域の振興に関する特別措置法案」が2012年3月に閣議決定され、国会に上程されました。しかし、審議されないまま廃案になりました。
蒲島氏は来年春の熊本県知事選で4選の出馬をすることになっています。
蒲島氏は2008年9月に川辺川ダムの白紙撤回を表明しましたが、彼自身は脱ダム派でもなく、ダム懐疑派でもありません。
必要性がない県営・路木ダム(天草市)の建設を強引に進め、県営の荒瀬ダムについても潮谷義子・前知事が決めた撤去方針を一度は撤回しようとしました。
また、電源開発の瀬戸石ダムも荒瀬ダムと同様に流域住民が撤去を熱望しているにもかかわらず、その水利権の更新に何の条件も付けずに同意しました。
さらに、問題ダム事業である国交省・立野ダム事業(阿蘇村)を推進する側に立ちました。
川辺川ダムについても蒲島氏のシナリオは東京で開いた有識者会議の結果(8人の委員のうち、5人がダム推進)に沿って、「苦渋の選択でダム推進」というものであったと思いますが、
知事が見解を述べる前に、人吉市長と相良村長が白紙撤回を表明したことにより、蒲島氏も白紙撤回を表明せざるを得なくなったと想像されます。
【川辺川ダム計画の今 中止表明から10年】(6)蒲島郁夫知事 結論急がず、対立の歴史解消
(熊本日日新聞2019年9月23日 10:09) https://kumanichi.com/feature/kawabegawa/1197594/
(写真)かばしま・いくお 鹿本高卒、ハーバード大大学院修了(政治経済学博士)。東京大大学院教授を経て、2008年の県知事選で初当選し3期目。72歳。
蒲島郁夫知事は初当選から半年後の2008年9月、県議会で「現行計画を白紙撤回し、ダムによらない治水対策を追求するべきだ」と、国営川辺川ダムの建設反対を表明した。
「治水安全度を上げるにはダムしかないというのは河川工学的には正しいだろう。だが『球磨川そのものが宝』と考える流域住民の誇りを大事にした。川辺川ダムは対立と苦難の歴史。全員の理解を得るのは難しかったが、ダムによらない治水を極限まで追求するという結論は、今もまったくぶれていない」
建設反対表明からほぼ1年後、自民党から旧民主党に政権交代。民主党は09年9月、マニフェストに掲げた川辺川ダムの建設中止を明言した。
「結論は自民党政権でもひっくり返すことはできなかったのではないか。最大の気掛かりは五木村の振興だった。ダム関連事業の五木村振興の予算がなくなると困ると、ひそかに当時の福田康夫首相と3回面会した。その結果、ダム建設事業からダム調整事業に名称が変わり、予算が付いた。だから川辺川ダムの名称は予算を残すためにも重要だ」
建設反対表明直後から「ダムによらない治水」の協議を国や球磨川流域12市町村とスタート。6月には堤防かさ上げや遊水地設置などを組み合わせた10案を示したが、10年以上たった今も結論は見えていない。
「極限まで追求するのは時間がかかると当初から思っていた。国は今もダムが一番の治水対策だと信じているはずだ。ハード面もソフト面も治水安全度は徐々に上がっている。かつてはダム以外の選択肢がなく、他の方法は検討できなかった。治水安全度が上がらないじゃないかと結論を急げば、ダム復活論が必ず出てくる。時間はかかっても、対立の歴史を解消することが大事だ」
川辺川ダムの建設反対の一方、潮谷義子前知事時代に撤去が決まった県営荒瀬ダム(八代市)の存続方針を一時打ち出したが、翻意して撤去。国の立野ダム(南阿蘇村、大津町)は建設を推進し、22年度中の完成を目指す。
「ダムはそれぞれ違う。荒瀬ダムは当初、撤去費が調達できなかったため、財政状況が回復するまで待った方が良いと考えた。その後、水利権更新が困難になり、環境省や国交省から支援を受けて撤去した。住民に喜んでもらえたと思う。立野ダムは流域市町村が建設を望んでいた。地域の幸福量の最大化を基準に、多様な状況に合わせて判断してきた結果だ。政治は正しいことは一つだけでない」
旧民主党政権が川辺川ダムと同時に建設中止を表明した八ツ場ダム(群馬県)は、地元知事の反発を受け民主党政権が撤回し、20年3月の完成が間近だ。滋賀など4府県知事が中止を求め国が一時凍結した大戸川ダム(大津市)は、滋賀県の三日月大造知事が方針転換し、再開に向けて動き始めた。
「八ツ場ダム建設中止の撤回は、民主党が政権交代への期待感と自分たちの力量のギャップを見誤った結果だろう。政権交代したからすぐ中止するというのは拙速で、もう少し住民の思いを理解すべきだった。大戸川ダムは、それぞれの知事が悩みながら決断したと思う」
「川辺川ダムも知事の決断によって復活するという可能性が残っているのは確か。だが少なくとも私が知事である限り、それは絶対しない。繰り返すが対立の歴史に逆戻りさせてはいけない。以前は国とも対立していた。そのままなら震災対応もできなかっただろう」(聞き手・高宗亮輔)=終わり
【川辺川ダム計画の今 中止表明から10年】(5)代替治水案 丁寧に議論 松岡隼人・人吉市長
(熊本日日新聞2019年9月22日 06:16)https://kumanichi.com/feature/kawabegawa/1195485/
(写真)まつおか・はやと 熊本大卒。人吉市議だった2015年、人吉市長選に立候補し、現職田中信孝氏らを破って初当選した。2期目。42歳。
球磨川では、1963年から65年にかけて3年連続で大水害が発生し、旧建設省が川辺川ダム計画を発表するきっかけとなった。ダムの最大受益地とされる人吉市をはじめ流域市町村は、ダム建設促進協議会をつくり、建設を後押ししてきた歴史がある。
「流域では『是が非でもダムを』という声も強かったが、今はダムによる治水を強く訴える声は影を潜めたように見える。河床掘削や築堤などが進み、近年は越水がなかったことも一因ではないか。しかし、治水対策は今でも喫緊の課題。流域に線状降水帯が掛かれば球磨川は厳しい。実際に氾濫危険水位に達したこともある。促進協は現在、五木村の道路整備や振興をはじめとするダム関連予算、流域全体の治水対策の早期実現などの要望を続けている」
2008年9月、当時の田中信孝・人吉市長が定例市議会で「川辺川ダム計画そのものを白紙撤回すべきだ」と表明した。人吉市長として初めてダム建設を求めない姿勢を示したことが、蒲島郁夫知事のダム反対表明、前原誠司国交相の計画中止表明につながった。
「田中前市長も知事も、住民の声やいろいろな情報を踏まえて判断したのだと思う。自分はその後を引き継いだが、代替治水案について国や県、流域市町村でしっかり議論していくつもりだ。その過程で流域市町村の合意や、住民の民意を得ていくことが当然必要だと考えている」
今年6月、国と県がダムの代替策として、流域市町村に10案を投げ掛けた。10案が想定する洪水の規模は、川辺川ダムが掲げた80年に1度の規模ではなく、人吉地点で20~30年に1度の水害。これは65年7月の水害と同規模で、当時は人吉市や八代市などで1281戸が損壊・流失、2751戸が床上浸水した。流域では戦後最大の被害とされる。
「市民の命と財産を守るためには、安全度は高ければ高い方がいい。安全度を高める施策を国や県に働き掛けていく」
「ダムは治水安全度を高めるための手段の一つだが、川辺川ダム建設が必要だと言いたいわけではない。まずは10案の説明を聞き、一つ一つを精査していく。各案に長所と短所があり、市町村ごとに事情も異なるだけに丁寧な議論を重ねる必要があると考える」
頻発する豪雨を受けてソフト面の対策にも変化が起きている。気象庁は5月、避難の必要度を分かりやすく伝える5段階の警戒レベル表示を始めた。人吉市は18年11月、球磨川の氾濫時間を想定して関係機関の業務を整理した事前防災行動計画(タイムライン、TL)の運用を始めた。現在は支流氾濫や土砂災害を含む「複合災害」を想定したTL策定に着手している。
「災害対策に完璧はない。ダム計画が止まっているからTLを策定したわけではなく、ハード、ソフトの組み合わせで命と財産を守るためだ。球磨村や八代市でも本流のTLはあるが、支流を含めた検討は国内初。支流は傾斜が急で川幅も狭く、短時間で水位が上昇する。被害が出るなら、こちらが先だと判断した。福岡県朝倉市などを襲った豪雨災害(17年)も、急傾斜地の中小河川から被害が広がった」
「全国の被災地で『まさかこんなことになるとは』との被災者の声を聞くが、球磨川流域も水害を経験した住民は減りつつある。危機意識を持ってもらい、早い段階で逃げることが大事だ。そのための啓発活動に全力で取り組む」(聞き手・益田大也)
川辺川ダム計画の今 中止表明から10年】(4)全ての治水策、検討段階 国土交通省九州地方整備局 浦山洋一・河川調査官
(熊本日日新聞2019年9月21日 09:3)7 https://kumanichi.com/feature/kawabegawa/1194951/
(写真)うらやま・よういち 1983年、旧建設省に入省。熊本河川国道事務所白川出張所など、主に九州の河川事務所に勤務し、2018年4月から現職。熊本市出身。54歳。
蒲島郁夫知事の川辺川ダム計画への反対表明を受け、2009年に球磨川流域の「ダムによらない治水を検討する場」の協議が始まった。本会議12回を経て、15年3月からは「球磨川治水対策協議会」に形を変え、国と県、流域12市町村による議論が進む。
「『ダムによらない-』では現実的な治水案を議論してきたが、全ての案を実施しても他の国管理河川より治水安全度が低いことが分かった。そこで改めて1965年7月の洪水を基に、人吉地点で『20~30年に1度』の規模に対応できることを中期目標として今の協議会が始まった」
2009年9月、当時の前原誠司国土交通相が川辺川ダム中止を表明した。しかし、国交省が、その前の07年に策定した球磨川水系の「河川整備基本方針」はいまだに変更していない。1976年3月に策定した特定多目的ダム法に基づく「基本計画」の廃止手続きも取っていない。地元では「ダム復活」を警戒する声もある。
「中止はあくまでダム本体工事。基本計画は残っており、水没予定地の維持管理はダム関連事業として継続している。河川整備基本方針は横に置き、あらゆる治水対策を検討しようというのが今。その議論が終わっておらず、法的手続きを進める段階ではない」
旧民主党政権は2012年3月、五木村をモデルにダム中止に伴う地域住民の生活再建を支援する特別措置法案を閣議決定。川辺川ダムの中止が法的にも保障されるはずだったが、廃案になった。村はダム計画に伴い人口減と過疎化が著しい。
「五木村については11年6月、国、県、村の3者で生活再建を進めることで合意した。頭地大橋の建設など、継続していたダム関連4事業は全て終え、水没予定地の占用も村に認めている」
今年6月の第9回球磨川治水対策協議会で、国交省は「引堤」や「河道掘削」、「遊水地」の設置など、複数の対策を組み合わせた計10案を提示した。事業費は2800億円~1兆2000億円と幅がある。案によっては家屋移転を伴う自治体もあり、議論の行方は見通せない。
「難しい工事もあるが、検討を尽くした全ての対策をテーブルに載せた。いずれの案も中期目標は達成できる。市町村からは『遊水地をつくると優良農地が失われる』といったさまざまな意見をいただいている。議論を重ねて合意を得たい」
国は、「ダムによらない-」で出た意見を踏まえ、年間15億~20億円程度を投じて宅地かさ上げや、堤防補強などを進めている。ただ、近年は、西日本を中心に記録的豪雨が頻発。協議会が目標とする「20~30年に1度」の治水安全度で対応できるのか疑問も残る。
「できる対策は進めており、安全度は着実に上がっている。球磨川に限らず、どの川でも目標を超える洪水を想定しなければならない。ハード対策で全てを守れるわけではないが、確実に被害を減らすことはできる。まず中期目標を達成し、ソフト対策と併せて段階的に治水効果を上げることが重要だ」
2008年8月、ダムの是非の決断を控えた蒲島知事に、当時の九州地方整備局長は「ダムを建設しないなら、流域住民に水害を受忍していただかざるを得ない」と迫った。 「当時はそのようなスタンスだったのだろうが、ダムを除外して検討を進めるというのが今の状況だ。ダム以外の議論を深め、協議会で合意を得ることがわれわれの一番のミッションと考えている」(聞き手・臼杵大介)
【川辺川ダム計画の今 中止表明から10年】(3)清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会 木本雅己・事務局長 住民の声聞く努力を
(熊本日日新聞2019年9月19日 09:13) https://kumanichi.com/feature/kawabegawa/1192252/
(写真)きもと・まさし 30年以上にわたって、川辺川ダム建設中止を訴え続けている。「清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会」結成メンバーで、2009年から事務局長。人吉市在住。会社役員。68歳。
人吉市は治水目的の川辺川ダムで最大の受益地とされるが、4月の市長選でダム問題は争点にならなかった。立候補した元職の田中信孝氏は市長だった2008年、「市民の多くがダムに否定的」と発言。相良村の徳田正臣村長の反対表明とともに、「流域の総意に基づく」とされたダム建設の意義を揺さぶった。こうした流れがその後、蒲島郁夫知事の反対表明、国の建設中止表明へと続いた。
「ダム計画は休止した状態だが、蒲島知事の反対表明で、市民に『川辺川ダムはもうできない』という意識が広がった。今回、市長選の争点にならなかったのも、市民が、もうダムを政治的な問題としてとらえていないことの表れだろう。ただ、ダム反対の気持ちが市民から消えたわけではない」
川辺川・球磨川流域では、建設省(当時)のダム計画発表以来、市民らによる建設反対運動が続いた歴史がある。1993年8月に発足した「清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会」(略称・手渡す会)も反対を訴えた住民団体の一つだ。2001~03年まで計9回開かれた住民討論集会では、住民側の取りまとめ役も務めた。
「当時の会員は、きれいだった球磨川や川辺川のことを知っている人たちが中心だったが、この10年で次々に亡くなった。会員に限らず、『絶対に川を守らないかん』と危機意識を持つ人が少なくなってきている。高齢化はどうしようもない」
08年の蒲島知事のダム計画反対表明後、国と県、流域12市町村長らによる「ダムによらない治水を検討する場」、続く「球磨川治水対策協議会」が、ダムに代わる治水策を検討してきた。今年6月、国と県は複数の治水対策を組み合わせた10案を提示したが、一昨年の意見公募で提案された、コンクリートと鋼矢板による堤防かさ上げと地下遊水地の設置案は組み込まれなかった。
「堤防や地下遊水地については別の見解もあるが、住民の声が届かなくなっているのは事実。大事なのは洪水のメカニズムなど、もっと川のことを知ることだ。私たちは『森のことを考えて、川をちゃんと見て』と言い続けている。協議会に欠けている部分だ。今の協議の在り方だと、行き着く先は結局ダムになるだろう」
この10年。県内では荒瀬ダムが撤去され、白川では治水専用の立野ダムの建設が進む。滋賀県では4月、09年に計画が凍結された大戸川[だいどがわ]ダム(大津市)について、知事が建設容認の姿勢に転じた。
「政治は怖い。住民の意見を集約するのは難しいとは思うが、国はもっと聞く努力をするべきだ。特に、川の近くで暮らす人の声に耳を傾けないといけない。今は雨の降り方も予測がつかなくなっている。確率論から始まった治水論をいくら積み上げてみても、住民の意識とかけ離ていくばかりだ」
この10年の間に、約1800人いた「手渡す会」の会員は3分の1ほどに減少した。それでも、毎月第2月曜に人吉市の事務所「くま川ハウス」で勉強会を開き、球磨川や川辺川でのフィールドワークも続けている。
「今度、国がダムを持ち出すときは“穴あきダム”だろう。蒲島知事はダム反対表明に際し、球磨川を『守るべき宝』と言った。自然豊かで、古くからの文化を大切にする地域として人吉球磨が認知されるために、これからも熊本の知事には、川辺川にダムを造らせないよう、国に働き掛け続けてほしい」(聞き手・吉田紳一)
【川辺川ダム計画の今 中止表明から10年】(2)和田拓也・五木村長 村再建へ厳しさ続く
(熊本日日新聞2019年9月18日 09:38) https://kumanichi.com/feature/kawabegawa/1190903/
(写真)わだ・たくや 村建設課長、企画振興課長、助役を歴任。07年の村長選で初当選し、現在3期目。10月6日投開票の村長選には、不出馬を表明している。72歳。
1966年、建設省(現・国土交通省)が発表した川辺川ダム建設計画は、五木村の中心部を水没させる構想だった。以降、村では水没予定地を中心に離村者が急増。過疎化が村全域で進行した。
「五木村は発電ダム建設を反対運動で撤回させた経験があり、村民には、川辺川ダムも阻止できるだろうという思いがあった。だが、治水中心のダムに県や流域市町村からも必要との声が上がり、最終的にダム計画を受け入れた。県や国によるダム計画の凍結は、『ダムありき』で地域振興を進めていた村にとって、はしごを外された形。時の政治に翻弄[ほんろう]されたと思っている」
2009年の民主党政権による計画中止表明後も、村の人口減少は続く。60年代に6千人超だった人口は、今年8月末時点で県内最少の1075人にまで減った。65歳以上の割合を示す高齢化率も、17年10月時点で県内で最も高い49%。商店も衰退し、村民の多くは現在、人吉市まで買い物に出掛けているという。
「村として一番困ったのは、国の目的は治水のためのダム建設であり、村の振興ではなかったことだ。ダム建設と引き換えに国が補償するはずだった事業は止まった。ダム計画を止めた当時の前原誠司国土交通相が言及した補償法案も、結局策定されていない。現状を考えるとダム計画が最初からなかったらよかったのに、と思う。急激な人口減少で財政は硬直化した。水没予定地にあった昔の風景が残っていれば観光にも活用できたはずだ」
村と県は09年、18年度を期限とした地域振興計画「ふるさと五木村づくり計画」を策定し、観光に力を入れた。国が買収した水没予定地を村が賃借し、村営公園「五木源パーク」と宿泊施設「森と渓流ITSUKI STAY」を整備。頭地代替地には村歴史文化交流館「ヒストリアテラス五木谷」を造った。振興計画策定前の08年に12万6951人だった観光客数は、17年には約37%増の17万4271人になるなど実を結んでいる。
「林業従事者を増やすのは難しいし、企業誘致ができるような地域でもない。村の活性化には山村の風景や子守唄を生かした観光業を発展させ、交流人口の増加を村全体の所得向上につなげる必要があった。一定の効果は出ているが、観光客1人当たりの消費額が少ないという課題が残っている。水没予定地の未整備エリアをできるだけ早く完成させ、農産物の販売や観光客の宿泊が増加すれば、村の発展につながるはずだ」
振興計画に基づき、移住促進策にも取り組んでいるが、人口減少に歯止めをかけるには程遠い。住民の活力維持のため、村のさらなる振興は喫緊の課題となっている。
蒲島郁夫知事が今年3月、振興計画の5年間延長と、総額3億円の財政支援を表明。村と県は6月、観光や林業の活性化、定住促進に事業を重点化する新たな実施計画の住民説明会を開いた。
「村の再建は厳しい状態が続いている。今後も観光業や林業、シイタケなど特産物生産を中心に村民の雇用を図り、人口減少に歯止めをかけないといけない。大切なのは人口構成。15歳以上65歳未満の生産年齢人口が少なくとも500人残り、高齢化率が40%以下で推移するなら村を維持することができる。そこへ向かうための基礎、土台はこの10年でできたと思う。計画に基づく3億円の補助事業も活用していくことになるだろう」(聞き手・小山智史)
【川辺川ダム計画の今 中止表明から10年】(1)前原誠司元国交相 再度建設方針、あり得る
(熊本日日新聞2019年9月17日 09:44) https://kumanichi.com/feature/kawabegawa/1189804/
(写真)まえはら・せいじ 京都大卒。京都府議を経て、1993年、衆院初当選。民主党政権で国交相、外相、国家戦略担当相などを務めた。京都2区。当選9回。国民民主党。57歳。
球磨川流域の川辺川ダム計画は、民主党政権が中止を表明して、17日で丸10年を迎えた。計画発表から半世紀近い時を経た中止表明は、大型公共事業の在り方に一石を投じたが、ダムに代わる治水対策や水没予定地だった五木村の振興など多くの課題を残す。連載「川辺川ダム計画の今」は関係者へのインタビューで現状に迫る。初回は中止表明した当時の国土交通相・前原誠司衆院議員に聞いた。
蒲島郁夫知事が川辺川ダムの建設反対を表明した1年後。2009年に発足した民主党政権で初代となる国交相となり、9月17日の就任会見で同計画の中止を表明した。
「ダム計画は一度決まったら止まらない公共事業の象徴だった。計画決定から40~50年たっても本体工事に至らず、周辺環境が大きく変わったダム事業は見直しが当然と考えた。川辺川ダムは、潮谷義子元知事が慎重姿勢を貫き、蒲島知事は明確に反対を示した。地元と同じ方向で進むことができた」
中止表明の10日後、水没予定地を抱える五木村を視察。「再びダムに戻ることはない」と明言し、村の生活再建事業を完遂するための「ダム事業の廃止等に伴う特定地域の振興に関する特別措置法案」(ダム中止法案)を打ち出した。だが、閣議決定までは至ったものの、成立することはなかった。
「生まれ育った地域が水没する計画に賛成する人はいない。苦渋の決断でダム建設を受け入れた歴史がある。政治によって翻弄[ほんろう]し、申し訳ない思いでいっぱいだった。法案は中止後の生活を補償する仕組みで、川辺川を全国のモデルにする考えだった。成立できなかったのは、10年の参院選で大敗し、衆院とのねじれが生じて推進力が失われたのが原因だった」
川辺川ダムと同時に中止を表明した八ツ場ダム(群馬県)はその後、同じ民主党の野田佳彦内閣で建設再開に転換。自民・公明の連立政権に戻った15年に本体着工に着手し、20年3月に完成予定だ。
「それも国会のねじれの影響だ。国交省でダムの有効性を信じる勢力が勢いを取り戻し、私の後任の国交相が押された。マニフェストに掲げた公約を覆すのだから、私とすればはしごを外された形。民主党に対する『公約違反』の批判も高まり、じくじたる思いだった。だが本体未着工のダムを再検証し、実際に中止になった事業もある。止まらない公共事業に立ち止まる機会をもたらした点で意義があった」
川辺川ダムの中止表明から10年。国、県、流域市町村による「ダムによらない治水」の検討が続けられているが、結論には程遠い状況だ。
「地元で議論を重ね、結論を導いてもらうしかない。昨年7月の西日本豪雨では、愛媛県・肱川[ひじかわ]がダムの緊急放流であふれ、犠牲者が出た。人吉市を訪ねた際、住民から『市房ダムが完成して水位が急に上がるようになった』と聞いた。ダムが有効な雨の降り方があれば、そうでないケースもある。ダムの危険性を踏まえた科学的検討を求めたい」
川辺川ダム計画は治水代替策の議論が継続中として、特定多目的ダム法に基づく事業廃止の手続きはとられていない。
「川辺川の場合、事業費を負担する立場の県知事をはじめ、ダムなしの姿勢を貫く地元首長の存在が大きい。仮にダムを容認する首長が誕生すれば、再度、建設に方針が戻ることもあり得る。代替案が決まらないのは、国がダムでやりたいと思っているからではないのか」(聞き手・並松昭光)
石木ダム 全用地収用 住民「古里、奪わないで」
石木ダム問題に関する9月20日の長崎新聞の記事5点、日テレニュース、毎日新聞の記事2点をを掲載します。
石木ダム 全用地収用 住民「古里、奪わないで」
(長崎新聞2019/9/20 10:41) https://this.kiji.is/547595312250553441?c=39546741839462401
(写真)「ダムを造らないでください」と涙ながらに訴える女児=県庁
長崎県と佐世保市が東彼川棚町に計画する石木ダム建設事業で、反対住民13世帯の宅地を含む全未買収地が19日、土地収用法に基づく「権利取得の時期」を迎えた。約5年ぶりに実現した中村法道知事との面会で、涙ながらに建設反対を訴えた住民ら。知事は「事業を進めていく必要がある」との考えを改めて示し、両者の溝は埋まる気配がない。13世帯もの宅地を強制収用する事態に、住民の支援者らは反発し、関係首長や推進団体も複雑な心境をのぞかせた。
約5年ぶりに実現した中村法道知事との面会には、水没予定地の川原(こうばる)地区で暮らす13世帯約50人のほとんどが参加。小学生から90代までの約20人がそれぞれの言葉で古里への思いを語った。高ぶる感情をのみ込みながら思いの丈をぶつける住民に対し、知事は目を落とし、淡々とメモを取る姿が目立った。「気持ちは伝わってるのか」。交わらない視線に象徴されるような県との深い隔たりに、住民たちはいら立ちを募らせた。
「川原での思い出が、自然や風景が、私は大好きです」。高校2年生の松本晏奈(はるな)さん(17)は知事へのメッセージを読み上げた。これまで人前でダムについての意見を述べることはあまりなかったが「自分も力になりたい」と勇気を出した。「帰る場所がなくなるなんて考えたくない。川原を奪わないでください」。声を詰まらせながら知事に語り掛け、手紙を渡した。曽祖母のマツさん(92)は「この年になってどこに移れというのか」としわくちゃの手を握り締めた。
3人の子どもを育てる炭谷潤一さん(38)は「県は理解を得る努力をするといいながら、手続き上は強制的に土地を取り上げている。私の家族と川原の人々を全力で守る」と語気を強めた。小学3年生の長女、沙桜(さお)さん(8)が「お家がなくなったらいやです。ダムを造らないでください」と涙ながらに訴えると、周囲からすすり泣きがもれた。
石丸穂澄さん(36)は、川原の自然や生きものを描いたイラストを持参。「知事が奪おうとしている私たちの大切なものです」と掲げた。精神疾患を抱えながら、古里の豊かな自然と生態系の魅力を広めようと描き続けてきた。「住み慣れた環境を離れるのは私にとって酷な要求。この落ち着いた環境がどうしても必要」と声を振り絞った。
最後に、長年運動の中心を担ってきた岩下和雄さん(72)がマイクを握った。10代で父を亡くし、若くしてダム反対運動に参加。歴代知事を舌鋒(ぜっぽう)鋭く追及してきたが、この日は「知事しかいません。どうかダム建設を取りやめてください」と深々と頭を下げた。他の住民がそれにならうと、知事も立ち上がって応じた。
知事は質問に答える以外はほぼ発言しなかったが「佐世保市の水不足は解消されていない」と事業への理解を求めた。「膝を交えてお話しする機会が持てるならありがたい」と今後の面会にも含みを持たせた。
面会を終えた住民は、一様にすっきりしない表情を浮かべた。川原伸也さん(48)は「知事が目を合わせてくれず、無難に仕事をこなしているように見えた」と不満をあらわにした。松本好央さん(43)は「知事が考えを変えることを期待する。面会はこれで終わりとは思っていない」と望みをつないだ。
石木ダム 13世帯の強制収用 道筋と結末 楽観せず示せ
(長崎新聞2019/9/20 10:36) https://this.kiji.is/547592990069277793?c=39546741839462401
事業着手から40年以上がたつ懸案の石木ダム建設事業で、起業者の県と佐世保市がダム建設に必要な全ての用地の権利を取得することになった。土地収用法に基づく手続きだが、13世帯約50人もの住民の宅地を強制収用するのは異例だ。
ダム建設の主要な目的は同市の慢性的な水不足解消と川棚川の治水。これまでに8割以上の地権者が補償契約に応じて移転したが、残る13世帯を説得できないまま、県は2009年、強制収用への道を開く事業認定申請に踏み切り、国が認定した。申請について県は当初、「地権者との対話を促すため」と強調していたが、結果を見れば“楽観”の印象は否めない。
地権者らが国に事業認定取り消しを求めた訴訟で長崎地裁は昨年7月、ダムの公益性を認め、原告側の請求を棄却した。原告側は控訴し、反対住民や一部の専門家は急上昇する市の水需要予測や下流域に建設するダムの治水面の有効性などに疑問を投げかける。
物件を含む土地の明け渡し期限である11月18日以降は、“最終手段”である行政代執行の請求や判断が焦点となる。過去に中村法道知事は「(22年3月までの3期目の)任期中に方向性を出したい」と発言。係争中の複数の関連訴訟の動向や、22年度末の完成を目指す工程表の進捗(しんちょく)を見極め、判断するとみられる。
知事は今のところ、行政代執行を「あらゆる選択肢の一つ」と述べるにとどめている。だが約5年ぶりに実現した反対住民との面会でも溝は埋まらず、打開策が見えない状況下で、現実的な選択肢がそう多いとも思えない。半世紀近く続く事業に、どのような道筋と結末を想定するのか。“楽観”せずに、具体的に県民に示す時期ではないか。
石木ダム全用地収用 反対派市民ら抗議活動 長崎県との溝 埋まらず
(長崎新聞2019/9/20 10:21) https://this.kiji.is/547589725914023009?c=39546741839462401
(写真)住民(右)から面会の報告を受ける支援者=県庁
石木ダム建設や強制収用に反対する市民らは県庁や佐世保市内で抗議活動を繰り広げた。
中村法道知事と建設予定地の住民が約5年ぶりに面会した会場では、滋賀県知事時代に県内のダム建設を中止した嘉田由紀子参院議員が支援者の立場で傍聴。超党派で結成した「石木ダム強制収用を許さない議員連盟」メンバーでもある嘉田氏は終了後、取材に「(ダム建設を止める)方法はある。一番必要なのは地方自治の勇気。県民を愛する判断が必要だ」と力を込めた。
県庁前では午前10時半から支援者約40人が「強制収用やめろ」と記されたプラカードなどを手に抗議。長崎市在住の吉島範夫さん(77)は「県がしていることは人権侵害。最も混乱が少ないのは事業認定を取り下げることだ」と語った。
ダムの受益者である佐世保市内でも反対運動があった。市民ら約15人は、午前7時半から市役所前で「水は足りている」「石木ダムいらんばい」と記した幕などを掲げたり、通勤する職員にチラシを配ったりして、土地収用反対を訴えた。呼び掛け人の森田敦子さん(63)は「大好きな佐世保市が(建設予定地の)川原(こうばる)の人々の人権を無視するようなことがあってはならないし、それは恥ずかしいことだ」と述べた。
一方、川棚町のダム建設予定地では県道付け替え道路工事が粛々と進められた。
石木ダム 全用地収用 知事と住民面会 行政代執行が焦点
(長崎新聞2019/9/20 10:24) https://this.kiji.is/547592539003208801?c=39546741839462401
(写真)宅地を含む全ての未買収地が収用された石木ダムの建設予定地=川棚町
長崎県と佐世保市が東彼川棚町に計画する石木ダム建設事業で、反対住民13世帯約50人の宅地を含む全ての未買収地約12万平方メートルは20日午前0時、土地収用法に基づき県と同市が所有権を取得した。一部の土地の明け渡し期限となった19日、建設予定地の住民らが中村法道知事と約5年ぶりに県庁で面会し、建設反対を訴えた。終了後、知事は報道陣に事業を推進していく姿勢を改めて示し、今後は行政代執行を巡る動きが焦点となる。
石木ダムを巡っては、県収用委員会が5月、地権者に未買収地約12万平方メートルの明け渡しを求める裁決を出し、19日を「権利取得の時期」とした。これまでに取得した約64万3千平方メートルに続き、県と同市は20日午前零時に約12万平方メートルの権利を取得。住民の権利は消滅した。今後、登記はいったん住民側から国に移していく。県と同市はダム建設に必要な全用地を取得したことになる。
約12万平方メートルのうち、19日は家屋など物件を含まない土地(約1万5千平方メートル)の明け渡し期限で、物件を含む残りの土地については11月18日が期限。住民側が期限までに明け渡しに応じなければ、県と同市は知事に家屋の撤去や住民の排除といった行政代執行を請求でき、知事が対応を判断することになる。
面会は住民側が要請し、幼児や高齢者を含む約50人が午前10時から約2時間半、中村知事と面会。古里への思いや県の手法へ不満をぶつけ、「古里を奪わないで」「ダム計画を見直して」などと訴えた。中村知事はメモを取りながら耳を傾け、質問に答えた。
面会後、住民の岩下和雄さん(72)は「思いは伝えられた。本当にダムが必要なら、自分たちのやったことが間違っていないか見直してほしい。私たちは(土地の)名義が変わろうが今まで通り畑を耕し、稲を作り、ここで暮らしていく」と言い切った。
一方、中村知事は報道陣に「それぞれの方々の思いを大切にしながら、事業全体を進めていく必要があると改めて感じた。現状では今の方針で進まざるを得ない」と語った。
石木ダム全用地収用 円満解決願っていたが… 推進派、首長ら複雑な表情
(長崎新聞2019/9/20 10:18) https://this.kiji.is/547588588418122849?c=39546741839462401
石木ダム建設事業で関係自治体の首長や推進団体関係者は、円満ではない「強制収用」に複雑な心境をのぞかせた。ダム建設を求めつつも、行政代執行で住民を排除するような事態は避けてほしいと望む声も聞かれた。
川棚町の山口文夫町長は「円満な話し合いでの解決を願っていたので、(一部の)明け渡し期限を迎えたことは残念」とした上で、「古里に住み続けたいという思いは理解できるが、事業に協力し、移転していただいている8割の地権者の思いも大切にしなければならない」とコメント。移転した元住民の一人は「強制収用は自分が泣く泣く土地を出て行った当時に、想像していた最悪の事態。本当に何と言っていいのか」と言葉少なに語った。
全用地収用について「石木ダム建設促進佐世保市民の会」の寺山燎二会長(81)は、「水不足を解消するため私たちは建設をお願いするだけ」と冷静に受け止めつつも、「行政代執行は望まない。最後は(両者が)納得いく形に向かってほしい」と求めた。中村法道知事と反対住民が約5年ぶりに面会したことについて、佐世保市の朝長則男市長は「内容を把握していないのでコメントできない。県と足並みをそろえ進める」と述べるにとどめた。
石木ダム全用地収用 反対地権者ぱ”座り込み″
(日テレ 2019.9.20 11:55)http://www.news24.jp/nnn/news16362173.html
県と佐世保市が川棚町に計画する石本ダムの建設事業で土地の所有権を失った反対地権者は現地で座り込みを行っている。
建設予定地での座り込みには反対地権者と支援者約20人が参加した。
石本ダムの反対地権者13世帯は20日午前o峙で全ての土地の所有権を失い県の管理下に。
一部は明け渡しも義務付けられた。
4年前農地に設置した県の管理下にあることを示す看板は今回設けないという。
石木ダム事業 「私たちは住み続ける」 5年ぶり知事と面会 2時間半県庁で反対地権者ら思い語る /長崎
(毎日新聞長崎版2019年9月20日)https://mainichi.jp/articles/20190920/ddl/k42/040/263000c
県と佐世保市が川棚町に計画する石木ダム事業を巡り、19日に県庁であった同町川原(こうばる)地区の反対地権者ら40人余と中村法道知事との面会。2014年7月以来約5年ぶりの面会で、住民らは「私たちは川原に住み続ける」と事業反対の意思を貫く姿勢を強調した。【浅野翔太郎、田中韻】
知事「白紙には戻せない」
面会場所となった県庁会議室は、警備員が入り口に立ったり、仕切りが設けられたりと物々しい雰囲気に包まれた。面会は午前10時過ぎに始まり、約2時間半にわたって、地権者や家族ら20人が思いを語った。
「私はおうちがなくなったらいやです。みんなや動物がいなくなったらいやです」。親子3世代で川原地区に暮らす炭谷沙桜(さお)さん(8)は中村知事に涙声で訴えた。母の広美さん(34)も「子ども3人は外で遊ぶことが大好き。川原はみんなで子どもたちをみてくれる。県や知事は県民のために働いてほしい」と訴えた。広美さんは面会後、「知事はメモを取るばかりで子どもたちの話を聞く時も下を向いていた」と失望した様子で語った。
岩下和雄さん(72)は佐世保市の水需給予測が実態と異なると主張し、「知事が佐世保市に見直すよう言ってほしい。佐世保市のうそをうのみにして私たちに出て行けというのは違う」と強い口調で迫った。
中村知事は面談終了後、記者団に対し、「(ダムの)事業認定を白紙に戻すことはできないが、将来について話し合いの場が設けられれば」と今後も住民と話し合いの場を持つ意向を示したが、県河川課は「次回以降の話し合いについては未定」としている。
〔長崎版〕
長崎・石木ダム 「故郷奪わないで」 地権者、長崎知事と面会
(毎日新聞西部朝刊2019年9月20日)https://mainichi.jp/articles/20190920/ddp/012/040/009000c
長崎県と同県佐世保市が同県川棚町に建設を計画する石木ダムを巡り、事業に反対する地権者らが19日、長崎市の県庁で中村法道知事と面会した。同日は反対地権者らが予定地内に所有する土地約12万平方メートルの一部の明け渡し期限で、地権者らは改めて計画中止を求めた。
予定地内に暮らす幼児や90代の高齢者を含む13世帯の40人あまりが出席。炭谷(すみや)潤一さん(38)は「知事は『地権者の理解を得る努力をしたい』と言いながら、土地を奪い取ろうとしている」と批判し、高校2年の松本晏奈(はるな)さん(17)は「故郷が奪われるのは絶対嫌。不要なダムのために家を奪わないで」と声を詰まらせながら訴えた。
終了後に記者団の取材に応じた中村知事は「最も経済的、現実的な手段として石木ダムの建設を進める気持ちは変わっていない」と話した。
石木ダムは佐世保市の水不足解消などを目的に計画され、1975年に国が事業採択。県収用委員会が今年5月、約12万平方メートルの明け渡しを命じた。土地の所有権は20日に国に移り、事業完了後に県などに権利が移る。住民の家屋などがある場所は11月18日が立ち退きの期限で、その後は行政代執行も可能になる。【浅野翔太郎、田中韻】
石木ダム反対地権者ら、長崎知事に計画中止求める「故郷奪われるの絶対嫌」
9月19日に行われた石木ダム反対地権者と長崎県知事の面会について新聞記事とテレビニュースを掲載します。
中村法道知事 は「一方でこれまでに災害を体験されたりあるいは渇水で非常に不自由な思いをされたりした方々もいらっしゃるわけで」と、ダムの必要性を語っていますが、実際には石木ダム無しの今の暮らしで何の支障もありません。
佐世保市は石木ダムの必要性を演出するため、渇水対策本部を頻繁に立ち上げますが、実際に給水制限になったのは近年では12年前の2007年度冬期渇水だけです。
しかも、この時は減圧給水だけで対応できたし、さらに、その後、給水量が15%程度減ってきているので、今は同レベルの渇水が来ても、給水制限なしで十分に対応できます。佐世保市は今は渇水の心配はなくなっています。
また、災害については川棚川で洪水被害があったのは29年前の1990年洪水ですが、その後、河道整備が進み、氾濫の心配もなくなっています(港湾管理区間ということで、築堤されていないまま放置されている川棚大橋下流区間は別)。
現実を踏まえないで、知事が渇水や災害で石木ダムの偽りの必要性を語るのはやめてほしいです。
反対地権者の心からの強い強い思いを聞いたにもかかわらず、中村法道知事は面会後に「事業全体を進めていく必要があると改めて感じた」と強調したということです。
中村知事は何という人間なんだと思ってしまいます。
この日の、事業地で生活を続けている石木ダム反対地権者皆さんによる長崎県知事への訴えが収録、ユーチューブにUPされています。
https://youtu.be/vzcd1_Jr_PE
「ほたるの川のまもりびと」とともに、石木ダム問題の本質が描かれた最高の作品です。
2時間近くかかりますが、是非、じっくりご覧いただくことをお勧めします。
石木ダム埋まらぬ溝 知事5年ぶり住民と面会
(西日本新聞2019/9/20 6:00) https://www.nishinippon.co.jp/item/n/544552/
県と佐世保市が川棚町川原(こうばる)地区で計画する石木ダム事業を巡り、19日、予定地の住民らと中村法道知事が県庁で5年ぶりに面会した。この日は一部土地の明け渡し期限ということもあり、張り詰めた空気の中での面会。両者の主張は最後まで平行線をたどった。 (野村大輔、岡部由佳里、平山成美)
(写真)知事に思いを訴え、そろって頭を下げる住民たち
■古里に住み続けたい 住民
「知事のお願いを聞きに来たのではなく、思いを伝えるために来た」。面会は川原地区に暮らす松本好央さん(44)が発言の口火を切った。家族4世代で知事に向き合い「生まれ育った古里に住み続けるのは悪いことか」と問い掛けた。
面会場所の大会議室に詰め掛けたのは4歳から92歳までの五十数人。このうち20人がマイクを握り、思いのたけを語った。
石木小3年の炭谷沙桜さん(8)は学校を早退して参加した。「私は家がなくなるのは嫌です。私は川原が好きです」。涙ながらに手紙を読み上げると、周りの大人たちがハンカチで目元をぬぐった。
40年以上、ダム建設反対の声を上げ続ける松本マツさん(92)は「川原のきれいな住みよか所に、なんでダムのできるとかな。ブルドーザーががらがらして、山が削れていくのがダム小屋から見えて悲しかです。この年になって、どこへ出て行けと言うのですか」と声を振り絞った。
川原の住民の似顔絵や、石木川の希少な水生生物の絵が掲げられる場面もあった。どちらも生活の場が奪われる危機にある。「この絵を見てどう思いますか」と作者の石丸穂積さん(36)は訴えた。
予定時間を超す約2時間半の面会を終えると、出席者は全員が十数秒にわたって深々と頭を下げた。
岩下和雄さん(72)は県庁ロビーで待機していた支援者に内容を報告。「住み続けたいという思いを中村知事に発信してきた。強行は間違っていると訴え続けたい」。帰途に就く岩永正さん(67)は「伝えた思いが少しでも知事に伝わってくれれば」と祈るようにつぶやいた。県庁前では支援者ら約30人が「強制収用やめろ!」と書いたプラカードなどを手に、面会の行方を見守った。佐世保市の松本美智恵さん(67)は「知事の方向転換は甘くないと思うが、5年間互いの気持ちを伝える場がなかったので、ここをスタートとしてほしい」と期待した。
■代執行は慎重に検討 知事
5年ぶりに住民と面会した中村知事は、「今日は知事に思いを伝える場だ」とする住民側が進行役を務めたため、聞き役に徹した。住民一人一人の訴えをメモしながら、時折、発言を求められた。
住民の一人、川棚町議の炭谷猛さん(68)から「話し合いを(これから)1カ月後、2カ月後にも設定しようと思うが、どうか」と水を向けられると、中村知事は「皆さんと地域の将来を話す機会をいただければ大変ありがたい」と応じた。だが、ダム計画の見直しを求める住民と、治水・利水を目的にダムの必要性を主張する知事との溝は最後まで埋まらなかった。
県は面会に際し「静穏な環境と円滑な進行」(河川課)にこだわった。5年前の前回、ダム予定地の川原公民館で行った面会は紛糾、知事や執行部が「十分に説明させてもらえなかった」(同)という苦々しい経験があるためだ。
面会が行われた大会議室の場所が報道陣に発表されたのは、この日の朝。住民以外の支援者が入ってこられないようにする目的で、面会場所へ通じる廊下をついたてで遮り、別室を通過させて廊下に戻る-まるで迷路のような仕掛けを施す念の入れようだった。マイクが用意されておらず、住民の抗議を受けて職員が準備する一幕もあった。
面会後、中村知事は報道陣に対し、これまでに事業に賛同して予定地を離れた住民がいることにも触れ「ダムの必要性はいささかも変わっておらず、先延ばしは許されない」と説明。行政代執行の可能性について「解決策がなくなった段階で総合的、慎重に検討する」と述べた。
「古里を奪わないで」 長崎・石木ダム事業一部明け渡し期限 住民、知事に訴え
(西日本新聞2019/9/20 6:00) https://www.nishinippon.co.jp/item/n/544603/
(写真)中村法道知事(左)に手紙を渡す、石木ダム予定地に暮らす女児と父親=19日午前10時半ごろ、長崎県庁
長崎県と佐世保市が同県川棚町で進める石木ダム建設事業は19日、予定地の一部の土地について県収用委員会が定めた明け渡し期限を迎えた。この日は、反対運動を続けてきた住民と中村法道知事が5年ぶりに面会。子どもや高齢者を含む約50人が古里への思いを訴えた。国の事業採択から44年。ダムの必要性を主張する県側との議論はなお、平行線をたどっている。
石木ダム予定地は約79万3千平方メートル。これまでに54世帯が事業に同意し、移転した。一方、13世帯はダムの必要性に疑義を唱え、予定地に暮らし続けている。
2014年7月以来となる県と住民の面会は約2時間半に及んだ。川棚高2年の松本晏奈(はるな)さん(17)は「思い出が詰まった古里を奪われるのは絶対に嫌です。どうか私たちの思いを受け取ってください」と涙ながらに手紙を読み上げた。
中村知事は面会後、報道陣に「渇水で不自由した人もいる。用地を提供して協力した人も多く、そうした思いも大切に事業を進める必要がある」と述べ、話し合いを続ける意向を示した。
収用委は今年5月、この13世帯や、反対住民を支援する「一坪地主」が所有する約12万平方メートルを明け渡すよう命じる裁決を出した。一坪地主の所有山林を中心とする約1万5千平方メートルの明け渡し期限が19日、住民所有の宅地や田畑は11月18日。住民が立ち退かなければ、一定の手続きを経て強制的に家屋を撤去する行政代執行が可能になる。 (野村大輔、平山成美)
【ワードBOX】石木ダム
長崎県の川棚川の治水と佐世保市の水源確保を目的に、1975年度に国から事業採択された。総貯水量548万トン(東京ドーム4・4杯分相当)。現在の完成目標は2022年度で、総事業費285億円に対する18年度末の進捗(しんちょく)率は約55%。県収用委員会は5月の裁決で県に対し、一坪地主を含む地権者376人に補償額計約11億8325万円を支払うよう命じた。土地所有権は20日午前0時に消滅し、国が取得する。
長崎)石木ダム反対地権者、知事に思いの丈ぶつける
(朝日新聞長崎版2019年9月20日
7歳「故郷奪われるのは絶対嫌」ダム建設進める知事に
(朝日新聞 2019年9月19日21時21分)
石木ダム問題で知事と地権者が面談 [長崎]
(長崎放送2019年09月19日 21時21分)https://www.nbc-nagasaki.co.jp/nbcnews/detail/2874/
石木ダム事業で、反対地権者の土地の所有権が国や県へ移る期限となるきょう地権者らが県庁を訪れ中村知事と5年ぶりに面会しました。
けさ9時半すぎ、地権者らを乗せたバスが長崎県庁に到着しました。
石木ダムを巡っては水没予定地に住む13世帯が今も反対を続けていますが、県の収用委員会が予定地内すべての土地・建物の収用を認めたため土地の所有権はきょうを期限に国や県へ移り、地権者らは11月までの立ち退きを迫られています。
こうした中、地権者らはきょう5年ぶりに中村知事と面会し、土地を強制収用する手続きを進める県の姿勢を改めて批判しました。
中村知事は面談後報道陣の取材に対し石木ダム計画を見直す考えがないことを明らかにしています。
長崎・石木ダム建設反対を訴え 地権者、知事と面会
(共同通信 2019年9月19日 12時11分) https://news.livedoor.com/article/detail/17105006/
(写真)長崎県の中村法道知事に石木ダム計画反対を訴える水没予定地に住む女児=19日午前、長崎県庁
長崎県と同県佐世保市が建設を予定している石木ダム(川棚町)を巡り、反対派の地権者らが19日、県庁で中村法道知事と面会した。この日は一部予定地の明け渡し期限で、20日には土地の権利がいったん国に移る。地権者は所有権を失う前に、計画への反対を改めて訴えた。
石木ダムは1962年、佐世保市の水不足解消や川棚町の治水を理由に県などが計画した。現在も水没予定地に13世帯約50人が住んでいる。
面会には約50人が参加した。幼い娘を連れて参加した男性は「住民の理解を得たいと言いながら、強制的に土地を奪おうとしている。これは人道上の問題だ」と声を荒らげた。
石木ダム反対地権者ら、長崎知事に計画中止求める「故郷奪われるの絶対嫌」
(毎日新聞2019/9/19(木) 19:26配信) https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190919-00000068-mai-soci
石木ダム建設予定地
長崎県と同県佐世保市が同県川棚町に建設を計画する石木ダムを巡り、事業に反対する地権者らが19日、長崎市の県庁で中村法道知事と面会した。同日は反対地権者らが予定地内に所有する土地約12万平方メートルの一部の明け渡し期限で、地権者らは改めて計画中止を求めた。
予定地内に暮らす幼児や90代の高齢者を含む13世帯の40人あまりが出席。炭谷(すみや)潤一さん(38)は「知事は『地権者の理解を得る努力をしたい』と言いながら、土地を奪い取ろうとしている」と批判し、高校2年の松本晏奈(はるな)さん(17)は「故郷が奪われるのは絶対嫌。不要なダムのために家を奪わないで」と声を詰まらせながら訴えた。
終了後に記者団の取材に応じた中村知事は「最も経済的、現実的な手段として石木ダムの建設を進める気持ちは変わっていない」と話した。
石木ダムは佐世保市の水不足解消などを目的に計画され、1975年に国が事業採択。県収用委員会が今年5月、約12万平方メートルの明け渡しを命じた。土地の所有権は20日に国に移り、事業完了後に県などに権利が移る。住民の家屋などがある場所は11月18日が立ち退きの期限で、その後は行政代執行も可能になる。【浅野翔太郎、田中韻】
石木ダム反対地権者5年ぶりの知事面会
(テレビ長崎2019年9月19日19:09)http://www.ktn.co.jp/news/20190919271273/
長崎県と佐世保市が川棚町に計画している石木ダム事業をめぐり、いまも建設予定地に住む地権者は19日、一部の土地の明け渡し期限を迎えました。
20日の午前0時をもって、所有権が長崎県に移るのを前に、地権者は中村知事と面会し、直接、ダム建設の中止を求めました。
長崎県庁をおとずれたのは石木ダムの建設予定地に暮らす4歳から92歳までの地権者、約50人です。
一部の土地の明け渡し期限を迎えた19日、知事との面会に臨みました。
「どうかこの事業の見直しを行い、とりやめを行っていただくようお願いします。知事しかいません、よろしくお願いします」
石木ダム事業は佐世保市の水不足解消や川棚川の洪水防止などを目的に1975年からすすめられています。
1982年、長崎県が強制測量に踏み切ったことで地権者との溝は深まり、建設予定地で暮らす住民はいまも、計画に反対の姿勢を崩していません。
ことし5月、長崎県収用委員会は建設に必要な土地を地権者の意思にかかわらず収用できるようにする裁決を下しました。
建物を除く土地は19日までに、家屋を含む土地は11月18日までに明け渡すよう求めていて、20日からは所有権が長崎県に移ります。
その期日である19日、地権者は約5年ぶりに中村知事と面会し、ふるさとへの思いを伝え強制収用の取りやめとダム建設中止を求めました。
地権者 松本 好央 さん 「生まれ育ったこの土地に住み続けることは悪いことなんでしょうか、私たちは何も悪いことはしていません。この先もずっと住み続けていきます」
最高齢・松本マツ さん(92)「この年になってどこに出て行けと言われるのですかね。私は殺されてもよか先はわかりませんので」
炭谷 沙桜 さん 「川原にダムをつくらないで下さい。私は川原が大好きです」
松本 晏奈 さん 「私たちを含む川原全てのものを奪わないでください私たちの思いをどうか受け取ってください」
地権者 炭谷 潤一 さん 「これだけの意思を示している今後も強行にすすめていくのかこれからも知事に問うていきたい」
地権者 岩本 宏之 さん 「とにかく私たちは動かない県がどういう風にするかだけ機動隊入れてやるかしないのか、その2つ」
2時間半におよぶ面会終了後の記者会見で中村知事は、地権者のふるさとへの思いは大切にしたいとしながらも、ダム事業をすすめる姿勢に変わりはないと強調しました。
中村 法道 知事 「一方でこれまでに災害を体験されたりあるいは渇水で非常に不自由な思いをされたりした方々もいらっしゃるわけで。事業全体を進めていく必要があるということを改めて感じた」
また強制的に住民を立ち退かせる行政代執行については、「総合的に慎重に検討すべき課題」とし、改めて話し合いの機会を設けたいと話しました。
5年ぶりの知事面会となりましたが、地権者との溝は埋まらないままです。
「川辺川ダム」残る名称 進まぬ手続き、復活警戒も 国交相・計画中止表明10年
川辺川ダム問題についての記事を掲載します。
2009年に当時の前原誠司国交大臣が川辺川ダムの中止を表明したものの、その後、川辺川ダムなしの河川整備計画の策定が進まず、いまだに川辺川ダム基本計画は廃止されていません。
国交省は長期的に川辺川ダム建設事業の復活を企図しているように思われます。
「川辺川ダム」残る名称 進まぬ手続き、復活警戒も 国交相・計画中止表明10年
(熊本日日新聞2019年9月16日) https://kumanichi.com/feature/kawabegawa/1189100/
(写真)五木村の生活再建や、川辺川流域の砂防事業を担う川辺川ダム砂防事務所=10日、相良村
2009年、当時の前原誠司国土交通相が川辺川ダム建設計画の中止を表明して17日で10年。ダム計画は止まったが、特定多目的ダム法に基づく廃止手続きは取られておらず、法的に終止符は打たれていない。それを象徴するように国、県の関係機関には「川辺川ダム」の名称が残ったまま。ダム反対派の市民団体からは、計画の復活を警戒する声も上がっている。
熊本県相良村柳瀬の「国土交通省九州地方整備局川辺川ダム砂防事務所」。1967年にダム建設事業の最前線拠点として発足した。
前原氏の中止表明後も、水没予定地を抱える五木村で頭地大橋の建設などダム関連4事業を継続し、13年度までに全て終えた。ただ、現在も年間約4億3千万円を投じて水没予定地の維持管理などを続ける。
九地整の浦山洋一河川調査官は「中止はあくまで本体工事。基本計画は残っており、ダムの関連事業は今も実施している。事務所の名称変更は想定していない」と説明する。
一方、県庁本館6階の「川辺川ダム総合対策課」。五木村振興や、ダムに代わる球磨川流域の治水を考える国と県、地元自治体の協議などを担う。吉野昇治課長は「ダムから生じたさまざまな問題について総合的な対策を講じており、課名が実態と合っていないとは思わない」と強調する。
蒲島郁夫知事の「白紙撤回」表明を受け、09年に始まった治水協議の場。「ダムによらない治水策を極限まで追求する」(蒲島知事)として、河床掘削、堤防強化など戦後最大の洪水に対応できる方策を議論しているが、10年過ぎた今も決着していない。
ダム反対を訴える市民団体「子守唄[うた]の里・五木を育む清流川辺川を守る県民の会」の中島康代表(79)=熊本市=は「名称を変えない裏側には、ダム計画をやめたくないという国、県の強い意思があるように感じる」と警戒。「知事が白紙に戻すと表明した以上、早く具体的な手続きに入るべきだ。行政は一度決めたら、引き戻せないのか」と批判を強める。(臼杵大介)
◇川辺川ダム事業 建設省(現国土交通省)が1966年、球磨川流域の洪水防止を目的に計画を発表。のちに国営の農業利水と発電が加わり、総貯水量1億3300万立方メートルの九州最大級の多目的ダム計画になった。しかし、流域で賛否が割れる中、2007年に利水と発電が計画から撤退。08年、蒲島郁夫知事が白紙撤回を表明。09年に民主党政権が中止を打ち出した。
静岡のサクラエビ不漁と山梨のダムの関係は 川の濁りを両県調査 日本軽金属・雨畑ダムの堆砂問題
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日本軽金属・雨畑ダムの堆砂問題について総括的な記事を掲載します。
静岡のサクラエビ不漁と山梨のダムの関係は 川の濁りを両県調査
(産経新聞 2019年9月16日 13時31分) https://news.livedoor.com/article/detail/17090019/
昨年から記録的不漁が続く駿河湾のサクラエビ漁で、湾から約60キロ離れた山梨県のダムがクローズアップされている。
ダム底に堆積した土砂などが湾に注ぐ富士川を濁らせているのが、サクラエビ減少の原因ではないかというものだ。山梨・静岡両県は川の濁りなどを調査しているが、直接の因果関係はいまのところ明らかになっていない。(渡辺浩)
水質調査は見解相違
注目されているのは、アルミ圧延大手の日本軽金属(日軽金・東京)が山梨県早川町に所有する雨畑ダム。1365万立方メートルある総貯水量の9割以上が土砂で埋まっている。
静岡県側には、ダムの土砂堆積などによる富士川水系の濁りとサクラエビ不漁に因果関係があるのでは、との疑念が強い。
静岡県の川勝平太知事は4月、「(不漁との関係が)ないというわけにはいかない。(光合成を阻害された)植物プランクトンや、それを食べる動物プランクトン、魚介類に影響があるのは当然」と発言。由比港漁協(静岡市清水区)は山梨、静岡両県に海への影響を調べるよう求めた。
そこで両県は合同で5~7月に計9日間、水質を調査。県境付近では4日間、国の基準を上回った。ただ、山梨県側は「濁りは降雨によるもの」との見解を示す一方、静岡県側は「そうとは断言できない」と見解が分かれている。
不漁には取り過ぎや海水温の上昇も関係しているとみられ、川の濁りとの強い因果関係を立証するのは難しそうだ。
「全部撤去できない」
そうはいっても、雨畑ダムに問題があるもの事実。ダムは雨畑川の中流にある発電用のダムで、昭和42年に完成。電気は日軽金蒲原製造所(静岡市清水区)に送られている。
当初の予測では100年かけて半分近くが土砂で埋まる計算だったが、土砂の流入に除去が追い付いていない。上流の川底も上がり、台風の際に民家や道で浸水が発生。国土交通省や県は抜本的対策を講じるよう指導していた。
このため日軽金は9月3日、国交省や県などとの検討会を県庁で開いて課題を報告したが、敷根功執行役員は記者団に「会社の力だけではどうしようもない。全部の土砂を撤去するのは現実的ではない」と語り、さじを投げている。
これに対し、山梨県の長崎幸太郎知事は11日の記者会見で「誠意を感じない」と不快感を表明。翌12日に国交省に出向いて日軽金への再指導を求めた。
元県幹部の名前も…
雨畑ダムをめぐっては、日軽金の事実上の関係会社である「ニッケイ工業」が下流の河川敷に汚泥を不法投棄し、増水で一部が流れ出たほか、同社が管理する河川敷にコンクリート廃棄物が不法投棄されていたことも判明。県は刑事告発も視野に調べている。
ニッケイ工業は、雨畑ダムの土砂除去のため昭和52年、日軽金が10%出資して設立。社長の三井時男氏は元県幹部で、平成17年に治水課長で退職すると同時に日軽金に再就職し、ニッケイ工業に移った、
長崎知事は「(三井氏から)県に対して何らかの働きかけがあったとは確認されていない。(OBだからといって)変な疑念を持たれないように、厳格に向き合う」としている。
富士川水系の濁りは山梨県側でも懸念されている。釣り愛好家でつくる山梨本流釣同好会は今月10日、「ここ10年ほど、濁りが悪化している」として、国交省甲府河川国道事務所に雨畑ダムと川の汚染の因果関係を調べるよう求めた。
仮にサクラエビとの関係がないとしても、きれいな川を守ることが両県民の願いであることは間違いない。