水源連:Japan River Keeper Alliance

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2020くまもとこの1年「4」川辺川ダム流水型建設へ方針転換

2020年12月18日
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川辺川ダム問題についてテレビ熊本の配信記事を掲載します。

「完成から14年が経過した益田川ダムですが、ダム完成後、ダムが満たされるほどの大雨は一度も降っておらず、現時点で治水面でどのような効果をもたらすのかまだ検証できていません。 また、そもそも計画されていた川辺川ダムは、堤の高さが108メートルと益田川ダムの2倍以上、これほどの規模の流水型ダムが建設された例は全国でもまだないのです。

また、島根県が行った環境調査では、ダムの下流側、上流側にそれぞれにアユの食み跡が確認されたものの、食み跡は下流側に比べて上流側は少なく、ダムがアユ遡上の阻害要因の一つと考えられています。」

は重要な指摘であると思います。

 

2020くまもとこの1年「4」川辺川ダム流水型建設へ方針転換

(テレビ熊本2020/12/17(木) 18:55)https://news.yahoo.co.jp/articles/32036d42a76b37d2bb8c88f2a05c974efd25a15a

『2020くまもとこの一年』、

17日は、再燃した川辺川ダム問題です。 蒲島知事は、12年前の白紙撤回から方針転換し新たな流水型のダム建設を国に求めると表明しました。 流水型ダムとはどのようなものか、島根県のダムを訪ねました。 11月19日、蒲島知事は議会で大きな決断を表明します。

【蒲島知事】

「私はここに、貯留型特定多目的ダム法に基づく現行の川辺川ダム計画の完全な廃止を国に求めます。その上で」

「新たな流水型のダムを国に求めることを表明いたします」

計画発表から54年が経過した川辺川ダム計画の廃止と、新たな流水型ダムの建設を国に求めるというものでした。

【蒲島知事ON

「命と環境、これを守ること」 「それを考えたときに流水型の洪水調整機能、そして流水型でありますから環境への負荷がとても最少化できる。この両方守るために新しい形のダムをお願いした」

流水型ダムは、命と環境の両方を守る切り札となるのか、本格的な流水型ダムとしては国内で初めて建設された島根県の益田川ダムを訪ねました。

【郡司&島根県益田県土整備事務所 管理第二課 井下 和壽課長】

「近づいてみると、その大きさというのが分かりますよね」

「そうですね、上から見られるのと比べて迫力の方は違うかと思います」

「ここのダムは一番ダムの下側に『洪水吐』という穴が開いておりまして上流から流れてきた水は、そのまま下流の方へ流れているということで 水をためないようになっております」

「貯留型のダムであれば、私たちが今立っているこの場所は水没している可能性が…」

「そうですね、おそらく通常の貯留型ダムであれば、ここらあたりは平常時から水没している高さになると思われますね」

流水型ダムの最大の特徴は、通常ダムの中上部にある水を通すための穴『常用洪水吐』が川底にあること。 平常時は川の流れを妨げません。 穴の高さは3.4メートルと大人の身長の2倍ほどです。 大雨の際は、この2つの穴で流れきれない分が自然とたまり、下流の流量を抑えます。 もし満水になれば上の穴から水が落ちていくため、人為的な、いわゆる緊急放流を行うことはありません。

島根県西部に位置する益田市は、益田川の氾濫による水害に見舞われ、特に昭和58年、1983年の水害では死者39人という未曽有の被害となりました。 益田川ダムは当初、利水も兼ねた多目的ダムとして計画されました。 しかし水没地域で反対運動が起きたため、上流にある農地防災用の笹倉ダムを利水ダムに改修。 益田川ダムは治水専用のダムに計画変更。 また、流水型にすることで砂の堆積がなくなり、高さを下げることで水没地域を減らし2006年に完成しました。 益田川ダムでは、流水型ならではの特徴がいくつかあります。

【郡司&井下さん】

「こちらは何になるんですかね」

「これは『流木捕捉工』と申しまして、洪水が発生するときには上流の方で土砂崩れとかによって木が倒れて、それが流れてくる場合があるんですが、そういった木を構造物でせき止めるとダムの『洪水吐』穴の方に向かって大きな木が流れていかないように止める構造物になっています」 また益田川ダムの2キロほど上流にも。

【郡司&井下さん】

「ここはどういった施設になるんでしょうか」

「ここはグラウンドゴルフ場ですね」

「満水になるくらいの大雨になった場合はここは水没してしまうと」

「そうなります」

「それを前提にして、利活用が図られているということなんですか」

「はいそうです」

しかし、いくつか気になる点もあります。 完成から14年が経過した益田川ダムですが、ダム完成後、ダムが満たされるほどの大雨は一度も降っておらず、現時点で治水面でどのような効果をもたらすのかまだ検証できていません。 また、そもそも計画されていた川辺川ダムは、堤の高さが108メートルと益田川ダムの2倍以上、これほどの規模の流水型ダムが建設された例は全国でもまだないのです。

また、島根県が行った環境調査では、ダムの下流側、上流側にそれぞれにアユの食み跡が確認されたものの、食み跡は下流側に比べて上流側は少なく、ダムがアユ遡上の阻害要因の一つと考えられています。

蒲島知事は、川辺川に建設を要請した新たなダムについて来年3月までに完成までの全体像を示すとしています。

【郡司】

「今後ダム本体着工まで時間がかかることが予想される中で再び民意が『ダムではない』と『流水型でも造ってほしくないんだ』というような民意になった場合には、再度の方針転換というのは有りうるのか。それとも11月の判断が最後の判断だとお考えなんでしょうか?」

【蒲島知事ON】 「この判断についてこれ以上の判断はないと自分で考えておりますので(方針転換は)ないと思います」 (少なくとも知事自身が今後判断を変えることはない?) 「わたくしはありません」

「7月の球磨川氾濫は、支流から始まる」ダム反対団体が独自に調査

2020年12月12日
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7月の球磨川氾濫は、支流から始まったのであって、球磨川本流のはん濫によるものではなく、支流の氾濫で亡くなったのであるから、川辺川ダムがあっても救うことはできなかったという調査結果を市民団体が発表しました。

その記事とニュースを掲載します。

詳しくは、水源連総会資料の次の報告をお読みください。

水源開発問題全国連絡会 2020年総会資料 daa694c1763436981a4817adbf533fd2.pdf  14~16ページ

子守歌の里五木を育む清流川辺川を守る県民の会 中島 康さんの報告「7月4日球磨川水害報告」

水源連でも球磨川氾濫の解析を行って、同様な視点の意見書を提出しています。

水源開発問題全国連絡会 2020年総会資料 daa694c1763436981a4817adbf533fd2.pdf  63~74ページ(右上のページ数は29~40ページ)

「球磨川水害と治水対策に関する水源連の意見書」をお読みください。

 

豪雨の犠牲者20人中19人「支流氾濫が原因」 川辺川ダム反対派が独自調査 人吉市

(熊本日日新聞2020/12/12 11:00) https://this.kiji.is/710321834496999424?c=39546741839462401

(写真) 人吉市の地図などを手に説明する「清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会」の木本雅己事務局長(右)ら=11日、県庁

川辺川へのダム建設に反対する市民団体が11日、熊本県庁で記者会見し、7月の豪雨による人吉市の死者20人のうち、19人は「球磨川本流が氾濫する前に、支流の氾濫が原因で亡くなった」とする独自の調査結果を発表した。

清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会(人吉市)を中心に、災害の直後から調査。犠牲者の近所の人や浸水被害者約50人から話を聞き、防犯カメラの映像なども集め、水の流れと被害の実態を調べた。

その結果、支流から氾濫した水が、市内の低地である球磨川本流沿いに向かって急激に流れたため、19人は本流から水があふれる前の午前7時半すぎごろまでに亡くなったとした。支流別では万江川などが原因で4人、胸川などで2人、山田川や御溝(川)などの氾濫で13人が亡くなったとした。

猫を助けに自宅に戻ったとみられる女性(61)は亡くなった時間が推定できておらず、今後調べるという。

流域郡市民の会の木本雅己事務局長(69)は「支流が原因である以上、川辺川上流にダムを造って球磨川本流のピーク流量を下げても犠牲は減らない」と主張した。

これに対し、県球磨川流域復興局は「本流の水位が上がっていたため、支流の水が本流に流れ込めず、氾濫した」と分析。さらに、支流で氾濫した水の量は本流との比較では少量であり、「本流の水位を下げることが犠牲を減らすことにつながる」と説明した。(太路秀紀、堀江利雅)

 

人吉の犠牲「原因は支流氾濫」市民団体が調査結果公表

(西日本新聞 2020/12/12 11:00)https://www.nishinippon.co.jp/item/n/672688/

人吉の地図

7月の熊本豪雨で氾濫した球磨川流域の被害について、熊本県人吉市の市民団体は11日、同市内の犠牲者20人のほとんどが中小支流の氾濫が原因だったとする現地調査結果を公表した。団体は「ダムがあっても命は守れない」と主張し、中小支流対策の重要性を訴えた。

調査は「清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会」などが豪雨直後から継続的に実施。約50人から証言を得たほか、痕跡から氾濫流の水位や流れの方向を調べた。

調査結果によると、20人が濁流にのまれた時間帯は7月4日午前6時半~同7時半ごろで、発見された場所は屋外と屋内が半々だった。球磨川本流よりも先に、支流の山田川や万江(まえ)川などが氾濫。犠牲者は低地に向かって勢いを増した強い流れにのまれたり、急激に水位が上がって逃げ遅れたりしたとみられるという。

同会は、犠牲者の状況も聞き取り調査。「山田川から水が来て避難の途中に流れ溺死」(屋外、下薩摩瀬町)▽「7時半頃、万江川から浸水。犬を助けようとして流れる」(屋外、下林町)-など詳細に記録している。木本雅己事務局長は「1人を除いて球磨川本流の流れで亡くなった人はいない。この1人も球磨川の氾濫か、事故かは不明」としている。

山田川については、県も10月に時系列の検証結果を公表。おおむね同会の調査結果と整合しているが、県は「下流から上流域に越水が進行」とする一方、同会は「上流から氾濫が始まった」と食い違う。

県河川課は山田川の氾濫は、本流の水位が上昇したことで支流の流れがはけきれず、下流からあふれ出す「バックウオーター現象」の影響を指摘。同会は「バックウオーターの形跡はみられない」とする。

蒲島郁夫知事は「命と環境を両立する」として最大の支流川辺川への流水型ダム建設を進める方針だが、木本事務局長は「大事なのは、死者を出さないためにどうしたらいいのかの検証。ダムで本流の水位を下げても命は救えない」と主張している。 (古川努)

 

犠牲者は支流の氾濫で 市民調査

(NHK2020年12月11日 16時40分) https://www3.nhk.or.jp/lnews/kumamoto/20201211/5000010829.html

7月の豪雨で人吉市内で犠牲になった20人について、市民団体が状況を調べたところ、全員が球磨川のはん濫によるものではなく、支流の氾濫で亡くなっていたなどとする調査結果をまとめました。
この調査は人吉市の市民団体、「清流球磨川・川辺川を未来に手渡す会」のメンバーらが、市内の浸水地域の監視カメラの映像や、およそ50人の住民などへの聞き取りをもとに、市内で犠牲になった20人全員の状況を調べました。
それによりますと、球磨川の流量がピークとなる3時間前の午前6時半から7時すぎの間に、支流の山田川や万江川などが急激に氾濫したのが原因で亡くなり、支流の水がせきとめられて水位が上がる「バックウォーター」の形跡は見られなかったとしています。
そのうえで、「人吉市の犠牲者は全員、球磨川のはん濫によるものでなく、支流のはん濫によるものだ。川辺川ダムが建設されて治水効果を発揮したとしても犠牲者を救うことは出来ない」としています。
これに対し、熊本県は、人吉市の犠牲者との因果関係は不明だが、球磨川の洪水によるバックウォーターで、山田川や万江川が氾濫したことはこれまでの検証で確認されているとしています。
市民団体の木本雅己事務局長は「今後、洪水による死者を出さないための検証がまず最初にあるべきで、それをせずに川辺川ダム建設を進めるのは不合理だ」と話していました。

 

 「支流から氾濫始まる」ダム反対団体が独自に調査

(熊本放送2020/12/11(金) 18:33配信)https://news.yahoo.co.jp/articles/af7cc56fcc3e62941b60f302072f9c147184b215

動画:RKK熊本放送

7月豪雨でなぜ多くの人が亡くなったのか。 市民団体が支流の氾濫が原因だったとする調査結果を公表しました。

「球磨川本流の流れで亡くなった人はいない」(市民団体)

ダム建設に反対する市民団体は、これまでに約50人に聞き取り調査を実施。

その結果、人吉市で死亡した20人のうちほぼ全ての人が、球磨川がピーク流量となる数時間前には、支流の山田川や万江川の氾濫で避難中に流されたり、逃げ遅れたりしていたとの証言を得たということです。

市民団体は、知事が県議会で「人吉の死者は球磨川のバックウォーターで氾濫した山田川が原因」とする主旨の答弁を、ダムを作るための口実と非難しています。

“悪夢”が繰り返される可能性は? 1994年 「佐世保大渇水」 答はゼロ 

2020年12月11日
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1994年の「佐世保大渇水」の悪夢が繰り返される可能性?という記事をお送りしますが、この記事は問題の問いかけだけで、答が書いてありません。

その答は「繰り返される可能性はゼロ」です。

それは下図のとおり、佐世保市水道の給水量が1994年当時と比べて、大幅に小さくなっていて、同程度の渇水では給水制限をほとんど行わなくてもよいレベルになっているからです。


悪夢が繰り返される可能性は? 1994年 「佐世保大渇水」 石木ダム建設事業と水不足

(長崎新聞2020/12/6 11:00) https://this.kiji.is/708120468955774976?c=174761113988793844

 

(写真)少雨が続いた佐世保市では1994年8月1日に南部地区から給水制限が始まった。住民はバケツに水をため、節水を強いられた=同市大塔町

長崎県と佐世保市が東彼川棚町に計画する石木ダム建設事業。市は慢性的な水不足を理由にダムの必要性を訴える。引き合いに出されるのが1994年の「佐世保大渇水」。給水制限が264日間に及び、「佐世保砂漠」と呼ばれる事態に陥った。当時を振り返り、“悪夢”が繰り返される可能性はあるのか探った。

1994年8月1日。佐世保市には、目に見えない南北の“境界線”が引かれた。
空梅雨の影響で、水源に乏しい南部地区では貯水量が見る見る減った。市は水の供給を一定時間に制限する対策を決行。市職員ら約160人が、約8万1100人が暮らす南部地区へ向かい、各家庭や商店の止水栓を閉めて回った。
給水時間は1日10時間に設定。8月7日以降は5~6時間に短縮した。住民はこぞってポリタンクを購入。水が出る時間帯には職場を離れ、自宅の浴槽やバケツなどに水をためる姿もあった。シャワーや洗濯の残り水はトイレにも使い回し、節水を強いられた。
飲食店やホテルは大型タンクを設置するなどして営業を継続。学校や福祉施設、観光地…。あらゆる場所に影響は広がった。
住民の苦労や不安をよそに、太陽は容赦なく照り続けた。南部地区唯一の水がめ、下の原ダムの貯水率は20%を割り、さらに危険な水域へと入っていった。

■給水 1日わずか3時間 直近26年間は制限なし

佐世保の水不足は、急激に深刻さの度合いを増していった。
1994年8月24、25両日の計48時間、佐世保市は給水をわずか5時間に絞る措置を断行。さらに、26日以降は1日3~4時間に減らした。各地で渇水が問題化していたが、市の対策は「全国一厳しい」と言われた。水が出る時間帯は猫の目のように変わり、住民は困惑した。

(写真)給水時間に合わせた止水栓開閉作業の様子=1994年10月、佐世保市京坪町

市内の水道網は南部と北部で別々に敷設され、双方で融通ができなかった。
その境界にある稲荷町の理髪店は、わずか数百メートルの距離で南部に区分けされた。店長の瀬脇勝一さん(87)は「バケツのお湯を電動ポンプでくみ上げて洗髪していた。同じ市民なのに南北で生活環境がまるで違った」。店先から見える北部の町並みをうらやみながら眺めていた。
9月6日。給水制限はいよいよ15万1300人が住む北部地区に広がり、市内全域が対象に。市職員だけでは止水栓の開閉作業が間に合わず、10月25日からは各町内会に作業を委託した。祇園町一組の町内会長だった林俊孝さん(75)は「開栓が遅れると地域住民の関係が悪化しかねない。いやな仕事だった」。苦々しい表情を浮かべた。
水不足は消防活動にも影を落とした。各地の貯水池が干上がる可能性があり、消防隊員は担当区域を回り、消火に使えそうな水源を各自のノートにまとめ、警戒感を強めた。
給水制限下で惨事は起きた。12月4日早朝、市中心部の住宅地で火災が発生。いち早く駆け付けた60代男性は、ためていた水を掛けたが、「どうにもならなかった」。消防隊によって鎮火されたが、計4棟が全焼し、焼け跡から家族4人の遺体が見つかった。
当時消火栓は使用できる状態だったため、市消防局は「給水制限の影響はない」との認識を示した。ただ火災記録には初期消火は「なし」と記載された。現場にいた職員は言う。「放水は初期消火の基本。水道が使えない状況はリスクになる」
給水制限は翌年4月26日に解除され、市民はようやく渇水の長いトンネルを抜けた。市が投じた緊急対策費は約50億円に上った。その後も水不足の恐れは度々あったが、この26年間で、止水栓を閉める事態には至っていない。大渇水を教訓に南部と北部の水道管は一部連結され、一定量の融通が可能になった。
それでも、石木ダムの建設を推進する市民団体の寺山燎二会長(82)は「水源が乏しいことに変わりはない。ダムは暮らしの安心感になる」と訴える。
美容室を営み、当時、子育て中だった50代女性は「水がないと衛生環境を守れない。もし今渇水が起きたら、新型コロナウイルス対策との二重苦になる」と心配する。
石木ダムの建設で問題は解決するのか-。そう問い掛けると、女性は首をかしげて言った。
「それは分からない」

 

中村敦夫末世を生きる辻説法 ダム建設中止一転し容認へ ぶれっぱなし熊本県知事の変節

2020年12月11日
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中村敦夫さんの「末世を生きる辻説法」をお送りします。

蒲島郁夫熊本県知事はここに書いてあるように、信念の人ではありません。

何度か書きましたように、2008年の川辺川ダム建設計画白紙撤回は蒲島氏の本意ではありませんでした。だから、今回、あっという間に川辺川ダム推進に変わってしまったのです。

 

中村敦夫 末世を生きる辻説法 ダム建設中止一転し容認へ ぶれっぱなし熊本県知事の変節

(日刊ゲンダイ2020/12/04 06:00) https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/282188

権力の座に長く居続けると、脳みその回転が鈍くなり、誇りも覇気も消えてしまうのか。

今年4期目となる熊本県・蒲島郁夫知事は、08年に川辺川ダム建設計画を、自ら白紙撤回した。ところが、12年後の今になって、再び計画を復活させると発表し、周囲を仰天させている。

20年前には、財政赤字と環境破壊の元凶としてダム建設の不条理がやり玉に挙げられた。建設利権を死守したかったのはダム事業を天下りの宝庫と拝む国交省の役人や、日本中の河川にコンクリートを流し込み、税金を丸のみしようというゼネコン、土木企業、そしておこぼれを狙う族議員や自治体の長たちだった。

そんな時に川辺川ダム建設中止を決めた蒲島知事は一瞬、時代のヒーローのように賛美された。ところが、事情通によくよく聞くと、本人はぶれっぱなしの頼りない人格だそうである。

(写真)川辺川ダムの建設容認を表明した蒲島郁夫知事(C)共同通信社

権力の座に長く居続けると、脳みその回転が鈍くなり、誇りも覇気も消えてしまうのか。
今年4期目となる熊本県・蒲島郁夫知事は、08年に川辺川ダム建設計画を、自ら白紙撤回した。ところが、12年後の今になって、再び計画を復活させると発表し、周囲を仰天させている。

20年前には、財政赤字と環境破壊の元凶としてダム建設の不条理がやり玉に挙げられた。建設利権を死守したかったのはダム事業を天下りの宝庫と拝む国交省の役人や、日本中の河川にコンクリートを流し込み、税金を丸のみしようというゼネコン、土木企業、そしておこぼれを狙う族議員や自治体の長たちだった。

そんな時に川辺川ダム建設中止を決めた蒲島知事は一瞬、時代のヒーローのように賛美された。ところが、事情通によくよく聞くと、本人はぶれっぱなしの頼りない人格だそうである。

今年7月に熊本を襲った大豪雨で、川辺川が合流する球磨川が氾濫し、65人の死者が出た。
洪水対策については、これまでいろいろと議論があり、ダムを造らない流域治水の10種の方法が提案されていた。しかし、知事が具体的に計画を進めることはなく、予算不足を理由に放置してきた。
この日和見と決断力の欠如が、悲劇の原因となった。少しでも対策を実行していれば、被害の拡大に歯止めがかかったはずである。

さて、ここで惨事便乗型勢力の出番だ。国交省、自民党、ダム派の市町村長が勢いを盛り返し、川辺川ダム復活の大合唱が始まった。よろよろ知事は、さすがに全面降伏は恥ずかしかったのか、「民意に変化があった」と弁解。しかし、災害からまだ4カ月、民意の変化を知るほど現地の人々と話し合っていない。

国交省がここで悪知恵を出す。

「従来の貯留型ダムはやめ、流水型を採用するから、環境破壊もない。川辺川ダムがあれば、今回の浸水の60%は防げた」

流水型ダムは、ダムの上部と底の部分に穴を通し、水の流通をスムーズにする。土地の漁師たちに言わせれば、穴には流木やごみがひっかかり、そこへ流砂がたまり、ヘドロや洪水の原因になるという。60%の浸水を防げるというのも確かな根拠がない。しかもこれは貯留型ダムを想定した数字だ。ここらをすり替えるペテンは、もういい加減にしたらどうだ。

「原発は安全です」とどこが違う?

 

 

川辺川にダム推進…蒲島知事の方針転換、背景と課題は(熊日の総括記事)

2020年12月3日
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川辺川ダム推進になった蒲島郁夫・熊本県知事の方針転換について熊本日日新聞の総括記事を掲載します。長文の記事です。

前にも述べたように、蒲島知事は元々、脱ダム派ではありません。2008年の川辺川ダムの白紙撤回を求める見解は蒲島知事の本意ではありませんでした。

当初はダム推進の見解を発表するつもりでしたが、その直前に、ダムサイト予定地の相良村長と、ダムの最大の受益地とされていた人吉市長が川辺川ダムの白紙撤回を表明したことにより、蒲島氏は予定を変え、「球磨川は県民の宝であるから、川辺川ダムの白紙撤回を求める」との見解を発表したのではないかと推測されます。

それだけに、今年7月の球磨川氾濫後の蒲島知事の方針転換はかなり早く、あっという間に川辺川ダム推進になりました。

しかし、川辺川ダム推進のために必要な、法に基づくアセス手続きは「4~6年」(環境省)と見込まれていますので、ダム中止に向けての闘いの余地はまだまだあると思います。

 

川辺川にダム推進蒲島知事の方針転換、背景と課題は

(熊本日日新聞2020/12/2 17:52) https://this.kiji.is/706791124716831841?c=39546741839462401

熊本県の蒲島郁夫知事が2008年に「白紙撤回」した、球磨川の支流・川辺川へのダム建設計画が再び動き出す公算が大きくなった。ダム推進に方針転換した決断の背景と、今後の課題を追った。(野方信助、内田裕之、太路秀紀、臼杵大介、嶋田昇平、並松昭光)

※2020年11月に熊日朝刊に掲載した連載「熊本豪雨 川と共に」第5部「転換 知事表明の余波」全4回の記事をまとめ、写真・グラフィックを追加しました。文中敬称略

(写真)川辺川ダム計画で水没する予定となる五木村頭地地区。川辺川に架かる橋は、手前が頭地大橋、奥が小八重橋。左は頭地代替地。中央奥が相良村方面=10月16日(高見伸、小型無人機で撮影)

復興へ急いだ結論 蒲島知事「民意動いている」と自信

「現在の民意は命と環境の両立と受け止めた。これこそが流域住民に共通する心からの願いではないか」

11月19日、県議会本会議場で開かれた全員協議会。知事の蒲島はそう述べると、川辺川に流水型ダムの建設を国に求める考えを表明した。4期目がスタートして以降、最大の政治決断。蒲島は引き締まった面持ちで真っすぐ正面を見据え、その表情に迷いは見られなかった。

(写真)熊本県議会全員協議会で、川辺川に流水型ダムの建設を求める考えを表明した蒲島郁夫知事=2020年11月19日、県議会本会議場(後藤仁孝)

7月豪雨発生から4カ月余り。ダム議論再燃の口火を切ったのは蒲島本人だった。

「私が知事の間は(川辺川ダム)計画の復活はない」。豪雨災害の被害が明らかになり始めた7月5日、報道陣に球磨川の治水対策を問われ、蒲島はきっぱりと言い切った。

しかし、自民党県連はこの発言に気色ばむ。「被害の全容も分かっておらず、まだ人命救助の段階だ。ダムの是非に触れるには早すぎる」。幹部の1人であるベテラン県議はすぐに県幹部の電話を鳴らし、くぎを刺した。

その影響もあってか、翌6日、蒲島は報道陣とのやりとりで、軌道修正に動いた。「どういう治水対策をやるべきか、新しいダムのあり方についても考える」。ダムが治水論議のそ上に再び乗った瞬間だった。

 その後、ダム建設容認の流れは加速した。流域12市町村でつくる川辺川ダム建設促進協議会は8月にダムを含めた治水策の実施を求める決議文を採択。自民も9月県議会などでダムの必要性をたびたび強調し、「決断次第では不信任案もあり得る」との強硬論も一部で聞かれた。

「今回は流域市町村がダムを望んでいる。自民党も(違う判断を)2度は許さないだろう」。蒲島が周囲に漏らすこともあったという。県幹部の1人も「あれだけの被害を受け、何もやらないのは行政の不作為を問われかねない」と心中を察した。

(写真)球磨川が氾濫し、大量の土砂が流れ込んだ人吉市街地。泥にまみれたピアノもあった=7月4日、同市九日町(高見伸)

10月、国土交通省が、川辺川ダムが存在した場合、人吉市で浸水面積が約6割減少との推定値を公表。蒲島は「ダムなし治水の実現性は遠い」と述べ、事実上ダムを含めた治水の検討に入った。

ただ、蒲島は民意の把握にもこだわった。10月中旬から住民らへの意見聴取会を計30回開催。10月末に共同通信が報じたダムの是非を問う調査結果も背中を押した。結果は反対がやや上回ったが、賛成者の6割超が豪雨後に賛成に転じていた。「私の肌感覚と同じ。反対一色だった2008年とは違う。民意は動いている」と自信を深めた。

この間、ダムに反対する市民団体などからは「ダムありきではないか」との批判が噴出。意見聴取会も過密な日程で組まれたため、“急ぎ足”の議論を疑問視する声も上がった。それでも蒲島は「治水の方向性が決まらないと、復旧復興プランを立てられない」と結論を急いだ。

(写真)県議会全員協議会で川辺川に流水型ダムの建設を求める考えを表明した後、記者会見に臨む蒲島郁夫知事=11月19日、県庁(後藤仁孝)

蒲島が目指す新たな治水は環境保全を強く意識した「緑の流域治水」だが、「国がどこまでやってくれるかはこれからの話。今日はあくまで出発点だ」と県幹部。計画から半世紀を超えても、住民の賛否が割れる川辺川ダム計画。県幹部の言葉はさらに続く道のりの険しさを物語っている。

 流水型ダム、実現へ課題山積 能力は?環境アセスは?

知事の蒲島が、川辺川に流水型ダムの建設を国に求める考えを表明した翌日の11月20日、東京・霞が関。国土交通相の赤羽一嘉は同省大臣応接室で、蒲島に笑顔で向き合った。

「命と環境を守るという観点から、流水型ダム建設を含めた『緑の流域治水』をお願いしたい」(蒲島)
「全面的に受け止めたい。スピード感を持って検討に入らせていただく」(赤羽)

会談は終始、和やかな雰囲気で進んだ。12年前、現行の川辺川ダム計画を「白紙撤回」した17日後に蒲島が国交相金子一義(当時)と対峙[たいじ]した時とは正反対の光景だった。

(写真)赤羽一嘉国土交通相(右)と面会し、川辺川に新たな治水専用の流水型ダム建設を要請する蒲島郁夫知事=11月20日、国交省

河川や道路などインフラ整備で、自治体の要望に国交省トップが即答で「OKサイン」を出すのは異例だ。環境影響評価(アセスメント)のほか、ダム整備の方向性を流域市町村や住民と確認する体制づくりなどの要請も、ほぼ“満額回答”。会談終了後、蒲島は「(国と)同じ方向性を共有できた」と充足感を漂わせた。

県幹部は、7月豪雨を機に「白紙撤回」から方針転換した蒲島の思いに触れ、「知事は重い決断をした。国には県が求める環境対策は全てのんでもらう。それが(ダム容認の)条件だ」と明かす。

赤羽の発言を受けて同省は今後、球磨川水系で川辺川への流水型ダム建設を柱にさまざまな対策を総動員した「流域治水」の検討を加速させる。ただ、蒲島が「命と環境の両立」を託した流水型ダムには、課題も山積する。

流水型は環境負荷が少ないとされ、近年導入が増えたが、国交省によると完成済みは全国に5基のみ。「豪雨時の実績データがなく、環境への影響は不透明」(大熊孝・新潟大名誉教授)との指摘がある。

 洪水調節能力についても同省治水課は「貯留型ダムと比べて知見や事例が少ない」と認める。貯留型の川辺川ダム計画を流水型に置き換えると国内最大規模になる見通しで、県幹部の中には「既存の流水型では、清流を守れるか疑問。さらなる技術確立を」との声もある。

さらに、赤羽が「全面的に(実施の)方向性で考えたい」と“約束”した環境アセスも不安がないわけではない。

川辺川ダムでは、特定多目的ダム法に基づく基本計画の策定(1976年)や一部変更(98年)はアセス法施行(99年)より前で、法律上のアセスは実施されていない。国は過去に開いた事業説明会などで、猛禽[もうきん]類など生態系の保全対策や調査結果を公開し、「既に法のアセスと同等の調査を実施している」との立場を取ってきた。

(写真)川辺川ダムの建設予定地。奥は五木村方面=11月16日、相良村(池田祐介、小型無人機で撮影)

法に基づくアセス手続きは「4~6年」(環境省)と見込まれており、10年程度とされる流水型ダムの完成時期にも影響する。蒲島が主張する「法に基づく環境アセス、あるいはそれと同等の環境アセス」が、どのような形で実施されるかは、不透明な状況だ。

蒲島の今回の上京日程には、自民党本部に加え、国交相ポストを握る公明党本部への要請も組み込まれた。県幹部の1人はその狙いを解説する。「ダムと環境の両立は容易ではない。環境政策を重視する公明の力添えも得たい」

 「ダムによらない治水」 議論12年、合意形成できず

「ダムを建設しないことを選択すれば、流域住民に水害を受忍していただかざるを得ないことになる」。2008年8月25日、川辺川ダム建設への賛否表明を控えた知事蒲島郁夫に対し、当時の九州地方整備局長岡本博が強烈な一言を放った。

この一言は省内からも「言葉が過ぎる」と批判を浴びたが、「ダム以外での治水安全度向上は不可能だ」とする、ダムに固執する国交省の揺るぎない姿勢も透けて見えた。

9月11日、蒲島が白紙撤回を表明。国交省、県、流域市町村は共に「ダムによらない治水」を追求する立場に立たされた。しかし、八ツ場ダム(群馬県)建設を巡る住民訴訟にも関わった東京弁護士会所属の弁護士、西島和[いずみ](51)は、この12年間の議論を「ダムによらない治水を検討するふりをする議論だった」と切って捨てる。

(写真)「ダムによらない治水を検討する場」の初会合で、流域の市町村長の話を聞く九州地方整備局長と蒲島知事(中央)=2009年1月13日、県庁(横井誠)

西島は、河道掘削など球磨川の河川改修関連予算の推移を見れば一目瞭然という。ダム計画が中止になった09年度以降、国の予算に県や市町村分を合わせても予算は年間15億~30億円程度で、08年時点の残事業費が約1300億円だったダムと比べて大きな開きがある。「ダムを造る事業費は認めるが、通常の河川改修には予算をつけないという姿勢がうかがえる」

12年間の治水議論は、対策を巡って利害が対立した流域市町村の姿もあぶり出した。

「ダムによらない治水を検討する場」(09年1月~15年2月)に続き、仕切り直して15年3月に国交省、県、流域12市町村で設けた「球磨川治水対策協議会」。ダム新設以外の治水策を検討する中、中流部の河道掘削に対しては当の球磨村から「瀬も全面的に掘削すると球磨川のイメージが悪くなる」と慎重な姿勢を示した。

川幅を広げる引堤[ひきてい]や堤防のかさ上げには、対象の人吉市が「中心部の大規模な移転を伴い、交渉などに年数がかかる」。遊水地の整備は、錦町やあさぎり町が「優良農地が失われる」と危ぶんだ。

市房ダムの改修に水上村が難色を示し、川辺川と球磨川下流を放水路でつなぐ案に八代市が懸念を表明。まさに“総論賛成、各論反対”の様相を呈した。

 結局、最大1兆2000億円の事業費、200年の工期という「実現不可能」な数字を国交省が示したこともあり、市町村の意見の一致を見ないまま、7月の豪雨を迎えた。

結論を得られなかった原因について、12年前から議論に加わっていた元人吉市長の田中信孝(73)は「50年後、100年後でもダムを建設してみせるぞという国の意図もあるが、県が議論を主導しきれなかったからだ」と指摘する。

(写真)2019年11月にあった球磨川治水対策協議会。結局、この場で対策を決められないまま、2020年7月の豪雨を迎えた=熊本市

蒲島が今年11月19日に表明した新たな治水方針「緑の流域治水」の議論は、15年に設けた治水対策協議会を衣替えし、九州農政局や熊本地方気象台も加えた「球磨川流域治水協議会」の場に移る。だが、流水型ダムの新設以外、河道掘削や遊水地など実現できなかった対策の“総動員”を目指す方針は説得力に乏しい。蒲島のリーダーシップが試される。

ダム以外の治水論議欠かせず 避難体制の議論後回し

「避難場所が浸水して使えなかった」「避難に使う道が水没した」-。熊本県が10月中旬から実施した球磨川流域住民らへの意見聴取会。住民らの訴えは、急激に水位が上昇する中での避難行動の難しさを浮かび上がらせた。

(写真)球磨川治水に関する住民の意見を聴く会では、川辺川ダムの賛否を巡り、さまざまな意見が相次いだ=10月15日、人吉市(後藤仁孝)

知事の蒲島郁夫が球磨川治水対策の大方針として掲げた「緑の流域治水」。ダムや河床掘削、宅地かさ上げなどのハード整備と、避難体制の強化などソフト対策を含めた総合的な治水対策を意味するが、柱となるべきソフト対策の充実に向けた具体的検討はこれからだ。

県が、国や流域市町村と取り組んだ豪雨の検証委員会では「ダムによらない治水」と川辺川ダムが存在した場合の治水効果に議論が集中し、ソフト対策の議論はほとんど交わされなかった。

「避難勧告などが雨音の影響や電話回線、ネット回線の断線で十分に伝わらなかった」「住民が宅地かさ上げなどの河川整備で安全と判断し、避難が遅れた事例があった」。全134ページの報告書のうち、ソフト対策や初動対応の説明はわずか26ページにとどまる。

(写真)熊本豪雨で浸水した人吉市街地。奥が球磨川にかかる大橋=7月4日午前9時20分ごろ、人吉市寺町

内容も被災6市町村が避難所を開設した時間や避難勧告・避難指示を出した時間などを時系列でまとめただけ。深夜に避難情報を発信した自治体も多く、情報提供のタイミングが適切だったかなど課題は山積したままだ。

県は当面の対策として、ハザードマップ作成などで市町村を支援。県幹部は、本年度内に国と示す緊急治水対策プロジェクトで、情報発信の在り方など短期間に取り組むソフト対策のメニューをまとめると言い、「しっかり強化を進めていく」と話す。

ただ、識者からは検証の不十分さを指摘する声が出ている。熊本大准教授の竹内裕希子(地域防災学)は「避難所開設が遅くなった経緯などを具体的に検討して課題をはっきりさせなければ改善は進まない」と指摘。「ダムはどこで雨が降るかで治水効果が変わる。複数の降雨パターンを想定したシナリオを作り、避難行動に生かすことも必要だ」と訴える。

来年の梅雨に向け、当面のハード対策も喫緊の課題となる。特に流域住民の不満と懸念が根強いのが河川への土砂堆積問題だ。

「昔より川底に土砂がたまっており、洪水の原因になったのでは」「掘削を要望しても全然進まない」。意見聴取会では人吉市や相良村など多くの地域で、河床掘削を望む声が相次いだ。

(写真)熊本豪雨では球磨川やその支流に多くの土砂が堆積した=8月30日、球磨村神瀬(小野宏明)

「暴れ川」とも呼ばれ、洪水の危険性が指摘されている球磨川流域で、なぜ基本的な治水対策が進まなかったのか。県幹部はその理由を「予算に限りがあり、市町村の要望があった全ての場所には対応できなかった」と明かす。

県は今回の7月豪雨で、県南地域を中心に県管理127河川に計107万立方メートルの土砂が堆積していると推計。20年度に確保した掘削予算28億円をさらに増額して来年の梅雨時期までの撤去完了を目指す方針だ。

「ダム完成まで何もしないのではなく、できることをどんどん進める」と強調する蒲島。新たなダム計画が皮肉にも、これまで遅れてきたダム以外の治水対策を加速させる糸口となっている。

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