水源連の最新ニュース
2000年に中止が決まった徳島県の直轄ダム「細川内ダム」の計画地「旧木頭村」について読売の記事の続きです。
多くの山村は過疎化の問題に直面していますが、もし細川内ダムができていたら、旧木頭村は過疎化が一層進んでいたのではないでしょうか。
元村長の藤田恵さん(水源連顧問)のお話しも紹介されています。
子供の声消えた
産業衰退過疎止まらず
「メーン」「ドォー」
元日の朝、徳島県旧木頭村(きとうそん)(現那賀(なか)町)の体育館。小学生たちの剣道場「木頭錬心館」の初げいこは、帰省したOBらも加わり、約40人でにぎわった。
広場が少ない山あいでもできる剣道は、戦前から盛んだった。村民らが平家の落人の血を引いているからだとの伝承まであり、「村技」と言われてきた。
特産のユズを加工販売する会社「黄金の村」を作った藤田恭嗣(やすし)(41)も小4の頃から通った。当時は約30人が練習に励み、県大会の団体戦で優勝を重ねた。
だが、今では6人に減り、チームを組むことさえ難しい。「村で子供の声をほとんど聞かなくなった。寂しいもんです」と、約40年間ボランティアで指導してきた岡田豊(60)は嘆く。
深刻な過疎は、若年層がやせ細った、極めていびつな人口構成に表れている。
村の面積の98%は山林。人口が現在の3倍の4115人とピークだった1965年当時、基幹産業の林業は、国の「拡大造林」政策で活況に沸いた。補助金を受け、建材やパルプ用の木材を大量に切り出し、スギやヒノキの苗を植える。それでも木材は不足し、どんどん値上がりした。
林業に従事した元村議の田村好(よしみ)(84)は、当時の様子を鮮明に覚えている。
どの山も人手が足りず、他県から出稼ぎが押し寄せた。宿舎となる旅館は10軒ほどあり、映画館もあった。父が営む商店では酒やたばこが飛ぶように売れ、「今年の売り上げは400万円」と聞かされた。サラリーマンの平均年収が40万円余りだった頃の話だ。
田村は振り返る。「徳島市に出て『木頭から来た』と言えば、なんぼでもお金を貸してくれた。木頭は、金持ちの代名詞やった」
伐採された木を引き取る業者には当時、木材引取税が課せられた。村が得た税収は63年度、1018万円で、歳入全体の1割を占めた。村の財政は潤った。
64年の木材輸入の全面自由化で、安価な「外材」が流通し始め、時代の時計はカチリと音を立てた。
76年秋、台風の豪雨で6人が死亡する大規模な山崩れが起き、復旧工事が急ピッチで始まった。4年後、林業からの転職が進んだ建設業の就業人口は林業を追い越した。その結果、国が村内で計画する「細川内(ほそごうち)ダム」への期待も高まったのだ。
だが、建設業は今、公共事業の削減で苦境と向き合う。木頭にある5業者の受注額は、98年度の17億円から、2012年度には7億円に激減。県建設業協会那賀支部参事の川原武志(69)は「明るい話題は何ひとつない」とこぼす。
「平成の大合併」も、大きな変化をもたらした。
村は05年、那賀川下流の4町村と合併した。役場の本庁がある最下流の旧鷲敷(わじき)町まで、車で1時間。「木頭支所」は地域振興室だけになり、かつて60人以上いた職員は10人に減った。
副支所長の北岡仁志(56)は「決定権もマンパワーもなくなり、地域のことを地域で決められなくなった」と複雑な心境を明かす。
木頭にある2小学校と1中学校の児童・生徒数は現在、57人。唯一の高校分校は05年春に廃校となり、今年、中学を卒業する6人全員が木頭を出ていく。
産業が廃れ、人材も減る現状に、かつて「ダムに頼らない村づくり」を進めた元村長の藤田恵(75)は「たった一人でいい。『村を活気づけたい』とがむしゃらになれる人間がいれば、流れは変わるはず」と話した。そして、こう続けた。
「過疎化は何十年も前から続いてきた、この国の構造的な問題。私らがじたばたしても、変わらんかった。止めるんは、ダムよりずっと難しかった」(敬称略)
少子化により、日本の人口は2008年の1億2808万人をピークに減少に転じた。地方では、大都市圏への転出が人口減に拍車をかけている。
民間の研究機関「日本創成会議」は昨年5月、2010~40年の30年間に、全国の半数の市区町村で、出産の中心世代となる20、30歳代の女性が半分以下に減るとの推計を発表。これらの自治体を「消滅可能性都市」と呼んだ。人口流出の要因として、働く場が少ないことを挙げた。
那賀町の若年女性数は、522人(10年)から85人に減ると推計され、減少率は83.7%。四国で最も高く、全国でも13位だった。全国ワースト1は、群馬県南牧(なんもく)村の89.9%だった。

(写真)木頭錬心館の初げいこで黙想する子供ら。普段は6人の道場も、大勢が帰省してにぎわった(1日)
(写真) 山あいを流れる那賀川に沿って点在する旧木頭村の集落(昨年12月、本社ヘリから) 記事へ(写真)山あいを流れる那賀川に沿って点在する旧木頭村の集落(昨年12月、本社ヘリから)
佐賀県の直轄ダム「城原川ダム(じょうばるがわダム)」は計画浮上から47年、半世紀が迫ろうとしており、必要性があるとは思われません。中止を決定して地元の生活再建策を進めるべきです。
=国策と地方=(4) 城原川ダム
■計画浮上47年「もう限界」 住民生活設計できず
「治水は喫緊の課題」-。昨年10月、佐賀市で城原川ダム(神埼市)の会議が開かれた。九州地方整備局幹部は冒頭と最後のあいさつで、「差し迫って重要」を意味する「喫緊」を繰り返した。だが、その言葉と事業のスピード感は一致しない。この日の流域自治体と協議する「検討の場」の準備会の再開でさえ、3年10カ月を要した。
計画浮上から47年、半世紀が迫ろうとしている城原川ダム。住民はダム建設をめぐり賛否を争ってきた。当初、城原川の洪水対策と都市用水確保などを目的にしていたが、当時の井本勇知事が2001年に利水を断念し、焦点は治水の必要性に移った。
03年、知事に就いた古川康氏は、流域委員会や首長会議の場を設けた。05年には「環境と治水が両立する未来型」として、洪水時にだけ水をためる治水専用の「流水型ダム」建設を国に申し入れた。この時点で30年以上の月日が流れ、住民は建設推進派、反対派ともに「やっと決着した」。安堵(あんど)感をにじませていた。
ところが国交省が提案の結論を出す前に、「コンクリートから人へ」を掲げた民主党が09年に政権を獲る。城原川ダムは再検証の対象となり、再び建設計画が止まった。その後、具体的な検証は進まず、計画は宙に浮く。12年末に自民党政権に戻っても進展なく、再開した準備会も代替案の検証結果は示されなかった。
「もう、限界」。準備会を傍聴したダム水没予定地の地区住民らでつくる「城原川ダム対策委員会」の眞島修会長(77)は、言葉を絞り出す。地区は高齢者ばかり、家屋もぼろぼろ。将来の生活設計さえ、できないままだ。「すぐにダム問題に取り組んでくれる人を選びたい。でも、誰もダムに触れない」
候補者の訴えで聞こえてくるのは子育てや教育、産業振興…。治水対策としてダムの必要性を問う佐賀新聞社の調査に、4候補の答えは分かれる。
飯盛良隆候補は「今後の自然災害を計算上の理論で防ぐことはできない」と必要性を否定。樋渡啓祐候補は近年の集中豪雨に触れ「治水対策には万全を期す必要があり、ダムは有効な手段」と指摘する。山口祥義候補と島谷幸宏候補は賛否を明確にせず、山口候補は「早急にダム事業の検証を進めてもらいたい」、島谷候補は「環境、文化財、治水効果などを総合的に検討しないと分からない」。
池田直氏、香月熊雄氏、井本氏、古川氏-。知事が4人交代してもなお、結論が出ない城原川ダム問題。「古川さんも、国の方針が出たら…と受け身で、大きなウエートがなかった感じを受けた。次の知事にはもっと国へ積極的な提案をしてくれることを期待したい」と、ダムによらない治水対策を訴える「城原川を考える会」の佐藤悦子代表(61)。
賛成、反対によらず、一致するのは「この問題、そして住民を置き去りにしないで。早く結論を」との思い。住民は悲痛な思いを抱きながら、知事選を見つめている。
(写真)「ダム早期建設着手」を訴える看板横に貼られた知事選ポスター。車で少し走ると「反対」の看板も立つ=神埼市脊振町岩政倉今
アメリカのダム撤去の映画「ダムネーション」の市民上映会が1月11日に各地で開かれます。
群馬、山形、浜松、鎌倉での上映会についての記事を掲載します。
米国・ダム撤去の実態は? ドキュメンタリー映画「ダムネーション」
(東京新聞群馬版 2015年1月7日) http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20150107/CK2015010702000172.html
米国で進むダム撤去の動きを追ったドキュメンタリー映画「ダムネーション」の上映会が十一日、前橋、高崎両市で開かれる。本体工事が始まろうとしている八ッ場(やんば)ダム(長野原町)を、いま一度考えるきっかけにしてもらおうと、二つの市民団体が主催する。
ダムネーションは、米国のアウトドア用品メーカー「パタゴニア」の提供で二〇一四年に発表された。八十七分。
製作陣によると、米国では二十年前から、老朽化するダムをめぐり、維持や改修で得られる利益より、ダムで生じる経済や環境、安全面のコストが上回るとして、撤去する動きが広がりつつあるという。
映画は、ダムが爆破される場面を含め、いくつかのダム撤去の動きを追う。ダムでせき止められていた水が流れるようになり、サケやニジマスがダム跡地の上流で再び見られるようになった様子も描いている。
前橋市南町の市民文化会館では午後一時半から。参加費五百円。八ッ場あしたの会などが主催。高崎市高松町の高崎シティギャラリーでは午後二時半から。入場料は当日千二百円。高校生以下無料。主催はSTOP八ッ場ダム・市民ネット。
(伊藤弘喜)
記録映画:「ダム撤去」あす上映 映画で八ッ場ダムの必要性考える 前橋と高崎で /群馬
(毎日新聞群馬版 2015年01月10日)http://mainichi.jp/area/gunma/news/20150110ddlk10040045000c.html
1月11日は「川の日」。米国で不要ダムの撤去に取り組む人々の姿を描いた記録映画「ダムネーション」が、前橋市と高崎市で上映される。長野原町で今月、本体工事が始まる八ッ場ダムの必要性を考えてもらう狙いがあるという。
映画はアウトドア衣料メーカー「パタゴニア」が提供。米国全土に7万5000基あるダムの多くが川を変貌させ、魚を絶滅させているとして、本当に必要なのかを検証する。
ダム維持に高いコストがかかる割に、かんがいや発電の「利水」でも、洪水防止の「治水」でも価値が低かったダムが次々に撤去される。ダムが爆破される瞬間も映し出す。米国ではこれまでに約1000基が撤去され、よみがえった川にサケが遡上(そじょう)する姿をカメラが捉えている。
上野村在住の哲学者、内山節さん(64)は「自然な川とともに生きようとする活動のなかに、人間たちが手放してはいけない大事なものの回復があることを教えてくれる」とメッセージを寄せる。
11日の上映会は、午後1時半から前橋市民文化会館の第5会議室。主催は「八ッ場あしたの会」と「八ッ場ダムをストップさせる市民連絡会」。参加費500円。
午後2時半からは高崎市高松町の高崎シティギャラリーコアホールで。主催は「STOP八ッ場ダム・市民ネット」。入場料1000円(高校生以下無料)。【奥村隆】
山形)米国のダム撤去追う作品上映 11日、新庄・鶴岡
〔朝日新聞山形版 2015年1月9日)
静岡)映画「ダムネーション」、11日に 浜松市民団体
〔朝日新聞静岡版 2015年1月9日)
ダム撤去に挑む人々描く 文化 きらら鎌倉で上映会
ドキュメンタリー映画「ダムネーション」の上映会が1月11日(日)、鎌倉生涯学習センター(きらら鎌倉)で開催される。午後7時から8時45分まで(6時30分開場)。
同作は「川の自由」実現のため、ダムの撤去を求めて行動する人々を描いたもの。全土に7万5千基のダムが建設されたアメリカでは、生態系を一変させる一方で期待された効果を上げていないダムの撤去が検討され始めているという。
今回の上映会は、制作を支援したパタゴニア日本支社などが、1月11日を「自由な川の日」として全国各地で開催するものの一つ。
2000年に中止が決まった徳島県の直轄ダム「細川内ダム」の計画地「旧木頭村」についての記事を掲載します。
(写真)東京でIT企業を経営する藤田さん。ふるさとを思わない日はない(東京・新宿と、ダム予定地だった旧木頭村の河原で)
人口減と東京一極集中が進む。地方がかつてない苦境にあっても、明日への希望を胸に歩き続ける人がいる。ふるさとの衰退と向き合う四国を舞台に、再生へのヒントを探りたい 東京でIT企業を経営する藤田さん。
東京・新宿でIT企業「メディアドゥ」を経営する藤田恭嗣(やすし)(41)は、年の瀬を迎えても1日に10件以上の打ち合わせをこなし、100件を超えるメールに目を通す日々が続いた。
小説や漫画などをデータ化する電子書籍の流通大手として、東証マザーズ市場に名を連ねる。100人を超える社員を率い、今期は80億円の売上高を見込む。
そんな藤田が、故郷の徳島県旧木頭村(きとうそん)(現那賀(なか)町)で、特産の「木頭ゆず」をぽん酢やジャムなどに加工して販売する会社を作ったのは2年前のことだ。
藤田は毎年、新年を木頭の実家で迎える。元日の朝、いつものように東の空に向かって手を合わせた。「今年は若い社員を増やし、木頭を元気にする」と、志半ばで命を絶った父、堅太郎(けんたろう)に語りかけながら。
四国山地に抱かれた木頭村は、村を流れる那賀川の巨大ダム計画を巡り、約30年にわたり揺れた。国が治水と利水、発電を目的に進めた、総貯水量6000万トンの「細川内(ほそごうち)ダム」だ。
計画が表面化したのは、「列島改造」で日本中が沸き立った1970年代初頭。村の基幹産業が林業から建設業へと移行する中、恩恵に期待する声も上がったが、「水没で村が消えてしまう」などと反発は強かった。93年に新村長が当選すると、公約通りダム反対は村の基本方針になった。
しかし、国や県は推進の姿勢を変えなかった。村の国道には車がすれ違えないほど狭い区間があった。拡幅を求めても「どうせダムで水没する」と予算はつかなかった。
カネは国から県へ、県から村へと流れる。予算を差配する側の論理に簡単には逆らえない悲哀を、小さな村は背負わされた。
村職員でまじめな性格だった堅太郎は、「堅ちゃんがいれば話がまとまる」と言われるほど人望が厚かった。若手の頃から住民たちに熱く説いてきたのが、古くから自生するユズを生かした村の振興だった。
木頭の大きな寒暖差で育ったユズは驚くほど香り高く、全国の料理人らをうならせていた。集会を開いては「村中に実らせ、黄金色に輝く村にしたいんじゃ」と語り、栽培を勧めた。
だが、村はダム反対派と賛成派に割れた。「ダムに頼らない村づくり」を掲げる新村長のもと、助役になった堅太郎は、攻撃の矢面に立たされた。昼夜を問わず自宅に嫌がらせ電話が入った。心労を重ね、みそ汁しか喉を通らなくなった。それでも、村の将来をいつも案じ、妻の示子(ときこ)(76)にはことあるごとに「木頭をなんとかせな」と話した。
ダムを巡る村議会の攻防が熾烈(しれつ)を極めた96年。堅太郎は8月末、帰省した藤田を珍しく川釣りに誘い、その11日後、自ら命を絶った。61歳だった。走り書きされた遺書は「迷惑をかける」とわび、最後をこう結んでいた。
「恭嗣、がんばれ」
藤田は当時、名城大を卒業し、地元の名古屋で携帯電話の販売会社を作ったばかり。遺書の言葉、釣りの意味を考え続けた。
いつも通り口数少なく、苦しみを何も語らなかった父。あの絶景の清流が、ダム水没予定地だったと後に知った。「ふるさとの姿をしっかり見ておけ」。そんな遺言だったと思う。
木頭に帰ろうかと悩みもしたが、示子は「帰ってきても何もできないでしょ」と突き放した。息子を混乱の中に巻き込みたくなかったからだ。藤田は、「まず力をつけなさい」という教えだと受け止めた。
「木頭のために貢献したい」と、大都会を必死に歩いた。「故郷を捨てることは絶対にできない」との思いを、胸に抱き続けた。
国は2000年、細川内ダムの中止を決め、木頭は「巨大ダムを止めた村」として注目を集めたが、過疎の流れは止められなかった。1960年代に4000人を超えた人口は、今、1300人ほどに減った。
政府は「地方創生」策を矢継ぎ早に打ち出す。だが、藤田には信念がある。「ふるさとの再生は、国や県が主役なのではない。危機感とスピード感を持って自分たちで考え、自分たちで納得できる戦略を作っていくことが重要なのだ。時間はあまり残されていない」
将来、木頭で100人を雇用し、人口を500人増やす――その目標を絵空事だとは思っていない。ビジネスの最前線で戦ってきた経験と自信がある。会社の名前は「黄金の村」。父の夢とともに、藤田は歩き始 記事へめた。(敬称略)
週刊SPA! 2014年1月2日ニュース)

(写真)石木ダム(長崎県川棚町)
計画から40~50年たつのにまだ完成していない“亡霊”のようなダム建設計画。眠っていたそれらの計画が「アベノミクス」の名のもとに復活、急激に推し進められている!!
◆建設停止のムダなダムが「アベノミクス」のもとで復活する!!
長崎県川棚町川原地区。小川沿いに住宅がポツポツと並ぶ風光明媚な土地には、約半世紀にわたって「石木ダム」建設計画がくすぶる。11月下旬、“強制収用”告知の看板が、まだ人の住む4世帯の人家の前に人知れず設置された。
現地住民は長年にわたる抵抗で、本体工事を押しとどめてきた。だが安倍政権発足後、事業者である県や受益者である佐世保市の強硬姿勢が目立つようになった。
佐世保市で石木ダム建設反対の住民運動に関わる松本美智恵さんは、同市長宛ての公文書のコピーを示しながらこう説明する。
「佐世保市は九州防衛局に依頼して、石木ダムが米海軍や海上自衛隊の水供給に『大きく寄与するものと認識しその推進について望んでいる』という文書を出してもらっているんです」
ところが、その理由すらも怪しい。「軍艦には淡水化装置がありますし、’94年の大渇水のときも米軍は自前で基地の水を確保しています」(松本さん)
石木ダムの建設目的は利水と治水だ。佐世保市は慢性的な水不足を訴えているが、水道供給実績は右肩下がり(グラフ参照)。洪水対策にしても、ダム建設予定地は川棚川水系の1割ほどの流量しかなく、大した効果は見込めない。
![[不要ダム建設]が安倍政権で続々復活中 佐世保地区の一日最大取水量・市予測と実績の乖離](http://nikkan-spa.jp/wp-content/uploads/2014/12/BK2_141223_05.jpg)
「
それにもかかわらず、県の姿勢はますます強硬になる一方。県は地権者など23人を「工事を妨害した」として裁判に訴えた。いわゆる“スラップ(恫喝)訴訟”だ。
安倍首相のお膝元、山口県岩国市でもダム建設が急加速している。10月17日、平瀬ダム工事の安全祈願祭が行われ、本体工事が始まった。近年、このダム建設に予算はついても動きはほとんどなかった。現地のアウトドアガイド・吉村健次さんは、「ダムの治水効果が見込めない」からだという。
「大雨が降ればダムは満水になって放水しますから、洪水回避の効果はありません。一方、錦川水系の森林の保水力は平瀬ダムの23倍といわれています。放置された針葉樹林を手入れすれば十分です。長らくダム建設は先延ばしになっていたのですが、安倍政権になって急展開しました。当初計画では350億円だった予算が現在では740億円になり、ダム建設が加速。この錦川は“西日本一の清流”と呼ばれるほど水の澄んだ川。下流の錦帯橋も岩国市の大きな観光資源です。水が汚されると、その価値は激減するでしょう」
●石木ダム(長崎県川棚町)
計画/’62年 事業費/285億円
長崎県川棚町石木ダム建設予定地。まだ人が住む家と土地(右上)を強制収用します、という「お知らせ」の看板(左手)が突如現れた。「私たちを分断しようとしているんでしょう」(地元住民)
●平瀬ダム(山口県岩国市)
計画/’68年 事業費/740億円
本体工事が着工された平瀬ダム(山口県)。「1級河川清流日本一になった尻別川(北海道)よりきれい」といわれる錦川のファンは全国に数多く、ダムができれば観光業にも大ダメージ必至だ
取材・文・撮影/足立力也 図/futomoji
計画から40~50年たつのにまだ完成していない“亡霊”のようなダム建設計画。眠っていたそれらの計画が「アベノミクス」の名のもとに復活、急激に推し進められている!!
◆ダム建設の補償金は1人あたり1000円

(写真)最上小国川ダム(山形県最上町)
年間3万人もの鮎釣り客で賑う最上小国川(山形県)にダム建設計画が持ち上がったのは、20年以上も前のこと。建設予定の“穴あきダム”は「環境に影響ない」と県は主張する。それに対して、草島進一・山形県議(緑の党)は「あまりに非科学的。同じ穴あき式の益田川ダム(島根県)でも大量のヘドロが確認されています」と反論。「そもそもここに大勢の人が全国から集まるのは、“ダムがない清流”だから。その最大の理由を潰せば地域産業は衰退してしまいます」と憤りを隠さない。
主目的である洪水対策も、「堤防で守られた内側で水があふれる都市部の“内水氾濫”が問題であって、川があふれる“越流氾濫”ではないので、ダムでの治水は効果がありません」(草島氏)。
近畿大学の研究によれば、鮎による流域への経済効果は年間22億円。ダムができれば年10億円もの損失になると計算されている。地元漁協に払われる予定の補償金は113万円。組合員数は約1100人なので、1人あたり1000円ほどにしかならない。

(写真)最上小国川には、全国から鮎釣り客が訪れる。「ダムがない川というのは“ブランド”なんですよ。それを自らぶっ壊すなんて、いったい何を考えているのか」(草島氏)
民主党政権が誕生した’09年、政府は「コンクリートから人へ」のかけ声のもと、大型公共事業を再評価する姿勢を見せた。だが、すぐに変節する。象徴的なのが八ッ場ダムのケースだ。公約で中止を掲げるも、’11年に当時の前田国交相は建設再開を表明。安倍政権に代わった’13年度の予算では約87億5000万円の予算が付き、ついに’15年1月から基礎掘削工事が始まる予定だ。

(写真)八ッ場ダム(群馬県長野原町)
水源開発問題全国連絡会・共同代表の嶋津暉之さんはこう語る。
「八ッ場ダムの目的は利水と治水ですが、どちらも机上の計算。水道の供給実績は右肩下がりだし、関東圏の洪水も現在は“内水氾濫”です。無意味な事業に、付帯工事も合わせて六千数百億円ものお金がつぎ込まれようとしています。有識者会議を設置したのにメンバーからはダム懐疑派が排除され、会議も非公開。環境への配慮と住民の意見の反映という、’97年に改正された河川法の原則が全く無視されてしまったのです」
それが安倍政権になってエスカレート。前出の草島氏はその強硬姿勢についてこう解説する。
「安倍政権の目玉のひとつ、“国土強靭化”路線は、これまで以上に都市や土建経済中心。そのツケは全部地方に回ってきます。これが、アベノミクス第三の矢の要ともいわれる“地方創生”の正体です」
●最上小国川ダム(山形県最上町)
計画/’91年 事業費/126億円
ダムがない最上小国川(山形県)は行楽客や釣り客にとって“ブランド”。現在、転流工(ダム本体工事のための川のバイパス)工事が進む。明治天皇にも献上された“松原鮎”も楽しめなくなるのか
●八ッ場ダム(群馬県長野原町)
計画/’52年 事業費/4600億円
旧川原湯温泉駅前から、民主党政権時に建設途中で中断された湖面1号橋を望む。八ッ場ダム(群馬県)ができればここも水底に沈むため、今年10月、新しい場所に駅が移転された
取材・文・撮影/足立力也