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その日を前に 八ッ場ダム水没地区住民の今/1 レストラン店主・水出耕一さん 「器あるが中身ない」 /群馬

2019年4月27日
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八ッ場ダムは急ピッチで本体工事が進められており、今年10月からの試験湛水の進捗状況、結果によって完成時期が延びる可能性がありますが、今のところ、来年3月末に完成する予定になっています。
八ッ場ダムの水没地区住民の今を追った連載記事の第1回を掲載します。
第1回はレストラン「赤いえんとつ」を経営する水出耕一さんです。

その日を前に
八ッ場ダム水没地区住民の今/1 レストラン店主・水出耕一さん 「器あるが中身ない」 /群馬
(毎日新聞群馬版2019年4月26日)https://mainichi.jp/articles/20190426/ddl/k10/040/055000c

(写真)店のカウンターに手をつき、移転後の暮らしについて話す水出さん

(写真)赤い煙突が目印のレストラン「赤いえんとつ」=群馬県長野原町川原湯で

(写真)完成が近づいた八ッ場ダム。右手に見えるのが川原湯地区の移転地。手前がダム湖予定地。中央付近にはかつてJR川原湯温泉駅があった=群馬県長野原町の八ッ場大橋で

「その日」まで1年を切った。長野原町に八ッ場ダムの建設計画が浮上してから67年。反対闘争、町の分断、民主党政権による建設中止--。紆余(うよ)曲折を経て今年度に完成する見通しだ。立ち退きを強いられた水没地区の住民の多くは住宅を再建し、新しい生活を始めている。ふるさとを離れた人、残る選択をした人。それぞれの今を追った。【西銘研志郎】
今年度完成へ 移転先、高齢者ばかり
八ッ場ダムの本体から南西に約500メートル。山を切り開いた造成地には、新築の家が建ち並び、所々で道路の工事が進む。一見、売り出し中のニュータウンのようにもみえるが、ここは、水没する旧川原湯地区の住民の移転先として整備された。
造成地の一番端の最もダムに近いところに、赤い煙突の店がある。レストラン「赤いえんとつ」の大きな窓からは、名勝・吾妻渓谷とダム本体が一望できる。
「建物に邪魔されないで山々が見える風景を気に入ってここに決めました」。オーナーの水出耕一さん(64)はかつて川原湯温泉街で食堂を経営していた。店は湯治客や地元の常連客でにぎわっていたという。だが、今は--。
「お客さんは減ったよね、特に夜、飲みに来るお客さんは」。そう語る声には力がない。客足は当初の想定の半分程度。その半数がダム工事を見に来た観光客だ。時には「安く土地をもらえて良かったね」などと心ない言葉をかけられることもある。
水出さんは1954年生まれ。ダム建設に翻弄(ほんろう)された町の歴史は、自身の半生と重なる。
◇  ◇
「ここにダムを造ります」。長野原町にやって来た建設省幹部が突然、住民たちにこう宣言したのは52(昭和27)年5月16日のことだった。47年のカスリーン台風(関東1都5県で死者1100人)を受け、治水・利水のために吾妻川をせき止めてダムを造る計画だった。
水没地区の住民たちの反対闘争はやがて「絶対反対」と「条件付き賛成」に分かれるなど町の分断を生んだ。80年、県が町に対し、代替地で同じような街づくりを行う「生活再建案」を示し、5年後、町は案を受け入れダムの建設が決まった。
しかし、住民の土地や建物の補償交渉は難航した。86年に発表された基本計画ではダムの完成は2000年度とされたが、延長され、代替地の整備にも遅れが出た。
09年、住民をさらに不安に駆り立てる事態が起きる。政権交代だ。「コンクリートから人へ」というスローガンを掲げた民主党政権で国土交通相に就任した前原誠司氏が突然、八ッ場ダムの建設中止を表明し、工事はストップされた。
◇  ◇
このとき、水出さんの気持ちは大きく揺れ動いた。その前年の08年に移転先の土地を決めていたが、引っ越しをやめようかとも思った。だが、もうすでに周りに残っている人はいない。先の見えない将来に疲れ切っていた住民は、1人、また1人と地元から出て行った。商売をしている身。「人がいなくなった後、この地域で生きていけるのか不安だった」。結局、14年、現在の造成地に移った。
しかし、「大誤算」だったのは、多くの温泉宿が看板を下ろし、温泉街が縮小してしまったことだ。「飲食店も土産店もこんなに減るとは思わなかった。旅館があるからこそやってこられたからね……」。それでも店を閉じるつもりはない。「川原湯に来ようとしたお客さんに『ご飯を食べられる所がないんじゃ嫌だ』と言われたくないから」
だが先は見通せない。造成地には若い世代は少なく、残った住民の多くは高齢者。「再建計画は、人がいることが前提だったが、若者はダムの下流に行ってしまった。ここは器(造成地)はあるけども中身(人)がいない」。水出さんはそう言ってため息をついた。=つづく
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■ことば
八ッ場ダム
長野原町の吾妻川で国が建設を進めている多目的ダム。旧建設省が1952年に現地調査に着手。地元住民が反対運動を繰り広げたが、生活再建を前提に85年、建設を受け入れた。今年度中に完成予定。堤頂長約290メートル、堤体積は約100万立方メートル。
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八ッ場ダムを巡る経緯
1952年 建設省(現国土交通省)が現地調査に着手
80年 県が長野原町と町議会に「生活再建案」を提示
2001年
6月 住民と国が「利根川水系八ッ場ダム建設事業の施行に伴う補償基準」を調印
9月 八ッ場ダム建設の基本計画(第1回変更)告示(工期は10年度に延期。以降工期変更が3度)
05年 住民と国が「利根川水系八ッ場ダム建設事業の施行に伴う代替地分譲基準」を調印
09年 民主党に政権交代。ダム計画中止を発表
11年 国交省が建設継続を決定
15年 八ッ場ダム本体建設工事の起工式
19年度 ダム完成予定

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