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熊本日日新聞による<おさらい川辺川ダム>㊤、㊥、㊦

2020年10月29日
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熊本日日新聞による<おさらい川辺川ダム>㊤、㊥、㊦を掲載します。

国と熊本県は川辺川ダム計画復活の方向で動きつつありますが、㊥の記事を読むと、その復活は手続きの面でも容易なことではないことが分かります。

川辺川ダム無しの治水対策を考えるべきだと思います。

そして、㊦の記事が指摘しているように、川辺川ダムをめぐる現在の議論の主体は国、県と流域市町村であり、市民団体が同じテーブルにつく機会はまったくなくなりました。

2000年代はそうではなく、「川辺川ダムを考える住民討論集会」で国土交通省と住民側が公開の場で徹底した討論を行いました。そのような場が再び設けられなければなりません。

 

「多目的」計画 消えた「利水」「発電」<おさらい川辺川ダム㊤>

(熊本日日新聞2020年10月27日 09:31) https://kumanichi.com/feature/kawatotomoni/1656357/

(写真)第2回球磨川豪雨検証委員会の会合後、記者に囲まれ質問に答える蒲島郁夫知事=6日、県庁(高見伸)

国、熊本県と球磨川流域12市町村が、7月豪雨で氾濫した球磨川の治水対策を検討する「流域治水協議会」が27日始まる。検討に当たり蒲島郁夫知事は、川辺川ダムを治水の選択肢に含めると表明した。ただ、同ダム建設は、知事自らが12年前の2008年9月、県議会で「白紙撤回」を表明した事業。ならば今、そのダム計画はどうなっているのだろう。改めておさらいする。

今月6日、県庁で開かれた7月豪雨災害の検証委員会。国土交通省は「川辺川ダムが存在していたら、人吉市の浸水面積は約6割減っていた」-などとする推定結果を資料を交えて説明した。
しかし、そこで示された資料に首をかしげた人も少なくなかったろう。洪水調節の役割などを定めた川辺川ダムの「目的」の項目にはこんな記載があったからだ。
・かんがい用水の確保 【撤退表明】
・発電【撤退表明】

撤退表明とはさて、どういうことか。
「さまざまな経緯がありまして…平成19年(07年)1月、ダムを水源とした利水計画を取りまとめることはない、と国交省に説明しました」というのが、農水省・九州農政局(熊本市)の説明だ。
川辺川ダムからパイプラインで水を引き、球磨川右岸の3千ヘクタール以上に農業用水を届ける計画だった「国営川辺川総合土地改良事業」。現在は、計画の主柱である利水事業を廃止した上で、完成済みの一部パイプの撤去や配水施設の売却など残務処理を進める。「順調に行けば来年度、国営事業の完了公告を官報に掲載できる」(農政局水利整備課)
“さまざまな経緯”の最大の出来事が03年5月、福岡高裁で国の敗訴が確定した利水訴訟だ。事業計画変更の手続きに不備があるとして多くの地元農家が提訴。高裁は同意署名が法定数に満たないと認め、計画変更は無効と判断した。その後、農水省と地元の協議を経て、ダムの目的の一つだった「かんがい用水の確保」(利水)は失われた。

次に「発電」。基本計画では電源開発(Jパワー・東京)がダムから取水して水力発電所を設けることになっていた。ところが07年6月、同社は国交省の九州地方整備局(福岡市)に、ダム建設の見通しが立たないため、発電事業への参画を断念すると回答。発電もダムの目的から消えた。
こうして多目的ダムである川辺川ダムの現計画は、主目的の二つを失った。残る目的は「洪水調節」「流水の正常な機能の維持」(渇水対応)だけ。実態は、08年に蒲島知事が「白紙撤回」を表明するより前に、そのままでは着工困難な状況に陥っていたことになる。
それだけに12年後の今、おびただしい犠牲者を出した水害後の治水を検討する場に、「利水」「発電」を抱えたままの古い計画が持ち出される風景は、何とも奇妙に映る。(宮下和也)

 

 「穴あき」案 着工は?工期は?アセスは?<おさらい川辺川ダム㊥>

(熊本日日新聞2020年10月28日 09:26)https://kumanichi.com/feature/kawatotomoni/1657418/

(写真)蒲島郁夫知事(左手前)に今後の復旧・復興のあり方について要望する参加者=22日、球磨村(小山智史)

2008年8月、国土交通省・九州地方整備局は、それまで堤体が川をせき止める貯水型ダム(多目的ダム)として計画されてきた川辺川ダムについて、初めて「穴あきダム(流水型ダム)」の可能性に言及した。
穴あきダムとは、堤体の下部に穴があり、通常は水や土砂をためない治水専用のダム。洪水時には水がたまり流量を一定以下に調節する。国土交通省によれば、貯水型より自然の川の流れに近いとされる。熊本県内では建設中の立野ダム(南阿蘇村・大津町)がある。
蒲島郁夫知事が川辺川ダムの「白紙撤回」を表明したのは直後の9月だった。このため国交省の“方針転換”にはさまざまな見方もされたが、その時点で事実上、多目的ダムの建設目的のうち、「利水」「発電」の二つが消滅していた。治水専用ダムへの言及はある意味で当然だったかもしれない。

しかし、だとすれば今回、蒲島知事が選択肢に含めた「川辺川ダム」は、一体いつ着工していつ完成するのか。それは多目的ダムなのか。それとも治水専用ダムか。治水専用にした場合、特定多目的ダム法(特ダム法)に基づき進められてきた川辺川ダム事業は、大きな変更を迫られることになるのか-。
国交省の水管理・国土保全局治水課は、川辺川ダム事業が08年にストップした後も、水没地域の五木村の生活再建事業は持続しており、「川辺川ダムは他のダム事業とは異質なかたちで進んでいる」と説明する。穴あきダムへの転換など、今後の計画変更の可能性や根拠法も含め、「どういう形になるのかはまだ検討できていない」。

もう一つ気になることがある。環境影響評価(アセスメント)。ダムや発電所など大規模開発による環境への悪影響を防ぐため、事前に事業者が調査して対策を反映させる制度だが、川辺川ダムでは一度も実施されたことがない。旧建設省は1998年、川辺川ダム基本計画の変更を告示した。建設に賛否がある中、アセスの是非も議論になったが、当初計画がアセスメント法の施行前であることから実施されなかった。
それから20年余り。県の幹部はアセスメントの必要性について、「国は必要ないと言うかもしれないが、県はそれではもたない」と打ち明けた。アセスメントの実施には3年程度が必要と言われ、工期に直結する。

加えてダム建設には、球磨川漁協との漁業補償協定の締結が不可欠だ。過去の交渉では、国交省が一度は漁業権の強制収用を申請するほどの高いハードルだった(後に取り下げ)。
こうして見ると、仮に県や流域自治体が年内に川辺川ダム建設を決めたとしても、すぐに着工できるような状況には程遠い。「ダム論議の前に、安心して住める場所の確保を急いで」(22日、球磨村の意見聴取)。被災者の切実な訴えに対し、国、県、流域自治体の対応は、かみ合っていると言えるだろうか。(宮下和也)

 

「民意」どう問う 討論集会後、消えた対話<おさらい川辺川ダム㊦>

(熊本日日新聞2020年10月29日 09:52)https://kumanichi.com/feature/kawatotomoni/1658587/

2001年12月9日、相良村総合体育館で初めて開かれた「川辺川ダム」を考える住民大集会。約3000人が参加した

12年前の2008年、川辺川ダムの白紙撤回を表明した蒲島郁夫熊本県知事。当時、その理由を「現在の民意はダムによらない治水を追求し、今ある球磨川を守っていくことを選択している」と述べた。

そして現在。7月豪雨の深刻な被害を受け、県は改めて川辺川ダムを選択肢に含めた上で、球磨川の新たな治水方針を取りまとめるという。蒲島知事は記者会見で、この新方針について、「民意を問うことになる」と表明した。
民意を巡っては8月の「くまもと復旧・復興有識者会議」で、東京大大学院の谷口将紀教授がこう提言した。「あらゆる情報を十分に吟味した上で住民はどう判断するか。少なくとも科学的で中立的な世論調査、できれば住民投票なり、討論型世論調査なりで民意を見極めて」
重要政策の民意を探る手法として、近年注目されているのが討論型世論調査。一回限りの意見を調べるだけでなく、調査対象者に十分な資料や情報を提供、討論を重ねた後に再調査し、意見や態度の変化を見る。
確かに、川辺川ダムのように長く複雑な経緯を持つ問題で、民意を見極めるのはそう簡単ではない。県南だけでも数十万人の意見は多様であり、一枚のトランプのように、くるりとひっくり返るわけでもない。ただ、有識者会議がこのほどまとめた提言は、民意の重要性は指摘したが、見極めの具体的な手法には触れなかった。

08年当時の民意は、どのように見極められたのだろう。今と決定的に異なるのは、潮谷義子前知事の時代、01年から計9回にわたり開かれた「川辺川ダムを考える住民討論集会」の存在だ。
01年12月、相良村であった初回には約3000人が参加。ダム事業を推進する国土交通省と、反対派の研究者や住民らが約7時間、激論を交わした。
9回の開催中、賛否は最後まで平行線だった。だが、集会への参加や報道を通じ、住民に多くの資料と情報が提供されたことは間違いない。東京大教授だった蒲島氏に学び、潮谷県政を研究した中條美和・津田塾大准教授は、住民討論集会について「広く県民の前に(川辺川ダム)問題を顕示し政治問題化した」と分析している。(『知事が政治家になるとき』木鐸社)
「08年までは対話形式の議論があった。今、一番違うのは、流域の意見聴取が帳面消しのように進んでいる点だ」と「子守唄の里・五木を育む清流川辺川を守る県民の会」の中島康代表。
県民の会など市民団体は川辺川ダムに一貫して反対、討論集会にも出席して論陣を張った。だが08年以降は風向きが変わる。10年以上続いたダムによらない治水対策も、7月水害の検証委員会も、議論の主体は国、県と流域市町村。市民団体が同じテーブルにつく機会はなくなった。

県は今月13日、流域住民や団体の意見聴取の会を翌々日から始めると発表した。矢継ぎ早に日程が追加され、計20回を超える。
「民意」は急ぎ足で吸い上げられていくのだろうか。(宮下和也)

 

 

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