水源連:Japan River Keeper Alliance

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八ツ場ダム 10月1日から試験湛水を開始 計画から67年地滑りなど異変が発生しないか 

2019年10月2日
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大変残念なことですが、八ッ場ダムの試験湛水が10月1日から始まりました。
その記事を掲載します。
朝日新聞9月28日の記事と上毛新聞10月1日の記事が、試験湛水で地すべりが起き、完成が大幅に遅れた大滝ダムと滝沢ダムの実例に触れています。

朝日新聞10月2日の記事の終わりに嶋津の談話も載っています。

関東地方整備局もこの試験湛水開始をHPで発表しています。「八ッ場ダム試験湛水を開始しました」http://www.ktr.mlit.go.jp/kisha/yanba_00000089.html

八ツ場ダム、水没始めた街 住民「もう後戻りは」
(朝日新聞群馬版2019年10月2日03時00分)

 

計画から67年 観光客「どんな景色に」 八ツ場ダムで試験湛水開始 3~4カ月で満水見通し
(上毛新聞2019/10/2(水) 6:03) https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191002-00010000-jomo-l10


(写真)1日午前10時40分から試験湛水が開始された八ツ場ダム (写真)試験湛水の見学でにぎわう「やんば見放台」
計画発表から67年が経過し、建設が最終段階を迎えた群馬県の八ツ場ダム(長野原町)で、国土交通省は1日、ダムに水をためる試験湛水(たんすい)を始めた。約半年間かけて水位を上下させ、堤体や貯水池周辺の安全性を確認する。気象条件や河川の状況にもよるが、3~4カ月で満水となる見通し。漏水や地滑りなどの異常がなければ、来春以降にダムとして利用を開始する。
同省八ツ場ダム工事事務所によると、ダム上流面に設置した「締切(しめきり)ゲート」を下げて仮排水路を閉鎖し、同日午前10時40分に試験湛水を開始した。閉鎖作業中、ゲート付近に「八ツ場ダム 湛水開始」と書かれた幕が張られた。
赤羽一嘉国交相は同日の閣議後会見で、「本年度中のダム完成に向けて着実に事業を進め、地元の皆さまに役立つようにしっかり取り組みたい」と述べた。
ダム建設に伴い、県は周辺道路の付け替えなど、地元の生活再建事業に取り組んできた。山本一太知事は同日の記者会見で「(生活再建は)大事な問題だと思っている。県として責任を持ってやり遂げていく」と語った。

◎平日かかわらず多くの観光客 無事完了願う声も
八ツ場ダムの試験湛水が開始された1日、ダム周辺は多くの観光客でにぎわった。住民は完成の最終段階を迎えたダムの姿を胸にとどめつつ、無事に湛水が完了し、ダムが誘客の追い風となることを願った。

ダム本体を見渡せる無料の展望台「やんば見放台」(長野原町川原畑)には朝から多くの人が途切れることなく訪れた。工事中から見守ってきたという峯岸和人さん(44)=太田市=は「工事をしている時は昔の景色がなくなってしまうのが寂しかったが、完成したダム本体は想像以上に壮大。これから水がたまってどんな景色になるのか楽しみ」と目を輝かせた。近くでうどん店を営む中島泰さん(70)は「朝から駐車場がいっぱいで、平日なのに週末のようなにぎわいだった。ダム湖を中心に、にぎやかな地域になってほしい」と期待した。
湛水中は地滑りや漏水などの異常が発生することも懸念され、住民からは無事を願う声が聞かれた。午前9時から行われたゲートの閉塞(へいそく)作業を見守った同町川原湯地区の60代男性は「水をため始め、ようやく一区切りという感じ。事故なく湛水が完了してくれれば」とした。ダム近くでレストランを営む水出耕一さん(65)は「ダム完成後も住民の生活は続く。完成がゴールではない。ダムがしっかりと機能するまで見守りたい」と話した。


八ツ場ダム きょうから試験湛水を開始予定 計画から67年

(上毛新聞2019/10/01) https://www.jomo-news.co.jp/news/gunma/society/163604

(写真)水没する国道から望む八ツ場ダム(9月27日撮影)
本年度中の完成を見込む八ツ場ダム(群馬県長野原町)の建設事業で、国土交通省が1日にもダムに水をためる試験湛水(たんすい)を開始する予定であることが30日、分かった。同省八ツ場ダム工事事務所が水没地区の住民に書面で伝えた。当日の天候や吾妻川の状況から最終判断する。計画発表から67年が経過し、地域に多大な犠牲を強いてきた大型建設事業が、完成に向けた最終段階を迎える。

◎地滑りなど異変が発生しないか 注意深く監視
同事務所は30日、水没5地区の全世帯に「試験湛水開始のお知らせ」とする文書を配布した。1日に湛水を開始する方針のほか、気象条件や河川の状況によって延期になる可能性も示した。併せて、貯水範囲は水位が急に上がり危険になるため、立ち入らないよう注意も呼び掛けた。

試験湛水は、水をためて水位を上下させ、ダム堤体や基礎地盤、貯水池周辺の安全性を確認するダム建設の最終工程。常時満水位(標高583メートル)まで水をためた後、1日1メートル以内で水を抜き最低水位(同536.3メートル)まで下げる。
試験湛水中は、計器や巡視により異変を警戒する。ダム堤体と周囲の基礎地盤については、水位の変動に伴う漏水や変形などを監視。貯水池周辺でも斜面や構造物などに変動がないかを確認する。漏水や地滑りがあった場合は湛水を止める。
試験湛水により異変が確認されれば、計画が遅れることもある。奈良県の大滝ダムでは2003年、試験湛水中に周辺の家屋や地面に亀裂が発生。37戸が移転を余儀なくされ、計画が約10年遅れた。八ツ場ダムを巡っては、市民団体や超党派の国会議員が「地滑りなどの安全対策に問題がある」として、国に詳細な説明を求めている。

一方、試験湛水の開始方針を受け、同町の萩原睦男町長は「67年の時を経て、ようやくここまできた。国には問題のないようしっかりと進めてもらい、予定通り3月の完成を迎えたい」と話した。
地元の川原湯温泉協会の樋田省三会長は「大きな区切りであると同時に新たな出発でもある。早くダム湖を見てみたい」と完成に期待を寄せた。

八ッ場ダム試験湛水 1日開始へ 3~4カ月間で満水に
(毎日新聞2019/09/30 19:08) https://mainichi.jp/articles/20190930/k00/00m/040/208000c

(写真)試験湛水を前に公開された八ッ場ダム工事現場の水没地域から見たダム本体=群馬県吾妻郡長野原町で2019年9月27日午後2時47分、藤井太郎撮影
群馬県長野原町に国が建設している「八ッ場(やんば)ダム」の試験湛水(たんすい)が1日にも始まることが分かった。試験湛水開始で、ダムは3~4カ月間で満水になる見込み。来年春の本格稼働に向けて大きな節目を迎えることになる。
試験湛水とは、ダムの本格的な運用開始前に最高水位まで水をためて、ダム本体や基礎地盤、周辺の山などの斜面の安全性を確認するもので、漏水状況や地滑り対策箇所などがチェックされる。最高水位まで水がたまった後、1日に約1メートルずつ水位を下げていくが、最低水位以下まで水位を下げることはなく、ダムの底部分が見られることはなくなる。
工事関係者によると、1日午前9時ごろにダム本体にある「締切(しめきり)ゲート」と呼ばれる水門を閉めて、ダムに流れ込む吾妻川の流れをせき止める。当日の天候状況などでは中止する可能性もあるという。
国土交通省はこれまで、1日以降に試験湛水を始めることを明言していたが、具体的な期日は公表していなかった。【西銘研志郎】

八ツ場ダム 10月1日にも試験貯水開
(朝日新聞群馬版 2019年9月28日03時00分)

石木ダム 完成目標延期 反対派「現場を見ろ」 事業継続に憤り、失望

2019年10月2日
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9月30日、長崎県公共事業評価監視委員会が開かれましたが、石木ダム事業の3年工期延長をあっさり認めてしまいました。その記事とニュースを掲載します。
石木ダム建設反対連絡会が26日、委員会の委員に対し、意見書と詳しい資料を送付したにもかかわらず、委員たちは石木ダムの虚構性を何も理解できなかったようです。
まともな議論は一切なく、県の説明を拝聴するだけの存在価値ゼロの委員会でした。

委員会の名簿を末尾に記しておきますが、なんともお粗末な委員たちです。

今回、再評価では石木ダムの費用対効果が1.25から1.21になりましたが、いずれにせよ1を超えているということで、ゴーサインが出ました。しかし、石木ダムの費用対効果の計算は全く恣意的な計算であって、現実に合わせて計算すれば、1を大きく下回り、石木ダムは見直すべき事業となります。
現実と乖離した費用対効果の計算で、石木ダムに対してゴーサインが出るのは腹立たしい限りです。

 

延期の石木ダム「必要か」 反対住民が批判
(朝日新聞長崎版2019年10月1日

 

石木ダム 完成目標延期 反対派「現場を見ろ」 事業継続に憤り、失望
(長崎新聞2019/10/1 11:30 ) https://www.oricon.co.jp/article/946699/

(写真)建設予定地の住民や支援者らで埋まった傍聴席=長崎市元船町、平安閣サンプリエール
長崎県と佐世保市が東彼川棚町に計画する石木ダム建設事業で県は30日、県公共事業評価監視委員会に完成目標を3年延期して事業を継続する方針を諮問し、承認された。事業継続に、建設反対派からは憤りや失望の声が上がった。
審議は長崎市内のホテルであり、用意された約40の傍聴席は建設予定地の住民や支援者らで埋まった。ダム事業の必要性を説明する県に対し、傍聴席からは時折「数字を示せ」「ウソをつくな」といったぼやきが漏れた。委員会がダム事業の継続を承認すると、「ちゃんと現場を見に来い」などとやじが飛んだ。
傍聴した反対13世帯の一人、岩本宏之さん(74)は事業継続について「想定していた内容。知事の言ったことは認めないといけないのだろう」と冷ややか。工期変更については「中村法道知事の(3期目の)任期(2022年3月まで)中に行政代執行について判断したくないのでは」と推測した。
ダム問題について考える「いしきを学ぶ会」実行委員の森下浩史さん(72)は工期変更を受け「これから市民の関心を高め、政治分野に踏み込めるかが焦点になるだろう」と話した。

石木ダム完成3年遅れ 25年度に目標延期
(長崎新聞2019/10/1 00:00) https://www.oricon.co.jp/article/946205/

長崎県と佐世保市が東彼川棚町に計画する石木ダム建設事業で、県は30日、2022年度としてきた完成目標を25年度に3年延期する方針を県公共事業評価監視委員会(井上俊昭委員長、7人)に諮問し、承認された。事業は継続する。県によると、建設工事の進捗(しんちょく)が計画より遅れているためという。石木ダムの当初の完成目標は1979年度だった。延期されるのは9回目。
石木ダムを巡っては9月、県と同市が反対13世帯の宅地を含む全ての未買収地約12万平方メートルの権利を取得。家屋など物件を含まない土地が対象だった9月19日に続き、物件を含む土地の明け渡し期限が11月18日に設定されている。完成目標延期で反対住民との交渉を進める考えとみられる。
諮問で、県は延期の理由について、ダムに水没する県道の付け替え道路工事が反対派の座り込みなどで遅れ、ダム本体の工程にも影響する見通しになったためとした。新しい工程によると、完成目標は、付け替え道路工事とダム本体工事が24年度、その他の工事と試験湛水(たんすい)が25年度とし、現行目標よりそれぞれ3年ずれ込む。
有識者らでつくる同委員会は県が実施する公共事業について知事の諮問に応じて審議する県の付属機関。30日は長崎市内で開いた。県は延期に加え、延期などに伴い費用対効果を1.25から1.21に下方修正した上で事業を継続するとの対応方針を示した。委員からは環境への影響や住民に対する説明状況などの質問が上がり、県の方針を原案通り承認した。同委員会は議論を踏まえ、中村法道知事に意見書を提出する予定。

石木ダム完成時期3年延長へ [長崎]
(長崎放送2019/9/30(月) 19:14配信) https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190930-00002923-nbcv-l42

県の公共事業を再評価する委員会がきょう長崎市で開かれ、川棚町に計画されている石木ダムについて工期を3年延長し完成予定を2025年度として事業を継続することが認められました。
この委員会は県の公共事業のうち採択から長期間が経過したものについて外部の有識者らが検証を行うもので、会場には石木ダム建設予定地に住む反対住民らも傍聴に駆けつけました。
この中で、県の担当者は反対住民らの行動で付け替え道路工事が遅れており工期を延長せざるを得ないものの、ダムは川棚川の治水対策に必要不可欠なため事業を継続したいと説明。
これに対し委員から反対意見は出ず、工期を3年延長し完成予定を2022年度から2025年度として事業を継続することが認められました。
石木ダム建設予定地の所有権は土地収用法に基づき反対住民の土地を含めすでに国に移っており、建物を含む土地の明け渡し期限は11月18日に迫っています。


石木ダムの完成は3年延期し2025年度に…県が方針 当初から46年遅れで見直しも9回目

(テレビ長崎2019/10/019/30(月) 20:56) https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190930-00010004-ktn-l42

長崎県は住民などが住む土地を強制収用し建設事業を進めている川棚町の石木ダムについて、完成時期を3年延期し2025年度とする方針を示しました。
長崎市で開かれた公共事業の再評価などを行う事業評価委員会が開かれ、川棚町の石木ダム事業について審議しました。
石木ダムの審議は規模の見直しや事業が半世紀近くに渡ることなどから、9回目となります。
事業を進める長崎県側は関連の道路工事などが遅れているとして、完成時期をこれまでの2022年度から3年延期した2025年度とする方針を示しました。
見直しは9回目で、当初の1979年度から46年の遅れとなります。
長崎県側は、洪水被害の防止や水道用水の確保など、ダム事業の目的を改めて説明すると、委員はダムの治水面が機能するのか質しました。
委員 「四国のダムだったと思いますが、緊急放流によって下流域の浸水がひどかったというニュースを見たが、石木ダムについてはその危険性、可能性は」
長崎県側は「ダムは100年に1度の雨を想定し建設している」として、安全性などを強調しました。
地権者 岩本 宏之 さん 「今回で(審議は)9回目、ずっと(工期を)伸ばしてきている。県の説明は、当然メリットの部分だけを言っている、隠されたデメリットがある両方を聞いて判断すべき」
長崎県の見直し案に対して委員からは異議は出ず、事業の継続を認める決定を出しました。

 

石木ダム 完成3年延期方針承認
(NHK2019年09月30日 17時07分)https://www3.nhk.or.jp/lnews/nagasaki/20190930/5030005577.html

長崎県川棚町に建設が進められている石木ダムについて、県は関連工事に遅れが出ていることから、30日開かれた県の委員会にダムの完成時期を3年延期する方針を示し、承認されました。
長崎県と佐世保市が令和4年度の完成を目指し川棚町で建設を進めている石木ダムをめぐっては、県の収用委員会がダム建設に必要なすべての用地を強制的に収用できるようにする裁決を下し、今月19日、用地の所有権が地権者から国に移りました。
ただ、ダムに水没する県道の付け替え工事では、建設に反対する住民らによる座り込みの影響などで遅れが出ていることから、県はダムの完成時期を3年延期し令和7年度に見直すことになりました。

そして県は、30日開かれた有識者らによる「県公共事業評価監視委員会」でこうした方針を説明し、事業の再評価を行った結果、費用対効果は多少下がったものの、治水の面では、依然としてほかの方法よりも有利だと評価できるとして、事業を継続すべきだという対応方針案を示しました。
委員からは、強制収用に至るいきさつなどについて質問が出されたものの、対応方針案は原案通り承認されました。
完成時期の延期は、これで9回目になります。
今後は、県とともに建設を進める佐世保市が、水利用の計画を見直すなど利水の面から事業の妥当性を再評価するかどうかが焦点の1つになります。
委員会を傍聴した、元地権者の岩本宏之さんは「結論ありきの委員会だと感じた。県はメリットしか説明しないので、委員には、県と地元住民の両方から意見を聞いてほしかった」と話していました。

長崎県公共事業評価監視委員会
任年月日:令和元年5月15日 満期年月日:令和3年3月31日
氏  名 会の役職名 職業又は役職名 選出及び
選考基準
大嶺 聖 副委員長 長崎大学大学院工学研究科 教授 技術分野
井上 俊昭 委員長 前新上五島町長 地方自治分野
梅本 國和 委 員 弁護士 法律分野
中村 政博 委 員 ㈱長崎経済研究所 取締役調査研究部長 経済分野
山本 緑 委 員 保健医療経営大学 准教授 環境分野
岡 美澄 委 員 公募委員 その他
五島 聖子 委 員 長崎大学大学院水産・環境科学総合研究科 教授 その他

農水省の大蘇ダム、34年遅れで来春供用 竹田市に農業用水供給(大分・熊本県)

2019年9月27日
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農林水産省の水漏れダム「大蘇ダム」(大分・熊本県)の漏水防止対策がようやく終わり、農業用水の供給が10月から始まります。その記事を掲載します。
ダム本体完成の2005年から14年も経っています。事業費も720億円に膨れ上がりました。


大蘇ダム、34年遅れで来春供用 竹田市に農業用水供給

(大分合同新聞2019/09/27 03:01) https://www.oita-press.co.jp/1010000000/2019/09/27/JD0058523701

竹田市荻町と菅生、久住町の一部に農業用水を供給する大蘇ダム(熊本県産山村)で、来年4月の供用開始に向けた準備が進んでいる。水漏れ対策の追加工事が終了。異常を調べる試験湛水(たんすい)でダムは満水になった。国土交通省による検査を受け、完成する。同ダムを含む国営大野川上流土地改良事業は、当初計画から34年遅れで完了する見通しになった。
九州農政局大野川上流農業水利事務所などによると、大蘇ダムは1979年に本体工事に着手。当初計画では86年からの供用を予定していた。阿蘇火山起源の複雑な地層だったため、掘削時に亀裂が見つかるなどして工事は難航。2005年に完成したものの、試験湛水でダム湖地盤からの水漏れが確認された。
13年度から漏水対策工事を進め、壁面に厚さ10センチのコンクリートを吹き付け、湖底は水を通しにくい粘土質の土で覆った。これまでに3度の事業計画の変更があり、総事業費は当初の130億円から720億6千万円へと約5・5倍に膨らんだ。
工事は今年6月9日までに終了。大蘇川から取水し、ダム湖は8月28日に430万立方メートル分が満水になった。点検で問題になるような点は認められず、西野徳康所長は「浸水性の高い軽石の地層があったことで対策に時間を要した。工事の効果は十分に表れている」と説明する。
10月から試験湛水の水位降下を利用し、荻町と菅生の農地へ給水が始まる。荻町高練木のトマト農家小出美紀夫さん(65)は「水の確保に苦労をしてきた。必要なときに使えるようになり、安心して栽培ができる」と期待する。
年明けに完成式典が開かれる予定。施設管理は大分、熊本両県の2市1村と各地区の土地改良区で構成する大野川上流地域維持管理協議会が担う。
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
国営大野川上流土地改良事業
竹田市と熊本県阿蘇市、産山村の農地に農業用水を安定供給するため、大蘇ダムと2カ所の揚水機場、12路線の用水路(総延長36.4キロ)などを整備するもの。受益面積1865ヘクタールのうち約9割に当たる1604ヘクタールを竹田市が占める。

那賀川の四電・小見野々ダム 下流に移し洪水調節を 国交省検討、2038年度完成 /徳島

2019年9月26日
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2020年度か始まる那賀川の小見野々ダム再開発事業(徳島県)についての記事を掲載します。
四電・小見野々ダムを移設して、洪水調節容量を設けるというものです。完成予定は2038年度ですから、気が遠くなるような先の話です。
小見野々ダム再開発事業の概要はhttps://www.mlit.go.jp/river/shinngikai_blog/shaseishin/kasenbunkakai/shouiinkai/r-jigyouhyouka/dai13kai/pdf/6-1.shiryou.pdf に掲載されています。
那賀川の上流にはかつて、国交省の細川内ダムの計画がありましたが、約20年前に当時の藤田恵・木頭村長らが中止に追い込みました。
今や新しいダムをつくる時代ではなくなっているので、これからは小見野々ダムのような既設ダムの再開発事業が計画されていくと思われます。

なお、四国電力(株)の小見野々ダムは1968年 5月完成、総貯水容量1675万㎥、堆砂容量694万㎥のダムで、2016年度末の堆砂量が 936万㎥にもなっています。


那賀川の四電・小見野々ダム 下流に移し洪水調節を 国交省検討、2038年度完成 /徳島

(毎日新聞徳島版2019年9月25日)https://mainichi.jp/articles/20190925/ddl/k36/040/458000c

(写真)国土交通省が下流への移設を検討する那賀川の小見野々ダム=四国電力提供

1万5900世帯「浸水ゼロに」
那賀川で四国電力が管理する発電用の小見野々ダム(那賀町)について、国土交通省は現在より下流に移設して洪水調節機能を持たせる検討を始める。2020年度予算概算要求で、調査費など4億5000万円を計上した。新たに1100万トンの洪水調節容量を設ける構想で、河川改修や長安口ダム(同)改造と合わせ、下流域の浸水被害ゼロを目指す。【大坂和也】
国交省によると、来年度は国の新規直轄事業として、治水計画の検討と地質調査などの実施計画の調査に取り組む。完成は38年度を目指しており、総事業費は約500億円を目安としている。
総貯水容量は現在の1675万トンから2015万トンに増大させ、このうち、1100万トンは洪水調節容量とする見通し。下流移設後には、上流域に堆積(たいせき)した土砂を除去するとともに、大雨が予想される際は予備放流でダム湖の水位を下げられるようにする。
移設先については、今後の調査を経て検討する。那賀川でのダムを巡っては、旧建設省が那賀川上流域の旧木頭村に計画した「細川内ダム」が地元の強い反発の末、中止に追い込まれた経緯もあるが、今回の移設では民家の水没などを回避できるとしている。
現在の小見野々ダムは四国電力管理の発電専用で、洪水調節機能はない。移設などにより、那賀川水系河川整備計画で定められた、阿南市の古庄観測所での洪水時の目標流量(毎秒9700トン)を700トン削減し、9000トンに抑えられるという。
これまで、那賀川流域は豪雨による洪水被害に再三見舞われてきた。堤防がない同流域の「無堤地区」は整備が進んでおり、移設などが実現すれば、約5550ヘクタールの浸水面積、約1万5900世帯の浸水世帯がそれぞれゼロになると見込んでいる。
飯泉嘉門知事は記者会見で「那賀川全体の治水・利水を考えて、国と共にやっていきたい。那賀川の安全度を高める方向性は、那賀川流域の住民に理解していただけると考えている」と述べ、移設構想に期待感を示した。

石木ダム問題に関する連載記事「混迷 石木ダム 用地収用」その1~6

2019年9月26日
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石木ダム問題に関する長崎新聞の連載記事「混迷 石木ダム 用地収用」1~6を掲載します。

1 <傷跡> よぎる「強制」の記憶

2 <空手形> 「最初からだますつもり」

3 <事業認定> 「話し合い」狙うも進まず

4 <分断> 意志が弱かったのか…

5 <水需要予測> 過大か適正か議論平行線

6完 <県民の視線> 賛否の議論 盛り上がらず

その5は佐世保市水道の水需要予測の問題です。
佐世保市水道の水需要予測が実績を無視した架空予測であることは佐世保市水道の水需給グラフのとおり、明瞭です。

用地収用・1 <傷跡> よぎる「強制」の記憶
(長崎新聞2019/9/21 09:46) https://this.kiji.is/547942912776160353?c=174761113988793844

(写真)「ダム建設絶対反対」を訴えるやぐらのそばで、強制測量の記憶をたどる松本さん=川棚町岩屋郷

長崎県と佐世保市が東彼川棚町に計画する石木ダム建設事業で、全ての未買収地約12万平方メートルは20日午前0時、土地収用法に基づき県と同市が所有権を取得した。その一角の川原(こうばる)地区には反対住民13世帯約50人が暮らす。11月18日には家屋など物件がある土地の明け渡し期限となるが、住民側は応じない構えだ。事業採択から40年以上の長期にわたる公共事業は、なぜ混迷を極めたのか。経緯を振り返り、公と個で引き裂かれた人々の姿を見つめた。
降りだした雨が、収穫を待つ稲穂やダム反対の看板をぬらした。自然豊かな田園風景のあちこちに看板が立ち並ぶ。「小さいころから当たり前の光景」。反対運動のシンボルでもあるやぐらのそばで、住民の松本好央(44)は笑った。
父と鉄工所を営み、13世帯で最も多い4世代8人で暮らす。ダム事業が国に採択された1975年に生まれ、「ダム問題とともに育った」。結婚前、地元に連れてきた妻の愛美(45)の表情がこわばるのを見て、看板だらけの光景が「異常」と初めて気づいた。
20日朝、家族では特にダムの話題は出なかった。土地の権利が消えても、日々の暮らしは続く。家屋など物件を含まない土地が対象だった19日に続き、自宅など物件を含む残りの土地の明け渡し期限が11月18日に迫る。強制的に住民を排除し、家屋を撤去する行政代執行がいよいよ現実味を帯びてきた。「奪われてたまるか」と思う半面、少年時代の暗い記憶が脳裏をよぎる。
82年5月、県は機動隊を投入して土地収用法に基づく立ち入り調査(強制測量)に踏み切り、抵抗する住民らと衝突した。当時小学2年生だった好央も学校を休み、測量を阻止する座り込みに加わった。機動隊員らが駆け足で農道を突き進んでくる。恐怖で震える手を仲間たちとつなぎ、「帰れ」と叫んだが次々と抱え上げられ、排除された。
当時の知事、高田勇は就任から3カ月足らずで強硬手段に出た。当時の県議、城戸智恵弘(85)は「前任の久保(勘一)さんなら、絶対にやらなかった」と分析する。「大事業には『一歩前進二歩後退』くらいの度量が必要。官僚出身の高田さんや彼を支える側近には、そうした政治的視点がなかった。結果、取り返しが付かない禍根を残した」
もし県が代執行を強行すれば、当時以上の恐怖を子どもたちが味わうかもしれない。ダム問題が亡霊のように付きまとう人生を、子どもたちに科してはいないか。父となった今、好央はそんな葛藤も抱く。
中村法道知事と地元住民が約5年ぶりに県庁で面会した19日、長女の晏奈(はるな)(17)が「古里を奪わないで」と訴えるのをそばで聞いた。誰かに教えられなくても、自分の言葉で、自分の気持ちを伝える姿を誇りに思った。帰宅後、家族でケーキを囲み、この日が誕生日だった妻を祝った。家族がいて、古里がある。このささやかな幸せを守りたい。混沌(こんとん)とした状況の中で、そう願っている。=文中敬称略=


混迷 石木ダム 用地収用・2 <空手形> 「最初からだますつもり」

(長崎新聞2019/9/22 16:10) https://this.kiji.is/548327777817674849?c=39546741839462401

(写真)「建設は地元と同意の上で着手する」する旨の県との覚書の写しに目を落とす岩本さん=川棚町岩屋郷

長崎県と佐世保市が東彼川棚町に計画する石木ダムの建設予定地に暮らす岩本宏之(74)は、古いファイルから書類を取り出し、目を落とした。1972年、県がダム建設の予備調査の同意を得るために、地元3地区と交わした「覚書」。「乙(県)が調査の結果、建設の必要が生じたときは、あらためて甲(地元3地区)と協議の上、書面による同意を受けた後、着手する」-と記されている。
だが半世紀近くたった今、覚書は事実上の“空手形”となっている。3地区の一つ川原(こうばる)地区の13世帯は、土地収用法に基づく県側の手続きで今月、宅地を含む土地の所有権を失った。「行政が堂々と約束を破っていいのか」。岩本は吐き捨てる。
川原で生まれ育った岩本が初めてダム計画を耳にしたのは62年。高校生だった当時、県が業者に委託した現地の測量をアルバイトで手伝った。その後、町が無断の測量に抗議し、中止になったという。
その約10年後、県は正式にダム建設に向けた予備調査を町と地元3地区に申し入れた。「覚書」はこの時期に交わされたものだ。3地区は「県が覚書の精神に反し、独断専行あるいは強制執行などの行為に出た場合は、(町は)総力を挙げて反対し、作業を阻止する」とした覚書を町とも結んだ。
ところが予備調査の結果、県は「建設可能」と判断すると計画を推し進め、75年には国が事業採択した。不信感を募らせた地元住民は反対運動を本格化。79年6月には当時の知事、久保勘一が現地を訪れ、住民の説得に当たった。県がまとめた談話によれば「決してなし崩しにできません。全部の話がつかなければ前進しないんですから」と発言している。
だが82年、久保の後継で知事に就任した高田勇が強制測量に踏み切り、住民との亀裂が決定的になった。岩本は「地元を無視して強行に物事を進め、過去の約束も平気でほごにする。県の態度は最初からずっと変わらない」とため息をつく。今月19日、約5年ぶりに実現した中村法道知事との面会で覚書の有効性をただしたが、中村は「(係争中の)訴訟の場で明らかになると思う」と述べるにとどめた。「最初からだますつもりだった。あの時、予備調査を受け入れなければ…」。土地の権利を失った今、そう言って悔やむ。=文中敬称略=


混迷 石木ダム 用地収用・3 <事業認定> 「話し合い」狙うも進まず

(長崎新聞2019/9/23 10:19) https://this.kiji.is/548675641380275297?c=174761113988793844

(写真)事業認定申請に踏み切ることを表明する金子知事(当時、中央)ら=2009年10月13日、旧県庁

「法的な手続きの中で話し合いが促進するよう誠心誠意対応したい」-。2009年10月。県と佐世保市が東彼川棚町に計画する石木ダム建設事業で、金子原二郎知事(当時)は朝長則男市長、竹村一義町長(当時)と県庁で会見し、土地収用法に基づく事業認定の申請手続きに入ると表明した。県は翌月、国に申請。土地の強制収用への道を開いた“起点だった”。
1982年の強制測量から約27年が経過し、地道な用地交渉の末、地権者の8割が移転していたが、なお13世帯が応じていない中での申請。なぜ、このタイミングだったのか-。
2009年夏、政界で波乱が起きた。衆院選で民主党(当時)が大勝し、政権交代。自民党出身の金子は同年11月、「県政運営に支障が生じないように」として、翌年2月の知事選への4選不出馬を表明する。事業認定申請宣言は、不出馬表明の1カ月前だった。
「(転居など事業に)協力してくれた人たちのことを考え、自分が知事の時代に(事業認定申請を)やらんばいかん。皆さんを説得したのに申請もしないで辞めたんでは無責任だと思った」。金子は当時をこう振り返る。「コンクリートから人へ」を掲げ、民主党政権が公共事業の再検証を進める中、「(申請で)後の人に引き継いでもらいたいという気持ちもあった」という。
当時、県議会でも事業認定申請を求める議員が大勢だった。09年6月定例県議会では超党派の33人が意見書を提出。強制測量への反省を県に求めながらも、「事業認定は中立の認定庁(国土交通省九州地方整備局)が事業の必要性、公益性を審査するため、話し合いを進展させることが期待できる」という内容だった。
一方、申請に反対する県議もいた。元県議の吉村庄二は当時、土木部を所管する環境生活委員会に所属。事業認定は行政代執行への道を開くと訴えていた。国は自民党が政権奪還後の13年9月、事業認定を告示する。吉村は「認定庁は(事業の)第三者とはいえ国の機関。申請すれば当然(ダムが)必要という話になることは初めから分かっていた」と無念さをにじませる。
反対住民と「話し合いを進めるため」などとして、事業認定申請に踏み切った県。だが、県の狙いとは裏腹に、反対13世帯が翻意することはなく、申請から10年の歳月を経て行政代執行という最悪のシナリオが現実味を帯びる。
=文中敬称略=


混迷 石木ダム 用地収用・4 <分断> 意志が弱かったのか…

(長崎新聞2019/9/24 10:20) https://this.kiji.is/549039417644876897?c=39546741839462401

(写真)建設予定地から移転した川崎さん夫妻は、複雑な思いでダム問題の行く末を見つめている=川棚町中組郷

長崎県と佐世保市が東彼川棚町に計画する石木ダムの建設予定地。今月、土地収用法で所有権を失った後も、反対住民13世帯が住み続けている。一方で家屋移転対象の約8割に当たる54世帯は補償契約に応じ、これまでに集落を後にした。
彼らの意志が強いのか、それとも、私の意志が弱かったのか-。“闘い”を続ける川原(こうばる)地区の13世帯を前に、元住民の川崎民雄(89)は、そんな思いに駆られる。水没予定地の同地区で生まれ育ち、かつては13世帯と同じ「絶対反対同盟」の一員だったが、2003年9月に4キロほど下流の新居に移り住んだ。
妻の幸枝(85)も川原の生まれで、先祖代々受け継いだ土地に思い入れもあった。だが代替宅地が造成され、住民の移転が進むにつれ、「どんなに頑張ってもダム計画は止められない」と考えるようになった。高齢のために川原で農業を続ける自信もなかった。「苦しかった。でも将来を考えると、自分には残れない」。苦渋の決断だった。
新聞にダムの話題が載れば必ず目を通し、妻に読んで聞かせる。先行き不透明なダム事業に「何のために移転したのか」と割り切れない半面、「13世帯の結束は固い。ダムはもう無理なんじゃないか」とも思う。
ダム計画が持ち上がってから、静かな集落は翻弄(ほんろう)され続けた。国の事業採択(1975年)をきっかけに川原や岩屋両地区などを中心に反対団体がつくられたが、県側の説得で切り崩され、分裂。県の強制測量(82年)では、容認派と反対派の対立が先鋭化し、親族内で慶弔の行き来を絶ったり、集落が機能不全に陥ったりと深刻な分断を生んだ。
94年に生活再建や地域振興を目指す住民が「石木ダム対策協議会」を結成し、県との積極的な補償交渉に乗り出した。初代会長で、岩屋地区から代替宅地に移った田村久二(85)は「反対同盟との折り合いがつきそうにもない中で、今より地域をよくしたいとの思いだった」と語る。
反対同盟からも突然10世帯近くが移転し、残る13世帯にも動揺が走った。13世帯の一人、岩下すみ子(70)は「前日まで普通にしゃべっていた仲間が急にいなくなった。ショックやったよ」と振り返る。「でも事情はそれぞれにあるし、私たちもその人たちの未来にまで責任は取れない。結局止め切らんかった…」。残った者と去った者。それぞれが葛藤と傷を抱え、出口の見えない古里の行く末を見つめている。=文中敬称略=


混迷 石木ダム 用地収用・5 <水需要予測> 過大か適正か議論平行線

(長崎新聞2019/9/25 12:50) https://this.kiji.is/549439180293948513?c=39546741839462401

(写真)石木ダム反対のチラシを配り、理解を求める市民ら=19日、佐世保市島瀬町

8日、佐世保市内。県と同市が東彼川棚町に計画する石木ダム建設事業を巡り、反対13世帯の宅地を含む土地の強制収用に反対する市民集会が開かれた。会場には定員を大きく超える約130人。立ち見が出るなど熱気が漂った。
「私たちは水に不自由してない。人口減少で水需要は減り続ける。なぜダムを造る必要があるの」。主催した市民団体「石木川まもり隊」代表の松本美智恵(67)のあいさつに拍手が湧き起こった。
同ダム建設の目的の一つが同市の利水だ。市は2012~24年度の水需要予測を踏まえ、同ダム建設で新たに日量4万トンを確保する必要があるとする。一方、国立社会保障・人口問題研究所は同市の人口は現在の約25万人から40年には19万人にまで減ると推測。松本は「市の水需要予測は過大。人口減少の現実を受け止め、ダムに巨額の税金を投じるのではなく、既存施設を補修して漏水対策を急ぐべきだ」と訴える。
こうした「過大」との指摘に対し、市は「必要最低限の予測値だ」と反論。24年度までの人口減少は考慮しているとし、「都市の将来像が見えない中でさらに先の予測はできない。精度も落ちる」と譲らない。
ダムの必要性を巡っては、市長の朝長則男もかたくなな姿勢を崩さない。6月定例市議会でも「市民生活を守り、市政を発展させていく上で必要不可欠だ」と強調。過去に度々渇水に見舞われ、1994年には約9カ月の給水制限に至った苦い経験や、水を消費する企業を誘致できないもどかしさがにじんだ。
「心配はそれだけではない」。そう話すのは市議会石木ダム建設促進特別委委員長の長野孝道だ。朝長はクルーズ客船やカジノを含む統合型リゾート施設(IR)誘致を重要政策に掲げており、観光客増加を見据え十分な水源を確保しておきたい思いもあると長野はみる。
ただ、近年を見ると、実際に水を使った実績値は水需要予測値を下回って推移。2018年度の1日平均給水量は予測値の約82%にとどまり、ダム反対市民らは「予測の再検証が必要だ」と訴える。一方、市水道局は、予測値には気象条件でピークが重なる状況や事故災害による非常事態も加味しており、「通常は実数値を下回る」と意に介さない。
石木ダム建設予定地の一部の明け渡し期限ともなった19日、反対市民らは市中心部のアーケードでチラシを配り、通行人に理解を求めた。それを受け取る人もいれば、拒む人もいる。将来の水需要は減るのか、増えるのか-。議論はかみ合わないまま平行線をたどっている。=文中敬称略=

私たちもその人たちの未来にまで責任は取れない。結局止め切らんかった…」。残った者と去った者。それぞれが葛藤と傷を抱え、出口の見えない古里の行く末を見つめている。=文中敬称略=


混迷 石木ダム 用地収用・6完 <県民の視線> 賛否の議論 盛り上がらず

(長崎新聞2019/9/26 10:22)updated https://this.kiji.is/549763649060324449?c=39546741839462401

(写真)強制収用や行政代執行に反対する議員連盟の設立会見で話す城後代表(中央)=県庁

「広く市民に訴える連盟をつくり、動きを展開したい」。今月14日、県庁。県と佐世保市が東彼川棚町に計画する石木ダム建設事業を巡り、土地の強制収用に反対する国会議員、地方議員73人で立ち上げた議員連盟の設立会見で、代表の城後光=東彼波佐見町議=は言葉に力を込めた。
同事業を巡っては昨年、音楽家の坂本龍一がダム問題の啓発に取り組む市民団体に招かれ建設予定地の川原(こうばる)地区を訪問。反対住民とも対話し、長崎市内であったトークセッションでは「ダムの必要性が今もあるのか。一度決めたことを変えない公共事業の典型例と感じる」と疑問を呈した。歌手の加藤登紀子も昨年、同地区に足を運び、報道陣に「多くの人にこの地を訪ねてほしい」と語った。映画監督の山田英治は同地区の人々の暮らしを描いたドキュメンタリー映画「ほたるの川のまもりびと」を制作し、全国各地で上映されている。
県収用委員会が同地区13世帯の宅地を含む全ての未買収地約12万平方メートルの明け渡しを求める裁決を出した今年5月以降は、反対運動が活発化。県に公開討論を求める署名約5万筆が全国から集まり、強制収用に反対する県民ネットワークも発足した。
だが、こうした一部の動きとは裏腹に、一般県民の間にダム推進、反対の議論が盛り上がっているとは言えず、その視線の行方は不明瞭だ。4月の県議選や7月の参院選で石木ダム問題は争点にならなかった。4月の川棚町議選には反対13世帯の一人、炭谷猛が初出馬し、ダム反対を掲げてトップ当選したものの、県は「町議会の構成が大きく変わったと認識していない」との受け止め方だ。
今月7日、買い物客でにぎわう長崎市中心部。約150人がダム反対を訴えデモ行進したが、多くの県民は関心を示さず、立ち止まる人はほとんどいない。「ダムはいらんやろ」とつぶやく男性がいる一方、「うるさいだけ」と吐き捨てるように素通りする女性の姿もあった。
県民ネットワークの発足に関わった同市在住のライター、松井亜芸子(42)はダムを巡る運動を「(国の)未来を考える能動的な活動」と位置付ける。のどかな集落を舞台に約半世紀にわたり混迷を続けるこの問題は、県民に何を問い掛けているのか。松井は言う。「(反対13世帯の)住民の言葉は、(私たちが)自分の町や自分自身を考えるきっかけを与えてくれる。(川原地区の問題に矮小(わいしょう)化せず)石木ダムから国全体の在り方を考えてほしい」
=文中敬称略=
=おわり=

 

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