水源連:Japan River Keeper Alliance

水源開発問題全国連絡会は、ダム建設などと闘う全国の仲間たちのネットワークです

ホーム > ニュース > 石木ダムの情報

ニュース

石木ダムの情報

石木ダム問題の番組「ダム予定地に生まれて」

2020年6月21日
カテゴリー:

6月20日(土)17:30~のTBS『報道特集』で、石木ダム問題の番組「ダム予定地に生まれて」が放映されました。
九州で既に放映されたドキュメンタリー「ダム予定地に生まれて」を短縮したものです。
その番組案内には次のように書かれていました。https://www.nbc-nagasaki.co.jp/tv-topics/200527/
「去年、石木ダム建設に反対する地元住民13世帯の家や田畑が強制収用されました。
事業が計画されたのは半世紀前。水没予定地に暮らす住民達は先祖代々の土地を手放せないと立ち退きを拒んできました。
事業を推進する長崎県との対立で日常のほとんどが抗議活動に染まっています。
強制収用された今も13世帯およそ50人が暮らす川棚町川原地区の半世紀を描く。長すぎる公共事業がもたらすものとは。」
この番組を見て、利水治水の両面で必要性がない石木ダムの建設のため、13世帯50人の生活を奪おうとする長崎県に対してあらためて強い憤りを覚えました。
次の上段の図は石木ダムの水源が必要だという佐世保市の水需要の実績と市予測を比較したものです。実績がほぼ減少の一途を辿ってきているのに、市は実績と乖離した架空予測を続けて石木ダムの水源が必要だと強弁しています。
次の下段の図は川棚川流域における石木ダムの位置を示したものです。川棚川の最下流で合流する支川「石木川」につくられる石木ダムで対応できるのは川棚川流域の4~5%に過ぎず、石木ダムは治水対策として意味を持ちません。
川棚川の治水対策として行うべきことは河道整備や内水はん濫対策であって、石木ダムの建設ではありません。
このように愚かな石木ダム事業は何としても中止させなければなりません。

石木ダムの費用便益比計算  川棚川の洪水調節のB/Cはわずか0.10

2020年6月7日
カテゴリー:

ダム等の公共事業は事業の是非について定期的に再評価を行うことが義務付けられており、その再評価の重要な項目の一つが費用対効果(費用便益比)の数字です。
費用便益比が1を超えれば事業継続となり、1を下回れば見直しの対象となります。
ほとんどの事業では事業者は便益を過大に計算して、費用便益比が1を超えるように操作します。
石木ダムについても洪水調節と不特定利水(渇水時の補給)の目的については長崎県、水道用水開発の目的については佐世保市が再評価を行い、費用便益比を計算しています。
長崎県は洪水調節と不特定利水の目的について昨年9月に再評価を行いました。前回は2015年でした。
今回、昨年9月30日の長崎県公共事業再評価監視委員会で示された石木ダムの費用対効果分析の計算資料を入手しました。石木ダム費用対効果分析資料201909の通りです。
昨年7月17日に石木ダム工事差し止め訴訟の証人尋問が長崎地方裁判所佐世保支部で行われ、石木ダム事業を科学的に検証すれば、治水面で不要であることを嶋津が証言しました。
その中で、石木ダムは費用便益比計算の恣意的な設定を改めれば、費用便益比が1を大きく下回ることを示しました。
詳しくは、http://suigenren.jp/wp-content/uploads/2019/07/435871c5c7f259bef4ac7f2e9ce6f279.pdf をお読みください。
証言で示した2015年の再評価の数字は次の通りでした。

2015年の再評価
石木ダム全体の費用便益比(B/C)1.25
洪水調節ダム便益          0.42
川棚川(河口~石木川合流点)      0.12
石木川                 0.30
不特定便益            0.79
残存価値             0.05

2019年の再評価もほぼ同じでした。石木ダム費用対効果分析資料201909の最終ページの合計欄の数字と6ページの表から次の値が求められます。

2019年の再評価
石木ダム全体の費用便益比(B/C)1.21
洪水調節ダム便益          0.40
川棚川(河口~石木川合流点)           0.10
石木川                 0.30
不特定便益            0.77
残存価値             0.04

ダム建設の主たる目的は川棚川の洪水調節であるはずなのに、その便益に関しては費用便益比(B/C)がわずか0.10しかありません。
石木ダム全体のB/Cが1を超えているのは、前回と同様、不特定利水の便益がダム完成前に発生するという実際にはありえない設定をしたことによって、現在価値化後の便益が大きくなっているからです。
現在価値化とは費用便益比計算独特のもので、社会的割引率(貨幣価値の変動率を示す指標)を 4%として、将来発生する金額を低く、過去に発生した金額を高く評価するものです。
不特定利水の便益がダム完成後に発生するというまともな設定をすれば、石木ダム全体のB/Cが1を大きく下回り、石木ダムは見直しの対象になります。

以上の通り、長崎県が行った費用便益比計算でも、石木ダムは主目的の川棚川洪水調節の費用便益比がわずか0.10しかありません。
長崎県が地元住民の土地・家屋が奪おうとしている石木ダムはその程度の事業なのです。
こんな無意味な事業は何としても中止させなければなりません。

まるでゾンビ、45年間本体未着工のダム計画 徹底抗戦13世帯、長崎県「実力行使も選択肢」

2020年6月1日
カテゴリー:

石木ダム問題についての全国新聞ネットの記事を掲載します。
この記事のタイトルに書かれているように石木ダムはまさしくゾンビです。必要性がなくなったので、とっくに中止されるべき事業であるのに、いまだに地元住民を苦しめています。

まるでゾンビ、45年間本体未着工のダム計画 徹底抗戦13世帯、長崎県「実力行使も選択肢」
(全国新聞ネット 2020/06/01 07:00)
https://news.yahoo.co.jp/articles/ffd8bbc9acb74247fa275b3b7142b41b109d7785

© 全国新聞ネット 長崎・石木ダム建設予定地
45年前に建設が決まったが、いまだに本体の着工すらしていないダム計画が長崎県で生き続けている。まるでゾンビのような公共事業は、石木ダム計画だ。県と佐世保市が川棚町の石木川流域に予定。ダム建設に伴う移転対象の約8割に当たる54世帯が既に転居した一方、水没予定地の13世帯約60人が残り「死んでもふるさとを離れない」と徹底抗戦の構えだ。住民は見直しを含めた対話を求めるが、県側は住民や家屋を撤去して強制的に土地を取り上げる〝実力行使〟の行政代執行を「選択肢の一つ」と言い放つ。両者の深い溝は埋まりそうにもない。(共同通信・石川陽一)

▽強制測量の記憶
生い茂る木々の間から響く鳥の声。透き通るような清流には、夏になると無数の蛍が舞う。そんな集落にダム建設が決まったのは、1975年のことだった。「こんなに美しい場所は他にないよ」と笑う松本好央さん(45)は、その年に生まれた。水没予定地の川棚町川原(こうばる)地区で鉄工所を営む。仕事後に自宅の窓から田園風景を眺め、一杯やるのが最高の楽しみだ。
© 全国新聞ネット 石木ダムの水没予定地になっている長崎県川棚町の自宅付近で、思いを語る松本好央さん=19年10月9日
82年5月、小学2年生だった松本さんは初めてダム問題を意識することになる。県が県警機動隊を動員し、建設予定地の強制測量に踏み切ったのだ。学校を休んで大人や近所の子どもたちとともに座り込み、迫る隊員に「帰れ!」と叫んで抵抗したが、あえなく排除された。「本当に家を奪われてしまうのだと思った。今でもあの時の恐怖は忘れられない」
この出来事が、住民と県側との決裂を決定的なものとした。「見ざる、言わざる、聞かざる」をスローガンに、住民はダム計画が存在していないかのように「徹底無視」を貫く。ダムの話題はタブーだ。住民は玄関に「県職員訪問お断り」と書かれたシールを貼り付け、用地買収の交渉は一切受け付けない。感情面の対立が激しさを増した。

▽洪水と大渇水
強制測量後、県側は動きを控える。「ダムのことは忘れて日常生活を送っていた」(松本さん)という92年7月、豪雨で石木川の本流の川棚川が氾濫し、町中が浸水。94年8月から95年4月にかけては、佐世保市で最大43時間連続断水、給水制限264日に及ぶ大渇水が起こった。
石木ダムは佐世保市への給水と川棚町の治水対策が目的だ。県関係者は「ダムがあれば氾濫は防げたし、渇水の被害も緩和できた。行政としては痛恨の出来事だった」。建設計画は息を吹き返す。当初は反対で一致団結していた住民側からも用地買収に応じる人が出始め、97~2004年度に計54世帯が立ち退きに同意した。
© 全国新聞ネット 石木ダムの建設に反対し、水没道路の付け替え工事現場付近で座り込む住民ら=19年11月13日
反対運動も再び活発化した。10年3月に水没予定道路の付け替え工事が始まると、反対住民は抗議して連日、重機の周辺に座り込んだ。「命を懸けた」行動で一時は工事を中断させ、中村法道知事と4回面談したが、決裂。両者が歩み寄ることは無かった。13年9月、国がダム建設に「お墨付き」を与える事業認定を告示し、翌年から県は土地の強制収用に向けた手続きに入った。19年9月、ついに県側は全予定地の権利を取得し、松本さんら残る13世帯は、法的には「国有地を不法占拠する元地権者」となった。

▽人口減でも需要増
県側が石木ダム建設の根拠とするのは大きく2点。一つは、佐世保市の水需要がこれから緩やかに増加していくという市水道局の予測だ。今から18年後の38年には、最大で1日当たり約10万6500トンの水需要を見込み、予備の10%を加味した約11万7000トンが必要と推計。佐世保市が保有する年間355日以上水を供給できる「安定水源」は、1日当たり約7万7000トンにとどまるため、ダムで残りの約4万トンを補うつもりだ。
市水道局によると、09~18年の1日最大給水量の実績値は約10万7600トン。この年は寒波で家庭用の配管が破裂する事故が起きており、残りの年は約7万7000~約8万2000トン。安定水源の供給量を超えた場合は、天候によっては取水できない「不安定水源」の約3万トンや民間の農業用水などを組み合わせて対処しているという。水道局の担当者は「水道事業者は常に水を安定供給できる施設の整備を水道法で義務付けられている。需要予測は必要最小限にとどめており、石木ダムを造ればギリギリ足りるという状況だ」と説明する。
ただ、佐世保市の人口は減少傾向にある。20年5月1日時点で約24万人が住んでいるが、国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、今から20年後の40年には約21万人に落ち込む見通し。生活用水や工業用水の使用量の増加は見込めないとして、反対派は水需要予測を誤りだと主張している。

▽100年に1回の大雨
県側の2点目の論拠は、川棚町の治水対策でダム建設が最も費用対効果が高いとの試算だ。県河川課が19年に作成した資料によると、堤防のかさ上げや河道の掘削など7種の方法を検討した結果、ダム中止に伴って発生する費用約62億円を含めて210億~433億円程度かかる。このままダムを造れば、治水面に限ると今後50年の維持管理費を含めて約77億円で済むという。
反対派は石木川にダムを建設しても川棚川の流域面積の約8・8%しかカバーできず、上流部分での氾濫は防げないと主張。県が治水面で想定している「100年に1回レベルの大雨」という基準も過大評価で、他の対策の費用試算も誤りだとしている。川棚川と石木川を河川改修すれば対応できるとしており、双方の主張は平行線をたどっている。
© 全国新聞ネット 長崎県庁でダム計画反対派の地権者の話を聞く中村法道知事=19年9月19日
19年9月、約5年ぶりに中村知事が県庁内で住民との面会に応じた。参加者は住民約50人に限定し、場所は当日まで明らかにせず、入り口にバリケードを設けるなどの「厳戒態勢」だった。住民は代わる代わるふるさとへの思いを口にし、涙を流した。最後には立ち上がり「どうか事業の見直しをお願いします」と全員で頭を下げた。知事はうつむき、視線を合わせなかった。その場で「継続して対話する機会を設けたい」と述べたが、以降、両者の話し合いは一度も開かれていない。

▽ふるさと愛は悪か
知事との面会には、松本さんの長女で高校生の晏奈(はるな)さん(18)の姿もあった。「帰る場所がなくなるのは嫌だ。思い出が詰まったふるさとを奪わないでください。どうか私たちの思いを受け止めてください」と語りかけた。
松本さんは、強制収用によって、子どもたちにかつて自身が感じた以上の恐怖を味わわせることは許せないと感じる。年老いた祖母や両親にも、ここで最期を迎えさせてあげたい。「ふるさとを愛することは悪なのか。もう弱い者いじめはやめてほしい。水の確保や治水は何か他の方法が絶対にあるはず。県や佐世保市はまず対話に応じてほしい」
© 全国新聞ネット 長崎県庁で中村法道知事に石木ダム計画反対を訴える水没予定地に住む女児=19年9月19日
13世帯の土地の明け渡し期限を迎えた19年11月18日、住民約40人が県庁を訪れた。「石木ダムは県政の最重要課題の一つ」と公言する中村知事は節目のこの日、別の公務で出張のため留守だった。代わりに対応した平田研副知事は「ダムで恩恵を受ける人たちは大切な県民だ。行政代執行は選択肢から外さない」と告げた。私たちは県民じゃないのか―。会場の会議室には住民の怒号が飛び交った。

▽フラットな対話の場を
「隣町の水道水を確保するためにあなたの実家をダムに沈めても良いか」と問われたら、どう答えるだろうか。筆者なら嫌だ。「大勢のために少数の犠牲が必要」という考えは強権的で、民主主義社会にそぐわない。
確かに新たな水源や治水対策は必要なのかもしれない。でも、ふるさとに住み続けたいと願う人が居るなら、それを守るのも行政の仕事だ。県側と住民側をそれぞれ取材していると、お互いに感情的な対立が極まってしまっていると感じた。現状では何も解決しない。フラットな状態で対話できる場を設けてほしい。
もし13世帯を実力で排除し、立ち退きを強制することになれば、前代未聞の出来事だ。禍根は世代を超えて残り続け、関わった人間全員の背中に決して消えない十字架を刻むことになるだろう。

© 全国新聞ネット 石木ダム事業の経過

【石木ダム】長崎県と佐世保市が川棚町の石木川に計画する多目的ダム。計画では総貯水量約548万トンで、事業費は約285億円。当初の完成目標は1979年度だったが、今もダム本体は着工しておらず、現在の目標は2025年度。県は14年に強制収用の手続きを開始。水没予定地の13世帯は19年9月に土地の権利を失い、県側は全予定地の用地取得を終えた。現在、知事の判断で行政代執行し、住民や家屋を強制的に排除できる。国の事業認定取り消しを求めた訴訟は一審、二審で住民側が敗訴し、上告中。工事差し止めを求めた訴訟も一審は住民側が敗訴し、福岡高裁で係争中。

(現場へ!)岐路に立つ長崎・石木ダム:新聞の連載1~5

2020年4月14日
カテゴリー:

石木ダム問題についての新聞の連載記事「(現場へ!)岐路に立つ長崎・石木ダム」の15を掲載します。力作の連載記事です。

 

(現場へ!)岐路に立つ長崎・石木ダム:1 住民の闘い60年、問いかける
(朝日新聞2020年4月6日 16時30分) https://digital.asahi.com/articles/DA3S14431993.html?iref=pc_ss_date

(写真)水没する県道の付け替え道路工事が進む中、行き来する工事車両の近くで住民たちの座り込みが続いている

(写真)ダム建設反対を訴える「見ざる 言わざる 聞かざる」のやぐら=いずれも長崎県川棚町•
(写真)石木ダム建設予定地の川原集落(手前)。奥は川棚川が注ぐ大村湾=本社ヘリから


長崎県川棚(かわたな)町は、長崎空港から大村湾沿いに車で30分ほど北上した位置にある。川棚川河口部のにぎやかな中心部を経て、上流方向にさらに7~8分走ると、のどかな田園風景の中に巨大な看板群が目に飛び込んでくる。
「石木(いしき)ダム建設絶対反対」
「水の底より 今の故郷」
この地にダム計画が持ち上がったのは1962年のことだ。その後多くの住民が故郷を去ったが、川原(こうばる)集落には今も13世帯、五十数人が立ち退きを拒んで暮らす。米や野菜を作り、山菜を採り、時にイノシシを狩る。30~50代は町内外に職を得ながら農業もする。
石木ダム事業は、川棚川の支流の石木川を、高さ55・4メートル、幅234メートルのコンクリート製の堰堤(えんてい)でせき止め、総貯水量548万トンのダムを築く計画だ。隣の佐世保市への水道水供給と、町を洪水から守るために本流の水量を調節する治水を目的とする。佐世保への導水事業なども含め、最新の見積もりで総額600億円を超す。

13世帯の粘りにしびれを切らした県は昨年、土地収用法に基づく行政代執行の権限を得た。土地の所有権はすでに住民から国に移され、知事の判断一つで強制的に家屋撤去に踏み切れる段階にある。国土交通省によると、ダム建設をめぐる現住家屋の撤去は前例がなく、もし強行すれば、国内のダム事業で初めてのケースとなる。
集落で目を引くのが「見ざる 言わざる 聞かざる」のシンボル塔だ。「三猿」の顔を描いた看板が、杉丸太を組んだ高さ約8メートルのやぐらに掲げてある。
県は72年、地元の了解なしでダムは造らないという覚書を、川原を含む3集落と交わした上で予備調査を始めた。だが建設が可能と判断すると、県は約束をほごにして手続きを進め、75年に旧建設省の認可を得て事業に着手した。
そうした流れに抗(あらが)うため、74~75年に3集落では「石木ダム建設絶対反対同盟」を旗揚げした。
県職員や町の幹部らは住民を切り崩そうと戸別訪問を仕掛けたが、断固拒否の姿勢を示そうと78年、当時の青年たちが電柱を利用して建てたのが「三猿」のやぐらだった。

その一方で、同盟の役員を務めていた父親世代は若手の強硬姿勢を煙たがり始める。軍隊時代の先輩だった町長から酒食のもてなしを受けて懐柔されていたのだ。
家々では青年たちが決起して父親から世帯主の座を奪い、集落の集まりに出るようになった。80年3月には同盟を解散し、酒食になびかない女性や子どもを会員に加えて4日後、再結成した。
中心メンバーの石丸勇(いさむ)(70)は「戦後の民主教育を受けた世代が、父親の世代を乗り越え、闘いの土台を築いた」と振り返る。
「13世帯に示した補償金は計約12億円。住民はそれを蹴った。信じられない」。ある県職員が記者にこうつぶやいたことがある。
総貯水量でみれば、国内最大級の徳山ダム(岐阜県)の120分の1にすぎない。だが、「金銭に代えられないものの価値」を、改めて社会に問いかける大きな存在になりつつある。
60年近く前の計画が推し進められようとしているいま、住民の闘いの意味を改めて考えたい。=敬称略(原口晋也)

現場へ!)岐路に立つ長崎・石木ダム:2 命の土地、2度も収奪ならぬ
(朝日新聞2020年4月7日 16時30分)https://digital.asahi.com/articles/DA3S14433431.html?iref=pc_ss_date

(写真)トタンぶきの「ダム小屋」に杖をつきながら通う(左から)松本マツと岩永サカエ=長崎県川棚町
(写真)水没予定地の川原集落に住む石丸勇 (写真)岩本宏之 (写真)厳しい表情で県職員と向き合う炭谷猛=長崎県庁

長崎県川棚(かわたな)町を流れる石木(いしき)川は、せせらぎという表現がふさわしい小さな流れだ。暖冬で初鳴きが早かったウグイスの声と、重機の音が低い山々にこだまする。
流れを見下ろす高台では連日、川原(こうばる)集落の住民や支援者20~30人が石木ダム建設に抗議する座り込みを続けている。

2010年3月、ダム建設で水没する県道の付け替え道路着工を機に始まった。数度の工事中断を経て16年7月からいまも続く座り込みは3月9日、土日などを除き連続800日に達した。
現役世代は仕事に出るため60~70代が中心。35度前後の炎天下でも、雪が舞う中でも休まない。通院や畑仕事は合間にこなす日々だ。他方、県は迂回(うかい)路を造って工事を進めている。
初雪の日は近くで切り出した木をくべて暖をとり、イノシシの肉を焼いて食べた。その姿を、県職員が遠巻きに監視していた。
昨年10月5日、川原集落に住む石丸次儀(つぎよし)(享年90)の葬儀があった。喪主あいさつで長男の勇(いさむ)(70)は父親の少年時代に触れた。
「長崎原爆の時、大きな音がしたと言っていた。当時は石木の防空壕(ごう)で働いていました」
川棚町は長崎県の中央部に位置する大村湾の北岸にあり、戦時中は魚雷工場だった川棚海軍工廠(こうしょう)が置かれた。敗戦前年の春、工場群は空襲を恐れて川原などの山あいに移転疎開したため、田畑がつぶされた。次儀の実家も接収で上流に移転を強いられ、自身は地下壕に築かれた工場で働いた。
戦時中の国家総動員体制下とはいえ、住民からすれば土地の収奪に他ならない。葬儀に参列した岩本宏之(75)は「土地は命。2度も取られるわけにはいかん」と吐き捨てるように言った。ダム建設に対する抵抗の背景には、敗戦でなんとか取り戻せた伝来の土地を、自分の代で失うわけにはいかないという強い思いがある。

集落の総代、炭谷猛(すみやたけし)(69)の田んぼわきのコンクリート壁には「石木ダム建設絶対反対」の看板が掛かる。壁は魚雷工場の遺構で、高さ4メートル弱、長さ約150メートルの壁のあちこちに鉄骨が突き出ている。炭谷は戦後、祖父や父親が工場の分厚いコンクリートの床をつるはしで砕き、外壁を壊し、鉄骨を抜いていた姿を覚えている。
小6の頃にはダム計画が浮上した。敗戦で戻ってきた土地に水を引いて田んぼに戻した頃には30歳を過ぎていたが、県は機動隊を導入して強制測量を断行。1982年5月、31歳の春だった。
それから37年後の昨年9月、土地収用法に基づき、ダム予定地の所有権はすべて国に移った。11月の明け渡し期限後も住民は住み続けているが、県は代執行による家屋の取り壊しをちらつかせる。
ダム本体が築かれる堤の右岸にあるトタンぶきの監視小屋には、松本マツ(93)と岩永サカエ(80)が通う。対岸で座り込む若手に負けまいと気負うが、工事の様子を眺めることしかできない。
「ブルドーザーが来(こ)らして山が崩されるのを見るのはつらか。国に2度も土地を取られるとは、どこで目をつけられたもんか」
かつて女子挺身(ていしん)隊として魚雷工場で働いた松本が見やる窓の向こうでは、重機が動いていた。
=敬称略(原口晋也)

現場へ!)岐路に立つ長崎・石木ダム:3 強制測量とカネ、分断を生む
(朝日新聞2020年4月8日 16時30分) https://digital.asahi.com/articles/DA3S14434939.html?iref=pc_ss_date

(写真)一人で座り込みを続ける岩下すみ子=長崎県川棚町
(写真)水没予定地の集落を離れたが、いまも荒れた道の先にある畑に通う男性=長崎県川棚町
(写真)中村法道・長崎県知事
国が石木(いしき)ダム(長崎県川棚〈かわたな〉町)の全体計画を認可した1975年から45年。まだ本体着工にさえ入れずにいる最大の原因が、長崎県による強制測量だ。
1982年5月21日、静かな里山が悲鳴と怒号に包まれた。川原(こうばる)集落と上流の木場集落を中心とした約250人と、機動隊140人が衝突したのだ。「ダムの必要性から議論したい」とする住民側に対し、県は「測量調査に同意を!」と譲らず、しびれを切らした県がダム予定地に機動隊を導入、調査を強行した。

当時の8ミリフィルムを見た。巨漢の隊員が住民を抱えてゴボウ抜きにすると、住民がすぐ後ろに戻って座り込む。小中学生37人も「帰れ」と声を上げるが、抱えられ、大泣きしながら排除される――。そんな光景が延べ7日間続いた。これが決定的な亀裂を生み、知事の高田勇(たかだいさむ)(故人)はその後12年間、反対住民と会うことすらできなかった。他方、圧力と執拗(しつよう)な切り崩しによって、対象となる3集落67世帯のうち、川原集落の13世帯を除く8割の住民が2005年度までに故郷を離れた。
72年着手の予備調査から4代目の知事・中村法道(ほうどう)(69)は全未買収地を収用する前日の昨年9月19日、13世帯と面会後、「用地を提供した(8割の)方の思いも大切に事業を進める」と宣言した。
移転を受け入れた二つの住民団体に対し、県から助成金200万円と90万円が毎年支払われていたことを示す資料を、記者は入手した。ダムを巡る攻防が激しかった90年代半ばには「会議等連絡費(食糧費)」として団体の懇親会などに年500万~1千万円が充てられたことを示す記録もある。
最大の推進派団体の会長だった田村久二(ひさじ)(82)は「推進派の会を作ってくれと県に頼まれ、乗り気でない仲間を説得した」と明かす。毎年各地のダムを視察し、助成金を充てた。記者が入手した資料を、県の石木ダム建設事務所に示すと、「ダム完成後の周辺整備の参考にしてもらうのが目的」と説明したが、「視察の後は観光旅行だった」と語る元会員もいる。

多い頃は月に数回あったという懇親会はタクシーの送迎つき。総会では県土木部の幹部が「お世話になります」と頭を下げた。「県は我々に『ダム賛成』と発信してほしかとです」と田村はいう。
土地を手放した元住民の男性(72)は、子ども3人を県内外の大学に進学させ、補償金に助けられたという。「ダムができなければ先祖も浮かばれん。かといって反対住民を力で追い出すなんてしてほしくない。話し合いが筋」
一方、抵抗を続ける川原集落の女性陣のリーダー格、岩下すみ子(71)は嫁いだ頃、街灯もまばらな集落に心細さを感じた。だが10年後の強制測量の時、登校を求める教育委員会にはこう返した。
「息子にとって一生のうちのほんのわずかな時間。故郷を守る闘いは、いい経験になるけん、一緒に闘います」
そんな岩下が心の傷として語るのが、強制測量にも一緒に抗(あらが)って仲のよかった隣家が突然姿を消したことだ。「彼女は女手一つで娘たちを育てていた。離村を明かせなかった気持ちも分かる。でも、裏切られた思いが消えんとです」=敬称略(原口晋也)


(現場へ!)岐路に立つ長崎・石木ダム:4 「266年、世代つなげ私がいる」

(朝日新聞2020年4月9日 16時30分) https://digital.asahi.com/articles/DA3S14436226.html?iref=pc_ss_date

(写真)監視小屋の女性たち。機動隊とも闘ったこの7人は鬼籍に入った。いまは1~2回り下の女性2人が詰めている=1998年9月11日、長崎県川棚町、大西暢夫さん撮影
 (写真)土地を売った住民は我が家を壊して出て行き、ダム反対派住民は無言で見守った=2001年3月3日、長崎県川棚町、大西暢夫さん撮影
 (写真)水没予定地の川原集落の総代、炭谷猛 (写真)写真家の大西暢夫(右)は全国のダム水没集落の思いを伝えてきた=3月11日、岐阜県揖斐川町
長崎県川棚(かわたな)町の町立石木(いしき)小学校から、猫の耳の形に似た虚空蔵山(こくうぞうざん)が望める。校庭にはノーベル物理学賞の朝永振一郎ら英才が続いた朝永一族をたたえる碑がある。石木ダム建設予定地ではこの霊峰を仰ぎ、一族を誇りにしてきた。
水没する川原(こうばる)集落の総代、炭谷猛(すみやたけし)(69)は昨春、水没予定地の住民として初めて町議選に立ち、トップ当選した。直後の議会の一般質問で、こう切り出した。
「我が家の仏壇には宝暦3(1753)年3月29日に没した先祖から累代の位牌(いはい)がある。266年間、世代をつなげて、今の私がいます」

土地収用法に基づき、住民の土地所有権が国に移される前日の昨年9月19日。立ち退きを拒む川原集落の13世帯、約50人が長崎県知事、中村法道(ほうどう)(69)と面会した。
4世代家族そろって参加したのは、県立川棚高2年(当時)の松本晏奈(はるな)。「ひいばあちゃんと畑で野菜を作り、食べ、田植えをしてきた。帰る場所がなくなるなんて、考えたくありません」と、声を詰まらせながら訴えた。
曽祖母マツ(93)は戦時中、旧海軍が田畑を接収して建てた魚雷工場で働いた。父の好央(よしお)(45)は小学2年の時、ダム建設を急ぐ県が導入した機動隊と対峙(たいじ)した。一家は世代をまたぎ、今も土地の収奪と向き合い続けている。
この間、「援軍」も増えた。13世帯が帰依する福浄(ふくじょう)寺住職、深草昭寿(あきひさ)(67)もその一人。政治問題を嫌う門徒の反対を押し切って支援してきた。13世帯には寺が経営する幼稚園の卒園生が多くいる。
「機動隊に涙を流して立ち向かう好央君らを見捨てられなかった。仏の教えにかなう道だと信じている」。深草はそう語る。

写真家の大西暢夫(のぶお)(51)は1998年、全国のダムを巡る旅の最後に石木ダム予定地を訪れた。建設反対の看板群や監視小屋の意気高いおばちゃん……。「敗戦」の気配が濃い他のダム予定地と違い、30年以上続く闘いに衰えの気配がないのが印象的だった。
住民は計画発表時は反対するが、隣人の胸中を察して大勢につき、山を下りることが多い。反対し続けるのは市民団体と相場が決まっていたという。「地権者が反対し続ける石木ダムは将来、大問題になる」。そう予感した。
2006年、報道写真誌が大西の石木ダムの写真やルポを中心に特集を組んだ。副題は「闘いを継ぐ人々」。水没した村々の無念を託された人々という意味だ。
大西がダム問題に目覚めるきっかけとなった、地元岐阜県の徳山ダムを3月、一緒に訪ねた。旧徳山村を全村水没させて14年前に現れたダム湖は、国内最大の総貯水量6億6千万トンを誇る。石木ダム完成時の120倍だ。
水没した8集落の一つ、山手の望郷の碑にはこうあった。〈朝は……分校に通う子どもや山仕事に向かう村人が明るく声をかけ合う……春には残雪の谷にウドを探し、夏は鮎(あゆ)を追う。秋には薪(まき)を取り、長い冬は囲炉裏で栃餅(とちもち)を焼き、雪と過ごす……ふるさと山手はこの湖の底にある〉
運転席の大西がいった。
「千年単位で続いてきた暮らしや、笑顔を、人類史からすれば一瞬の判断で、永遠に水に沈めてしまった」
=敬称略(原口晋也)

(現場へ!)岐路に立つ長崎・石木ダム:5 みんなが「勝つ」方法、考えよう
(朝日新聞2020年4月10日 16時30分) https://digital.asahi.com/articles/DA3S14437585.html?iref=pc_ss_date
(写真)『石木』を転換できれば、日本にも光明がある」と語る、いとうせいこう=東京都千代田区
(写真)「石木ダムに反対する住民はぼくらと変わらないふつうの人たちだと知ってほしい」と語る映画監督の山田英治=東京都目黒区
(写真)パタゴニアの前日本支社長、辻井隆行。石木ダム予定地に幾度も足を運び、住民を支援する=東京都品川区
長崎県川棚(かわたな)町に計画されている石木(いしき)ダムで水没する川原(こうばる)集落の公民館の内壁には祠(ほこら)があり、聖徳太子の像がまつられている。
作家のいとうせいこう(59)はダム現地を見たいと2015年秋に訪れ、太子堂を見て驚いた。仏像好きのいとうも、仏教興隆に尽くした太子の信仰がこんな形で続く場所を他に知らないという。
年配の住民は親鸞のお経・正信偈(しょうしんげ)をそらんじ、通夜を自ら仕切ることもある。いとうは思う。
「代々、土地の文化を受け継ぎ、誇りをもって生きてきた、まさに日本人。その倫理でダムに反対している。彼らを“切る”ことは『日本人』を“切る”こと」
石木ダムは川棚町の隣、佐世保市への水道水供給が目的の一つ。市は市内の米海軍や海・陸の自衛隊、ハウステンボス、造船所など大口需要のピークの重複に応えるにはダムが不可欠と主張する。

もう一つの目的は洪水防止。県は、最下流の支流、石木川をせき止めて本流の流量を調節し、河口にある町中心部を洪水から守るという。だが川原の住民は、人口減なのに上向く水需要予測や小さな支流のダムの防災効果を疑う。
60年前の計画が続く現状を憂えるいとうはいう。「国土強靱(きょうじん)化をいうなら、新たな知見を取り入れながら計画を練り直す柔軟性こそ強靱化。利水面でも、水道管の漏水率を低める事業が、あり得べき公共事業じゃないか」
そしてこうも語る。
「戦後日本が抱える、ある種のでたらめさが、石木ではよく見えます。水俣・成田(空港)・福島・石木。石木を転換できれば、日本にもまだ光明がある」
博報堂で東京電力などのCMを手がけてきた映画監督の山田英治(50)は震災後、両親の故郷・福島の惨状を見て「結果的に、原発事故に加担した」と自分を責めた。15年春には石木ダム予定地を訪れ、そこに福島の姿を重ねた。そして長年のダム闘争でも失われていない住民の笑顔とユーモアに接して心が震え、「『ダム反対』映画ではなく『里山の豊かな暮らし賛成』映画なら撮れる」と思った。それが、住民の日常を描いた18年公開の「ほたるの川のまもりびと」だ。

いとうと山田を、現地にいざなったのが米アウトドア衣料メーカー・パタゴニア日本支社の前支社長、辻井隆行(51)。15年1月に現地を訪れ「ダムを壊していくのが世界の流れ。住民を追い出すなんて21世紀の話か」と憤った。
だが考えが少し変わった。事業を進める役所には彼らなりの理屈がある。現在進むダム周辺工事を受注した建設業者にも非はない。
「勝ち負けでなくて、みんなが『勝つ』方法を考えたい。ダム本体の工事は県外の大手ゼネコンが手がけることになるが、例えば河川改修中心に治水対策を転換すれば地元で受注でき、住民も住み続けられる可能性が広がる。そんな持続可能な開発目標(SDGs)の理念にかなう、誰ひとり取り残さない方策を、皆で考えたい」
昨夏、公開討論を求めて約5万筆の署名を長崎県に提出した。
辻井には確信がある。石木ダムのあり方を問うことは、民主主義を問い直すことだ、と。
=敬称略(おわり)
(原口晋也)

 

反論書提出 石木ダム収用明渡裁決取消を求める審査請求 

2020年4月2日
カテゴリー:

反論書 提出

2019年7月3日付で113名の地権者(コウバル居住者と共有地家者)が提起した「石木ダム収用明渡裁決取消を求める審査請求」に対する、処分庁・長崎県収用委員会からの弁明書が、2020年1月7日付で審査請求者に届いています。

この審査請求については、収用明渡裁決の取消を求める審査請求書と収用明渡裁決の執行停止を求める審査請求書 の修正版 を参照願います。
その答弁書への反論の準備を「石木ダム建設絶対反対同盟を支援する会」が進めてきました。反論書作成段階で佐世保市が再評価にとりかかったので、その結果を踏まえて反論書を作成しました。
そして4月5日、106名の連名で2022年3月31日付で提出しました。

提出する反論書は本文と、佐世保市による再評価問題を記した別紙からなります。
反論書には引用した資料を証拠として添付しました。
これらの提出した書類と、ここまでの経緯で重要な書類を下に記します。

反論書提出に至るまでの重要書類

反論書と付属資料

反論書と別紙

付属資料

 

 

1 / 4312345最後 »

↑ このページの先頭へ戻る