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台風19号で感じた「先人に感謝」という言葉の耐えられない軽さ 「八ッ場ダムの奇跡」は権力者側への称賛

2019年10月28日
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台風19号について流布している「八ッ場ダムの奇跡」などは権力者側への称賛です。問題の本質を突いた論考を掲載します。

台風19号で感じた「先人に感謝」という言葉の耐えられない軽さ
(現代ビジネス2019/10/26(土) 11:01配信) https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191026-00068036-gendaibiz-soci&p=1
写真:現代ビジネス

「八ッ場ダムの奇跡」

首都圏を直撃した非常に強い台風19号。
東京でこそ、可能性が視野に入れられていた荒川の氾濫などは起きなかったものの、全国各地で河川の氾濫などが発生し、多くの被害を与えた。
自民党の二階幹事長は被害について、「まずまずに収まった」と論じたが、実際の被害、特に氾濫などによる流通の停滞や倉庫の浸水、工場機械の破損など、産業に対する経済的影響はまだ十分に算出されておらず、なにをもって「まずまず」と論じたのか不明である。
少なくとも、大規模な自然災害による被害の大きさがハッキリと判明するのは、だいぶ経って後というのは常識であり、二階氏の発言は大規模災害を理解していないとしか考えられないのである。

さて、広い地域に被害を与え、まだ被害の全貌は明らかではない台風19号だが、台風も峠を越したころに、ネットでは「八ッ場ダムの奇跡」というツイートがささやかれていた。

それは「八ッ場ダムが首都圏を氾濫から救った、八ッ場ダムスゲー」という内容のツイートである。八ッ場ダムは10月に入ってから試験湛水を行っており、本来であれば3~4ヵ月かけて満水にする予定だったのが、今回の台風で一気に満水になったことを指して、これを「利根川の氾濫を抑え、首都圏を守った奇跡」であると主張しているのである。
(写真)10月12日の東京都・多摩川

手放しで喜べる話ではない

だが、八ッ場ダムで発生したのは奇跡ではない。本来であればゆっくり満水にし、その後、溜まった水をゆっくりと抜くことで、周辺にがけ崩れなどの、水圧による悪影響が発生しないか、ダムの機能はしっかり働くかを確認するのだが、今回の台風による降雨で試験不十分のまま満水となったという、イレギュラーな事態なのである。

今の所、周辺への悪影響は見られていないようだが、まかり間違えば八ッ場ダム自体が災害の主要因となる可能性もあり、奇跡などと手放しで喜べる話ではない。

さらに、広い利根川水系で、八ッ場ダムの存在1つがあったからと氾濫から首都圏が守られるはずもない。治水はあくまでも堤防の整備や流域面積の確保といった積み重ねである。本気で八ッ場ダムが首都圏を救ったと主張しているなら「無邪気」としか言いようがない

しかし、奇跡だと言っている方も、それくらい承知でツイートをしていたのだろう。ツイートの本当の目的は決して八ッ場ダムを称えることではなく、かつて事業仕分けにおいて八ッ場ダム計画を中止させようとした、民主党政権を叩くことである。その主張の本質は「もし、民主党政権が八ッ場ダム計画を中止させていたら、今回の台風で首都圏は氾濫の被害にあっていた」というものである。

かつての民主党政権は「コンクリートから人へ」という公約を掲げていた。本来はゼネコンなどに金をばらまく形で雇用を確保するセーフティネットを否定し、政府から直接必要な人にお金を渡す、新たなセーフティネットの形を志した言葉であったはずだ。しかし、ネットではこのことを逆手に取り、台風や洪水などの被害がある度に、さも民主党政権のせいで、その被害が発生したかのような政治的主張がなされてきた。

河川が氾濫すれば、すぐに「スーパー堤防があれば、氾濫は防げた」と主張する。氾濫した地域が最初からスーパー堤防化の計画がなかった区域であっても、とにかく騒いで民主党政権に対して悪印象を植え付けたモノ勝ちと、ひたすら騒ぎ続けるのである。

今回、八ッ場ダムを奇跡と翼賛した人たちの中には、民主党政権叩きというイデオロギーに染まった大人がたくさん含まれていた。政治的な当てつけのために奇跡だなどと大げさに褒め称えられた八ッ場ダムは、果たしてそれを光栄だと思うのだろうか?

「田中正造に感謝」に目を疑った

八ッ場ダムと同じ利根川水系で、主に北関東を中心に流れる「渡良瀬川」。群馬と栃木と埼玉に囲まれたところに「渡良瀬遊水地」が存在する。遊水池とは、河川の市街地への氾濫を防ぐために、川をあえて一時的に氾濫させるために整備された土地のことである。水があふれることが前提なので当然、人が住むことはできないが、普段は水が無いことから、公園などとして活用される場合もある。

東京から近いところでは、日産スタジアムを始めとした様々なスポーツ施設を有する「新横浜公園」も、鶴見川の遊水池として設計されている。今回の台風では遊水池としての機能を果たして水没し、水が引き、整備が終わるまで、施設が閉鎖された。

渡良瀬遊水地にも今回の台風で大量の水が流れ込み、普段は緑が生い茂る自然豊かな湿地が、大量の水で覆われた光景がTwitterなどに投稿されている。

しかし、僕はその光景を見た人の中に、とんでもないことをいう人を見つけた。曰く「田中正造に感謝」というのだ。

僕は栃木県の佐野市出身だ。栃木県佐野市で生まれた子供たちは、佐野出身の名士として田中正造のことを詳しく習っている。詳しくない人たちのために、田中正造が何をしたのかをざっくり説明する。

近代化が求められていた1800年代後半。栃木県の山中にあった足尾銅山から排出される煙が山の木々を枯らしていた。そこを流れる渡良瀬川は洪水を起こし、下流地域に鉱毒を撒き散らした。この惨状を食い止めようと、衆議院議員だった田中は国会で質問や演説を行うが、国は十分な対処をしなかった。
(写真)渡良瀬川と筑波山(photo by iStock)

彼の一生への冒涜ではないか
やがて田中は議員の職を辞すと、これまで以上に鉱毒問題に取り組んだ。1901年には明治天皇に命がけの直訴までして、問題を解決しようとした。その後、公害事件の被災地でもある栃木県下都賀郡谷中村に湧水池を作る計画が浮上。これは治水のための計画でもあったが、同時に鉱毒問題運動の中心地であった谷中村を廃村にして、反対運動を沈静化してしまおうという狙いがあったと言われている。

田中はこれに徹底的に対抗し、住民の移住が開始されても谷中村に住み続けた。田中が亡くなった時には無一文であったと言われ、死ぬまで苦しむ農民のために戦い続けた政治家として、今なお語り継がれている。

そして、この話の中に出てくる遊水池が、現在の渡良瀬遊水地である。田中正造は死ぬまで渡良瀬遊水地に反対をしていた。そんな人間に対して、渡良瀬遊水地が機能したことを「田中正造に感謝」という言葉で褒め称えるのは、僕には彼の一生を冒涜する言葉であるとしか思えないのである。

この「田中正造に感謝」という言葉には、その前段階がある。それが「先人に感謝」という言葉である。この言葉が今回の台風で、たくさんツイートされていた。

先人に感謝するのはいい。だが、それは誰のための感謝なのだろうか?

権力者側への称賛

治水工事。特にダム建設や荒川放水路のような大規模な工事を行うことで、誰が犠牲になったかといえば、元々その土地で暮らしてきた、権力を持たない生活者である。
八ッ場ダムも、そもそもなぜ民主党政権が計画の中止を打ち出したかといえば、その土地に暮らした地元住民たちの反対運動があったからである。田中正造がどうして直訴をしたかといえば、足尾銅山という富国政策の下に、多くの住民たちが被害を受けたからである。

治水が多くの人達の安全を守ったり、社会に利益をもたらすことには疑問の予知はない。しかしその一方で、治水には多くの土地が必要であり、それらは多くの人達から「徴収」したもので成り立っているのである。十分な補償を受け取った者もいれば、納得の行かないまま立ち退かざるを得なかった人もいる。現代である八ッ場ダムにすら反対する人たちはいた。人権というものが確立されていなかった古い時代であればあるほど、そこに暮らした人たちはもちろん、工事に動員された人たちなど、多くの人が苦しんだことは想像に難くない。

だからこそ我々は、彼らの苦悩や被害を十分に学び、理解した上で、彼らの方を向いて厳かに頭を下げなければならないのである。それで初めて「先人に感謝」という言葉が感謝と謝罪、そして先人たちの思いを決して忘れないことなどを含む、様々な意味を持つのである。

しかし、今回聞こえてきた「先人に感謝」の声は、とてもそのような態度には思えなかった。

先人に感謝といいつつ、彼らは先人たちの苦悩を理解してはいない。それは「大規模工事を行った先人たちスゲー!!」という、苦しんだ生活者への感謝というよりは、権力者側を向いた称賛の声であった。先人たちに対して後ろめたさがあるのではなく、本当に心の底から、先人が国のために喜んで土地や労力を提供したと考えるかのような「先人に感謝」だった。その言葉に込められた意味のあまりの軽さに、僕はめまいを覚えたのだった。

最後に。

なぜ僕がこの「先人に感謝」という言葉の軽さを論じなければならないと考えたのか。それは僕たち就職氷河期世代は確実に後世の人たちにこう言われるだろうから。

「不況のマイナスを全部負担してくれてありがとう。先人に感謝」と。

赤木 智弘

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