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八ッ場ダムの情報

東京五輪へ水がめ渇水防げ 関東地方整備局が貯水2割増へ素案 

2019年5月6日
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東京五輪に備えて関東地方整備局が2020年の渇水対策を検討しています。

関東地方整備局の検討内容は「東京2020オリンピック・パラリンピックに向けた水の安定供給のための行動計画素案」(2019年3月27日)
http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000742955.pdf をご覧ください。

この渇水対策について上毛新聞の記事を掲載します。
2020年は関東地方の七つのダムで夏期に治水容量の一部を空にせずに利水容量として確保するなどして、貯水を2割増やすというものです。
この記事の中で、矢木沢ダムの発電専用容量の話が出ています。参考のため、矢木沢ダムの貯水容量配分図を下記に示します。


矢木沢ダムは利水用最低水位の下に、発電専用容量が3820万㎥もあります。
たまに起きる利根川渇水ではこの矢木沢ダムがニュースや記事で取り上げられ、もうすぐ空になりそうだという印象を与える写真が紹介されますが、実際にはこの発電専用容量3820万㎥が手つかずに残っていることがほとんど報じられません。

さらに、付言すれば、矢木沢ダムの底にある死水容量2850万㎥です。堆砂容量は1470万㎥ですから、1380万㎥も余分に確保されています。
古いダムはこのような容量配分になっていることがあります。
利根川上流ダム群(5ダム) 定期報告書の概要(平成26年12月26日) http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000620438.pdf を見ると、
利根川上流ダムの中で藤原ダム、相俣ダムも死水容量-堆砂容量がそれぞれ、1660万㎥-802万㎥=858万㎥、500万㎥-255万㎥=245万㎥あります。
矢木沢ダムと合わせると、3ダムで2483万㎥です。
この「死水容量-堆砂容量」は利水放流管を堆砂容量のすぐ上に設置すれば、有効利用することができます。
今年3月に完了した鹿野川ダム改造事業では、鹿野川ダムにトンネル洪水吐きを設置するとともに、低水放流設備を設置して、死水容量-堆砂容量をゼロにしました。
鹿野川ダム改造事業http://www.skr.mlit.go.jp/yamatosa/parts/kanogawa-jigyou.pdf の10ページ)
このように利根川上流ダムには矢木沢ダムの発電専用容量3820万㎥のほかに低水放流設備を設置すれば利用可能な「死水容量-堆砂容量」が矢木沢ダム、藤原ダム、相俣ダムで合計2483万㎥あります。合わせると、6303万㎥になります。
来年3月完成予定の八ッ場ダムの夏期利水容量は2500万㎥ですから、その2.5倍にもなります。
既設の利根川上流ダムに隠し財産というべき大量の水が確保されているのですから、八ッ場ダムをつくることよりもそれを有効に使うことを考えるべきです。

東京五輪へ水がめ渇水防げ 関東地方整備局が貯水2割増へ素案

(上毛新聞2019/05/06 06:00) https://www.msn.com/ja-jp/finance/other/e6-9d-b1-e4-ba-ac-e4-ba-94-e8-bc-aa-e3-81-b8-e6-b0-b4-e3-81-8c-e3-82-81-e6-b8-87-e6-b0-b4-e9-98-b2-e3-81-92-e9-96-a2-e6-9d-b1-e5-9c-b0-e6-96-b9-e6-95-b4-e5-82-99-e5-b1-80-e3-81-8c-e8-b2-af-e6-b0-b4-ef-bc-92-e5-89-b2-e5-a2-97-e3-81-b8-e7-b4-a0-e6-a1-88/ar-AAAW9G9#page=2

(写真)上毛新聞社 関東地方整備局による渇水対策が実施される下久保ダムの神流湖
2020年夏に開催される東京五輪・パラリンピックに向け、国土交通省関東地方整備局は、水資源を効果的に活用し、渇水時でも水を安定供給するための行動計画の素案をまとめた。海外からの来訪者の増加などにより、都市部の水需要が高まると想定。県内のダムでは平常時より多く貯水したり発電用の貯水を回したりして、平年と比べ最大で約2割多い水量の確保を目指す。首都圏の「水がめ」となる群馬県での渇水対策を軸に、真夏の五輪開催へ万全の体制を整える。
素案によると、渇水に対応するため、平常時は洪水に備えて空き容量を確保するダムに、支障をきたさない範囲で水をためる。関東地方の七つのダムで実施予定で、県内では利根川水系の薗原、下久保、草木の3ダムが対象。
この他にも、矢木沢ダムでは断水など深刻な被害が生じる恐れがある場合、本来は発電専用にためられている水を水道水などに活用できるよう東京電力に要請。
薗原ダムでは施設維持のための工事を五輪前に予定していたが、工事の前後で水位を下げる必要が生じるため、五輪後にずらして水量を確保する。

その日を前に  八ッ場ダム水没地区住民の今/2、3、4 

2019年5月1日
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八ッ場ダムの水没地区住民の今を追った連載記事の第2回、第3回、第4回を掲載します。
第2回は川原湯温泉の旅館で老舗中の老舗の「山木館」の経営者、樋田洋二さん、
第3回は川原湯温泉の老舗旅館「山木館」の養子になった樋田隼人さん、

第4回は10キロほど下流の中之条町に移転し、国道沿いにカフェ「ビスケット」を開いた竹田朋子さんと、朋子さんの父、博栄(ひろえ)さんです。
この第4回でおわりですが、この連載は水没地区住民の現状と心情がよくわかる、心に残る記事でした。

その日を前に
八ッ場ダム水没地区住民の今/2 老舗旅館「山木館」樋田洋二さん まちの維持も困難 /群馬
(毎日新聞群馬版2019年4月27日)https://mainichi.jp/articles/20190427/ddl/k10/040/056000c

温泉街の宿 代替地で営業5軒のみ
長野原町の川原湯温泉は今から800年前、源頼朝が発見したと伝えられている。最盛期には民宿を含め20軒弱の宿が建ち並び、行楽シーズンになると町は一晩で700~800人ほどの宿泊客であふれた。八ッ場ダムで水没するのに伴い造られた代替地で営業中の旅館は5軒しかない。
「後継ぎがいなくて廃業した宿もたくさんあるんだよ」。川原湯温泉の旅館で老舗中の老舗の「山木館」の14代目、樋田洋二さん(72)は、2013年に新築した宿のストーブにまきをくべながら、ぽつりぽつりと川原湯温泉の今を話し始めた。
◇  ◇
山木館は江戸時代開業とされる。民主党政権下で止まった八ッ場ダム建設の再開決定直前の11年11月に、先陣を切って代替地で新しい旅館の棟上げ式を行った。「待っていたらいつ再建できるか分からなかった」。だが後に続く旅館は少なかった。想定外だった。「10軒ぐらいは再建すると思っていたけれども……。それぞれに家庭の事情があるから仕方がないのだが」
樋田さんは川原湯温泉が今後も温泉地として生き残っていくためには、ダムを観光資源にすることが必要だと思っている。移転前は旅館の組合などで、温泉街のあり方について宿の経営者同士が話し合う機会もあった。だが、今は「どの宿も再建したばかりで自分たちのことで精いっぱい」。宿同士が協力して温泉街を盛り上げていこうという雰囲気はあまりない。
樋田さん自身、5年前に脳梗塞(こうそく)を患って以来、「体力的にも精神的にも落ち込んでいる」状態が続く。「もう少し元気ならもっと勉強して、『自分でどうにかしなきゃ』と思っていた」が、病気になり、これで「引き際」と思うようになった。「宿の再建まではやったから、この後は若い世代が責任を持って観光を頑張ってもらいたい」
◇  ◇
だが、今、まちを維持するのも難しい状況に陥っている。川原湯地区で移転代替地に移った住民は3分の1程度。代替地の造成が遅れた影響で、まるで「歯が抜けるよう」に、家が一つ、また一つと減っていき、「気がついたら、まちからほとんどの建物がなくなっていた」。人口の減少は、残る選択をした人たちの暮らしを直撃している。草刈りなど地域の作業の人手が足りない。川原湯伝統の湯かけ祭りの運営も、地元の住民が1人何役も掛け持ちしてやっている。かつては定員いっぱいで、空きを待たなければ入団できなかった消防団も、ダム湖の対岸の川原畑地区の住人と共同で運営することでようやく維持している。
「人が減り“まち”を存続するのが難しくなっている」。そう語る樋田さんの顔には苦労の色がにじむ。【西銘研志郎】=つづく


その日を前に

八ッ場ダム水没地区住民の今/3 「山木館」15代目・樋田勇人さん 「担い手」呼び再起を /群馬
(毎日新聞群馬版2019年4月29日)https://mainichi.jp/articles/20190429/ddl/k10/040/031000c

町の知名度アップ 来年までが勝負
「15代目です」。胸に付けたネームプレートには、手書きで、名前とともにプロフィル代わりのメッセージが添えられている。樋田勇人さん(24)は4年前、川原湯温泉の中でおよそ360年の歴史を持つ老舗旅館「山木館」の跡取りになるため養子に入った。
父方の祖母の実家が山木館だった。昔から親戚で用事があれば、みんなで集まる場所は山木館と決まっていた。
14代目の樋田洋二さん(72)、文子さん(70)夫婦には子がいなかった。高校生のころから、文子さんから「後継ぎがいないから社長にならない?」と声をかけられていた。
当時は「社長かあ」とぼんやりと自分の将来を思い浮かべていたぐらいだったが、大学生になり経営学を専攻し、商売のおもしろさに目覚めた。
何より山木館に存続の危機が迫っていた。「大好きな山木館がなくなるのは嫌だった」と大学3年生のころ、養子の話を受け入れた。大学を卒業すると同時に働き始め、常連客と接するうちに、みな自分と同じ思いを持っているのだと知った。
◇  ◇
勇人さんは今、地元や長野原町役場の職員らと八ッ場ダムを生かした地域活性化を目指す「チームやんば」の一員として活動している。国土交通省の認定を受け、ダムのガイドである「コンシェルジュ」として、訪れる観光客にダムを案内している。
国交省が企画した「八ッ場ダムファン倶楽部(くらぶ)」の会員を集め、川原湯の高齢者にダム完成までの経緯や建設反対運動の歴史、かつての川原湯の暮らしなどを語ってもらうツアーの運営にも関わるなど精力的に動いている。
◇  ◇
「でも楽観はできない」。勇人さんは表情を引き締める。新たに住民を呼び込むのは簡単ではない。
今、目指しているのは「関係人口」を増やすことだ。
関係人口とは、移住した「定住人口」でも、観光に来た「交流人口」でもなく、さまざまな分野で、その地域に関わる人々のことを指す。実際に暮らしていなくても、地域の担い手として貢献できる存在という意味だ。
勇人さんは「過疎や高齢化で減る地域の担い手を、地元以外に住む人から集められるようにしたい」と語る。
そのためには、川原湯温泉や八ッ場ダムを含めた長野原町全体の魅力と知名度を高めなければならない。
建設工事を巡り世間の耳目を集めた八ッ場ダムだが、「完成してしまえば、注目される機会もなくなってしまう」とも思っている。
「今やらなきゃこの町は忘れ去られてしまう。来年までにこの町の命運が決まってしまうくらいで考えている」【西銘研志郎】=つづく


その日を前に

八ッ場ダム水没地区住民の今/4止 中之条・カフェ店主 竹田朋子さん 離れても、心は故郷に /群馬
(毎日新聞群馬版 2019年5月1日)https://mainichi.jp/articles/20190501/ddl/k10/040/025000c

代替地整備進まず移住
八ッ場ダムの建設地から10キロほど離れた中之条町の国道沿いにあるカフェ「ビスケット」は、手作りのケーキとおいしいコーヒーが楽しめるとインターネットの口コミサイトで評判の店だ。店内には重厚感のある木製のテーブルや椅子が並ぶ。その椅子に彫られた「川原湯館」という文字に気づく客は多くはない。
店を営む竹田朋子さん(64)の実家は、八ッ場ダムの底に沈んでしまう川原湯温泉の旅館「川原湯館」だった。終戦直後、「傷ついた人たちを温泉で癒やしたい」と朋子さんの祖父が湯治目的で社団法人をつくり、それを引き継ぐ形で、朋子さんの両親が1958年に旅館を開業した。
“3代目”にあたる朋子さんはお菓子作りが得意だったこともあり、旅館をたたみ、代替地で喫茶店を開く夢を持っていた。だが、いつまでたっても代替地の整備が進まない。「蛇の生殺し状態だった」。先が見通せない生活に疲れ果て、2006年、故郷を離れ、中之条に移り住んだ。家族の中で移住することに反対はなかった。同時期、周りの住民も一人、また一人地元から出て行った。
◇  ◇
「『早く移転してよかった』とみんな言っていたよ」。かつてダム建設の反対期成同盟の委員長を務めた朋子さんの父、博栄(ひろえ)さん(89)は町を出た頃のことを振り返る。その頃、八ッ場から移転した人たち同士で「八ッ場会」というサークルを作り、一緒に何度か旅に行ったことがある。新しい町での暮らしや愚痴を言い合ったが、一致したのは「早く移転してよかった」ということだった。
だが、ふるさとを離れた人たちの中には複雑な思いを抱えている人も少なくない。心の中にあるのは地元に残ることを決めた人たちの暮らしだった。
09年の政権交代で突然降ってわいたダム工事中止宣言。残る選択をした住民たちは、これまで以上に先が見えない不安にさらされた。そんなかつての隣人たちを、博栄さんは「みじめな思いをしただろう」とおもんぱかる。
◇  ◇
朋子さんは、ある時、知人から冗談まじりに「いい所に逃げてこられてよかったね」と言われたことが今も忘れられない。本人に悪気がないのは分かっている。でも、「逃げた」という言葉が胸に深く刺さった。大好きな故郷。逃げたわけではないのに……。
それでも、川原湯を離れる時、親しい近所の人からかけられた言葉に支えられてきた。「これでよかったんだと思いなさいよ」。その人は今、代替地で暮らしている。新天地でも「これでよかったんだ」と呪文のように唱え続けて生きてきた。
ふるさとを離れて10年以上がたった。自分たちの暮らしはようやく落ち着いてきた。しかし、再建途中の旅館があるなど、川原湯の現状を思うと、心が落ち着かない。「新しい川原湯が完成した時に、やっと自分たちも落ち着けるんだと思う。どこに行ったとしても出て行った人はみんな川原湯が気になるから」。離れてもなお、心は故郷を思い続けている。【西銘研志郎】=おわり

その日を前に 八ッ場ダム水没地区住民の今/1 レストラン店主・水出耕一さん 「器あるが中身ない」 /群馬

2019年4月27日
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八ッ場ダムは急ピッチで本体工事が進められており、今年10月からの試験湛水の進捗状況、結果によって完成時期が延びる可能性がありますが、今のところ、来年3月末に完成する予定になっています。
八ッ場ダムの水没地区住民の今を追った連載記事の第1回を掲載します。
第1回はレストラン「赤いえんとつ」を経営する水出耕一さんです。

その日を前に
八ッ場ダム水没地区住民の今/1 レストラン店主・水出耕一さん 「器あるが中身ない」 /群馬
(毎日新聞群馬版2019年4月26日)https://mainichi.jp/articles/20190426/ddl/k10/040/055000c

(写真)店のカウンターに手をつき、移転後の暮らしについて話す水出さん

(写真)赤い煙突が目印のレストラン「赤いえんとつ」=群馬県長野原町川原湯で

(写真)完成が近づいた八ッ場ダム。右手に見えるのが川原湯地区の移転地。手前がダム湖予定地。中央付近にはかつてJR川原湯温泉駅があった=群馬県長野原町の八ッ場大橋で

「その日」まで1年を切った。長野原町に八ッ場ダムの建設計画が浮上してから67年。反対闘争、町の分断、民主党政権による建設中止--。紆余(うよ)曲折を経て今年度に完成する見通しだ。立ち退きを強いられた水没地区の住民の多くは住宅を再建し、新しい生活を始めている。ふるさとを離れた人、残る選択をした人。それぞれの今を追った。【西銘研志郎】
今年度完成へ 移転先、高齢者ばかり
八ッ場ダムの本体から南西に約500メートル。山を切り開いた造成地には、新築の家が建ち並び、所々で道路の工事が進む。一見、売り出し中のニュータウンのようにもみえるが、ここは、水没する旧川原湯地区の住民の移転先として整備された。
造成地の一番端の最もダムに近いところに、赤い煙突の店がある。レストラン「赤いえんとつ」の大きな窓からは、名勝・吾妻渓谷とダム本体が一望できる。
「建物に邪魔されないで山々が見える風景を気に入ってここに決めました」。オーナーの水出耕一さん(64)はかつて川原湯温泉街で食堂を経営していた。店は湯治客や地元の常連客でにぎわっていたという。だが、今は--。
「お客さんは減ったよね、特に夜、飲みに来るお客さんは」。そう語る声には力がない。客足は当初の想定の半分程度。その半数がダム工事を見に来た観光客だ。時には「安く土地をもらえて良かったね」などと心ない言葉をかけられることもある。
水出さんは1954年生まれ。ダム建設に翻弄(ほんろう)された町の歴史は、自身の半生と重なる。
◇  ◇
「ここにダムを造ります」。長野原町にやって来た建設省幹部が突然、住民たちにこう宣言したのは52(昭和27)年5月16日のことだった。47年のカスリーン台風(関東1都5県で死者1100人)を受け、治水・利水のために吾妻川をせき止めてダムを造る計画だった。
水没地区の住民たちの反対闘争はやがて「絶対反対」と「条件付き賛成」に分かれるなど町の分断を生んだ。80年、県が町に対し、代替地で同じような街づくりを行う「生活再建案」を示し、5年後、町は案を受け入れダムの建設が決まった。
しかし、住民の土地や建物の補償交渉は難航した。86年に発表された基本計画ではダムの完成は2000年度とされたが、延長され、代替地の整備にも遅れが出た。
09年、住民をさらに不安に駆り立てる事態が起きる。政権交代だ。「コンクリートから人へ」というスローガンを掲げた民主党政権で国土交通相に就任した前原誠司氏が突然、八ッ場ダムの建設中止を表明し、工事はストップされた。
◇  ◇
このとき、水出さんの気持ちは大きく揺れ動いた。その前年の08年に移転先の土地を決めていたが、引っ越しをやめようかとも思った。だが、もうすでに周りに残っている人はいない。先の見えない将来に疲れ切っていた住民は、1人、また1人と地元から出て行った。商売をしている身。「人がいなくなった後、この地域で生きていけるのか不安だった」。結局、14年、現在の造成地に移った。
しかし、「大誤算」だったのは、多くの温泉宿が看板を下ろし、温泉街が縮小してしまったことだ。「飲食店も土産店もこんなに減るとは思わなかった。旅館があるからこそやってこられたからね……」。それでも店を閉じるつもりはない。「川原湯に来ようとしたお客さんに『ご飯を食べられる所がないんじゃ嫌だ』と言われたくないから」
だが先は見通せない。造成地には若い世代は少なく、残った住民の多くは高齢者。「再建計画は、人がいることが前提だったが、若者はダムの下流に行ってしまった。ここは器(造成地)はあるけども中身(人)がいない」。水出さんはそう言ってため息をついた。=つづく
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■ことば
八ッ場ダム
長野原町の吾妻川で国が建設を進めている多目的ダム。旧建設省が1952年に現地調査に着手。地元住民が反対運動を繰り広げたが、生活再建を前提に85年、建設を受け入れた。今年度中に完成予定。堤頂長約290メートル、堤体積は約100万立方メートル。
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八ッ場ダムを巡る経緯
1952年 建設省(現国土交通省)が現地調査に着手
80年 県が長野原町と町議会に「生活再建案」を提示
2001年
6月 住民と国が「利根川水系八ッ場ダム建設事業の施行に伴う補償基準」を調印
9月 八ッ場ダム建設の基本計画(第1回変更)告示(工期は10年度に延期。以降工期変更が3度)
05年 住民と国が「利根川水系八ッ場ダム建設事業の施行に伴う代替地分譲基準」を調印
09年 民主党に政権交代。ダム計画中止を発表
11年 国交省が建設継続を決定
15年 八ッ場ダム本体建設工事の起工式
19年度 ダム完成予定

地滑り対策地半減 八ツ場ダムに警鐘 盛り土強度にも疑問 群馬 地質研究者ら会見

2019年2月28日
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八ッ場ダムの本体工事が残念ながら、急ピッチで進んでいます。来年3月には完成する予定で、本体工事が終わったら、試験湛水が始まることになっています。
八ッ場ダム事業にはまだまだ多くの問題がありますが、その一つとして試験湛水やその後の本格運用で地すべりが引き起こされる危険性の問題があります。
八ッ場ダム貯水池周辺は地質が脆弱なところが多く、また、周辺に造成された移転代替地は民間の宅地造成では例がない超高盛土の造成が行われたため、試験湛水や本格運用による貯水位の変動で地すべりが起きる危険性があります。
その危険性が強く指摘されてきたので、2011年に行われた八ッ場ダム事業の検証で、国土交通省はようやく、地すべり対策を10カ所(対策済みの1カ所を除く)、代替地安全対策を5カ所で実施する方針を示しました。
ところが、最近になって国土交通省は費用節減のため、地すべり対策を5カ所に、代替地安全対策を3カ所に減らし、対策を実施するところも安上がりの工法に変えてしまいました。
地元の安全性が蔑ろにされているのです。そこで、八ッ場あしたの会は情報公開請求で国土交通省の地質報告書と対策検討報告書を入手し、対策箇所削減と対策工法変更の問題点について専門家グループに検討を依頼しました。
2月26日に専門家グループが群馬県庁記者クラブでその検討結果について記者会見を行いました。その記事を掲載します。
記者会見の様子は八ッ場あしたの会のHP https://yamba-net.org/46148/ 
会見の配布資料は八ッ場あしたの会のHP https://yamba-net.org/46170/ をご覧ください。

地滑り対策地半減 八ツ場ダムに警鐘
盛り土強度にも疑問
群馬 地質研究者ら会見
(しんぶん赤旗 2019年2月27日)https://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2019-02-27/2019022701_04_1.html

(写真)会見する伊藤さん(左から2人目)ら研究者と八ツ場あしたの会のメンバーら=26日、群馬県庁内

「いま、最低限の対策をとらないと重大な事態を引き起こしかねない」―。不要不急の大型公共事業と指摘されながら国土交通省が工事を推し進めてきた八ツ場(やんば)ダム(群馬県長野原町)。今年中にダムに貯水して機能を確かめる「試験湛(たん)水」を行う予定です。それを前に地質の研究者らが26日、群馬県内で会見を開き、同ダムの不十分な地すべり対策に警鐘を鳴らしました。
会見をしたのは、伊藤谷生・千葉大学名誉教授ら地質などの専門家です。伊藤さんらは、同ダム建設の中止と建設予定地の地域再生を求めて活動する「八ツ場あしたの会」が情報公開で入手した国交省の資料を調査しました。
その結果、2011年の計画では、10カ所にするはずの地すべり対策が17年には5カ所に減らされていました。
また、同ダム水没予定地の住民は、ダム湖を見下ろす造成地に建設した代替地に移転しています。高い盛り土の上に造られたため、11年の時点では5カ所で鋼管杭(くい)やアンカーを打ち込んだ地すべり対策をする予定でした。
ところが、17年に2カ所ではなんら対策をしないことになりました。さらに残り3カ所も杭の打ち込みをやめ、「押さえ盛り土」などの安価な工法に変更されていました。
伊藤さんは「温泉地帯にダムを造るというのはあまりないのではないか。押さえ盛り土でセメントを使うが、酸性に弱い。水没することでセメントの劣化が懸念される」と指摘しました。
さらに、伊藤さんらは、盛り土の強度について国交省の報告書に「最初に結論ありきで、恣意(しい)的に数値が操作されている疑いがある」と指摘しました。
「あしたの会」は3月中に国交省関東地方整備局に公開質問状を提出する方針です。
八ツ場ダム工事事務所は「調査検討を行い、必要に応じて安全性を確保しています」と、本紙の取材に答えました。同ダムは、国と1都5県で5320億円の事業費となっています。

(写真)工事中の八ツ場ダム(国交省のHPから)


代替地や貯水池 「安全対策に問題」 八ッ場あしたの会

(上毛新聞2019年2月27日)

新年度完成予定の八ッ場ダム(長野原町)について、市民グループの八ッ場あしたの会は26日、県庁で記者会見し、
水没予定地の代替地や貯水池周辺で、地滑りなどが起きないようにする安全対策に問題があると指摘した。
ダムに水をためる前に対応を検討すべきだとしている。
国土交通省の地質調査や、対策工事に関する資料を情報公開請求で入手し、専門家の協力で検討した。
その結果、安全対策を決める際に用いるデータの評価などについて、不適切とみられる項目が見つかったという。
当初予定より安価な工法に変更されたとして「事業費を圧縮するためではないか」とみている。
国土交通省に近く公開質問書を送る。
国土交通省八ッ場ダム工事事務所は上毛新聞の取材に、同会の指摘内容を把握していないとしつつ「対策については適正に調査検討を行い、安全性を確保している」とした。

1月14日「八ッ場あしたの会」第12回総会記念集会「『ダムに抗(あらが)う』の配布資料

1月14日に高崎で「八ッ場あしたの会」第12回総会記念集会「ダムに抗(あらが)う」を開きました。
この集会では八ッ場ダム、石木ダム、最上小国川ダム等のダム問題をとりあげました。
この集会の配布資料が「八ッ場あしたの会」のホームページ

https://yamba-net.org/40631/     に掲載されました。
32ページの資料です。目次は次のとおりです。
お読みいただければと思います。

第12回総会記念集会「ダムに抗(あらが)う」
資料目次                      ページ

〇 八ッ場ダム、最上小国川ダム、石木ダムの位置図           1

〇 レジメ「ダムに抗う」-主権者として生き抜く人たち(相川俊英)  2~3

〇 日本有数の清流で持ち上がったダム建設計画(相川俊英)      4~6

・もの言わぬ、もの言えぬ地域風土
・漁協組合長はなぜ死を選択したのか
・豊かな日本と貧しい政治
・最上小国川ダムは税金の歪んだ使い方の典型事例ではないか

〇 石木ダム問題を知っていただくために               7~14
1 石木ダムの諸元
2 石木ダム問題の主な経過
3 石木ダムの諸問題
4 必要性が皆無の石木ダム
5 川原(こうばる)地区の土地・家屋の収用
6 地権者らによる石木ダム阻止の闘い
7 あなたにできること

〇 多くの問題、矛盾を抱えながら進行中の八ッ場ダム         15~22
1 失われていくかけがえのない自然
2 川原湯温泉街の現状
3 地すべり対策は十分か
4 鉄鋼スラグ問題
5 ダム建設の目的の喪失
6 更なる事業費の増額
7 工期再延長の可能性
8 八ッ場ダム事業の行く末を見据えよう
[補遺1]八ッ場ダム代替地の安全対策はどうなるのか?      23~24
[補遺2]川原湯温泉の源泉について                25

〇 八ッ場ダム水没予定地の遺跡                    26~29
・特に注目される遺跡
・八ッ場ダム工事関連埋蔵文化財調査について(縄文時代の遺跡)

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