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「ウナギが生きる川を取り戻す。ウナギと河川環境の問題を考えるシンポジウム」報告(2016年9月11日)
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2016年9月11日(日)午後、東京・水道橋の全水道会館の大会議室で「ウナギが生きる川を取り戻す。ウナギと河川環境の問題を考えるシンポジウム」を開催しました。主催団体は「利根川流域市民委員会」です。その報告を掲載します。
和波一夫(水源連事務局)
シンポジウムの開催趣旨は次のとおりです。
「ニホンウナギ漁獲量の減少はすさまじいものがあります。とりわけ、霞ケ浦を含む利根川は、かつて日本で最大のウナギ漁獲量がありましたが、今は激減しています。 ニホンウナギが激減した要因はシラスウナギの乱獲だけでなく、様々な河川工作物や河川工事により、ウナギの遡上・降下が妨げられ、ウナギの生息場(エサ場、隠れ場所)が失われてきたことも大きな要因と考えられます。 そこで、ウナギが生息できる河川環境を取り戻すため、ウナギに関する第一線の研究者にご登壇いただき、今後の河川のあり方を市民とともに考えるシンポジウムを開催します。」
シンポジウムの概要は次のとおりです。
◆「利根川の未来を考えるカムバック・ウナギ・プロジェクト」の取組み はじめに、利根川流域市民委員会の共同代表の嶋津暉之さんから、このプロジェクトへの取り組みの活動経過として、関係資料の収集、漁協ヒアリングとアンケート、内水面水産試験場ヒアリング、利根川下流部の現地調査についての報告と、利根川下流部にある利根川河口堰と霞ケ浦・常陸川水門の現状についての報告がありました。 報告の詳細は「八ッ場あしたの会」のHPhttp://qq4q.biz/yIU8 をご覧ください。
〔注〕常陸利根川:霞ケ浦から出て利根川に合流する部分を常陸利根川と呼んでいます。ただし、河川法上は「霞ケ浦」(西浦・北浦・外浪逆浦(そとなさかうら)・北利根川・鰐川・常陸川)の範囲を「常陸利根川」という利根川の支川としています。
◆講演 「ウナギの保全生態学 二ホンウナギの現状と保全策」
第一部の講演は、海部健三さん〈中央大学准教授 IUCN(国際自然保護連合)種の保存委員会 ウナギ属魚類専門家グループメンバー〉を講師に迎え、1時間の講演と質疑が行われました。 写真右下=「ウナギの保全生態学」海部健三 著 共立出版 2016年5月発行
講演を要約しますと、 「ウナギは川と海を行き来する通し回遊魚である。ウナギの一種、ニホンウナギ(学名Anguilla japonica)は現在、急激に減少している。日本の河川や湖沼におけるウナギの漁獲量(いわゆる天然ウナギの漁獲量)は、1960年代には3000t前後であったが、2015年にはわずか70tにまで減少した。このような状況を受け、2013年に環境省が、2014年にIUCN(国際自然保護連合)が、相次いで本種を絶滅危惧種に指定した。」
「ニホンウナギの減少を引き起こしている要因は、他の多くの種と同様、複合的なものであり、(1)海洋環境の変動、(2)過剰な漁獲、(3)成育場の環境変化の三つの要因が重要とされている。 高度経済成長期以降、日本の河川には河口堰やダム、砂防堤など多くの河川横断工作物が建設され、河川の上流と下流のつながりを含む、海と川のつながりが失われた。ニホンウナギをおびやかしている複合要因のうちでも、成育場の喪失は、本種のもっとも重要な要因と考えるべきだろう。」
「ニホンウナギが遡上できる河川であれば、海と川のつながりは良好であり、ダムなど人為的影響によって遡上できない河川は、改善する必要がある。」
「ニホンウナギは河川と海の連結性、水辺の食物網の健全性の指標種として優れているだけでなく、水辺の生物多様性の回復を進めるためのシンボルとしても、大きな役割を果たすことができる。」
◆第二部のパネルディスカッション「ウナギが生息できる河川環境を取り戻すには?」
第二部では最初に、二平 章さん(茨城大学人文学部市民共創教育研究センター・客員研究員)から「ウナギ資源の減少と河口堰建設」の報告を受け、続いて浜田篤信さん(NPO霞ケ浦アカデミー、元・茨城県内水面水産試験場長)から「霞ケ浦がウナギを救う」と題しての報告を受けました。
お二人の報告の内容を要約しますと、 「霞ヶ浦開発前の霞ヶ浦は、内水面全国第一位の漁業を誇った。最盛期の漁獲量は約2万トンに達したが、ウナギは最重要漁獲対象種で、シラスウナギやクロコが養殖用種苗として、また成魚は食用ブランド品として出荷され、漁家の生計を支えた。漁業の状況を一変させたのは霞ヶ浦開発事業である。1963年には霞ヶ浦最下流部に常陸川水門が建設され、1970年からは、これと並んだ地点の利根川に利根川河口堰が完成し、ウナギに致命的な打撃を与えた。」
「霞ヶ浦では常陸川水門の完全閉鎖後の4年後からウナギ漁獲量が著しく低下したのは、閉鎖後に湖内へのシラスウナギの遡上量が減少し、4年後に漁獲の中心となる4才魚の漁獲量が減少したこと、4才魚以上の雄の大半が降河したことによるものと考えられる。」
「絶滅危惧種指定に関する報道や学者のウナギ論議に弱いのは、ウナギの成育場としての河川や湖沼に対する開発政策の見直しを求める視点の欠落である。あたかも乱獲だけがウナギを減少させた要因とする議論は、禁漁や漁獲規制といった漁業生産者のみに対策を矮小化させることでもある。」
「シラスウナギが遡上でき「クロコ」となって流域全体の小河川・湖沼にまで分布生息して産卵魚となるまで成育できる流域環境の修復・保全政策なくしてはニホンウナギの再生はない。」
「ニホンウナギの資源回復には、利根川水系の水資源開発事業の見直しが不可欠である。その影響を詳細に解明し、具体化することが解決策につながる。」
以上の講演と報告を受け、パネルディスカッションになりました。コーディネーターは、和波一夫が担当しました。会場からの質問は、パネルディスカッションのなかで適宜回答してもらいました。 ニッポンウナギだけでなく、ヨーロッパウナギの危機的状況やEUの取組みが講師から紹介され、魚道の課題や河川横断工作物による問題が会場参加者に深く認識されたシンポジウムになりました。
◆ウナギが生息できる河川環境を取り戻すための提言
本シンポジウムではウナギが生息できる河川環境を取り戻すため、重要な提言がなされました。それは次の3点です。 ① 海と川のつながりの回復が最重要課題 (ウナギが遡上できないところで何をやっても無駄であるから、①が最重要課題である。) ② 局所環境について、河川では水際の土と植生、多様な水深が重要。 ③ 沿岸では干潟河川や沿岸域の本来の姿を取り戻す視点が必要。 利根川流域市民委員会はこの提言にそって、「利根川の未来を考えるカムバック・ウナギ・プロジェクト」の活動にこれからも取り組んでいく予定です。
TOSHI-LOW、小林武史ら集結! 長崎・ダム水没予定地で音楽と食のイベント開催 2016年10月30日(日)
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石木ダムの予定地で開かれる音楽と食のイベントの案内を掲載します。
公式ウェブサイト http://www.kohbaru.org/ もご覧ください。
TOSHI-LOW、小林武史ら集結! 長崎・ダム水没予定地で音楽と食のイベント開催
(RO69(アールオーロック) 2016年9月23日(金)21時0分配信 )http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160923-00148936-rorock-musi
2016年10月30日(日)に長崎県東彼杵郡川棚町川原郷特設会場にて、音楽と食のイベント「WTK – WITNESS TO KOHBARU IN AUTUMN 失われるかもしれない美しい場所で」が開催されることが発表された。
この発表でCaravan、Salyu、TOSHI-LOW(BRAHMAN/OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUND)、東田トモヒロ、with 小林武史の出演が明らかになった。
イベントが行われる場所は、長崎県東彼杵郡川棚町にある小さな集落の川原地区で、この地区を流れる石木川をせき止めてダムを作る計画があり、計画通り進めば近い将来に水没する場所となっているという。同イベントは音楽と食を通じて参加者がこの場所に集まることで、それぞれが「立会人(WITNESS)」としてこのダム建設について知り、考えるきっかけを作ろうとする目的で行われるとのこと。
なお、チケットは2016年9月24日(土)10:00より 先行販売が実施される。
イベント情報は以下のとおり。
●イベント情報 「WTK – WITNESS TO KOHBARU IN AUTUMN 失われるかもしれない美しい場所で」 日程:2016年10月30日(日)*雨天決行(台風などの荒天の場合は中止) 会場:長崎県東彼杵郡川棚町川原郷特設会場 時間:開場 11:00 / 開演 12:00 / 終演 18:00 (予定)
<参加アーティスト> Caravan/Salyu/TOSHI-LOW/東田トモヒロ/with 小林武史 And more…
常総はいま 鬼怒川決壊1年(連載記事) (東京新聞茨城版 2016年9月13~15日)
昨年9月の台風18号では鬼怒川下流部で堤防が決壊し、常総市を中心に凄まじい被害を受けました。鬼怒川水害は深い傷跡を残しています。被災地の現状をとらえた東京新聞茨城版の連載記事(上)(中)(下)を紹介します。
常総はいま 鬼怒川決壊1年(上) 「みなし仮設」適用残り1年
(東京新聞茨城版 2016年9月13日)
(写真)水海道地区の幹線道路沿いに広がる、レストランや住宅が解体されたままの空き地=常総市で
「みんな戻ってきてほしいからね。空き地のままでは寂しい」。鬼怒川の決壊現場で十世帯の住宅が流されたり傾いたりして、広い更地になったままの常総市三坂町の上三坂地区。八月下旬の夕方、雑草が生い茂らないよう、区長の秋森二郎さん(69)が一人で除草剤をまいていた。
自宅を失い、市内のみなし仮設住宅で暮らす前区長の渡辺操さん(71)が、車で立ち寄った。ねぎらうように秋森さんに缶コーヒーを差し出した後、嘆いた。「とにかく二年じゃあ、どうにもならないよな」
全壊の十世帯は、いずれも市内や近隣市内で、公営住宅や民間住宅を借り上げた「みなし仮設」で生活する。制度上、適用期間は原則二年で来年秋までだ。
「先祖代々ここに住み、墓もある。みんな、やっぱり戻りたい。期限までに自宅を完成させるなら、来年五月ごろに着工したいが、みんな、それまでに着工できるかどうか。六十歳を過ぎたらローンも組めない」と渡辺さんは心配する。
市によると、避難生活を続ける市民は九月八日現在、七十八世帯の百九十六人。市幹部も「一年後も住宅のめどが立たない人は多いだろう。数世帯なら市営住宅でいいが、何十世帯も、どこに入居してもらえばいいのか」と懸念する。
渡辺さんは、みなし仮設の期間延長を行政に求めようと考えている。
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市によると、人口は八月末現在、一年前より八百三十四人減った。うち日本人は千六十八人減少した。
外国人は、逆に二百三十四人増えた。支援団体によると、自宅アパートの浸水で市外へ転出した人も多いが、人材派遣会社から次々と別の外国人が派遣されてくるという。
浸水被害が大きかった地区には今も、建物を解体したままの更地が点在する。アパートの多い地区は、人口減少が目立つ。
常総市森下町の自治会加入者は、五百一世帯から三十世帯減った。区長の男性は「加入していないアパート住まいの世帯も多い。市の広報紙を配ると、大量に余る。減ったのは百世帯ぐらいだろう」。
被災者を支援するNPO法人「コモンズ」の横田能洋(よしひろ)代表(49)は、市外の親族の家に移ったお年寄りの女性をよく覚えている。
女性はコモンズの活動拠点の近くで一人暮らしをしていて、自宅が床上浸水した。大勢のボランティアが片付けてくれた。しかし、敷地が借地だったこともあり、自宅の修理をあきらめ、住み慣れた土地を去ったという。
コモンズは現在、空き家を生かし、高齢者ら向けの「見守り付き共同住宅」を計画中。横田さんは「つくば市のアパートに入れたからいいとは思わない。自宅は無理でも、せめて近くに安心して住める環境をつくりたい」と考えている。
昨年九月の常総水害から一年がたった。被災地の今を探った。 (宮本隆康)
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常総水害 昨年9月の関東・東北水害で、常総市内で鬼怒川の堤防が決壊したり、水が堤防を越えたりしたため、市域の約3分の1に当たる約40平方キロメートルが浸水。約10日間にわたり広範囲で水に漬かったままになった。4000人以上が救助され、市内で2人が死亡、44人が負傷。住宅5023棟が全半壊した。
常総はいま 鬼怒川決壊1年(中) 人口減や買い控え続く
(東京新聞茨城版 2016年9月14日)
写真)シャッターを閉めた店舗が目立つ中、「がんばろう常総」ののぼりが掲げられた商店街=常総市で
「当面の間、夜の営業は金、土、日曜のみにします」。常総市森下町のそば店の入り口に、張り紙がある。「店を開けても、平日の夜は全然お客さんが来ないから」と、店主の名取勝洋さん(63)が語る。
店は一年前、胸の高さまで浸水した。名取さんは「一カ月で営業再開」を目標にした。床や壁などを交換し、知人に片付けを手伝ってもらい、自分で壁の塗装もした。目標通り、十月十日に再開できた。
「十一月に一週間、試しに夜、営業したが、全然駄目だった」と振り返る。町内はアパートが多く、水害で百世帯が引っ越したとも言われる。日中は県外からも客が来てにぎわうが、地元住民が主になる夜は、以前の客足は戻っていない。
商工業を担当する市職員は「多くの市民が何百万円もかけ、自宅を直したり車を買い替えたりした。買い控えが広がり、小売店や飲食店は売り上げが落ちている。人口が流出した地区は特に厳しい」と指摘する。「私だって車二台が水没した。妻に『飲みに行っている場合ですか』と言われれば、返す言葉がない」
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市商工会によると、二〇一五年度に退会した会員企業は八十七社。このうち約四十社は、水害が原因の廃業とみられる。
経営指導員は「経営者が高齢で後継者がいなければ、水没した機械などを買い替えても、費用を回収できない。大多数は、家族経営の小規模な零細企業。水害で廃業が十~十五年ほど早まった」と説明する。
水害から一年たったが、今になって「やっぱり廃業する」と断念する企業もあるという。再開した企業も、市内の得意先も苦しかったりして、売り上げが戻らない場合が多い。
「一時期よりは落ち着いたが、まだまだ企業は苦しんでいる」という。
◇
常総市本石下にある老舗酒造会社「野村醸造」の酒蔵の居住部分は、今も床を外したままだ。直せないのではなく、古民家レストランとして改修を計画中。「創造的復興を目指している」と野村一夫社長(62)は話す。
酒蔵は水害で浸水し、酒造りに欠かせない「こうじ室(むろ)」にも水が入った。県内の酒造会社の従業員やボランティアら延べ約五百人が、泥かきをして片付けを手伝った。昨年十一月に新酒を仕込み、年末の出荷にこぎ着けた。
「三十年以上、この仕事を続けているが、去年、しぼりたての新酒ができた瞬間は格別だった」
築九十三年の酒蔵を壊すことも考えたが、居住部分を飲食スペースに変えることを思い立った。地場産の野菜や肉を使った料理を出す店として、来年春の開店を目指す。
「ライバルだったはずの蔵元や、大勢のボランティアに助けてもらった。取引先のスーパーも出荷再開を待ってくれた。恩返しと感謝の気持ちを込めて、復興する」。野村さんはこう言い切った。
(宮本隆康)
常総はいま 鬼怒川決壊1年(下) 離農相次ぎ、進む農地集約
(東京新聞茨城版 2016年9月15日)
(写真)水害から1年後も変わらず稲刈りをする農家=常総市で
黄金色に染まった水田地帯で、稲穂が揺れ、コンバインが進む。一年前、がれきや土砂が流れ込んだ常総市の水田に、例年と変わらぬ光景が戻ってきた。常総市川崎町の農業生産法人「ひかりファーム常総」の事務所は、今まで以上に忙しい稲刈りシーズンを迎えている。
ひかりファームは、JA常総ひかりの子会社。高齢化した農家などから耕作を請け負っていて、水害以降は依頼が急増した。
「水没した農業機械を買い替えられず、高齢化で後継者もいない農家が目立つ」と担当者。十五戸から計十三ヘクタールの依頼があり、耕作面積は約四十五ヘクタールから一気に約六十ヘクタールに増えた。
市によると、「農地中間管理機構(農地バンク)」を通じて耕作を依頼した農家は今年二月以降、二十五戸。前年の十一戸から倍以上増えた。面積も前年の計十二ヘクタールから、計二十五ヘクタールと二倍になった。
農家が離農する場合、農地バンクやJAよりも、知人の農家に直接、耕作を頼むケースが多いという。水害で離農した農家は、もっと多いとみられている。
◇
県のまとめや市の推計では、鬼怒川東側で約千五百ヘクタールの農地が水害で浸水した。農機具の被害額は、四百六戸で計約二十八億円に上った。
当初から小規模な兼業農家の離農は予想された。さらに大規模な専業農家も被害が大きければ、離農者の農地の受け入れ先がなくなる。耕作放棄地の大量発生が懸念されていた。
農地百十二ヘクタールで復旧工事が実施され、田植えシーズンに何とか整備が間に合った。農業機械の買い替えや修理にかかった費用の六割は補助された。本年度の鬼怒川東側の米の作付面積は、千七百三十ヘクタールになり、例年並みを維持できた。
市の担当者は「農地の耕作依頼が進んだし、離農も予想より出なかった。赤字だけど農業機械を買い替えた、という年金暮らしの兼業農家さえいた」と胸をなで下ろした。
◇
「『もうダメかな』と最初は思った」。常総市三坂新田町の専業農家、瀧本進さん(70)は水害直後を振り返る。
瀧本さんによると、水没して使えなくなったコンバインだけで、被害額は約千六百万円。さらにトラクター二台、田植え機、もみすり機、乾燥機三台、トラックも水没。被害総額は五千万円以上だった。
公的補助のほか、保険金も受け取れると分かり、農業を続けることを決めた。「かなり借金もしたが、ある程度、返せる見通しが立った」という。
所有する農地のほか、周囲の農家からも耕作を依頼され、約三十ヘクタールを耕作している。「請け負った以上、やらなきゃいけないし、自分がやめれば相手も困る。まだやめられない。自分の農地は守る」と笑った。 (宮本隆康)
突然消えた堤防強化策 鬼怒川決壊きょう1年 (東京新聞特別報道部 2016年9月10日)
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昨年9月の鬼怒川水害から1年経過しました。鬼怒川水害は決して単に自然災害として片づけられるものではありません。国土交通省の誤った河川行政がもたらした水害であるといっても過言ではありません。耐越水堤防のへ強化技術が開発されているにもかかわらず、ダム推進の妨げになるとして、その技術をお蔵入りにしてしまった国土交通省の責任は重大です。この問題を取り上げた東京新聞特別報道部の記事を紹介します。
突然消えた堤防強化策 鬼怒川決壊きょう1年 (東京新聞特別報道部 2016年9月10日)
4河川 着工したが…02年に指針廃止
昨年九月の関東・東北水害から十日で一年になる。茨城県常総市では住宅五千棟以上が全半壊した。被害を広げたのは、鬼怒川の堤防決壊だった。「想定外の雨」が原因とされているが、「ダム偏重の河川対策」の不備を指摘する専門家は少なくない。実は国も一九九〇年代に、想定以上の雨に備えた堤防強化対策に着手していたからだ。だが、その対策はあるとき突然撤回されている。鬼怒川決壊が残した教訓とは-。 (宮本隆康、白名正和)
フロンティア堤防 堤防の川側だけではなく住宅側ののり面にも遮水シートを張ったり、のり面の下の部分にブロックなどを埋めたりして、川から水があふれても簡単に決壊しないようにした工法。周辺住民が避難する時間を確保できると期待されたが、2002年に国の堤防設計指針が変更され、全国で進んでいた事業は中断された。「幻」の堤防と言われている。
「一般的には堤防を水が越えても、家は浸水するだけでめったに壊れない。逃げる時間もある。でも、決壊すれば川からあふれる量や流れの速さは全然違い、死傷者も出てしまう」
国土交通省河川局の元技術系キャリア官僚の宮本博司さんは、堤防決壊のリスクをこう強調した。
鬼怒川の決壊がまさにそうだった。
一年前、上流の栃木県日光市などで長時間の強い雨が降り、九月十日午前十一時すぎ、鬼怒川左岸の常総市三坂町で、水が堤防を越える「越水」が確認された。その約一時間四十分後に堤防が決壊。決壊の幅は約二百㍍にまで広がった。
越水はこのほか計七カ所で確認されたが、決壊場所周辺の被害が際立つ。地盤ごと住宅八軒が流され、二軒が大きく傾き、いずれも全壊した。男性一人が流されて死亡した。大量の水が流れ、多くの住民が避難できず取り残された。
ちなみに当時、太陽光パネルの設置のため民間業者が土手を掘削したため被害が起きたとの風評も広がったが、この場所は越水しただけで決壊していない。国交省は「掘削しなくても越水は起きていた」と因果関係も否定している。
決壊の原因について、学識者らの調査委員会は今年三月、堤防を越えた水流が住宅地側ののり面を下から削った、と結論づけた。
宮本さんは「堤防決壊の七~八割は越水によるもの。堤防強化は河川対策の一番の基本なんです」と説明する。
実際、国土交通省もかつて同様の認識で堤防強化を進めていた。
九六年の旧建設省の建設白書では「計画規模を超えた洪水による被害を最小限に押さえ、危機的状況を回避するため、越水や長時間の浸透に対しても、破堤しにくい堤防の整備が求められる」と、「想定外の雨」や越水対策の必要性を明記。同様の記述は五年連続で白書に書かれ、九七年からの治水事業五カ年計画では、決壊しにくい「フロンティア堤防」の整備推進が盛り込まれた。
二〇〇〇年には設計指針が全国の出先機関に通知され、全国の河川で計二百五十㌔の整備を計画。実際に信濃川や那珂川など四つの河川の計約十三㌔で工事が実施された。だが、ダム建設の反対運動で反対派が「河川改修をすればダム不要」とする主張を展開し始めると、白書からフロンティア堤防の記述が消えた。〇二年七月にはフロンティア堤防の設計指針を廃止する通達が出された。突然の方針転換の理由は、白書に書かれていない。
土木学会は〇八年、国交省から堤防の越水対策について見解を求められ「技術的に実現性は困難」などと報告。国の堤防整備はかさ上げ対策に偏り、被害を軽減するフロンティア堤防はお蔵入りとなった。
国「効果は不明」
国交省は取材に「効果が定量的にはっきりしなかったため、予算を使ってまで事業化するには至らなかった」と繰り返す。
ダム不要論高まり転換 国交省OB「禁句になった」
想定外の雨対策急げ
だが、国交省OBからは「研究は成功していた」「急な方針変更はダム推進のため」との証言が相次ぐ。
前出の宮本さんは、フロンティア堤防の整備計画が放棄されたのは「ダム建設に影響するのを懸念したため」と断じる。
フロンティア堤防の研究は一九八〇年代にさかのぼる。旧建設省土木研究所が、越水対策の研究に着手。河川局も研究結果を受け、関係各課の中堅幹部らが議論を積み重ね、事業に組み込んだ。十分に役立つ技術と判断したからこその導入だったという。
だが、二〇〇一年ごろに川辺川ダム(熊本県)の反対運動が高まると、国交省内の空気はがらりと変わったという。建設に反対する市民団体は「フロンティア堤防整備など河川改修をすれば、ダムは不要」とする論陣を張った。脱ダムの機運に押された省内では「越水対策」そのものが敬遠され始めたという。
宮本さんは「そのころ、本省の課長に『越水対策の堤防なんかできない』と言われ、おかしいなと思った」と振り返る。宮本さんが関わった兵庫県の円山川堤防の越水対策工事では「越水対策の言葉だけはやめてくれ。隣の席で川辺川ダムを一生懸命やっているのに」と指示され、工事の名目を変えたこともあった。
「川辺川のために、今までしてきたことを変えていいのか」と担当者に指摘すると、「上からの指示です」との返事。「ダムのためだと確信した。越水対策は省内でタブー視され、禁句になった。本来なら十数年前に堤防を強化するチャンスがあったのに」と宮本さんは嘆く。
元建設省土木研究所次長の石崎勝義さんにとっては、堤防決壊はありえない事態だった。「土木研究所で越水対策の研究は順調に進み、完成している。とうの昔に対策は済んでいると思い込んでいた」。鬼怒川決壊をテレビで見ていて驚いたという。
「堤防を遮水シートで覆ったりするだけだから、ダムよりも予算はかからなかっただろう。対策をしていれば鬼怒川も決壊することはなく、堤防を越えた水だけがあふれ、浸水被害はずっと小さく済んだと思う」と指摘する。
さらには方針変更を正当化する根拠とされた土木学会の見解も疑問視する。
国交省が学会に求めた検討内容は「想定の水位の場合と同等の安全性」など。学会が「実現は困難」と否定したのは、水があふれなかった場合と同じくらい安全かどうかだった。石崎さんは「越水という新たな危険が加わったのに、想定内の水位に収まった場合と、同等の安全になるわけがない。最初から否定的な答えを誘導するための諮問内容だ」と批判する。
国交省は現在、鬼怒川の堤防かさ上げなどを集中的に進めている。宮本さんも石崎さんも「シートで覆うなど、住宅地側ののり面の補強が、越水対策で最も大事」と口をそろえる。だが、国交省は「効果が不明」などとして実施しない方針。
だが、関係者によると「また決壊したら、どう説明するのか」と懸念する声は省内でもくすぶる。
宮本さんは「雨量を想定しきれない中、想定の範囲内で水位を調節するダムよりも、脆弱(ぜいじゃく)な堤防を強化するべきだ。人命にかかわる問題で不作為は許されない。鬼怒川決壊を治水の見直しのきっかけにしなければ」と訴える。
実際、気候変動の影響で自然災害はこれまで以上に拡大すると予測されている。今夏、北海道や東北などに台風が相次いで上陸し、豪雨に見舞われた各地で川が氾濫。岩手県では、二十四時間で八月一カ月分の平均雨量を超える雨が降っている。洪水被害の軽減策は待ったなしだ。
河川工学が専門の今本博健・京都大名誉教授も「ゲリラ豪雨など近年の異常気象で、ますます堤防強化の必要性は高まっている」と憂う。
「国交省は『想定外の雨』と言って逃げているが、猛省すべきだ。日本の堤防の大半は、一時間も越水が続けば決壊する。もっと大きな河川や都市で決壊すれば、被害はより深刻。堤防の越水対策は急務だ」と警鐘を鳴らしている。
9月24日(土)、首都圏直下型地震で水道・下水道はどうなる!?
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東日本大震災の現場に学ぼう!
2011 年3 月11 日の東日本大震災によって、水道・下水道は広大な範囲で、深刻な被害を受けました。
現地の水道・下水道施設はどのような事態に陥っていたのか、
そこで働く職員はどのように対応したのか。
壮絶な経験をした水道・下水道部門で働く皆さんから、首都圏に住む私たちに警告を発していただきます。
日頃は巨大なシステムのもとで便利な生活を享受している私たち。
「そのシステムは首都圏直下型地震でも機能するのか? パニックに陥らないようにするには!」
という視点で東京の水政策を考えてみましょう。
日 時●2016年9月24日(土)13:30~16:20
場 所●全水道会館4階 大会議室
資料代● 500 円
主催:東京の水連絡会
協力:全水道東京水道労働組合