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両親の遺影手に「いい報告できるよう頑張るけん」 西日本豪雨ダム放流で提訴
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2018年7月の西日本豪雨では愛媛県・肱川の野村ダムと鹿野川ダムの緊急放流により、ダム下流で凄まじい氾濫が引き起こされ、8人が死亡しました。
この水害について遺族を含む被災者8人が今日(1月31日)、国と両市に計8650万円の損害賠償を求め、松山地裁に提訴しました。
両親の遺影手に「いい報告できるよう頑張るけん」 西日本豪雨ダム放流で提訴
(毎日新聞2020年1月31日 19時14分) https://mainichi.jp/articles/20200131/k00/00m/040/244000c
(写真)亡くなった大森仲男さんと勝子さんの遺影を手に記者会見に臨む長女(左)=松山市一番町4の愛媛県庁で2020年1月31日午前11時1分、中川祐一撮影
「真実を知りたい」。西日本豪雨で自宅が浸水して亡くなった愛媛県西予市野村町地区の大森仲男さん(当時82歳)と妻勝子さん(同74歳)の長女(50)は提訴後の記者会見で、遺影を手に訴えた。豪雨から1年半がたった今も、国や市から直接謝罪の言葉はない。「国と市が正しい対応をしていれば、2人の命は失われずにすんだのではないか」。今もそんな思いが消えることはない。
仲のいい両親だった。毎日朝早く自転車に乗って一緒に職場に向かう後ろ姿が今も脳裏に焼き付いている。裕福ではなかったが、懸命に働いて3人の子どもを育ててくれた。
豪雨の数日前、実家を訪れ「もうすぐ孫が生まれるんよ」と母に伝えた。「生まれたら連れてこんといけんで」。しかし、約束はかなわなかった。
両親が2人で暮らしていた木造2階建ての家は周囲より数メートル低い場所にあった。豪雨ではダムの緊急放流後に氾濫した肱川の濁流が流れ込んだ。仲男さんは居間で、勝子さんは玄関で遺体となって見つかった。避難の準備をしていたのか、近くにあったかばんの中には着替えの服がぎっしりと詰まり、泥にまみれていた。
豪雨後、国や市の説明会に足を運んだが、難しい専門用語や数字でごまかされたような気がして不信感が募った。「国が事前にもっと放流していれば。市がもっと早く避難指示を出していれば」
悲しみに暮れる中、原告にならないかと誘われた。裁判のことはよく分からず悩んだが、真実を明らかにしたくて妹とともに加わることを決めた。
将来大きくなった孫に何が起きたか説明するためにも、国や市には非を認めて謝罪してほしいと願う。「お父さん、お母さん。いい報告ができるよう頑張るけん、待っていてね」【中川祐一】
西日本豪雨「ダム放流不十分で浸水」提訴 愛媛の遺族ら
(朝日新聞2020年1月31日
西日本豪雨 ダム操作めぐり提訴
(NHK2020年01月31日 12時22分)https://www3.nhk.or.jp/matsuyama-news/20200131/8000005542.html
平成30年の西日本豪雨で、ダムの放流のあと川が氾濫し、西予市と大洲市で8人が死亡したことをめぐり、一部の遺族や浸水の被害者が、ダムの操作や避難の呼びかけに問題があったとして、国と2つの市にあわせて8650万円の賠償を求める訴えを松山地方裁判所に起こしました。
平成30年7月の西日本豪雨では、西予市の野村ダムと大洲市の鹿野川ダムで雨の量が予測を超えて容量がいっぱいになり、緊急放流が行われましたが、その後、下流の肱川が氾濫し、避難勧告や避難指示が出ていた地域の住民8人が死亡しました。
このうち犠牲者2人の遺族と浸水の被害者のあわせて8人がダムを管理する国と避難の対応にあたった西予市と大洲市に対し、あわせて8650万円の賠償を求める訴えを松山地方裁判所に起こしました。
原告側は、国について、気象予測などからダムが満杯になると容易に予想できたのに事前に放流量を増やさず重大な過失があったなどとしています。
また2つの市について、ダムを過信して必要な情報提供を行わなかったり、ダムからの連絡の内容を理解できず、市民に直ちに伝えなかったりしたことに責任があるとしています。
ダムの機能を維持するために行われる緊急放流をめぐって裁判が起こされるのは異例で、災害時の国や自治体の対応の是非が法廷で争われることになります。
原告の1人で、西予市野村町に住んでいた両親を亡くした50歳の女性は「豪雨災害がなければ両親は今も元気で暮らしていたはずで、それを思うととても無念だ。当時、ダムの操作がどのように行われていたのか、操作は妥当だったのか真実が知りたい」と話しました。
また訴えの中で、原告は、国が責任を隠匿するためダムの放流データを改ざんした可能性が高いと主張していて、原告の弁護士は、記者会見で「放流のデータにはうそがあり、うそを放置したまま当時の対応を検証しているのはおかしい。真実を知りたい」と話していました。
訴えについて、国土交通省四国地方整備局と西予市、大洲市は、いずれも「訴状が届いておらずコメントできない」としています。
2.13 「石木ダム強制収用を許さない! 東京行動」でエールの交換を!!
2月13日、石木ダムに生活の場合の所有権を奪い取られた13世帯の皆さん、弁護団皆さんが上京されます!
当日用のチラシ (2020年2月11日現在)
・共催・賛同・後援団体名を記載しました。
・「参加予定」の知らせを受けている国会議員名を記載しました。
・日々、更新しています。
長崎県・石木ダム建設のために、川原(こうばる)地区 13 世帯の人たちが住まいや田畑を強制収用され、ふるさとが奪われようとしています。
必要性のないダムのために、「強制収用」という人権侵害が行われることに対する抗議の声が広がっています。 石木ダムの事業認定取消訴訟では福岡高等裁判所が昨年11月、棄却判決を出しました。この司法の役割放棄を許さないため、最高裁判所に上告しました。
- 最高裁には「司法の役割放棄を許さない」
- 石木ダムに対して巨額の補助金を支出し続ける国土交通省と厚生労働省には「国の責任として、石木ダムの必要性を見直しさせる」
- 首都圏の人たちには石木ダム事業の虚構と川原地区13世帯皆さんの想いを伝える・・・!
- そして何よりも、支援者皆さんが「石木ダム中止!」のエールを送り合う行動日です!!
2020/2/13「石木ダム強制収用を許さない! 東京行動」
- 13時~14時 最高裁判所への要請行動(調整中)と上告集会
集合場所と集合時刻 最高裁脇の 三宅坂小公園 13時 - 15時~16時半 「国交省、厚労省への要請」(公共事業チェック議員の会ヒアリング)
場所 衆議院第一議員会館大会議室
当方からの参加者 弁護団、13世帯住民、支援者
ヒアリング事項
20200213厚労省ヒアリング質問事項
20200213国土交通省ヒアリング事項
- 17時~ 「石木ダム強制収用を許さない! 東京集会」
場所 衆議院第一議員会館大会議室
資料代 500円開始時刻 17 時
16:30 より 1 階ロビーで入館票を交付します。
目的
・ 川原地区13世帯の人たちの想いを伝えます。
・ 「石木ダムは不要!」、誰もが自信を持てます。
・ 「石木ダム不要! 私はこう思う!」、エールを交換しあいましょう。
内容
・ 「わたしはこうばるがだいすきです」子どもたちからのメッセージ(ビデオ上映)
・ ふるさとを守る活動を続けています 岩下和雄さん
・ 石木ダムの必要性は失われている 嶋津暉之さん
・ 石木ダム裁判の現状 石木ダム事業認定取消訴訟弁護団
・ 「強制収用を許さない」賛同のよびかけ 石木ダム強制収用を許さない議員連盟
・ 国会議員から連帯のあいさつ(随時)
・ 参加団体から連帯のアピール
共催団体:
石木ダム建設絶対反対同盟等の地元7団体•石木ダム建設絶対反対同盟、石木川の清流を守り川棚川の治水を考える町民の会、石木ダム建設に反対する川棚町民の会、水問題を考える市民の会、石木川まもり隊、石木川の清流とホタルを守る市民の会、いしきを学ぶ会石木ダム対策弁護団石木ダム強制収用を許さない議員連盟石本ダム・強制収用を許さない県民ネットワーク公共事業改革市民会議、江戸川区スーパー堤防取消訴訟を支援する会、東京の水連絡会、外環ネット,ラムサール・ネットワーク日本,中部横断自動車道八ヶ岳南麓新ルート沿線住民の会,横浜環状道路(圏央道)対策連絡協議会,水源開発問題全国連絡会(水源連)
後援団体: 公共事業チェック議員の会, 道路住民運動全国連絡会
賛同団体:八ッ場ダムをストップさせる千葉の会 八ッ場あしたの会
三宅坂小公園と衆議院第一議員会館 の地図
共催団体、賛同団体の皆さんには、各自の団体の皆さんにこのイベントへの参加を呼び掛けていただくことをお願いしています。共催団体、賛同団体を引き受けていただいている団体の名称は、チラシと当日の配付資料に掲載させていただきます。
引き受けていただける場合は、mizumondai@xvh.biglobe.ne.jp (水源連事務局 遠藤保男)までご一報をお願いいたします。
鬼怒川水害裁判の状況のお知らせとカンパのお願い
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鬼怒川水害裁判の状況のお知らせとカンパのお願いです。
鬼怒川水害裁判の状況
2018年7月西日本豪雨の愛媛県・肱川の野村ダムと鹿野川ダムの緊急放流によって甚大な被害を受けた被災者が国家賠償を求める訴訟を今日(1月31日)、起こしました。
西日本豪雨については小田川の氾濫で多くの死者が出た岡山県倉敷市真備地区の住民も国や岡山県などを相手取って、損害賠償を求める訴訟を今年3月に起こす準備を進めています。
水害裁判については2015年9月の鬼怒川水害の被災住民が2018年8月に国家賠償を求める訴訟を起こし、今年1月24日に第4回口頭弁 論が行われました。
被災地の常総市に近い水戸地裁下妻支部に提訴して2018年10月に第1回口頭弁論が同支部で開かれたのですが、同支部の裁判長がこの裁判に関わりたくないため、原告の強い反対を無視して、水戸地裁本庁に本訴訟を回付してしまいました。そのため、原告らは遠く離れた水戸地裁まで行かなければならなくなり、昨年7月の第2回口頭弁論から、原告らは毎回、半日がかりでマイクロバスで常総市と水戸地裁本庁を往復することになりました。ひどい話です。
このバスには弁護士さんが同乗していないので、代わりに私がこの裁判がどういう状況にあるかを今回、バス内で資料 鬼怒川水害裁判についての説明(嶋津)を使って説明しました。この資料は弁護団ではなく、私の責任で、私が理解している範囲で作成したものです。
水害裁判で厚い壁となっているのが、1984年の大東水害訴訟最高裁判決で示された「河川管理の瑕疵についての判断枠組み」です。この最高裁判決までは水害裁判で被災者側が勝訴するケースもありましたが、この最高裁判決以降は、被災者側が勝つことが非常に難しくなりました。河川管理に度外れた瑕疵があると認められないと、勝訴が困難になっています。
鬼怒川水害裁判でも、この「河川管理の瑕疵についての判断枠組み」がこれまでの口頭弁論の主な争点になっています。
そのため、原告、支援者の方々にとってこの裁判が分かりにくいものになっていますので、今回、添付の資料を使ってバス内で説明しました。原告、支援者の方々の理解に多少は役立ったようです。
鬼怒川水害訴訟へのカンパのお願い
call4(裁判へのカンパ要請のサイト)で鬼怒川水害訴訟へのカンパをお願いしております。
https://www.call4.jp/info.php?type=items&id=I0000053
呼びかけを今まできちんとしてきませんでしたので、カンパの金額はまだ少ないのですが、これからを期待しております。
このサイトには次の情報も掲載されています。これらの情報を是非、お読みいただきたいと思います。
訴訟資料
https://www.call4.jp/search.php?type=material&run=true&items_id_PAL[]=match+comp&items_id=I0000053
進捗(今までの裁判の様子)
https://www.call4.jp/search.php?type=action&run=true&items_id_PAL[]=match+comp&items_id=I0000053
原告・赤羽武義さんと鬼怒川水害訴訟
https://www.call4.jp/story/?p=429
原告・高橋敏明さんと鬼怒川水害訴訟
https://www.call4.jp/story/?p=498
八ッ場ダムを考える集会 「氾濫防止はフェイク」 考古学や地質学の専門家ら講演 高崎 /群馬
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1月26日、八ツ場あしたの会が高崎市で集会「八ッ場ダム湖はどうなるか~地質・水質・堆砂の問題~」を開きました。
この集会について朝日、毎日、上毛新聞の記事をけいさい掲載します。上毛新聞の記事では参加者が約80人となっていますが、実際の参加者は朝日新聞の約120人です。
群馬)八ツ場ダム 市民団体が集会「完成後も問題注視」
(朝日新聞群馬版2020年1月27日
八ッ場ダムを考える集会 「氾濫防止はフェイク」 考古学や地質学の専門家ら講演 高崎 /群馬
(毎日新聞群馬版2020年1月27日)https://mainichi.jp/articles/20200127/ddl/k10/040/027000c
長野原町で建設が進められている八ッ場ダムの問題点を考える集会「八ッ場ダム湖はどうなるか」(主催・八ッ場あしたの会)が26日、高崎市高松町の高崎シティギャラリーで開かれ、考古学や地質学の専門家などがそれぞれの視点から八ッ場ダムについての講演をした。
八ッ場ダムは昨年10月、東日本を中心に大きな被害をもたらした台風19号で、一夜にして満水になったことから、赤羽一嘉国土交通相は下流の氾濫防止の大きな要因になったとの見方を示している。
「台風19号で八ッ場ダムが首都圏を救ったという話は本当か」のタイトルで講演した水源開発問題全国連絡会共同代表の嶋津暉之氏は、八ッ場ダムがなかった場合の台風19号時の利根川流域の流量を推測し、埼玉県久喜市の栗橋地点での最高水位を推定。最高水位が実際より17センチ高くなるとしたが、堤防は最高水位から2メートルほど高いため「氾濫する状況ではなかった」と説明し、八ッ場ダムが利根川の氾濫を防いだとする言説について「フェイクニュースだと思う」と述べた。
講演を聴いていた長野原町の60代の農業の男性は「地質の問題に関心があり来た。治水効果は嶋津さんが話していた通りだと思う」と話していた。【西銘研志郎】
(写真)八ツ場ダムの治水効果について講演する嶋津氏=高崎市高松田Tの高崎シティギャラリー
市民グルーブ集会で八ツ場水質悪化懸念
(上毛新聞 2020年1月27日)
3月に完成予定の八ツ場ダム(長野原町)を巡り、反対する立場の市民グループ「八ツ場あしたの会」は26日、高崎市内で集会を開き、ダム湖の水質悪化などの問題点を指摘した。
同会運営委員で水源開発問題全国連絡会共同代表の嶋津暉之さん(76)が、吾妻川中流部に位置する八ツ場ダムは上流域の人口が約2万人と、他の利根川水系ダムに比べて多いと指摘。温泉地の観光客や飼育牛も要因に加え、「植物プランクトンの増殖が予想される」と述べ、富栄養化による水質悪化が進むと強調した。
昨年10月の台風19号の際、試験湛水中の八ツ場ダムに大雨がたまって大きな氾濫を防いだとの見方には 「ダムの効果は小さく、河床掘削の方が重要」との意見が出た。会の関係者、市民ら約80人が参加した。
石木ダム事業採択45年 歴代知事の判断 住民翻弄
石木ダム事業について歴代長崎県知事の判断の経過を振り返った記事を掲載します。
半世紀近く経って、石木ダムの必要性がますます希薄になってきたのですから、中村法道・現知事が石木ダム事業の中止を判断することを強く望みます。
石木ダム事業採択45年 歴代知事の判断 住民翻弄
(長崎新聞2020/1/4(土) 11:02) https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200104-00000006-nagasaki-l42
(写真:長崎新聞)
長崎県と佐世保市が東彼川棚町に計画する石木ダム建設事業は昨年、反対住民13世帯の宅地を含む未買収地が土地収用法に基づき収用されるなど、大きな動きがあった。「古里に住み続けたい」という住民側の意思は固く、県側は家屋の撤去や住民の排除などの行政代執行も視野に入れる。1975年の事業採択から45年。重大局面にある公共事業の過去と現在、未来を見詰めた。
石木ダム建設事業は1972年に当時の知事、久保勘一=故人=時代に県が予備調査に着手して以降、高田勇=同=、金子原二郎、中村法道の4代に及んでいる。水没予定地には反対住民13世帯が、土地の権利を失った現在も住み続け、完成は見通せない。歴代知事が、それぞれの局面で決断を下した背景をひもとくと、地域住民が「政治」に翻弄(ほんろう)されてきた公共事業の一断面が浮かぶ。
■約束 1979年6月、水没予定地の川原(こうばる)公民館で、久保知事が現地住民と初めて向き合った。詰め掛けた約100人を前に、ダムの必要性や補償の条件、移転後の生活再建などを説明し、「決してなし崩しにできません。全部の話がつかなければ前進しないわけですから」と頭を下げた。対する住民側は一切質問せず、代表者が「今後も交渉に応じる考えはない」と伝えたのみ。かたくなな姿勢には理由があった。
7年前の72年、県がダム建設の予備調査に着手する際、久保は「調査の結果、建設の必要が生じた場合、あらためて書面による同意を受けた後着手する」という覚書を住民と交わしていた。だが調査の結果、「建設可能」と判断すると同意なしに計画を進め、75年の国の事業採択に至った。住民はこれに不信感を募らせ、反対運動を本格化させた。
当時県議だった城戸智恵弘(85)は「久保さんには住民を説得できる自信があったのだろう」と推測する。久保は、長崎空港(75年開港)を建設する際に建設地の箕島に幾度も足を運び、反対住民を口説き落とした交渉手腕で知られる。実際に川原公民館でも「宣伝がましくなりますが」と前置きしつつ当時の苦労話を披露して見せたほどだ。だが、面会から約1年後の1980年7月、得意の手腕を十分に発揮できないまま病に倒れた。
■強行
1982年5月21日、静かな集落は悲鳴と怒号に包まれた。県は機動隊を投入し、土地収用法に基づく立ち入り調査(強制測量)に抜き打ちで踏み切った。副知事として久保を支えた高田が新知事に就任し、わずか3カ月足らずでの強行だった。
当時の県北振興局長、湯浅昭=故人=が、強制測量に踏み切る前の状況を記している。測量前に一度だけ反対住民との協議を設けたが、事実上決裂。「あと何度か話し合いをしたいが…」と言う高田に、当時の副知事、三村長年=同=が「これ以上は無理と思いますよ」と進言した。測量に同意した住民の不信感を招くことや、反対派の中に住民以外の共有地権者(一坪地主)が増え続けていることが懸念材料だった。
城戸は別の要因も指摘する。「庁内で一定の力を持っていた三村副知事が『強制測量やむなし』と言う中、決断力のない知事と評価されると今後の統率に影響する。就任早々、権力基盤を固めたい気持ちがあったのだろう」
強制測量が決定的な亀裂となり、高田はその後12年間、反対住民と会うことができなかった。97年に建設容認派の住民と損失補償基準を締結したが、反対派との間にしこりを残したまま、次の知事にバトンを託した。
■転換
1998年3月に知事に就任した金子原二郎はまず、ダム建設で家屋移転が必要となる地権者の代替宅地探しに取り掛かった。建設予定地に近い石木郷に代替宅地を造成し、2004年までに地権者の8割が移転。水没予定地の住民は、移転に応じていない現在の13世帯になった。
2008年には16年度末の完成を目指す事業工程案を公表。前年に佐世保市長に初当選した朝長則男とともに複数回現地入りし、13世帯への説得を試みた。だが、県と同市の動きを前のめりな強硬路線ととらえた住民側は、ますます態度を硬化。2009年2月には現地を訪れた2人に猛抗議し、対決姿勢を鮮明にした。
交渉の糸口がつかめないまま金子は同年11月、「話し合いを進める上で極めて有効な手段」として国に事業認定を申請した。「過去の事例を見ても(収用は)ほとんどない」「任意の話し合いは続ける」。記者会見では“対話路線”を強調したが、事実上は収用に続くレールにかじを切る転換点となった。
前川棚町長、竹村一義(72)も当時、会見に同席。「長らく戦い続ける住民の苦しい状況が(申請により)解決に向かうのではないかと期待した」と述懐する。「だが今となっては正しい方法だったのか…」。13世帯の土地が収用された今、複雑な心情を吐露する。
国政の激変も背景にあった。同年8月の衆院選で大勝し、政権交代を果たした民主党(当時)が、「コンクリートから人へ」をスローガンに、全国のダム事業の見直しに乗り出していた。金子は「ダム不要論が(石木ダム事業に)影響するかもしれない。苦渋の選択の末、事業に協力してくれた地権者を思うと、県としての姿勢を示さなくてはと思った」と説明する。
申請を表明した約1カ月後、自民党出身の金子は「県政運営に支障を生じないように」と翌年2月に控えた知事選への4選不出馬を明らかにした。
■異例
2010年2月の知事選では、自民、公明両党の支援を受けた元副知事の中村法道が、政権与党だった民主党の推薦候補らを破り、初当選した。
就任後間もなく現地に足を運んだが、県政への住民の不信感は根強く、面会すらできない状況が続いた。さらに同年3月、県がダム建設に伴う県道付け替え道路工事に着手し、住民はますます反発を強めた。
中村と住民の面会は、場所や環境などで合意できずにたびたび擦れ違った。昨年9月には約5年ぶりに面会が実現したが、事業への協力を求める県側とダムの必要性を議論したい住民側の主張は全くかみ合わない。中村県政では、そんな状況がずっと続いている。
だがその間にも、土地収用の手続きは粛々と進み、昨年11月までに、13世帯の宅地を含む全ての未買収地が明け渡し期限を迎えた。法的に、県と佐世保市は家屋の撤去や住民の排除などの行政代執行を知事に請求できる。
行政代執行について中村は「それ以外に解決の方策がない段階で慎重に検討すべき課題」と述べるにとどめている。だが、実際に13世帯約50人の住民に対して代執行に踏み切れば、全国的にも異例の事態となる。3月に3期目の折り返しを迎える中村に迫られる政治判断はあまりに重い。=文中敬称略=