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来島ダム湖のヘドロ原因」 神戸川の石変色で報告 島根(2013年3月9日)
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島根県の神戸川分水問題で、来島ダムが、ダム下流の水や川底の石が黒くなる現象を引き起こしていることが明らかになりました。
黒い石「ダム湖の硫化鉄原因」(読売新聞島根版 2013年3月9日) http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/shimane/news/20130308-OYT8T01353.htm
◇神戸川分水 北大名誉教授指摘
神戸川上流の中国電力来島ダム(飯南町)から江の川の潮発電所(美郷町)への分水を巡り、北海道大学の松永勝彦名誉教授(70)(環境化学)が8日、出雲市で記者会見し、
ダム下流で水や川底の石が黒くなる現象について、ダム湖で生じた硫化鉄が原因と指摘し、ダムとの因果関係は不明とした県の専門委員会の報告に反対した。
松永氏は、分水に反対する「神戸川再生推進会議」の依頼を受け、昨年12月に採取された川底の石などを分析。湖の富栄養化で植物プランクトンが水中の酸素を消費したため、水に溶けていた酸化鉄が還元されて硫黄と結合し、黒い硫化鉄の微粒子になったと説明した。
硫化鉄はヘドロの黒い部分と同じ物質。
さらに、ダムからの流量が少なくなったため海に供給される鉄分なども結果的に減り、大社湾から島根半島西側で海藻が枯れる「磯焼け現象」が拡大しているとし、松永氏は「来島ダムが神戸川の水質悪化や磯焼けの原因ではないか。水量増などの対策が必要」と強調した。
記者会見には、神西湖の漁業権を持つ神西湖漁協の関係者も出席。中国電の水利権の更新手続きで、県が同漁協を「関係河川使用者」としていないことは河川法違反などと主張した。(高田史朗)
来島ダム湖のヘドロ原因」 神戸川の石変色で報告 島根(産経新聞島根版 2013.3.9) http://sankei.jp.msn.com/region/news/130309/smn13030902040000-n1.htm
島根県飯南町から出雲市を流れる82・4キロの神戸川で環境調査している北海道大の松永勝彦名誉教授(環境化学)が8日、「下流の川石が黒くなったのは、上流の来島ダム湖にたまったヘドロのためと考えざるを得ない」とする調査結果を発表した。
松永名誉教授は、来島ダムの分水に反対している住民団体「神戸川再生推進会議」の要請を受け、今年2月まで調査。
同市佐田町で採取した石の黒く変色した部分で重金属を測定したところ、96%が鉄、4%がマンガンだったとし、「起源はダム湖の低層で形成された鉄とイオウが結合した化合物。それ以外、石が黒色になる要因は理論的にあり得ない」と結論づけた。
石の変色については県が設けた専門委員会も調査したが、「原因解明に至らなかった」と2月に発表している。
松永名誉教授は、神戸川が注ぐ大社湾でも岩場などに藻が生えない磯焼け現象が広がっているとし、「出雲でも森と川と海のつながりについてよく考えるべきだ」と述べた。
まる見えリポート>伊賀・川上ダム建設見直し(伊勢新聞2013年3月3日)
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まる見えリポート>伊賀・川上ダム建設見直し(伊勢新聞2013年3月3日) http://www.isenp.co.jp/news/20130303/news05.htm
(写真)伊賀市の川上ダム建設予定地(川上ダム建設所提供)
民主党政権時代、建設の是非をめぐって見直しが始まった川上ダム。自公連立政権下でも「関係地方公共団体からなる検討の場」で検証作業が進められている。
建設予定地の伊賀市はこれまで、建設推進の立場を貫いてきたが、昨年十一月の市長選で当選した岡本栄市長が見直しを表明。
岡本市長の諮問機関「川上ダムに関する検証・検討委員会」(宮本博司委員長、九人)が議論の最中で、年度内には答申を提出する見通しだ。答申を受けた岡本市長の判断で、ダムの目的や構造が変わる可能性もある。
(伊賀総局・海住真之)
同ダム建設の主な目的は、流域を洪水から守る「治水」と生活用水や工業用水を取り入れる「利水」の二点。ただ、関係自治体のうち利水の点でダムが必要と主張しているのは伊賀市だけだ。
このため、仮に同市がダムによる利水を不要と判断すれば、建設目的から利水が除かれるのは確実な状況となっている。
水資源機構川上ダム建設所(同市阿保)によると、ダム建設の目的から利水が除かれた場合、計画の変更に伴い、ダムの規模や事業費が大幅に見直される可能性があるという。近畿地方整備局の担当者は「市の方針は『検討の場』の議論に大きく反映されることになるだろう」と語る。
先月二十五日の委員会第二回会合では、水需要をめぐって議論が交わされた。ある委員が市の水需要予測は過大と指摘し、名張市の水利権を購入すれば賄えるとする代替案を提示。
宮本委員長は市水道部に対し、水需要予測の詳細な積算根拠を次回会合で示すよう要求した。また、別の委員からは、ダム建設による水道料金の値上げを危惧する声も上がった。
「市がダム建設に向けて進めてきたことの問題点が、市民の前に次々と明らかになってきた」。淀川水系流域委員会の副委員長を務めた川上聰氏は、委員会の議論をこう評価する。
市の水需要予測について、川上氏は「国と水資源機構の意のままに、ダムありきで利水容量のつじつまを合わせてきた」と指摘。
「人口予測や新規の宅地開発、ゴルフ場建設、工場誘致など、水需要を高める要因を積み上げ、過大に見積もったようだ」と話し、議論の行方に注目している。
一方、委員の一人で「川上ダム建設促進期成同盟会」の西山甲平会長は「いくら市長が交代したからといっても、ダムの方針まで変われば他の自治体から不信感を買う」と指摘する。
「流域の世帯は常に洪水の危険にさらされている。また、水は何よりも大事。ゆとりがあってしかるべきだ」と、治水、利水の両面でダムの必要性を強調。
代替案に対しては「名張市の意向を伺っていない段階で実現性は不確か。費用や時間もどれだけかかるか分からない」と疑問を投げ掛ける。
岡本市長は「検証・検討委員会」を立ち上げた理由について、「長年の議論はダムを造ることが最終目的になっていたように思う。何のためのダムなのかを考え直さなければならない」と語る。
その上で、「市民との情報共有が必要」とし、答申を受けた後、市民への説明会を開く考えだ。市は答申の結果と合わせて、市民の声を十分に反映させた決断を下す必要がある。
マレーシアのダム建設、抗議活動が激化(ナショナルジオグラフィック 2013年3月5日)
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巨大ダム「バクン・ダム」が完成した際には、1万人の地元住民が住む場所を追われるというのですから、恐ろしい開発計画が進行中です。
マレーシアのダム建設、抗議活動が激化(ナショナルジオグラフィック 2013年3月5日)http://topics.jp.msn.com/life/environment/article.aspx?articleid=1709109
マレーシア、ボルネオ島北西部のサラワク州、バラム川流域は、電力の供給網から取り残されている。東南アジア独特の“ロングハウス”が並ぶ村々では、夜になるとディーゼル発電機の轟音が鳴り響く。インターネットはおろか、携帯電話も使えないという。
しかし建設中の巨大ダムが完成すると、熱帯雨林が広がるサラワク州の電力需要を補って余りある電力生産が可能になる。水力発電プロジェクトの供給能力は1000メガワット。アメリカの75万世帯分をカバーできるほどの発電量になるという。
ところが、現地に住む多くの住民は、電力の必要性を感じていないという実態がある。サラワク州のペナン族、クニャー族、カヤン族といった先住民たちは、伝統的なロングボートで下流の町ロン・ラマ(Long Lama)まで出向き、
ダム建設に対する抗議活動を行った。
マレーシア最大のサラワク州は、アルミニウム製錬や製鉄など、エネルギーを大量消費する重工業が盛んだ。安価な電力供給を目的とした大規模な水力発電プロジェクトが7件進められており、バラム川のダムもその一つとなる。
同時に州政府は1050億ドル(約9兆円)もの巨費を投じて、SCORE(Sarawak Corridor of Renewable Energy)という大規模なエネルギー開発計画を進めている。計画に組み込まれているダムがすべて完成すると、その総発電量は世界最大の中国、三峡ダムに匹敵するという。
SCOREは、サラワクの景観と人々の生活を一変させつつある。曲折するバラム川流域のダム湖によって、412平方キロの熱帯雨林が水没、およそ2万人の住民が故郷を追われることになる。
アブドゥル・タイブ・モハマド(Abdul Taib Mahmud)州首相のワンマン体制が30年間続くサラワク州では、表立った抗議活動が行われることはまれだった。
同首相は、材木業者との不正取引で広範囲の熱帯雨林を売却、私腹を肥やしているとの噂が絶えない人物である。
しかし最近では、この大規模な水力発電プロジェクトに対する先住民の抗議活動が活発化している。
2012年9月には、サラワク西部の住民がバリケードを設置、同州中央部を流れるムルム川(Murum River)のダム建設に対する抗議活動を展開したほか、2013年1月には、ロン
グボートを仕立てた先住民たちが、
民族言語で「バラム川のダム建設を中止せよ」と声を合わせ、普段は静かなロン・ラマ市を騒然とさせた。
「行政指名の地位などどうでもいい。仲間たちのために声を上げなければ」と、パナイ・エラング(Panai Erang)氏は話す。ペナン族出身の55歳の同氏は、表立ってプロジェクト抗
議活動を行っている村長の1人だ。
◆エネルギー開発の意義
バラム川のダム建設は、サラワクの経済発展を担う重要なプロジェクトの一部である。
南シナ海に面するボルネオ島は、北部のマレーシア領サラワク州とサバ州、南部のインドネシア領と西部のブルネイ領を合わせて世界第3位の面積を誇る島であり、世界最古の熱帯雨林が広がっている。
島固有のクロヘミガルス(ジャコウネコの1種)やミュラーテナガザルのほか、6種類のサイチョウなどの絶滅危惧種が生息している。また、バラム川の上流では2012年11月、非常にまれなボルネオヤマネコも目撃されているという。
サラワクの固有種は植物8千種、動物2万種にも及んでおり、世界最大級のチョウであるアカエリトリバネアゲハも含まれている。
だが、豊かな自然環境に恵まれている一方で、サラワクの経済は他の州に遅れを取っている。急速に発展しているマレー半島の各州や首都クアラルンプールとの海による隔たりが埋められず、経済格差が広がっている。
その現状を打開するため、「サラワクを2020年までに工業化する」という目的を掲げたプロジェクトがSCOREなのだ。
計画では、2030年までにサラワクの経済規模を5倍に拡大、雇用機会を増やして人口を460万人に倍増させる予定だという。
しかし、2013年1月にロン・ラマ市で抗議活動を行ったペナン族のパナイ・エラング氏は、「工業化で自分たちの生活が豊かになるとは考えにくい」と言う。
同氏は、サラワク中央部のスンガイ・アサップ(Sungai Asap)という街も訪れた。巨大ダム建設プロジェクトの足掛かりとなったバクン・ダム建設によって住む場所を追われた1万人の先住民が、この街に移り住んでいる。
強制退去は1990年代後半に開始、現地での建設作業は10年以上も続いた。総出力は2400メガワットを予定。2011年に操業が一部開始され、中国を除くと、アジアでも最大規模の水力発電ダムとして機能している。
「しかし、移住者への補償は不十分だ。標準以下の家屋と養分に乏しい農地しか与えられていない。バクンに戻り、ダム湖で水上生活を送っている人もいる」とエラング氏は話す。
エラング氏は、自分の村の住民たちも同じ境遇におちいるのではないかと危惧している。政府の規制で少数民族の市民権取得が難しくなっているため、村民の多くは「MyKad」というマレーシアの身分証明書を持っていない。
先祖代々住んできた場所を追われ市街地に移り住むことになると、投票権がないことに加え、就業機会も失われる。
「こんな開発は誰も望んでいない」と、バラム川の下流に住むクニャー族のサロモン・ガウ(Salomon Gau)氏(48歳)は憤った。「巨大なダムは必要ない。もっと小規模で、
環境に優しい発電施設をわれわれは求めている」。
(写真)マレーシア、ボルネオ島北部のサラワク州にあるロング・ナピール(Long
Napir)村は、州全体で進められている巨大ダム建設計画の影響を受ける可能性が高い地域の1つだ。
巨大ダム「バクン・ダム」が完成した際には、1万人の地元住民が住む場所を追われることとなる。 Photograph by Yvan Cohen, LightRocket/Getty Images (ナショナルジオ グラフィック)
山鳥坂ダム:地権者らと補償協定、総額36億円 松山で調印式 /愛媛(2013年 3月2日)
山鳥坂ダム:地権者らと補償協定、総額36億円 松山で調印式 /愛媛(毎日新聞愛媛版 2013年 3月2日) http://mainichi.jp/area/ehime/news/20130302ddlk38010656000c.html
国土交通省が1月に再開を決めた山鳥坂ダム(大洲市肱川町山鳥坂)事業で、同省四国地方整備局と水没予定地の岩谷地区の二つの住民・地権者団体が1日、損失補償基準を妥結し協定書を交わした。
事業が凍結されてから3年余りも、補償問題が宙に浮いたままだった両団体からは、早期の生活再建や地域振興を求める声が上がった。
両団体は山鳥坂ダム対策協議会(約70人)と山鳥坂ダム水没者地権者協議会(約30人)。09年9月に補償基準に合意していたが、直後の民主党政権による事業凍結で正式な協定は先送りされ、補償を前提に生活再建を準備していた住民らが苦境に立たされていた。
まとまった補償基準は、09年の合意と同内容。用地単価や移転費用の基準額を定めている。同局は、今後、両団体の会員以外も含めた全約150人の地権者と個別交渉し、住宅33戸の移転や田畑、山林などの買収などを進める。補償総額は約36億円の見込み。
この日は松山市内で調印式があり、同局の川崎正彦局長と対策協議会の城戸由幸会長(58)、地権者協議会の冨永清光副会長(68)が出席。中村時広知事、清水裕大洲市長も立ち会った。
城戸会長は「最たる課題は地域振興、生活再建。高齢者が多く時間的余裕もない。早急な取り組みを」と要望。冨永副会長は「かけがえのない古里は何をもっても補えないが、それに代わる手段は損失補償しか残されていない」と訴えた。【中村敦茂】
山鳥坂ダム補償協定 国と地権者2団体調印(愛媛新聞2013年 3月2日)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130302-08611001-ehime-l38
【写真】協定書に判を押す山鳥坂ダム対策協議会の城戸由幸会長(右)=1日、松山市三番町5丁目
1月に事業再開が決まった山鳥坂ダム(愛媛県大洲市)建設計画で、国土交通省四国地方整備局と水没予定地の地権者2団体が1日、松山市のホテルで、土地や建物の補償基準を定めた協定書に調印した。
事業凍結前の2009年9月に3者で合意した基準をそのまま適用した。内容は非公表。
調印式では、山鳥坂ダム対策協議会(70人)の城戸由幸会長(58)と、同ダム水没者地権者協議会(33人)の冨永清光副会長(68)が、四国地方整備局の川崎正彦局長と署名押印を交わし、中村時広知事と清水裕大洲市長が立ち会った。
ダム完成は、用地買収終了後の工事再開から約14年かかるという。
栃木県に完成した直轄ダム「湯西川ダム」が地元に与えた影響についての連載記事(毎日新聞栃木版 2013年02月28日~3月3日 )
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栃木県に完成した直轄ダム「湯西川ダム」が地元に与えた影響についての連載記事その1~4です。
ダムの影:湯西川地区の行方/1 「水特・基金事業」起爆剤に /栃木(毎日新聞栃木版 2013年02月28日 ) http://mainichi.jp/area/tochigi/news/20130228ddlk09040112000c.html
◇風景一変、施設続々
福島県との境に連なる2000メートル級の山々に抱かれた日光市栗山地区は、湯西川と鬼怒川が横断し、渓谷が織りなす絶景を求めて湯西川温泉を中心に観光客が集まってくる。
ここに昨年10月、国直轄としては4基目となる湯西川ダムが完成した。予備調査開始から数えれば実に40年が経過していた。既にある五十里、川治、川俣の各ダムと合わせ、周辺は、道路などが整備され、相次いで観光施設が誕生して、風景を一変させた。
湯西川ダム建設の熱心な推進者として知られるのは、故斎藤喜美男・栗山村長だ。衆院議員の福田昭夫氏が旧今市市長だったころだ。「顔を合わせるたびに熱っぽく訴えていた」と懐かしそうに振り返った。
「ダムでの村おこしは村百年の大計」。斎藤村長の信念だった。その道半ばの02年に死去。後を継いだ最後の栗山村長、山越悌一・現日光市議(68)は「社会資本整備には相応の協力も必要だった」とダム建設の見返りにインフラ整備や雇用確保、観光振興にも役立てようとしたと明かす。
ダム建設と村おこし??。74年、水源地域対策特別措置法(水特法)が施行され、この二つがつながった。同法に基づく事業で、水の供給を受ける下流県市が負担してくれるようになり、村の生活再建、地域振興が可能になったのだ。
さらにこの事業の補完として76年に設立された、1都5県が出資する「利根川・荒川水源地域対策基金」による事業も展開できるようになった。合わせて「水特・基金事業」と呼ばれる。
旧栗山村では83年、3番目となる川治ダムから適用された。斎藤村長はドイツの有名な温泉保養地、バーデン・バーデンをモデルに村おこしを描いていたと言われる。
自分の足で現地を歩いて調査した。医師が常駐し、温泉治療を兼ねる。現在の「医療ツーリズム」を先取りする構想だった。
だが、あまりに壮大で周囲の反対に遭う。さらに川治ダム建設に伴い誕生した宿泊施設などが廃業。計画は縮小を余儀なくされた。
結実したのは、湯西川温泉入り口の道の駅湯西川だった。それでも水特・基金事業による相次ぐ施設整備は旧栗山村の他地区もうらやむほど、湯西川の風景を一変させるのには十分な起爆剤だった。
栗山地区の歴史は、ダム建設に伴う夢と、その長い影を落とす挫折の連続でもあった。移転を余儀なくされた住民の生活再建も含め、どう地域活性化につなげるかが問われている。課題と展望を追った。【浅見茂晴】=つづく
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◆湯西川ダムを巡る主な水特・基金事業◆
整備項目 事業費
国道121号道路改築(2460メートル) 28億1340万円
県道黒部西川線付け替え工事(11.442キロ) 33億2220万円
湯西川簡易水道整備 31億5140万円
下水処理センター整備 26億4580万円
湯西川小中学校建設など 14億8111万円
ふれあいの森整備 2億1024万円
西川人工芝サッカー場、クラブハウス整備 11億1353万円
水の郷整備 9億1951万円
観光振興対策助成 8404万円
宅地代替地造成助成事業 6029万円
水没者雪寒対策事業(46世帯×594万円) 2億7328万円
2カ所温泉掘削 2億9259万円
生活相談員設置事業 1149万円
ダムの影:湯西川地区の行方/2 「素人経営」苦い思い /栃木(毎日新聞栃木版 2013年03月01日 ) http://mainichi.jp/area/tochigi/news/20130301ddlk09040135000c.html
◇「身の丈」に合わせ
日光市の湯西川温泉で11年7月、観光施設「水の郷」のオープン式典が開かれていた。祝辞を述べる斎藤文夫市長の笑顔。だが、対照的に水の郷の中川恒男社長(77)は唇をかんだ。「あと3年早く開業していれば少しは体力も付いたんだが」
湯西川ダム建設で移転した住民の要望で、生活再建・雇用確保を目指したが、東日本大震災から約4カ月。風評被害の嵐が収まらない中での船出だった。
開業1年で売り上げは7000万円。当初見込みの約7割に過ぎなかった。温泉利用客の10万人目も予想より約4カ月遅い昨年11月になってから。一時は支払いが滞る危機もあった。
湯西川温泉にはもう一つ、似たような観光施設「道の駅湯西川」がある。2施設は車で15分の距離。こちらも移転住民の要望に沿って建設され、下流でダムの恩恵を受ける茨城、千葉県などが負担する「水特・基金事業」の目玉施設だ。
だが、足湯併設の温泉施設に飲食店、土産品を扱い、競合は避けられない。それでも中川社長は「何としても大事な雇用の場を維持したい」と強調。そして「栗山館」の二の舞いだけは避けたいと口にする。
「栗山館」は川治ダムの建設に伴い、やはり移転者の生活再建のために、上流の旧栗山村戸中に建設された。宿泊施設などを併設した自然公園総合センターで、鉄筋コンクリート一部3階建て。温泉を掘削するなどして、総工費は計約8億1711万円をかけた。
地元でつくる組合が運営した。だが、経営は「素人」の集まりだった。村の行事やイベント会場に使ったが、収益には結びつかず、冬は前日から暖房を入れないと寒くて使えない。
近くの大王高原キャンプ場などと共に誰も責任を取れないまま98年ごろまでに閉鎖に追い込まれた。赤字は4000万?5000万円とも言われ、下流県の負担で処理された。最後の組合長を務めた山越英二さん(82)は「申し訳ないことをした」と振り返る。
これを教訓に、湯西川ダム建設に伴い整備された「道の駅」と「水の郷」は指定管理で責任所在を明確にする一方、「身の丈」にあった施設に整備。水の郷では釣り堀やバーベキュー施設を取りやめた。
先にできた近くのキャンプ場「安らぎの森 四季」にあるからだ。
それでもある観光関連業者は「水の郷」は「動線がばらばら。人件費などランニングコストがかかりすぎ」とみる。
「最初にある程度のお金を積んだから、こういう施設ができる。民間は何が必要かを積み上げて作る。方法が正反対だ」とも批判し「お役所仕事は怖いよ」と、水特・基金事業の影の側面を指摘している。【浅見茂晴】=つづく
ダムの影:湯西川地区の行方/3 水陸両用バス前途多難 /栃木(毎日新聞栃木版 2013年03月02日) http://mainichi.jp/area/tochigi/news/20130302ddlk09040118000c.html
◇運行ルートも未定
日光市西川に誕生した湯西川ダムの人造湖で昨年7月、水しぶきを上げながらバスがスイスイと「泳いで」いた。来年度から本格運用を予定する水陸両用バスの試乗会だ。「これは観光の起爆剤になる」。日光市の斎藤文夫市長が目を輝かせた。
ダム建設に伴い、県道が水没した。代わって建設された県道には10カ所、計4634メートルのトンネルがある。
ダム周辺は自然林が多く、隠れた紅葉の名所なのに、これでは「最も紅葉が美しい場所」が見えない。ならばダム湖から眺めてもらおう??。このもくろみが水陸両用バスでの観光への期待となっているのだ。
水陸両用バスはトラックを改造し、後部にスクリューや船用のエンジンを取り付けた構造で、全長約12メートル、全幅約2・5メートル。定員は42人だ。開発したのはツアー企画も手がけるNPO法人「日本水陸両用車協会」(本部・大阪市)で、現在、東京湾などでも運行を予定している。
県内では国と市、地元がダム建設に伴う地域活性化策として、06年度から隣の川治ダムで体験・実験運行を積み重ねてきた。
川治ダム湖では、道の駅湯西川を出発してダム湖をクルーズし、ダム壁面に設置された作業用道路を歩く体験イベント「キャットウオーク」を実施している。
それでもバス乗車率は08年の77・9%をピークに低下傾向にあり、11年には東日本大震災の影響もあり60・0%となった。11、12年はさらに夏の少雨でダム湖が渇水して水位が低下。バスが進入できない日が続いた。
心配の種は尽きない。東京湾でも社会実験が行われるなどライバルが出現。運行を担当する同NPOは「地元の協力がないとなかなか難しい」と市に対し暗に支援を求めている。
だが、湯西川ダムの場合、根本的な問題がある。運行ルートが確定していないのだ。
地元は紅葉の見ごろに湖上から観賞できるルートを期待。山城晃一・湯西川温泉旅館組合長が「ぜひお願いしたい」と話す。
ところが、そのルートと湖の間には12度の傾斜の坂があり、試験走行ではエンジンが焼き切れた。国は別のルートを描いており、坂の改修予定もないという。
ダムの影:湯西川地区の行方/4止 水源地の活性ビジョン /栃木(毎日新聞栃木版 2013年03月03日) http://mainichi.jp/area/tochigi/news/20130303ddlk09040041000c.html
◇「国がもっと前に」
「選択肢が増えたのは楽しみだが……」。アウトドアスポーツを企画・主催する「ネイチャープラネット」代表の坂内剛至さん(38)は、昨年10月の湯西川ダム完成を受け、早速、湯西川温泉を取り巻く標高1000メートル前後の山のトレッキング企画を売り出した。
だが、課題の多さも感じている。
近くの川治温泉周辺でのカヌーやトレッキング体験などで実績を積んできた。ダム湖利用で一番重要なことは「地元とダムを管理する国、活用を希望する組織や団体などが集まってのルールづくりが先決」だと実感している。
それなのに、湯西川ダムを巡っては先行きが見えてこないのだ。
日光市内のダムの水源地をどう活性化させるか。国は五十里、川治、川俣の「3ダム時代」に、活性化に向けたビジョンの策定に動いた。だが、このときは計画倒れに終わった。
川治のダム湖で水没した地区の住民だった山越一治市議は「国が予算を付けなかったからね。絵に描いた餅だ」と振り返る。
国は次に、湯西川ダムを含めた「鬼怒川上流ダム群水源地域ビジョン」の策定を11年に着手。地元自治会などと協議を進めた。4ダムごとに湖面利用の協議会を設立することなどを柱に、協議は昨年3月、最終局面を迎えた。
ところが、土壇場になって住民側から「ダムを活用するなら、湖岸などの整備をすべきだ。しないなら協議会には入らない」などの声が噴出し、事実上、流会。「ビジョン」は幻影となった。湯沢光明・副市長は「地元の声を集約したのか」と疑問を呈す。
湯西川ダム完成を機に、国は改めてビジョン策定を目指し新規まき直しに乗り出す。だが、国にも市にも、積極的に責任を取ろうとする姿勢は見られない。
国は自らの財政的負担には口を閉ざす。市は国に「財政の裏付けと役割分担、アクションプログラムの三つがそろわなければビジョン策定は難しい」とくぎを刺し「もっと前面に出てくれないとダムが活用できない」と責任の重さを指摘する。
一方で地元に対し「地元が望み、市が必要と認めれば」応じると言い「あれもこれもでなく、あれかこれかにしてほしい」と念押しする
昨年10月8日。湯西川ダムの完工式。祝賀会の席で、旧栗山村長の山越悌一市議は「寂しいよなあ。下流の自治体からは誰も出席しなかったんだから」と漏らした。
「ダムが完成するまでは、地元はちやほやされるが、できれば終わりさ」と冷ややかな視線を送る地元関係者も多い中、整備された膨大な施設をどう活用するか。最後は地元の工夫と手腕で盛り上げていくしかない。【浅見茂晴】=おわり