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県庁騒然 石木ダム反対派200人 6時間の抗議活動

2019年7月31日
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昨日(7月30日)、石木ダムに反対する地権者や市民団体などの約200人が約6時間にわたり県庁内で抗議活動を行ないました。その記事とニュースを掲載します。
知事が出張中で不在でしたので、地権者らは要請書を副知事に手渡すことを求めましたが、県側はかたくなに拒否し続けました。「10分空けてくれるだけでいいのに、それもできず私たちの土地を取り上げるのか」と、地権者が憤慨するのは当然のことです。

県庁騒然 石木ダム反対派200人 6時間の抗議活動
(長崎新聞2019/7/31 00:00) https://this.kiji.is/528952190800200801?c=39546741839462401

(写真)県の担当者に詰め寄る地権者ら=県庁
県と佐世保市が東彼川棚町に計画する石木ダム建設事業に反対する地権者や市民団体などの約200人が30日、約6時間にわたり県庁内で抗議活動を実施し、庁内は一時騒然となった。家屋を含む土地の明け渡しを地権者に求める県収用委員会の裁決が出た中で、地権者らの不満が爆発した形となった。
反対派は、強制収用の取り下げを求める中村法道知事宛ての要請書を提出するために県庁を訪れた。午前10時ごろ、1階エントランスホールで「強制収用やめろ」と書かれたプラカードなどを掲げ、「知事以外とは話をしない」「知事を呼べ」と叫んだ。知事の執務室がある4階の秘書課の前に詰め掛け、県職員ともみ合いになる場面もあった。
知事は出張中で不在。反対派は要請書を副知事に手渡すことを求めたが、副知事は「公務中」を理由に姿を見せなかった。県側は担当課が要請書を預かるとしたが、反対派は納得せず要請書を持ち帰り、午後4時ごろに抗議活動が終了した。
地権者の岩下和雄さんは「10分空けてくれるだけでいいのに、それもできず私たちの土地を取り上げるのか」と憤慨。地権者で川棚町議の炭谷猛さんは「県政の懸案事項という割に対応がおかしい。知事は自分の仕事に責任を持っているのか」と怒りを示した。
県側は、担当課が要請書を受け取ることや庁舎内で抗議活動をしないことを、反対派の窓口となっている市民団体のメンバーと事前に確認していたと説明。「大騒ぎになってしまい非常に残念」としている。

知事との話し合い求め石木ダム反対地権者が抗議
(テレビ長崎2019年7月30日19:24)http://www.ktn.co.jp/news/20190730257600/

東彼川棚町に建設が計画されている石木ダムについて、反対する地権者などが長崎県庁を訪れ、建設中止を訴えるため知事との話し合いを求め抗議の声を上げました。
「私たちの土地を取り上げようとする人間が、なんで出てこられないんだ!」「知事を呼べー!」
県庁に集まったのは石木ダムに反対する地権者や支援団体のメンバーなどおよそ200人です。
県と佐世保市が川棚町に建設を計画している石木ダムをめぐっては、ことし5月、土地の強制収用を可能にする裁決が下され、明け渡し期限が過ぎれば土地や家屋の所有権が国に移り、本格的にダムの建設に着手できるようになります。
地権者らは長崎県庁1階のロビーで石木ダムの事業認定取り下げと建設の中止を求め、知事と直接話がしたい、と訴えました。
「私たちの話を聞いて強制収用をやめてください」「嘘ついたら泥棒の始まり」「通せ」
担当する河川課の職員が対応し「知事は不在」と伝えると、一時、知事室に押しかけ職員ともみ合いに・・・
「ただ要請書を読み上げて渡すだけです、論議するんじゃない」「しっかり知事に報告をする。だめだ、あんたじゃだめ」
結局、秘書課長の対応にとどまったことからおよそ6時間の抗議の末、反対地権者は予定していた要請書の提出をとりやめました。
石木ダム反対地権者 岩下 和雄 さん「私たちはいくら強制収用されてもふるさとに住んで生活を続けていきたいという気持ちは変わりありません」
反対地権者は石木ダムの建設中止を求め後日、改めて要請書を提出する予定です。


石木ダム 反対派住民が抗議活動

(NHK 2019年7月30日 17時33分)https://www3.nhk.or.jp/lnews/nagasaki/20190730/5030004704.html

川棚町で建設が進む石木ダムをめぐり、県の収用委員会の裁決によって、建設に必要なすべての土地を強制的に収用できるようになったことから、建設に反対する地権者や市民団体らが県庁で抗議活動を行いました。

抗議活動を行ったのは、石木ダムの地権者や建設に反対する市民団体のメンバーなど、およそ200人です。

川棚町で建設が進む石木ダムをめぐっては、ことし5月に県の収用委員会の裁決が出て、ダムの建設に必要なすべての土地を強制的に収用できるようになりました。

活動に参加した人たちは、裁決への抗議に加え、長崎県が国に申請して認められた「事業認定」の取り下げを求めて、県庁1階のエントランスホールに「強制収用やめろ」などと書かれたプラカードや横断幕を掲げて集まりました。

参加者たちは、強制収用の中止を求めた要請文を中村知事に手渡そうとして、県の職員と押し問答になり、一時は知事の居室がある付近まで入って、面会を求めました。

しかし、中村知事が県外に滞在していたため、代わりに
副知事との面会を求めて県庁1階で座り込むなど、およそ6時間にわたって抗議活動を続けましたが、副知事とも面会できず、その後、解散しました。

活動に参加した地権者の1人、岩下和雄さんは「土地は明け渡さない。次回はぜひ知事に会い、私たちの気持ちを直に聞いてもらいたい」と話していました。

埋まるダム、迫る危機 山梨・雨畑川、静岡新聞社ルポ

2019年7月31日
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駿河湾産サクラエビの不漁問題で注目される日本軽金属の雨畑ダムの土砂堆積状況について静岡新聞社のルポを掲載します。
なお、この記事の「雨畑ダムの堆砂率の経年変化」のグラフは当方で作成したものです。


埋まるダム、迫る危機 山梨・雨畑川、静岡新聞社ルポ

(静岡新聞2019/7/30 07:53)https://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/663642.html

(写真)大量の土砂の堆積で干上がった雨畑ダムのダム湖。本村集落(右上)の住民は危機感を募らす=26日、山梨県早川町(静岡新聞社ヘリ「ジェリコ1号」から)
日本軽金属 雨畑ダムの堆砂率の経年変化

雨畑地区本村集落周辺の様子

駿河湾産サクラエビの不漁問題で、早川水系の濁りの一因として注目される日本軽金属の発電用貯水ダム「雨畑ダム」(山梨県早川町)。ダム下流の雨畑川では汚泥やコンクリートの産業廃棄物の不法投棄が発覚する一方、ダムそのものも堆砂率が93・4%(2016年度)に達し、ほぼ埋まった状態。著しい堆砂は昨秋、上流側の集落に浸水被害をもたらした。今月、上空から状況を確認し、現地を訪ね歩いた。
【動画】堆砂著しいダム上流部、えん堤…  https://www.at-s.com/news/article/others/663541.html

静岡市から北へ約50キロ。日本一人口の少ない町、早川町。山々の間に雨畑ダムが見えてくる。緑に濁ったダムの湖水はわずかで、上流は間もなく干上がる。辺り一面の土砂はフォッサマグナ西縁(糸魚川―静岡構造線)近くのもろい地質構造の山から流れ込む。
雨畑地区の中でも最も川からの影響を受けやすい場所にある本村集落(約40世帯)を訪ねた。土砂で河床が上昇し道路より川底が高くなった「天井川」。水害に対する危機感を募らせていた住民は昨秋、台風で集落の一部が床上浸水し、恐れていた事態を目の当たりにした。
「濁流とともに、大きな石がゴロンゴロンと転がる音が聞こえた」と70代女性。大雨のたびに町外の親戚宅に自主避難するといい、「ダムを誰が管理しているのか知らないが、早く安心して暮らせるようにしてほしい」と切実だ。集落と対岸を結ぶつり橋は土砂にのみ込まれる寸前。ダム湖には橋脚上部まで埋まった奥沢橋もあり、かつてそこが谷だったことは想像しにくい。
雨畑ダムから約5キロ上流。古くは修験者が往来し、竜神様をまつる“聖域”。ここに国土交通省が02年に整備し「東洋一の規模」と称された稲又第三砂防堰堤(えんてい)がある。この堰堤上流も上空から見ると大量の土砂に埋まる。
駿河湾に注ぐ濁り水の源をたどると、そこには、先代が「地域活性化のため」と受け入れたダムの負の遺産に耐え忍ぶしかない住民の姿があった。

<メモ>雨畑ダム 富士川水系雨畑川(山梨県早川町)に日本軽金属が所有する“自家発電”用のアーチ式ダム。同社「三十年史」によると、地元の陳情を背景に1965年着工。「困難な地質条件」のもと2年で完成。日本のアルミニウム製錬の一翼を担った同社蒲原製造所(静岡市清水区)に電力供給。一方、同社などによると、活発な土砂流入で100年分の設計堆積量にわずか10年で達し、総貯水量の9割以上が埋まる。

NHK Eテレ 2019年7月27日(土)午後11時 ETV特集「豪雨に沈んだ 幸せのまちに」の感想

2019年7月28日
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NHK Eテレで 2019年7月27日(土)午後11時00分~ 午前0時00分 にETV特集「豪雨に沈んだ 幸せのまちに」の放映がありました。

事前の案内は下記の通りです。

この番組を観た感想を記します(嶋津暉之)。

岡山県倉敷市真備町の被災住民の苦悩と現状がよくわかりましたが、小田川氾濫の原因の究明については私は不満が残りました。
高梁川の支川である小田川は勾配が緩く、氾濫が起きやすいことから、小田川の合流点を高梁川の下流側に付け替える計画が半世紀前からありましたが、ダム事業(貯水池建設事業)と一体の計画(高梁川総合開発事業)であったため、難航し、2002年に中止が決定しました。その後、小田川合流点の付け替えのみを進める事業の計画が2010年に策定され、ようやく動き出そうとしていた矢先での西日本豪雨でした。そのことはこの番組でも紹介していました。
小田川の付け替えが行われていれば、合流点の水位が4.2mも下がるのですから、昨年の小田川の氾濫は回避できていた可能性が高いと考えられます。

問題がそれだけではありません。昭和40年代の資料を見ると、小田川の付け替えが早期に行われるものとして付け替えを前提として、小田川の計画堤防高を低くする改修計画になりました。このことが大変重要な問題です。
計画堤防高を達成できるように堤防高を嵩上げする築堤工事が行われていくものですが、小田川では達成すべき計画堤防高を低くしてしまったため、築堤工事がきちんと行われない状態になり、そのような状態がずっと続いてきました。
小田川の付け替えを前提とするならば、早期に実現しなければならないにもかかわらず、付け替えを長年あいまいな状態に放置してきたために、小田川の改修もきちんと行われず、その結果として昨年7月、小田川で決壊・溢水が起き、大水害になりました。
その行政責任は強く問われるべきだと私は思います。


ETV特集 2019年7月27日(土)午後11時00分~ 午前0時00分 「豪雨に沈んだ 幸せのまちに」

https://www4.nhk.or.jp/etv21c/

豪雨に襲われた町で…どう生きるのか。去年7月の西日本豪雨で51人の命が奪われた岡山県倉敷市真備町。
1年前、激しい豪雨によって川の堤防が決壊し、町は濁流に飲み込まれた。
多くの家が水に沈み、多くの人たちの日常が奪い去られた…。
なぜこれほどの甚大な被害が起きたのか?
その背景には、時代の渦に巻き込まれた町の成り立ちと、その裏で置き去りにされ続けてきた、ある計画があった…。
【語り】小野文惠

 

タイとラオス住民が猛反発、メコン川上流の中国ダム 上流の開発進めたい中国と環境保全訴える下流域住民が紙上論戦

2019年7月24日
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中国がメコン川上流域に建設し稼働を始めている水力発電用のダムによる影響が、ラオスやタイなどの下流域の周辺住民の生活環境、自然環境に深刻な影響を及ぼしています。
そのレポート記事を掲載します。

タイとラオス住民が猛反発、メコン川上流の中国ダム
上流の開発進めたい中国と環境保全訴える下流域住民が紙上論戦
(JBpress 2019.7.24(水)) https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57098
大塚 智彦

(写真)ラオスを流れるメコン川
中国南部・雲南省を中心とする地域を流れるメコン川(中国名・瀾滄河)上流域に中国が建設し稼働を始めている水力発電用のダムによる影響が、ラオスやタイなどの下流域の周辺住民の生活環境、自然環境に深刻な影響を及ぼしていることが明らかになった。
予告なしのダムの放水などによりメコン川下流域で水位が上昇したり、流れが変化したりして、周辺住民の漁業や農業、水運業、そして観光業まで被害を被っているのだ。
タイやラオスの当局関係者や環境保護団体、タイ、ラオス、カンボジア、ベトナムなどメコン流域国で構成する「メコン川委員会(MRC)」などはこれまでも中国側に放流の事前通告やさらなるダムの建設中止、関係当局による協議を求めているが、中国側は「共存のための開発」と一方的な理屈で押し通そうとしており、軋轢が生じている。
そんな中、中国側のメコン川開発について、タイの代表的英字紙「バンコク・ポスト」紙上で在タイ中国大使館の報道官が中国政府の意図を説明、それに対し環境保護団体が厳しく反論する事態となっており、中国とタイの対立が大きくクローズアップされている。
メコン川は遠くチベット高原から中国、ミャンマー、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムとインドシナ半島を貫いて流れる全長4200キロに及ぶ東南アジア最大の河川で、周辺流域の住民生活を長年にわたって潤してきたことから「母なるメコン」と呼ばれている。雨期などには水嵩が増して洪水になることや、逆に乾季には沿岸が干上がることもあるが、こうした季節による変化が周辺住民の生活リズム、自然環境のエコシムテムを支えてきた側面もある。

中国のダムがメコンに深刻な影響
ところが近年、中国が自国領内のメコン川に複数のダムを建設し、電力需要に応じた計画発電やダムの貯水量の調整のために大量の放水を実施し、下流域が季節に関係なく水位が急に上昇したり、水流が激しくなったりという変化に見舞われている。
特に2010年に完成した雲南省にある景洪ダム(発電量1750MW)による放水は、ラオス北部ボーケオ県やタイ北部などの流域住民の田畑、家屋、漁業に被害を与えていると米政府系放送局「ラジオ・フリー・アジア(RFA)」などは伝えている。
中国では景洪ダムのほかに現在7つの水力発電ダムが稼働し、さらに雲南省、青海省、チベット族自治区などで20のダムが建設中あるいは計画中といわれ、下流域への影響のさらなる深刻化が懸念されている。

MRCやタイ環境保護団体などによると、メコン川の水位や水流の季節に無関係な変化は流域住民の生活に加えて、周辺の自然環境にも影響を与え、生息する魚や水生植物、生物などにも減少や絶滅の危機といった問題を引き起こしているという。
7月には環境NGOなどがバンコクの中国大使館に対し深刻な事態の実態を訴えるとともに流域の被害住民への補償を求める動きもみせている。

英字紙上での中国主張に反論掲載
そうした中でバンコク・ポスト紙上に発表されたのが、前述の署名記事だ。7月12日の同紙に、在タイ中国大使館のYang Yang報道官による「誤った報道はメコン川での協力を阻害する」とする署名記事が掲載されたのだ。
この記事の中で中国側はタイ国内でのメコン川に関する中国ダムの批判的な影響に関する報道について「報道は中国への誤った批判に満ち、メコン川流域の住民に資するために水資源を有効に利用しようとする中国、タイ及び関係国による共同の努力を無視するものである」と批判。
その上で「中国は以下の事実を改めて確認したい」として①メコン川の環境保護は関係国の人々の生命の保護でもある、②関係国による環境アセスメントを実施して環境に与える被害を最小限にしようと努力している、③最近のメコン川の洪水や干ばつは地球的規模の気候変動によるものであり、中国のダム建設はこうした気候変動に対応するもので、乾季には水を流し、雨期には貯水することで水流を調整して下流域の経済的損失を軽減している、④中国は下流域各国に配慮し、緊密な意思疎通を保ちながら水力発電ダムのデータを共有しメコン川を友好の川、協力と繁栄の川とするため共に努力している、などと持論を展開した。
これに対し同じバンコク・ポスト紙は7月17日紙面にタイの環境保護団体「チャンコン保護グループ」共同創設者でメコン流域8地方の関係者でつくる「タイ住民メコンネットワーク」のニワット・ロイゲオ氏の反論記事を掲載した。
「中国はメコン問題に真摯に向き合え」と見出しを打たれた記事の中でニワット氏は「中国大使館報道官が紙面で主張したような中国がメコン川の資源を活用して地域住民のために協力しているという趣旨には同意することができない」と反論。
「いかに美辞麗句を並べても中国が実際に行っていることはメコン川の環境を破壊し、損害を与えているだけである」「中国の上流のダムははっきり言って、下流住民の生活や自然環境になんの利益にもなっていない」とタイの立場から手厳しく中国側の主張に反論している。

そしてメコン川の洪水や干ばつは「季節の変化によるもので、長年周辺国の流域住民約6000万人はそのサイクルの中で生活を営んできた」として自然と共存してきたことを強調し、「上流ダムの放水がそのサイクルを変化させた」と人為的な環境変化が中国によってもたらされ、それが生活環境、自然環境を破壊し、損害を与えているとの認識を改めて示した。
その上で「我々は同じメコン川の水を飲んでいるという中国の主張は必ずしも同じ理解と協力関係を保障するものではない」と中国側の一方的主張に釘を刺した。

(写真)カンボジアのカンダル州を流れるメコン川で魚の頭を落とす女性。メコン川下流域の国々では近年魚類資源の激減が報告されており、その原因は上流に造られた中国のダムにあるとの批判も上がっている(2018年1月5日撮影)。(c)AFP PHOTO / TANG

周辺国の間でも対中国で温度差
中国のこうした「独善的」な主張に基づく水力発電ダムの建設で大きな被害を被っているメコン川流域の各国だが、タイやラオスは中国との外交関係に一定の配慮を示しながらも「流域住民の生存権に関わる」としてメコン川問題に関しては厳しい姿勢を貫こうとしている。
しかしその一方で同じ下流域にあるカンボジアはMRCのメンバーでありながらフン・セン政権が中国からの多額の経済援助のため「対中弱腰外交」と周辺国から批判を浴びる外交戦略を展開しているため、メコン川問題でも、被害や影響の細かい情報が不明で、特にことを荒立てる構えもみせていない。
こうしたMRC内部の足並みの乱れも中国側に付け入る隙を与える結果となっているとの見方も強く、「母なるメコンの危機」をどのように回避して、メコンとともに生きる東南アジアの人々の生活と自然環境をどこまで守ることができるのか、流域関係国のみならず、東南アジア諸国連合(ASEAN)全体の問題として対処することが急務となっている。

中国「世界最大ダム」の崩壊リスク…当局説明を信じ切れない人々

2019年7月19日
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世界最大のダム、中国の三峡ダムについて崩壊リスクの疑念が生じています。この問題を丹念に調べた論考記事を掲載します。なかなかの力作です。

中国「世界最大ダム」の崩壊リスク当局説明を信じ切れない人々

(現代ビジネス2019/7/19(金) 6:01配信) https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190719-00065908-gendaibiz-cn

突然の観光停止

 中国・長江(別名:揚子江)中流域に位置する湖北省の宜昌市夷陵区三斗坪にある三峡ダムは、重力式コンクリートダムで、堤高(ダム高)は181メートル、堤頂長(ダム頂上部の長さ)は約2310メートルである。

 重力式コンクリートダムは、主要材料であるコンクリートの重量を利用して、ダムの自重で水圧等の外圧に耐え、貯水機能も果たすように作られたダムである。

 三峡ダムには32台の70万キロワット発電機が設置されており、それによって提供される電力の合計最大出力は2250万キロワットで、年間発電総量が1000億キロワット時に上る世界最大の水力発電ダムである。

 「三峡ダム建設プロジェクト」は1994年12月14日に正式な起工式を挙行して着工したが、実際は1993年初旬に工事に着手していたから、2009年末の完工までに丸17年の歳月を費やして完成した。(ダム本体の工事は2006年5月20日に竣工していた)

 その人造の三峡ダムから直線で34キロメートル離れ、自動車なら1時間20分の道程に所在する夷陵区黄花郷新坪村には天然の「三峡大瀑布」がある。

 原名を「白果樹瀑布」と呼ぶ三峡大瀑布は、高さ102メートル、幅80メートルの滝で、中国十大名瀑の第4番目に数えられ、中国の“国家4A級風景区(国家二級景勝地)”、に指定されている。当該景勝地を管轄しているのが「宜昌三峡大瀑布風景区有限公司」である。

 7月5日、宜昌三峡大瀑布風景区有限公司は次のような三峡大瀑布風景区の一時営業停止に関する文書を、宜昌市観光カード事務室へ通知した。宜昌市観光カード事務室は、観光客が三峡大瀑布区を訪れる際の入場券となる観光カードを所管している。

《宜昌三峡大瀑布風景区有限公司》
三峡大瀑布風景区の一時営業停止に関わる通知
宜昌市観光カード事務室御中
三峡大瀑布の上流で行われている工事が流れをせき止める段階に入ったことにより瀑布の水流を断つことが必要となり、三峡大瀑布風景区は2019年7月6日から7月13日までの1週間営業を一時停止します。営業時間の再開は別途通知しますが、営業停止期間は観光カードの旅客は受け入れできませんので、貴事務室におかれてはよろしくご協力の程をお願い致します。
2019年7月5日
———-

 上記の文書が通知されたことで、三峡大瀑布風景区が一時的に閉鎖されることが世間に知られることとなった。

 これに敏感に反応したメディアの記者が直ちに宜昌三峡大瀑布風景区有限公司へ電話で問い合わせたところ、電話に出た職員から次のような回答があった。

 「一時営業停止の理由は上流にある小型ダムの建設工事が最終段階にあるから大瀑布へ向かう水流を止める必要があるためである。7月14日に営業を再開できるかは不明なので、13日以前に問い合わせて欲しい。」

 また、三峡大瀑布風景区の一時営業停止は過去にも同様のことがあったかと質問したのに対しては、同風景区が営業を開始して以来初の事態であるとのことであった。さらに記者が三峡ダムに関する巷(ちまた)の噂を信じるかと質問したのに対して、「それは三峡集団に聞いてくれ」と同職員は素っ気無く答えたのだった。

打ち消せない不安

 ところで、メディアの記者が質問で提起した「巷の噂」とは何だったのか。話せば長くなるが、その経緯を簡潔にまとめるとこうだ。

 (1)2019年6月30日23時20分、ツイッターで中国系の独立系経済学者である冷山氏(ユーザー名:@goodrick8964)が、「三峡ダムはすでに変形している。万一ダムが崩壊したら、中国の半分は人々が塗炭の苦しみをなめ、中国共産党とその一族郎党もだめになる」と書き込み、三峡ダムを写したグーグルマップの衛星写真を2枚添付した。その中の1枚目は三峡ダムの完成時期である2009年に撮影されたもので、2310メートルある堤頂は直線状で何の異常も見当たらなかったが、2018年に撮影された2枚目の写真では堤頂が明らかに歪んで見えていた。

 (2)冷山氏の書き込みは多数のツイッターユーザーの注目を集め、ツイッター上で熱い討論が展開された。中国ではツイッターの使用は公式には禁止されているが、7月1日には冷山氏の書き込みがSNSの“微信(WeChat)”を通じて中国国内に伝えられたことにより、中国国内でも大きな話題となると同時に三峡ダムの安全性に関する白熱した議論が戦わされた。

 (3)中国の国内世論が三峡ダムの安全性に疑問を呈していることに社会的な危険性を感じた中国共産党は、三峡ダムが危険だというデマを打ち消すべく、大量の“五毛(中国共産党に雇われたネット評論員)”を動員して、国内に三峡ダムの安全性を訴えると同時に、中国では禁止されているツイッターを通じて冷山氏に対する批判を集中した。7月5日には、人民日報傘下の国際情報紙「環球時報」が、匿名の専門家によるグーグルマップの衛星写真にはリモートセンシング(遠隔探査)による歪みが生じる可能性がある旨の解説を掲載すると同時に、“中国航天科技集団(中国宇宙科学技術グループ)”が発表した人工衛星「高分6号」が撮影した三峡ダムの衛星写真を掲載して「ダム変形」というデマを打ち消した。

 (4)7月6日には、三峡ダムを運営する長江三峡集団が声明を発表して、「堤体(ダムの本体)は十数個の独立した構造体が組み合わさっているもので、水圧が不均衡な状況下では個々の構造体の間は弾性状態となって水平移動の可能性が存在するが、その移動幅はわずか3センチメートル以下で、ダムの安全性には何ら問題がない」と述べた。これを知った中国のネットユーザーは、長江三峡集団が三峡ダムに変形があると認めたものと理解したのだった。

 (5)これに先立つこと4カ月前の2019年2月13日に、日本の人気ユーチューバーである林浩司氏(チャンネル登録者数:3.9万人)が『Sanxia Dam(中国三峡ダム)in Collapse? 崩壊し始めた? 中国の三峡ダムby Hiroshi Hayashi, Japan』と題する動画をユーチューブ(中国語:油管)に投稿した。その内容は、グーグルマップの衛星写真で見た三峡ダムの2009年と2018年の写真を比較して分析した上で、2009年には正常であった堤頂が2018年には上流側から押し出される形で下流側へ41メートル移動していると結論付けた。しかし、この動画を見たユーチューブユーザーの反応はいま一歩で、堤頂が変形して見えるのは衛生写真の歪みに起因するとする意見が多く、この結論に同意を示すコメントは少なかった。

 (6)2019年3月5日には某ユーチューバーが「滑稽? 日本のユーチューバーがグーグルマップから我が国の三峡ダムが変形し、三峡ダムが崩壊すると言っている」と題する動画を投稿して、林浩司の動画に反論を試みたが、ユーチューブユーザーの注目を浴びることはなかった。これは恐らく、上述した“五毛”が指示を受けて動画を投稿したものと思われる。

 (7)それから15日後の2019年3月20日にユーチューブに三峡ダムに関する動画が新たに投稿された。投稿したのはアカウント名を“厲害了我的国(私の国は大変だ)”と名乗る人物で、投稿した動画の題名は「米国が三峡ダムを研究した後に出した結論は、いつ崩壊してもおかしくないだった」であった。動画が語った内容は、「三峡ダムは100年運用可能とは言い難い。当時の設計や資材に照らせば、どんなに多く見積もっても50年しか使えない」というもので、「三峡ダムの建設に使用した鉄筋やコンクリートには使用期限があり、長時間の雨水の浸食や浸透を経て一定の損傷が発生し、最終的には三峡ダムは崩壊するだろう」と断定していた。

 (8)7月7日、冷山は再度ツイッターに書き込みを行い、上記(5)で述べた林浩司氏がユーチューブに投稿した動画を引用した上で、三峡ダムの衛星写真の立体動画を示して、ダムに大きな変形が見られ、いつ崩壊してもおかしくないと、その危険性について改めて警鐘を鳴らした。

 こうした流れの中で上述の通り、7月5日に宜昌三峡大瀑布風景区有限公司が三峡大瀑布風景区の一時営業停止を発表したが、それは一時的なものとはいえども開業以来初の営業停止であったことから、世間を騒がしている三峡ダム崩壊の危険性と関連付けて、人々はあたかも三峡ダムの崩壊が身近に迫っているかのような恐怖を覚えたのだった。

不良工事の可能性

 ここで三峡ダムの構造を再確認すると、以下の通り。

 a)形式 :重力式コンクリートダム
b) 堤頂長:2310メートル
c) 堤頂高:海抜185メートル
d) 堤高 :181メートル
e) 堤底幅:115メートル
f) 堤頂幅:40メートル

 三峡ダムの建設を請け負った長江三峡工程開発総公司の資料で三峡ダムの断面図を見ると、上底となる提底(ダムの基礎)の幅は115メートルであるのに対して、下底となる堤頂の幅は40メートルで、上流側は垂直に切り立ち、下流側は斜面という台形を形成している。

 その堤頂が上流側の貯水池に貯えられた巨大な水量の圧力に押されて41メートルも下流側へ移動しているというのが、ユーチューバーの林浩司氏の意見であるのに対して、三峡ダムを運営する長江三峡集団はダム堤体の水平移動は認めたものの、その移動幅は3センチメートル以内で、三峡ダムの安全性には全く問題ないと表明しているのである。

 文頭に述べたように、重力式コンクリートダムは、主要材料であるコンクリートの重量で水圧等の外圧に耐え方式のダムである。

 長江三峡工程開発総公司の資料によれば、三峡ダムの建設に使われたコンクリートの総量は2800万立方メートル。

 工事の要求品質が高く、施工の難度も大きかったので、工事品質と工期を保証するために、ダムへのコンクリート流し込みにはタワークレーンによるコンクリートの連続流し込みを主体とする総合施工技術を採用したとある。

 タワーの高さは200メートル前後、コンクリートの攪拌能力は2500立方メートル/時であった。

 ちなみに、東京ドームの容積は124万立方メートルなので、三峡ダム建設に使われた2800万立方メートルのコンクリートは東京ドームの容積の22.6倍に相当する莫大な量であった。

 さて、三峡ダムの研究で世界的な権威とされるのはドイツ在住で活躍する中国人水利専門家の王維洛(おういらく)氏である。

 1951年に浙江省で生まれた王維洛氏は、1982年に江蘇省南京大学を卒業、1985年にドイツのノルトライン・ヴェストファーレン州にあるドルトムント大学へ留学し、1987年に修士課程を修了し、1993年5月に工学博士号を取得した。現在は同じくノルトライン・ヴェストファーレン州のエッセン市にある民間のプロジェクト評価事務所にエンジニアとして勤務している。

 中国国内で大きな話題となっている三峡ダムの崩壊可能性について、その王維洛氏がかつて語った内容を取りまとめると以下の通り。

 (1)三峡ダムには洪水防止の機能はない。1989年6月4日に起こった天安門事件の後で、当時、中国共産党総書記であった江沢民は、人々を奮起させる目玉事業として三峡ダム建設計画を強引に推進し、中国共産党宣伝部に命じて嘘八百を並べ立てた。すなわち、2003年には「三峡ダムは“固若金湯(守りが非常に堅固)”で、1万年に1度の洪水を食い止めることができる」、2007年には「1000年に1度の洪水を防げる」、2008年には「100年に1度の洪水を食い止める」、2010年には「20年に1度の洪水を防げる」。このように、1万年に1度の大洪水を食い止めるはずだったものが、いつのまにか20年に1度の小洪水に縮小された。

 (2)三峡ダムの工期は17年間にも及んだが、前期工程の施工品質は非常に劣り、三峡ダムの右岸部分や基礎の下部には空洞が比較的多い。これらの空洞はコンクリートを流し込んだ時にできたもので、当時コンクリートの攪拌や温度処理が十分でなかったために、熱膨張と冷収縮によって堤体の中に空洞が形成された。この空洞部分は後々にひび割れとなり、それが漏水を引き起こす。三峡ダムではすでに漏水が発生しており、その状況が深刻になればダムの廃棄を考える必要がある。

どちらにしても寿命は数十年

 ところで、1930年生まれで安徽省出身の劉崇熙(りゅうすうき)氏はフランスのパリ大学とパリ鉱業大学の博士号を持つ「ダムコンクリート(ダム用コンクリート)」の専門家である。

 三峡ダムは1994年12月14日に正式着工したが、劉崇熙氏はその2年後の1996年に発表した論文で、中国で建設された大量のコンクリートダムが運用10~30年で深刻な状況にあると論じ、「重力式コンクリートダムである三峡ダムの耐久寿命は50年と予想される」と結論付けて物議をかもした。

 当該論文は当時の全国政治協商会議副主席に提出された後に江沢民、さらには国務院総理の李鵬にも回覧されたが、李鵬は劉崇熙の結論に誤りがあるとして三峡ダムの建設を続行させたという。
 
李鵬は1994年12月14日の三峡ダム起工式で、「三峡ダム建設プロジェクトは“功在当代, 利在千秋(努力は当代のためだけでなく、今後の未来にも利益をもたらすものである)”」と述べた。

 李鵬はソ連留学から帰国した後の1955年から1961年まで吉林省の豊満水力発電所の副所長兼技師長であった。豊満水力発電所は豊満ダムに併設されたもので、同ダムは三峡ダムと同じ重力式コンクリートダムで、日中戦争が始まった1937年に日本によって建設され、1943年に発電を開始した。

 吉林省政府は2010年1月にその豊満ダムを老朽化により年末までに取り壊すと宣言し、下流に新たな豊満ダムを建設して2012年10月から運用を開始した。

 初代の豊満ダムは1937年の竣工から2010年までの寿命は73年であり、1943年の発電開始から2010年までの寿命は67年だった。この間に1988年と1998年の2回にわたって大規模な修理を行っていた。

 2009年に竣工した三峡ダムの寿命が何年なのかは予断を許さない。ダムコンクリートの専門家である劉崇熙が予想するように50年かもしれないし、豊満ダムと同様の70年程度かもしれない。ただし、三峡ダムが重力式コンクリートダムであり、コンクリートに寿命がある以上は永遠に存続することは不可能である。

 一方、王維洛氏が述べているように、三峡ダムの堤体中に存在する空洞がひび割れを作ることで漏水が激しくなれば、三峡ダムが崩壊する危険性は増すことになる。

 冷山氏が提起したような三峡ダムの堤頂に変形が発生しているかどうかは、現場で実地検証すれば容易に問題は解決するはずだが、中国の三峡関係組織がそれを実施しようとしないのは何かやましい所があるのではないかと疑いたくなる。

 そうした最中に、三峡大瀑布風景区が一時営業を停止するというニュースが流れれば、疑心暗鬼はさらに強いものとなる。

時間とともに決断できなくなる

 上述した内容から分かるのは、中国政府が国力を挙げて建設した三峡ダムには寿命があるということ。寿命が50年か、70年か、あるいは100年かは分からないが、三峡ダムが重力式コンクリートダムである以上は、コンクリートや鉄筋などの寿命が全てを決することになのだろう。

 ダムの寿命が尽きるまでに、対応策を決めることが出来れば良いが、それが出来ぬままにダムが崩壊するようなことになれば、その被害は甚大なものとなる。

 三峡ダムのすぐ下流には常住人口が417万人の宜昌市があり、その先の長江下流には湖北省の省都・武漢市(常住人口1110万人)、江蘇省の省都・南京市(常住人口844万人)、さらに下流には上海市(常住人口2324万人)がある。

 ある日、突然に三峡ダムが崩壊してダム上流の貯水が下流へ流出すれば、数十万、数百万の中国国民が命を失いかねない。ダム上流の貯水が流出すれば、下流に甚大な被害が出るだけでなく、上流でも堤防の流出や土砂崩れなどの計り知れない被害が出るだろう。

 王維洛氏は2016年11月に、「三峡ダムを取り壊すなら早い方が良い。遅くなれば取り壊せなくなる」と題する文章を発表した。

 その主旨は、今、取り壊しの決断を下せないなら、将来の影響はますます深刻なものとなり、必要となる資金も増大して取り壊しは不可能となる。

 現在のところ、三峡ダムの貯水湖に堆積している土砂は19億トンで、長江の水流はこれらを海まで運ぶ力を持っているが、時間が経てば経つほど土砂の堆積量は増大し、30年後には40億トンを超えて身動き取れなくなる。無理やり土砂を海へ流そうとしても、土砂が下流に堆積して流れを遮断することになるから、三峡ダムは取り壊せなくなるというものだった。

 今後も三峡ダムの動向を注視することが必要のようだ。

北村 豊

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